――しかしなかなかそこまで持ち込めなかったので、けっきょく彼は、彼女に薬を盛ったのであった。
終わったあとで我に返って、まだボンヤリしている彼女に、ひたいを床にこすりつけて、泣きながら謝罪した。
彼女はただあわれむようなまなざしを向けたばかりで、訴えることはしないと言った。
彼はホッと安堵した。
けれども後日、仕事から帰る途中に、彼女の兄と、その友人たちに肩をトントンされ、おいでおいでされて、彼はワンボックスカーに乗せられた。
ワンボックスカーはしばらくコンビニだのホームセンターだのウロウロしたあと、アーチ型な橋を渡って人工島に行き、ある倉庫に入って行った。
「おお。何やボク、えらい美容に気ィつけてんねんなァ」
「ほんまや。女の子みたいに真っ白で、すべすべつやつやや」
「どれ」
「どれどれ」
順番でしげしげ見て、みんなたいそう感心していた。
「ほんなら、もっと男前にしたろな」
ということで、摩擦やら、牽引やら、あるいは軽い切開など、思いつく限りさまざまの美容術がほどこされた。
休憩になると、コンビニで買ったものをパクついた。
彼にもふるまわれて、
「男がそんな細かったらアカン」
「そうやで。遠慮いらん、食べ食べ」
「飲み飲み」
やがて休憩が終わると、ふたたびさまざまの施術がほどこされた。
そこへ安打寸先輩が到着した。
この人が来たことを、一同はあまり喜んでいない様子だった。
「――おい、誰が呼んだんじゃ」
とささやき合った。
「知らん。おれやないぞ」
「おれもちゃうで」
「やめ、聞こえる」
安打寸先輩はだいたい知った上でのお越しらしかったけれど、いちおう詳しく事情を尋ね直した。そうしてそれ以降、後輩たちが手分けしてほどこしていた美容術を、一人で引き受けた。
驚くべき手際のよさで、彼を男前にしてゆく。
二度とふたたびこういうマチガイが起こらないで済むよう、一工夫加えたりなどもしながら。
ふと後輩たちを見回した。そうして、ある一人を見つめると、
「たしかお前、サッカー部――」
とつぶやいた。つぶやかれたほうは慌てて引き取って、
「ハイ、自分サッカー部でした」
「サッカー部にやァ、今誰か日サロ経営っとる奴、おらんかったかな」
「あァ、いてます。古井津です」
「どいつ?」
「いや古井津いう奴です。ここにはいません」
安打寸先輩は一瞬、黙って見つめたけれど、気を取り直して、
「ちょっと電話して、日焼けマシーン一台借りたってェや」
そう言われて、困惑し、
「え、借りる言うて、どういうことですか」
安打寸先輩は舌打ちして、
「もォ頭悪いな。アレの男前の仕上げしたるから、借りて言うてんねやんか」
何しろ安打寸先輩なので、すぐさま電話がかけられた。
「――そやねん。そう安打……いや、ほんまにすまん。マジですまん」
古井津が到着するまで後輩たちは気が気でなかった。来なんだらどうする。まあそれはないやろけど。まあそれはな。
安打寸先輩は隅っこの事務机でノートパソコンを開き、煙草を吸いながら何か動画を見ていた。
くだんの彼は、強めの美容術をほどこされた格好のまま、固定されていた。
やがて古井津がトラックで現れて、ひどく不機嫌に、旧友たちへ指図しつつ、タンニングマシンを一台運び入れた。
安打寸先輩はきらきらと瞳を輝かせながら、なめらかなマシンをなでさすり、
「ごっついなァ。ェえ? これタイムマシーンちゃうんか」
古井津は旧友たちに手伝わせて、黙々と作業しているばかりだ。
安打寸先輩は首を伸ばして、
「電圧とか大丈夫か。コンセント合うか。火事なれへんか」
古井津はあくまで答えず、旧友たちに操作法を説明し終えると、ようやく安打寸先輩に向き直り、
「このまま差し上げますんで、二度と関わらんとってください」
と言い置いてサッサと帰ってしまった。
安打寸先輩はちょっと不服そうに去りゆくトラックを見ていたけれど、とにかく今は仕事が待っているので保留というふうであった。
裸の彼をタンニングマシンの中に寝かせて、扉を閉め、スチールパレットを乗せられるだけ乗せて中からは開かないようにすると、
「ブレーカー落ちひんやろなァ、冷や冷やするわ」
と言いながら、スイッチを入れた。
「うるさっ、熱っ、」
と飛び離れて、キャッキャしていたと思うと、急に真顔で「そやそやそや」と言いながらポケットをまさぐり、
「さっきここ来る時にやァ、こんなん拾たんやけど、誰かのん?」
と見せた。白い四角なUSBメモリーであった。
後輩たちはお互いを見合い、かぶりを振り合った。
「どこで拾たんですか」
「すぐそこ。倉庫の前んとこに、『拾てください』みたいな顔して落ちとった」
「へえ」
「あれパソコン誰の?」
「自分のです」
「ちょっとコレの中身、確かめてもええ?」
と言いつつスタスタ歩いて行くので、パソコンの持ち主は慌てて
「ちょうちょうちょう、待ってくださいよ。ウイルスとか入っとったら困りますやんか」
「困るようなもんないやないか。違法ダウンロードのエロ動画ばっかりやないか」
「いやいやホンマに、それだけはカンニンしてください。大事なもんもあるんです」
「大事なもんて何じゃ」
「コドモの写メとかムービーとかも入っとるんです」
「離婚したんちゃうんか」
「しましたけど」
「ほんでお前養育費も払とらんやんけ」
「いやほんま、マジでお願いします。マジでお願いします」
安打寸先輩は、遂に興ざめのふうで、
「何やねん。しょうもな、」
と、諦めてくれた。
それからデリバリーピザを頼むと言って聞かないので、知り合いが営んでいるバーだのレストランだの片っぱしから連絡し、ようやく一軒、定休日だったところを開けてもらって、食べに行った。
小一時間して戻って来ると、
「臭ァ……垂れ流しなっとんちゃうんか」
後輩たちもほろ酔い機嫌で、
「もう焦げとるんちゃいます」
「おい、兄ちゃん生きとるかァ」
と一人がバンバン叩くと、中からうめき声のようなものが、聞こえるは聞こえた。
「大丈夫や言うてるわ」
「とりあえずいったん切っとこか」
いったん切って、換気した。
「――……おッ!」
と、何やらスマホを見ていた安打寸先輩が、後輩たちを見回して、
「お前らオンナ抱かしたろか」
「何ですか」
「どういうことすか」
安打寸先輩の言うことには、あるところにクラウドファンディングで豪邸を建てた女性がいる。隔日で出資者を泊めている。安打寸先輩も出資したのだが、額的に優先度は低く、いつもキャンセル待ちなのだったけれども、先ほど急な空きが出たので申請してみたら通ったとのことであった。
「そんなもん、大勢で行っていいんですか」
「ええやろ別に。めんこいでェ」
「マジすか」
「ほんまにええんですか」
「ええええ。おごったるから来い」
一同はいそいそと出かけて行った。数時間後に帰って来た。後輩たちは安打寸先輩を白い目で見て、
「ちゃんと確かめてから言うてくださいよ……」
「いや、ほんまにすまん。通ったと思たんやけどなァ」
「行けたことあるんすか」
「あるよ」
「期待だけさしといて」
「悪かったて。しばくぞ」
と言っているところへ、ふとタンニングマシンを見た一人が、アッと声を上げた。
「ヤバいヤバいヤバい!」
「煙出とる!」
「窓ぜんぶ開けろ、警報機鳴ったら終わりや!」
窓を開けるやら電源を抜くやら駆けずり回って、ようやく落ち着いたけれども、倉庫内にはかなり芳ばしいニオイが充満していた。
「何でスイッチ入っとったんや。誰か――」
と言いかけてハタと黙り、全員が安打寸先輩を見た。
安打寸先輩は肩をすくめて、少年のような笑みを浮かべ、
「冗談やんか」
と言ってテヘペロをした。
「せやけどもうこれ、黒焦げのミイラなってますよたぶん」
「どうするんすかマジで」
「ほんまに」
と集中攻撃を受けて、
「…………何やねんお前らさっきから、人が頭下げとったら」
「いや、そういうわけやないですけど」
「ミイラなっとるかどうかわからんやんけ。お前開けてみろや」
「イヤですよ」
安打寸先輩は顔をくしゃっとして、
「イヤとかないねん。開けろ言うとんねん。次お前入れたろか」
「ちょっと」と一人がささやいた。「何か聞こえんぞ」
一同は耳を澄ました。
「――ほら見い。生きとるやんけ」
「いや、変な……また。プシュー言うてますよ」
「どっかふくれて音鳴っとるんやろ。パンパンなっとるかもしれんぞ。もうええわ、ちょっと見ようや」
自ら開けに行こうとするから後輩たちは追いすがって
「頼んますから」
「何でや」
「何でや言うて、無理っすよ」
「ほんならどうすんねん。このまま一生置いとくんか」
「それはないですけど、せめてもうちょっと冷めてからにしてくださいよ。焼き立て過ぎるんすよ」
「ほんまに、今開けたら何か噴き出して、ぶっしゃァ破裂して、目ェとかに入ったらどうするんすか」
これには安打寸先輩もイヤそうな顔をした。
一同はタンニングマシンを見つめた。
妙な音はかすかに聞こえ続けているけれど、やはりそれは不随意的なものに思われた。
「呪われたらどないしょ」
と一人がつぶやくと、安打寸先輩が
「しょうもないこと言うな。お風呂入ったらええねん」
「風呂そんな万能ちゃいますよ」
「ビビり過ぎやねん。何や。死んだら呪われるんか。人間、死んだらそんな最強なるの」
誰も答えない。
「ェえ? そうやろ。死人の祟りがあるんやったら、とっくに呪い殺されとらなあかんやつ世界中に何ぼでもおるやないか。みんなピンピンしとるやないか」
けれどもけっきょく安打寸先輩の演説は空転し、開ける開けないの話はいったん保留になった。
誰も何も言わなくなり、そちこちへ座り込んで、煙草ばかり吸っていた。
安打寸先輩が天井を見上げて、
「――クラファンかァ。YouTubeとかでやァ、ライブ配信みたいなんしてやァ、ロシアンルーレット一回につき百万とかで投げ銭募ったら儲からんかな。どうですか。聞いてますか。百万に達するたびに一回ずつ引き鉄引くねん。一億貯めよ思たら百回やらんならんけども、六分の一の百倍は何パーセントぐらいになるんやろか」
誰も返事をしなかった。
「……せやけど毎度あらためて六分の一をくり返して行くわけやから、何回やっても六分の五で助かるんやからな。あんがい一生ブジで済むかもしれんぞ」
みんな魂が抜けたように呆けていた。
と、ふと一人が
「おい、誰か動かしたか?」と言った。
「何をいな」
「日焼けマシーンをよ。さっきと場所変わっとらんか。動いてへんか」
「――動いてへんやろ。変なこと言うなや」
「だから開けてみろや」と安打寸先輩。「もしかしたらおらんかもしれんぞ。とっくにどっか行っきょったかもしれんぞ」
しかし誰も腰を上げようとはしなかった。
かすかに妙な音を立て続けるタンニングマシンを、もはや出来るだけ見ないようにしていた。
何人かは頭を抱えていた。
しくしく泣いている者もいた。
せめて心だけでもこの場から逃れようと、然るべきものを吸引している人もいたけれど、バッドトリップしたのか、虫のようにうずくまって、以降ピクリとも動かなかった。
退屈した安打寸先輩が隅っこでふたたびノートパソコンを開いたことには誰も気づいていなかった。
あるいは気づいていたかもしれなかったけれど、もうその程度のことは誰も気にしていなかった。
安打寸先輩はポケットからUSBメモリーを取り出して、誰も見ていないことを確認すると、楽しそうに挿し込んだ。
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