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びしょびしょにいこう

第42回文学フリマ東京原稿募集応募作品

nyuke

近未来、というより少し外れた世界のなかで、人の体を標本にするお話です
破滅派投稿二回目

タグ: #第42回文学フリマ東京原稿募集

小説

6,609文字

——や、なんだかお皿が割れるときの音って色々欠損しているなぁって、遠眼鏡をかけたままずっと思ってて、思いません?砕けるより割れるということの、如何ともし難い欠損具合が私の喉奥でがぁっと詰まっていて、ひとたび声を出そうとすれば唾液に濡れた大事な喉笛、という部、を切り裂こうと迫り来る。ああ痛い、喉が痛い。

 

私がそう書いた筆談用のノートを開くと、医師は哀れな人間を見る目でため息をついた。

 

——ええ、わかります、何度も見せられてもう、わかりましたが、それでも病因がわからないかぎりどうしようもないのですよ。皿?が砕けて喉に詰まっているのであれば摘出した方がいいでしょうが、見たところ健康体じゃないですか。筆談なさってますけど、声自体は出せるんじゃないですか?一応入院しておきますか?どうしようもできないと思いますけど。

 

回転椅子に座る医師は自分の体をクルクル回しながらそう言って、入院。私は頭の中でポワンポワンとその言葉を跳ね返し繰り返した。入院って、あの、真っ白な病室に入れられて何日も耐え忍ぶあれ、きっと白い病室は薄暗くて私を閉じ込めようと両端からどんどん縮まっていくあれ、話す話さないどころじゃないし、無理です、嫌です。

 

と一連のことを思ったわたしは簡潔に、『じゃあいいです』とだけ書いて、それを禿げ上がった医師の目の前にグイグイと突き出しノートの字面を見せつけてから病院を出た。正規の出口から出るのもなんだか癪だったのでstaff onlyと書かれた勝手口から外に出た。この病院に薬の営業にきた頃の記憶を頼りにトボトボ関係者室を歩いて、誰も働いていないのに端末の電気だけつきっぱなし、ここにも薬品を運んだことは何度もある、だからこのツンとした空気の成分表も働いている先生方の名前、今のひとは流石にわからないけれど、十年前の病院の医師ならもしくは。あのときから現在までそのままであることについては全部知っているはずだった。あまりにも記憶は鮮明に脳に焼き付いている。関係者室を出た廊下で女医とあったが怪訝な目で見られただけで、わたしは澄ました顔で勝手口を出た。

 

病院では、もうあのときからは長い時間が経っていて、そこかしこの水たまり、太陽を吸い込む代わりに外壁はどんどん干からびて、土の混じった、道路脇にあるような水たまりの空気で満ち満ちている。廊下のそこかしこに雨漏りがあった。一体どこから?このおいぼれた病院のかつてのはっきりとした消毒臭が懐かしかった。ここまで来れば命は助かると言う安心感、ここにいれば病気は蔓延しないという安心感、救急車と伝染病の流行のなかで、この白い外壁だけは町の中心に屹立しなければいけない。コンノ先生がそう言っていたことを思い出し、そういえばさっきの医師、全然シャキッとしていなかった。あれはヤブ医者だ。ネームプレートもつけていなかったし、白衣のヨレヨレ具合からはっきりとわかる、コンノ先生だけが特別だったんだ。

 

外に出ると街には人がまばらにいたが、皆うつむいて手元の端末をいじり、空気はしんと静まり返っていた。そこかしこにある雨の翌日の水たまり。私は歩きながら喉仏を外側からとか内側からとかしょっちゅう触ることにする。皿が挟まったのは日曜日の早朝だ。うう、工場で暮らすのいやだぁ、仕事したくないなぁ、十年前の若かりしコンノ先生がいまここに立ち現れたならわたしを助けてくれる?かな?って思ってたらいつの間にか「んぐぁ」って感じに咽頭がこじ開けられて、喉仏に住み着いた何か、あれちょっと待てよ、もしかして、コンノ先生!?でもコンノ先生は死んじゃったわけだし……と最終的な結論で辿り着いた「割れたお皿」が一体どの経験のどの部から来たのかわからないけれど、悩みながら、今どきの病院はやっぱり頼りにならないなと筆談ノートにその頼りなさを書き殴りながら黒く塗りつぶす、誰に見せるわけでもなく、ただ単に。

だって不安なのだ。病院を飛び出したのはいいものの、破片ということ。不安で、たとえばこの破片が肺に落ちてしまったら何?どうなる?口のなかで言葉をきりさく破片が、今度は肺で空気の循環を鋭利に切り裂いて、その状態でほんとに呼吸できる?それとも呼吸できずに干からびていく?わからない、わからないから怖いし、どうしよう。もしそれでわたしが死んだなら、コンノ先生の呪いってことになるんだろうか。コンノ先生はわたしを恨んでいて、わたしの片思いだったということになるんだろうか、不安。

誰かを問い詰めたくなって周りを見渡す。やはり皆俯いている。高い場所で止まり木を探すカラスが叫んでいる。遠くのビルがポツポツ光って太陽の反射が眩しかった。何かポジティブなことを考えたい気分。ポジティブなこと一、私は生きてる。だから別にいい。そのほかのことはどうでも。お皿も、一旦忘れよう。考えても仕方ないから。ポジティブなこと二、病院費も浮いた。普通なら自動ドアが開くと同時にセンサーで口座から引き落としが発生するんだけどやっぱり知識は武器だ、勝手口、見つからないよなぁ、それにばれたって刑務所にわたしを入れるお金も、国は持ってない。みんな不摂生になってこの国はボロボロだ。

わたしは失いかけた自信を取り戻し、意気揚々と交差点を渡る。視覚障害者用のパララパ、ピーラパパ、という音質を聞き流す。

——コンノ先生、な。

薬を運びにくるわたしを毎回出迎えてくれたとき、まだ研修医だった。当時は珍しく甘い香水をつけている人で、香水なんて古い文明の遺構、そもそもルッキズムなんて低俗と言われるかもしれないけど、顔のパースは丁寧に刈りそろえられていて、きっと人工だろうなって思わせる部はどこにもなかった。大好き。二十代の力かな。外見は年上に見えたし、いまでもその認識を改めようとは思わないけど、暦のうえでは三つ下だったらしく、あのときは落ち込んだなぁ。自分の方が早く老けるんだもんなぁ。

丸っこい車が目の前でクラクションを鳴らしている。パララパ、パララパ。とまっていた足を動かして急いで渡り、上を見るとカラスは既に飛び去っており、空は青ざめていた。

 

歩いている途中、電話がなる。上司からだった。

「キノさん、いま何してる」

<はい、歩いてます>

「どこを」

<はい、工場に向かって>

ハァ、とため息が漏れているのがマイク越しでも分かった。

「遅刻の理由はあとで聞くからとりあえず早く来て。走って」

<はい>

わたしが電話でさえ文章読み上げ機能を利用しているせいもあってかかなりイラついているようで、それはきっと、今日の朝に休暇を申請したときからだ、怒気を必死に抑えようとする努力は認めるけどこれ録音つかって訴えれば、一昔前のコンプラ時代なら勝てると思うなぁ、あれは過敏に反応してくれる世の中だった、と若干思い、でもこの国にはそんなくだらないことで裁判をできる余力はない。それにわたしの方も工場のおかげで生きられているから、別に、賠償金でお小遣いをちょっととかそういう次元ではなく、ただぷかぷかと浮かんで生きていられればそれでいい気もする。

工場は失業者を閉じ込める簡易な国の施設で、誰にでも簡単にできる仕事がモットーだ。なんだかよくわからないけど肉の乗ったトレーを移して移してどんどん移して隣のレーンへ、隣のレーンにも人がいてその人に渡して、その前に粉を振りかけて、また隣のレーンへ、粉を振りかけてのレーンへ、粉を振りかけてのレーンへ、粉を振りかけてのレーンへ、繰り返し、細長い外壁はモルタルの灰色っぽさで床は打ちっぱなしの寒々しさ、隙間風は吹いてこないけど体全体はゆっくり冷えて固まる心地がする場所だ。固体。個体。何か貢献できてる感覚はあるし、きっと誰かがこのお肉を食べるんでしょう。むかしみたく薬を売るのも社会貢献っぽくて楽しかったけど病気が劇的に克服されすぎて、いまの病院の役割は精神病か依存症の改善くらい、従来の医療品から変革が起きたというのに頑固な社長が方向を転換しないせいで当然業績は悪化、素行の悪さという理由で首にされた。ほぼリストラのようなものだって信じてるし、本当にとばっちり、再就職先はまぁあったけどやっぱりコンノ先生が死んでしまったこともあって、十八年の会社員としての、まともな人間としての人生を終わらせる決意をすることは、特段むずかしくなかった。

さっき電話したのは工場を管理してる、あったことはないけど電話だけ繋いでおいたおじさんだ。この人もあの医師みたく禿げ上がってるんだろうな、となんとなく想像している。声の端々に混ざる唾液の跳躍音と汗の匂いの滲みとこのご時世にあって決して丁寧語を使わない強硬派。呂律が回らない。息があがる。わたしは、その上司の命令通りに走っていた。従うのは簡単で沈むこと、次の足、また次の足、交互に繰り出す足が別の生き物みたいに見えて目があるなら口があるなら排泄期間があるなら、足がもし別個で一つの生物として成り立つなら、それらの部品はどこへ配置されるんだろう。ぼんやりと考える。そして次々に本能に従いながら足を踏み鳴らそうとしてすんでのところで足を止める。目の前にはありの行列があった。行列に運ばれるミミズの死骸、わたしは跳ねて飛び越えようとしてたが足は絡まって右足首のありえない角度での着地、そのまま視界は回転し、気づけば路上に放り出されていた。立ち上がって頬を擦る。わたしの方を見ている人は誰もいない。擦った掌からは異臭がして、何事かと見ると手には何もついておらずただ獣くささがあった。獣。なくなって久しい概念だ。

わたしはまた立ち上がって走り出した。

 

改札を通り工場に入ると、既に大体の人が作業を開始していて、レーン脇の椅子に座ると突如スピーカーから低いがなり声がなった。

「キノさん、遅刻分があるので給料分のパックが四分の一減って、あと遅刻理由は改札の方で確認したからもういいよ」

<はい>

「でも病院にお金を払わないと監督責任のある人が出すことになってて、位置情報でバレるし、一応工場が保護者になってるし、めんどくさいから、やめて」

<はい>

(再びため息)

「作業、お願いね」

<はい>

(ぶちっ、と切断音、ピー、プププ、レーンが動きます)

黒い板がかなりのスピードで動き始め、右手に粉末を入れた容器をおいたわたしはすぐさま仕事に取り掛かった。病院の近くにいたときの無自覚な雑然とした感じがどんどん整理されてゆく感触がして、美しいね、黒いレーンが撒かれた油でテカテカと反射し、これロボット使えばいいんじゃ、とかいろいろを考えるけどやめて指の自立した神経が勝手に動き出すように本能が肉をくみあげて隣のレーンに移し、粉末、隣のレーンに移し、粉末、隣のレーンに移し、粉末、隣のレーンに移し、粉末、わたしの脳の一番重要な部分はきっといま指に依存してる、さっきは足で、これからは脳に移ることはなく、どうせ事情がなければ休暇時間も外に出ないしずっと工場で、寝て、起きて、朝八時に配布される二つのパック(ただしパックの四分の一が減る予定なのでにパックではなく二分の三パック分が切り分けられて配られ)それを食べる、レーン。食べる、レーン。これはいつまで、というか終わりはないだろうし、ああコンノ先生。日曜日はなんだかコンノ先生な気分だったから、社会の画一さに反抗した恋愛の気分だったから工場仕事がきっと嫌になったんだろうなぁ、病院に行ってしまった、あなたの匂いを探して行ってしまった、卵が先か鶏が先か、コンノ先生が先か恋愛が先か、生み出されて消し去られて生み出される世の中のいろんな場所で行われる繰り返し、これが割れたお皿の音となってわたしの喉に突き刺さっているのだから、あれ、思考がクリアになるとなんだか見えるものもあるんですね、割れたお皿の音。あれが突き刺さってるのはやっぱり耳には閉じるべき場所がないから、どんなに鋭い音でも簡単に届いて、居間の、キッチンの、きっとお母さんが間違って落としちゃった音。それが初体験。それから何度も何度もいろんなところでその音を聞いていたんでしたっけ。(手で握る肉の質感、指は動き続ける)砕けるより割れる方が塊として詰め込まれるし、切断面はいつだってまっすぐでどこまでも伸びて行ける気がしだんだ、悲しい、嬉しい、の気持ち悪さを言語野から発散するまえに母はいつだって私の前に迫ってきてお小言を行って、勉強は真面目に。(レーンに移す質感、黒い板は動き続ける)でも、おかあさんがあってたよな、薬を売るっていったって言うなればただの営業で、なんの技能もないし話もできないからコンノ先生はわたしのことを好きでいてくれなくて、おんなじ医者だったらどうだろう?わたしだけがずっと好きだった。あの人の女性らしいしなやかな体つきとしなやかな声としなやかな瞼と瞳と耳たぶ、食事会に行ってきゃっきゃと騒いで大好きですとその流れで告白したんだっけ。(え、まじ、それはマジのやつ?え、ごめん、なさい。わたしは男の人が好きです、チャーミングポイントのメガネをすこしクイってしながら)(肉の質感。レーンを移す質感。粉末をかけてスピーカーから上司が何か言っているけど無視をして、肉、肉、肉の塊、むかしの獣はもうみんな死んじゃってその劣化版の培養肉と聞かされているけどこれは一体どこの誰の肉で誰が食べてるの、味付け過多のドーパミン中毒の現代人のための食品、培養肉なんてそんなお金のかかりそうなもの、わからないけど、わからないけど)でも、コンノ先生が優しくなくなって、告白した私が悪いか、隠すべきだったか、でもそうじゃないでしょ、コンプラ時代なのにさぁ全然みんな外見と性別じゃんか、みんな口先おばけじゃんか、若い研修医の稼げるお姉さんなんか男の人から引くてあまたで、そう、だからわたしが殺したんだっけ、コンノ先生は男の人と行為に及んじゃダメなんだっけ、そうだっけ。あれ、思い出せない。雨、水たまり、滑って転んで橋から落ちた所まで覚えてるけど、いや、落ちた?落とした?落として一緒に落ちた?告白の日は誕生日だった、そこでもらった、梱包された綺麗な花柄のお皿の誕生日プレゼント、橋のそばで、落として、割れて、んぐぁって見開かれた瞳を見て、裏切りね、そうよ裏切りよ、私の。

びしょびしょに濡れた衣服はだいぶ重くて、橋から落ちてコンノ先生は死んだけどわたしは死ななかった、溺れなかった、お皿の割れたどんな境界線に指をあててズバッと切ろうとしても血は一滴も出なくて、永遠の切れ目、割れ目、砕け切らない直線、わたしの指の皮があと一ミリ薄ければ共に血を流せましたか、死ねましたか、パックを食べてのうのうと生きることなく、レーン、いや、死ぬ?そこまでじゃないのかな、いや、死ぬべきかな、いや、まぁ、まぁ生きてればいっか、お皿の破片はなんだかもうどうでも良くなった。喉の不調も良くなった気がする。仕事、そう仕事仕事。次の日曜日まではとりあえず仕事、仕事。わたしはやっと上司のスピーカーに応じることにして、

「はい」

「あれ、もう声出せるんだ」

「はい」

「来週の日曜日からまたそうなりそう?」

「…….はい」

「そう、まぁいいよとりあえず働いて。あと粉末が今から新しいセット届くから受け取って」

「はい」

わたしはスピーカーを切った。切れる途中で、普段は使える真面目なやつなのにな、と声が聞こえて、真面目。うちの母の教育のおかげですかね。よかった。もっと深い場所で誰かが呟いていると感じたから蓋をする。仕事を再開するに当たって雑音はいらない。ついでにお皿も……ってあれ?お皿ってなんの話をしていたんだっけ。

わたしがそう思って体の動くを止めると目の前の無機質な肉のレーンがすこし傾いで、体も前傾、ポケットからポロリと何かが落ちた。拾い上げてみると、それは腐った薬指だった。打ち付けられて、割れた感じの、人体にはありえない切り取られ方をした指。それはつい先日まで雨風にさらされていたかのように醜く膨張し、びしょびしょに濡れたまま、わたしの服のなかにいた。汚いなぁ、大事な服なのに。

© 2026 nyuke ( 2026年4月19日公開

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