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忘れた方がいいこと

合評会2026年9月応募作品

大猫

2026年9月合評会参加作品。お題は「熊本」
私の年代ですと熊本、富山、三重は公害病のイメージが強いです。
語り継ぐことと、忘れてしまいたい気持ちは両立するよなと思って書きました。

タグ: #合評会2026年9月

小説

4,278文字

「ユウキだけ褒められてた! あたしもなんかやりたい」
「はい? なんの話?」

前提を提示せずにいきなり話し始めるのは陽菜ひなの悪い癖だ。子供だから仕方がないと言いたいところだが、これは父親譲りだ。夫と娘の「いきなり喋り」に美穂みほは日々苦労させられている。

順を追って尋ねてみるとこういうことだ。新学期に入って夏休みの自主研究の発表を行うのだが、いっぺんに全員は無理なので、毎日五人ずつ発表することになっている。

今日、裕樹ゆうき君の発表が先生に褒められた。本当は中学生になってから勉強する内容なのに五年生でよく調べたと。

「めっちゃ、むかつくんだよね」

陽菜は裕樹君に対抗意識があるらしい。

保育園から今まで、ずっと一緒だった。おっとりして少々トロいところがある裕樹君を庇ったり守ったりしてやって、ずっとお姉さん気分でいたのに、この頃、「生意気」だと言う。低学年の頃のように陽菜を頼ることがない。成長したのだから当たり前だとは思い至らぬようで、先生に褒められて得意顔をしたのが気に障ったようだ。

 

陽菜の発表はしあさっての月曜日。「美味しいお米の炊き方」にしたんだけど、そんなの圧倒的につまらない。今から内容を変更したいと言う。夏休みの宿題をギリギリまで後回しにして叱られていたくせに、宿題をやり直したいとは珍しいことだ。

とりあえず裕樹君の家に行って発表内容を見せてもらうことにした。幸い気楽に訪ね合える仲だ。裕樹君の母とはママ友で、保育園の頃からずっと一緒なのは子供たちと同じ。裕樹君は早生まれで少々発達が遅かった。それを心配する母親をなにかと励ましたりもした。向こうもこちらも共働きで、仕事で帰りが遅くなる時は子供を預け合ったりもした。

 

裕樹君の研究は「水俣病」だった。
「私、熊本出身でね」と裕樹君の母は言う。
「学校でいろいろ習ったし、資料館もあるから夏休みに連れて行ったの。そしたら自由研究にするって言って」

 

学校での発表をもう一回やってくれとお願いしたら、裕樹君は恥ずかしそうに、でもどこか得意そうに説明を始めた。模造紙五枚分もある大作だ。

①まず水俣病の概要を総括的に述べて、

②病気の原因は工業排水の河川、海への垂れ流しであること

③排水中のメチル水銀は、脳や神経系統に重大な障害を及ぼすこと。

④病気を発症した人の延べ人数と病状の悲惨さを画像付きで説明。

特に胎児性水俣病患者の過酷な写真は大人でも目をそむけたくなるものだった。

⑤最後に水俣病の発生から認知、公害病認定から裁判、救済などの一連の歴史が年表に簡潔にまとめられていた。

 

「水俣病資料館を見学して、けっこうショックでした。熊本はお母さんの故郷で何度も行ったことがあるのに、全然知りませんでした。今でも裁判が続いているような大きな公害病だったこと、お母さんの子供の頃には身近な人にも患者がいたこと、そんなことも知りませんでした」

訥々としているが、自分の言葉であることがわかる。小さい頃、転んだのぶつけたのとすぐに泣いていたこの子が、なんて立派に成長したんだろう。母親でもないのに、美穂はつい感無量になって涙ぐんでしまった。見れば裕樹君の母も目元を押さえている。

 

「なに感動してんの。あたしのも考えてよ!」

陽菜が言う。
「ママの田舎にも公害病ないの?」
「ママは千葉出身だし大きな公害なんかなかったよ」
「パパの田舎は? 富山!」
「さあ、知らない」

「イタイイタイ病は?」

と裕樹君。
「四大公害病の一つだよ」
「それだ! あたし、イタイイタイ病調べる!」
「急にできるわけないでしょ」
「だから手伝って。土曜日曜でお願い。パパにも聞いて」
「そういうのって、自分で考えた方がいいと思うけどな」

そう言った裕樹君をひと睨みし、陽菜は美穂の手を引っ張って帰宅した。

 

夕食時、父の俊之としゆきにイタイイタイ病について教えてくれと陽菜がねだった。俊之ははあ? という顔をしてどういうことだと美穂を見る。仕方なくいきさつを話してやると、たった一言、

「そんなことやらなくていいよ」

しかし陽菜は粘る。

「だって、公害病って中学校で習うことで、すごく意味があることなんだって先生が言ったんだよ」

「なら中学生になってから勉強すれば」

「パパのケチ。じゃあ富山のおばあちゃんに電話して聞く」

「やめとけ」

珍しく強い口調で言われたのにふてくされて、陽菜は、もういい、自分で調べると言って部屋に籠った。

 

翌日の土曜日。朝食の準備をしている背中に、

「カドミウムだって」

陽菜は例によって突然言い出す。今度はイタイイタイ病のことだと見当がついた。

「カドミウムって身体に溜まると、カルシウムがなくなってしまって、骨がスカスカになるんだって。最後はくしゃみをしただけでも骨折するんだって。患者さんはイタイイタイって言いながら死んじゃうんだって」

ちゃんと調べてきたな、と感心していると、陽菜は更に続ける。

「ひどいことするよね。三井金属って会社がカドミウムが入った水を川に垂れ流したからなんだって。水俣病も水銀を海に流したんでしょ? 富山も熊本も原因は同じだった」

「岐阜!」

突然背後から俊之が口を挟んだ。はあ? と陽菜と美穂が振り向くと、

「神岡鉱山は岐阜県にある。三井金属鉱業の神岡鉱山が流したんだ。富山県の公害って言われてるけど、岐阜の会社が起こしたんだ」

それを聞いた陽菜は喜んで父にすり寄る。

「パパ、やっぱ詳しいじゃん、ねえ教えてよ」

しかし俊之は素っ気なく「行って来る」と仕事に行ってしまった。休日出勤だそうだ。陽菜はふくれ面をした。

 

どうしてもおばあちゃんに聞きたいとせがまれて、俊之の実家に電話をした。
「おばあちゃん、イタイイタイ病って知ってる?」

陽菜は珍しく順序立てて話をした。カドミウムがどうの、神通川がどうの、最初は祟りと思われていたのと、いろいろ確認をしているようだ。ひとしきり騒がしく喋って、美穂が電話を代わった。

「なんで急にイタイイタイ病のことなんか言い出したの?」

美穂はまたまたいきさつを話してやる。
「なるほどね、そういうことか……」

姑の貴代たかよは口から生まれてきたのではと疑うほどのすごいお喋りで、電話では常に一方的に話をするのだが、今日はいやに口が重い。

「すみません、地元の方にとっては思い出したくない話なんでしょうね」

陽菜の非礼を詫びると、電話の向こうからため息が聞こえた。

「いや、別に隠しとるわけでもないけど、私らの身内はイタイイタイ病で死んだから」
「えっ!」

そこから貴代のマシンガントークが復活した。かいつまんで言うと、貴代の母マサヨはイタイイタイ病患者に認定され病院で亡くなった。それよりも先に発症して寝たきりで死んだ祖母のチイは死後十年目に認定された。貴代の母親の実家は富山県婦中町で患者がそれは大勢いたそうだ。

つまり、俊之の祖母と曾祖母がイタイイタイ病患者だったということだ、母の貴代は大丈夫なのだろうか、考えていると、
「もちろん、もうカドミウムは残っとらんからね。俊之にも私にも。それだけは安心しられ」

心を読まれたようでドキッとした。
「富山の米も食べても大丈夫だから。汚染された地域の土は何十年もかけて全部入れ替えたから。基準値ていうの? カドミウムも普通の土地より少ななったいう話やし。まあ、身内に患者がおるって、富山じゃ別に珍しくもないことやけど、わざわざ他人に話したりもせんし」

 

 

「なんで今まで教えてくれなかったの」

夕食時に陽菜が尋ねる。俊之は相変わらず素っ気ない。
「別に言うほどのことでもないし」
「大事なことだよ」

美穂はつい口を挟んでしまった。
「家族の話なんだから、話してほしかった」

俊之の顔色が変わった。
「話すって何を? 家族が死んだ原因か? 婆ちゃんが死んだ原因をいちいち話す奴がいるのか?」

いつもおだやかな俊之の怒気を含んだ声に、美穂と陽菜は硬直する。
「イタイイタイ病は申告が必要なのか? え? 俺の婆ちゃんはイタイイタイ病で死んだって、結婚する前に申告が必要だったのか?」
「そんなこと言ってない!」

しかし俊之は食事を中断して、ぷいと家を出て行った。

しばらくして、シクシクしゃくり上げる声が聞こえた。陽菜が泣いている。
「パパが怒った。あたしのせいだね」
「違うよ」

涙を拭いてやりながら、子供に大人げないところを見せるなんて。適当にあしらって、後で夫婦で話せばいいじゃないか、と思ってはみるものの、実は美穂も動転していた。あんな俊之を見たのは初めてだった。

 

真夜中、玄関の鍵がそっと開く音を聞いた。そっと浴室へ行ってそっとシャワーを使う音も聞こえる。あれじゃお湯がちょろちょろとしか流れないだろうにと心配をした。
それから、俊之は寝室に入ってきた。空気がやや酒臭くなる。

「ごめん」

美穂が先に言った。
「そんなつもりで言ったんじゃないと思ってたけど、もしかしたらチラッとそんなつもりがあったのかもしれない」
「……それって、婆ちゃんがイタイイタイ病だって知ってたら、結婚してくれなかったってこと?」
「いや、それはない」

美穂は確信をもって断言する。
「絶対に結婚した」
「なら良かった」

俊之はベッドに腰を下ろす。
「ずっと忘れていたし、気にしたこともなかったんだけど、急に持ち出されたら喉にナイフでも刺さったような気がして、つい大声出してしまって」
「陽菜が泣いてた」
「ごめん」

俊之は横になった。
「あれは富山の黒歴史で、忘れた方がいいと思ってたんだけどな。水俣病だって熊本は早く忘れた方がいいって、この頃は地震や雨で大変だしって思ってて」
難しいね、と返事をしたら、いびき混じりの寝息が聞こえてきた。

 

翌日、日曜日の朝、陽菜はイタイイタイ病の発表はやめると言った。
「パパに悪いことしたから」
「全然悪くないよ」

そして、せっかく始めたことなんだから、やり遂げたらどうだ、家族が患者だったことも話してもいい、と言った。動機はどうあれ自発的に勉強するのは良いことだ。美穂も最後までやりなさい、と背中を押した。

でも一回止めると決めてしまうと、なかなかエンジンはかからないようで、思い悩んだ陽菜はもう一度裕樹君を訪ねた。
「先にやったのはユウキだから、一応、確認しとく」

よく分からない理由を言って飛び出して行って、十分ほどで戻ってきた。
「『お父さんがいいって言ったんなら、やっていいんじゃない』だって」

今日は日曜日、発表は明日だ。もうやめとこうかなあ、どうしようかなあ、と陽菜は呟いた。

© 2026 大猫 ( 2026年9月14日公開

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"忘れた方がいいこと"へのコメント 2

  • 読者 | 2026-09-15 00:30

    何だか泣きたくなるお話でした。思い出したくもないことと、闇に葬ることはまた違う気もします。複雑。

  • 投稿者 | 2026-09-15 16:15

    公害病の当事者が晒される差別や偏見には、きっと酷いものがあったことでしょう。そんな記憶に蓋をして過ごしてきたひとたちがすぐ身近にいて、しかもその一人が自分のお父さんだった、ということを知った陽菜ちゃんの動揺がすごく伝わってきます。陽菜ちゃんには葛藤を乗り越えて、ぜひ当事者側の視点をも取り入れてイタイイタイ病の研究発表をしてほしい。それは勇気が必要なことだけど、きっと陽菜ちゃんを成長させるでしょう。

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