メニュー

お医者様でも草津の湯でも

合評会2026年3月応募作品

曾根崎十三

3月合評会「最高の破滅」応募作品。切実な話です。ラブです。

タグ: #合評会2026年3月

小説

4,303文字

いつも恋愛で人生がめちゃくちゃになってきた。

いや、何を他人事みたいに。

いつも恋愛で人生をめちゃくちゃにしてきた。

私の人生にはいつも私の頭を埋め尽くす「君」がいる。

幼稚園の頃、私は人気者だった。その人気者の私が夢中になったかずまくんは、私の事を独占するなと皆からいじめられて、転園した。小学生の頃、クラスの田村陽介くんを好きになって家までつきまとっていたら、無視されるようになって、今度は私がいじめられるようになった。高校受験の前に好きになった人とは付き合うことができたけれど、暴力的な男子で私はいつも彼のことでうじうじしてばかりで勉強に手がつかなくなり、志望校に落ちた。大学受験の時も、失恋をしていつまでのその人のSNSを見続けては病んで、勉強が手に付かなくなり、眼中になかった不本意な大学へ進むことになった。大学卒業前は私を溺愛してくれる彼氏がおり、彼が養ってくれると言っていたので、まともに就職活動をしていなかった私は、バイト先の先輩を好きになって彼氏をふり、見事にスロースタートで就職活動を始めることになった。その結果、新卒で就職できず、フリーターをしてから就職することになった。バイト先の先輩にもフラれた。そもそもその人には彼女がいたし、私はそのことを知っていた。知っていたけど、自分を止めることができなかった。就職してからも、上司と不倫したり、同僚にふられたり、部下に手を出したり、色恋沙汰は尽きなかった。でも私は本気だった。全部本気だった。一度だって中途半端な気持ちで人を好きになったことなんてない。

いつも目の前の「君」が一番なのだ。ずっとずっと一番を更新し続けている。

ようやく止まることができる、と数年前まで思っていた。私には娘がいた。いや、今もいる。離れて暮らしているだけで、私には娘がいるのだ。たった一人の血を分けた子。縁。「縁」と書いて「ゆかり」と読む。私が決めた名前。女の子が生まれたらずっとこの名前にしようと思っていた。夫にもずっとそう言っていた。夫も優しい良い男だった。いや、優しい良い男なのだろう。今も。

あの日のことを今も覚えている。ようやく普通の人生が送れると思っていた。この人とならもう何も壊さなくて良いと思った。人に頼ることが苦手な私が夫になら気軽に頼ることができた。私が不安になれば理由も聞かず抱きしめてじっとしてくれる。私が話したくなれば、話も聞いてくれる。ここが安住の地だと思った。ようやく止まることができたと思った。その時はそう思っていた。本気でそう思っていた。思っていたから結婚したし、子供も産んだ。子供のことだって一度もいらないと思ったことなんてない。嘘だと言われたって仕方ないが、愛している。血まみれで必死にもがいている小さな命を見て喜びの涙を流すなんて思いもしなかった。成長を見続けたかった。縁の背が伸びて、しっかりした足取りで走るようになって、お友達ができて、一人でご飯も食べられるようになって、走ったり、文字を書いたり、そのうちに反抗されたり、もっともっと笑ったり泣いたり怒ったりしてる姿を見続けたかった。私は家族のことを愛している。家族だった人たちのことを愛している。でも、私には一緒にいる資格がなかった。

私はまた私を止めることができなかった。縁がいても。夫がいても。思うだけで、自分を止めることができたならどれほど良かっただろう。でも、私は自制心がなかった。自分で思っていた以上に覚悟も勇気もない駄目な女、ただの野生の一匹の雌だった。

また「君」に出会ってしまった。

今度の「君」がどこの誰かなんていうのはどうでも良い話で、問題は私が私を止められなかったことだ。「君」に出会って、私は結局、母にも妻にもなれず、ただの一人の女に戻ってしまった。どうしようもなく惹かれてしまった。違うと思いたかった。でも、違わなかった。何をしていたって考えてしまうのだ。夫といる時も、縁の世話をしている時でさえ。君はこんなこと言ってたな、君はどう思うだろう、君にこの話をしよう、これは君も好きだったな、これは君が苦手と言っていた、とか、すべてが君に結びついてしまう。良い大人は仮にそう思ったとして、我慢して、押し殺して、なかったことにして、日々の平穏を守り抜くのだろう。でも、私は悪い大人だった。悪い大人の私は我慢ができなかった。悪い大人というのは我慢ができない。我慢ができないので、ポイ捨てをしたり、子供がいる公園でタバコを吸ったり、スーパーの店員の揚げ足を取って怒鳴りつけたり、暴れて警察につまみ出されたりする。犯罪行為を仕方ないと言って行う。私もそういう悪い大人と同じ種類の人間だ。君に会いたくてたまらなくなって、予定を全部投げ出して、会いに行ったことがある。君の声が聞きたくて、でも電話じゃ顔も見えないし、余計に会いたくなって、顔が見たくて、そこにちゃんといるのを確認したくて、会いに行ってしまった。その時の君の反応と言ったら! 君もまた私を憎からず思っていることに気付いてしまった。家に押しかけて、転がり込んで、既成事実を作り、なりゆきで付き合った。家庭を投げ出して。

私は全部失った。家庭も、職場も、実家も、義実家も、家族ぐるみの付き合いをしていた友人も。責められ、なじられ、非難され、糾弾され、説得しようともされた。そんな人間だと思わなかったと言われた。残念! そんな人間なんです。夫は私を許そうとした。でも、私は夫を捨てた。離婚して欲しい、と私が求めたのだ。おかしな話だ。だって夫はもう「君」じゃなかった。私の「君」は別の人だった。私にはもったいない人だった。でも、私はどうしても君が欲しかった。

そのくせ、君とも、数ヶ月で別れてしまった。何も不満はなかった。むしろ君は優しかったし、一途だった。一度失敗している私と結婚しようとすらしてくれた。縁を引き取って一緒に育てないかと提案すらしてくれた。

だから駄目だった。私は、私に夢中の人に飽きてしまう。夢中になられたら、駄目なのだ。どうか私に夢中にならないで欲しい。私のことを必要としないでほしい。少しの不安が安心になる。そのくせ「君」に私のことを必要としてほしくてたまらない。手に入らない君を求め続けていたいのだ。欲しくてたまらない状態でずっとい続けたいのだ。求められたいと渇望し続けたいのだ。いつもそうだ。病気でしょう? 自分でもそう思う。そうだ。私にはまた別の「君」ができてしまったのだ。

何もかもを投げ出した手に入れた相手すらも投げ出して、私には何も残らなかった。

いや、新しい「君」だけが残った。

いつも目の前の「君」が一番なのだ。ずっとずっと一番を更新し続けている。ずっとこうやって生きていくんだろう。私は。

私は人間としておかしい。生物としておかしい。家族を捨てた。自分がそんな薄情な生物だと思っていなかった。でも、母親も不倫していた。母親は嬉々として私に婚外の恋バナを聞かせてくる女だった。子供の頃からそうだったので、母親というのはそういうものだと思っていた。しかし、友達の家庭が不倫で離婚した話を聞いて、私の家庭は異常なのだと気づいた。決して今流行のオープンマリッジというわけでもなく、父親は何も知らないだけだった。いや、何も知らないふりをしていただけかもしれない。我が家は木造のボロ家だったので、母親の内緒話は恐らく二つ隣の部屋まで丸聞こえだった。小声で電話している声すら丸聞こえだったので間違いないだろう。こんな異常な家庭で育ったから私は病気になったのだろうか。一理あるかもしれない。でも、むしろ生まれ持った物の方が大きい気がする。さすがに幼稚園児の頃は母から恋バナなんて聞かされなかったが、それでも私は男の子の尻を追いかけていた。この衝動は産まれた時から、DNAに組み込まれている。これは遺伝だ。

私は結婚不適合者だ。言われなくても分かっている。でも、大丈夫だと思ったんだ。あの時は。大丈夫と思ってしまったから結婚してしまった。子を成してしまった。それが間違いだった。縁の命を否定するつもりはない。でも私は無責任な行動をしてしまった。自分を止めることができないくせに。自分を止める勇気もない根性なしのくせに。他人の人生に責任を持つこともできないくせに、他人の人生に責任を持たざるを得ないようなことをしてしまった。罪深い。死んだら地獄に堕ちると思う、とか言いながら本当は天国も地獄もないと思っている。申し訳ない、と言いながら、でも治せないんだから仕方ないでしょ、と開き直っている自分がいる。

縁の通学路を何度かこっそりと見ていたことがある。声をかけたことはない。顔を見せるのもおこがましい。縁は男児と一緒に帰っていた。皆で帰っている中、グループの輪から離れてその男児と二人で仲睦ましげに話していた。あの年齢で、縁は男児の頬を撫でて微笑みかけていた。照れて目を背けた彼を愛おしそうに見つめていた。たった七歳の子供が。女の顔をしている、と思った。そして思った、来年の今頃には別の男児に同じことをしている、と。そしてその予想は的中した。

この病気は死ぬまで治らない。いや、死んでも治らない。

私が誰かを好きになっても、誰も幸せにならない。幸せにできない。私も相手も誰も幸せにならなかった。それなのに、私は私を止めることができない。恋は自分の意思とは関係がない。石に躓くみたいに恋に落ちてしまう。誰も躓こうと思って歩いてなどいない。どんなに慎重に歩いていても、躓いてしまう瞬間がある。もう恋などするものかと何度思って生きていても、結局いつも突然「君が好きだ」が来てしまう。もう誰とも関わらず、檻に閉じ込められて生きていれば惚れてしまうこともないだろう。でも、そんなことは現実的ではない。人と関わっていく以上私は惚れ続ける。最後の恋を探し続けている。毎回、「この人が今までで一番だ」と思っている。ボジョレー・ヌーボーかよ。百年に一度の恋、のつもりでいる。毎回。百年に一度の恋と思った恋を超える今世紀最大の恋、とか。そういうボジョレー・ヌーボー。私はこの苦痛を、苦悩を私で終わらせることができない。これは遺伝する。うつる。私が死んでもこの苦悩は残り続ける。身を滅ぼし、この身が消滅しても、人が変わり、女が変わり、同じ苦痛が、苦悩がこの世の中を渡り歩き続ける。いつか地球が滅亡して、宇宙が消滅しても、想いだけは存在し続ける。そういう破滅的な想いを私は死ぬまで抱える。

申し訳ないと同時に、どこかそれを面白がっている自分もいるのだ。

© 2026 曾根崎十三 ( 2026年3月2日公開

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

みんなの評価

0.0点(0件の評価)

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

  0
  0
  0
  0
  0
ログインするとレビュー感想をつけられるようになります。 ログインする

著者

この作者の人気作

「お医者様でも草津の湯でも」をリストに追加

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 あなたのアンソロジーとして共有したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

"お医者様でも草津の湯でも"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る