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びしょびしょにいこう

第42回文学フリマ東京原稿募集応募作品

nyuke

近未来、というより少し外れた世界のお話です
破滅派投稿二回目

タグ: #第42回文学フリマ東京原稿募集

小説

8,365文字

——や、なんだかお皿が割れるときの音って色々欠損しているなぁって、遠眼鏡をかけたままずっと思ってて、思いません? 砕けるより割れるということの、如何ともし難い欠損具合が私の喉奥でがぁっと詰まっている、ひとたび声を出そうとすれば唾液に濡れた大事な喉笛、という部、を切り裂こうと迫り来る。ああ痛い、喉が痛い。

 

私がそう書いた筆談用のノートを開くと、医師は哀れな人間を見る目でため息をついた。

 

——ええ、わかります、何度も見せられてもう、わかりましたが、それでも病因がわからないかぎりどうしようもないのですよ。皿? が砕けて喉に詰まっているのであれば摘出した方がいいでしょうが、見たところ健康体じゃないですか。筆談なさってますけど、声自体は出せるんじゃないですか? 一応入院しておきますか? どうしようもできないと思いますけど。

 

回転椅子に座る医師は自分の体をクルクル回しながらそう言って、入院。私は頭の中でポワンポワンとその言葉を跳ね返した。入院って、あの、真っ白な病室に入れられて何日も耐え忍ぶあれじゃないのか、きっと白い病室は薄暗くて私を閉じ込めようと両端からどんどん縮まっていって話す話さないどころじゃないし、無理です、嫌です。

と一連のことを思ったわたしは簡潔に、『じゃあいいです』とだけ書いて、それを禿げ上がった医師の目の前にグイグイと突き出しノートの字面を見せつけてから病院を出た。正規の出口から出るのもなんだか癪だったのでstaff onlyと書かれた扉に入った。この病院に薬の営業にきた頃の記憶を頼りにトボトボと関係者室を歩く。誰も働いていないのに端末の電気だけつきっぱなし、ここにも薬品を運んだことは何度もある、だからこのツンとした空気の成分表も働いている先生方の名前、今のひとは流石にわからないけれど、十年前の病院の医師ならもしくは。あのときから現在までそのままであることについては全部知っているはずだった。あまりにも記憶は鮮明に脳に焼き付いている。関係者室を出た廊下で女医と出会ったが怪訝な目で見られただけで、わたしは廊下をカツカツと進み澄ました顔で勝手口を出た。

 

病院では、もうあのときからは長い時間が経っていて、そこかしこの水たまり、太陽を吸い込む代わりに外壁はどんどん干からびている。土の混じった、道路脇にあるような水たまりの空気で満ち満ちていた。廊下のそこかしこに雨漏りがあった。一体どこから? このおいぼれた病院のかつてのはっきりとした消毒臭が懐かしい。ここまで来れば命は助かると言う安心感、ここにいれば病気は蔓延しないという安心感、救急車と伝染病の流行のなかで、この白い外壁だけは町の中心に屹立しなければいけない、コンノ先生がそれを目指してるんだよねぇと研修医時代に言っていたことを思い出し、そういえばさっきの医師、全然シャキッとしていなかった。きっとヤブ医者だ。ネームプレートもつけていなかったし、白衣のヨレヨレ具合からはっきりとわかる、コンノ先生だけが特別だったんだ。万能薬が出てから、最近の病院はずっと薬に甘えてしまっている。

 

外に出ると街には人がまばらにいたが、皆うつむいて手元の端末をいじり、空気はしんと静まり返っていた。そこかしこにある雨の翌日の水たまり。私は歩きながら喉仏を外側からとか内側からとかしょっちゅう触ることにする。皿が挟まったのは日曜日の早朝だ。うう、工場で暮らすのいやだぁ、仕事したくないなぁ、十年前の若かりしコンノ先生がいまここに立ち現れたならわたしを助けてくれる? かな? って思ってたらいつの間にか「んぐぁ」って感じに咽頭がこじ開けられて、喉仏に住み着いた何か、あれちょっと待てよ、もしかして、コンノ先生!? でもコンノ先生は死んじゃったわけだし……と最終的な結論で辿り着いた割れたお皿が一体どの経験のどの部から来たのかわからないけれど、悩みながら、今どきの病院はやっぱり頼りにならないなと筆談ノートにその頼りなさを書き殴りながら黒く塗りつぶす、誰に見せるわけでもなくただ単に。

不安なのだ。病院を飛び出したのはいいものの、破片ということ、不安で、たとえばこの破片が肺に落ちてしまったら何? どうなる? 口のなかで言葉をきりさく破片が、今度は肺で空気の循環を鋭利に切り裂いて、その状態でほんとに呼吸できる? それとも呼吸できずに干からびていく? わからない、わからないから怖いし、どうしよう。もしそれでわたしが死んだなら、コンノ先生の呪いってことになるんだろうか。コンノ先生はわたしを恨んでいて、わたしの片思いだったということになるんだろうか、不安。

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© 2026 nyuke ( 2026年4月19日公開

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