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贄・鴨狩(第4話)

合評会2026年3月応募作品

萩原蔵王

──なるほど。つまりおれは彼らの良心であるのだ。(本文抜粋)
火の国の贄として、山巓で磔にされ燃やされる男の、死ぬ直前までの己の人間という猜疑と死への狂気的たる心情を描く。

タグ: #死 #純文学 #合評会2026年3月

小説

5,585文字

     一

 

 おれは今、山道を歩行あるいている。まだ太陽が、劫火ごうかみなぎひんがしの火の山からひょっこりと顔を出してこちらを覗いている時分である。そんな時刻だから、山道の土はまだ冷たかった──そう、おれははだしなのだ。白装束しろしょうぞくを着て、両掌りょうて麻縄あさなわで縛られた、一人の男であるのだ。そう、おれは山道を跣で、白装束を着て歩行ているのだ。麻縄は、古いものだったから、手首の脈に微妙びみょうに刺さるのが不快だった。そしておれは、その不快さと痛みを感じて、おのれを人的被害者として仕立て上げようと拡大し始めたのだ。そうなれば、多少はその加害者としておれの頭に浮かぶ者がいるはずなのだが、それすらないのがむずがゆい。おれの罅破ひびわれた両掌を冬風に当てていた。麻縄は鋭さを増した。

 

     二

 

 山は島一でかい山であった。この他にも山はあるのだがどれも丘のようなものである。というよりかは、この山が巨過ぎるので他の山が大層こじんまりしたものに見えるのかもしれないが、すくなくとも外の者がこの聳え立つ山を仰げば「おお」とでも無意識にこぼすことだろう。

 おれが何故、恰も罪人かのように、彼方此方あちこちを人に囲まれてばくけているのか──それは後々に弁ずるものとして、かくおれは今、至極無感情でいる。おれは昨晩の終わり方からこうして山道を歩行あるいいているんだが、それに疲労しているのか、人が居るにしても口を開くことさえおれはゆるしてもらえないから、今のおれの心情を伝えられないために、何か大切なものが腐り切っているのかもしれない。

 山はようやく旭日あさひが、おれの歩行ている北の火の山を照らし始めた。しかしそれでもひんがしの火の山は馬のかみのようなめんどくさい形をしているから、おれの眼には沈んだり昇ったりとチラつく光が鬱陶うっとうしい。掌も縛られているから翳すこともできぬ。山道はまだまだ続く。

 

     三

 

 おれの眼の前をノコノコと歩行あるいいているのはこの村の長老である。長髯ながひげだっていうのに猫背だから無論髯の先が山道をかすめている。始終しじゅう何を考えているのか解りそうで明瞭はっきりとしないもんだからこの爺さんは屹度きっと妖術とかそういうたぐいに通じているのだろうとおれは昔から思っていた。その後ろを──おれの両隣を──二人の衛士えじ褐衣かちえを纏って歩行いている。衛士はおれのすぐ後ろにも二人居て、其奴そいつらと最後方とで村人を挟んでいた。だから、山道からくびを村の方へ遷してみると深閑しんかんとした村のすがたが眼に映った。茅葺屋根かやぶきやねは恐ろしい形相ぎょうそうで此方を睨んでいる。おれは今、叫べるか否か不安だった。昨晩からこえすら出していないのを思い出した。「あ」と一つ、微かに発することさえ拒んだ。出してしまえばもうとどまらない気がしてならない。

 

     四

 

 そろそろ、おれの経緯所以いきさつを話しておいた方が好いだろう。おれは今から、火の神に捧げられる贄として山巓さんてんはりつけにされるらしいのだ。──生まれてからのことだった。この村は火の神の村だった。なんでも幾千年前かの本土から渡ってきた先代が、この村に居坐いすわ悪神あくじんを葬る際に、火の神から手渡された五つの宝剣を使ってとめたらしいと、おれは今日に至るまで、その先代の偉業を村の(火の神の)檀徒だんとらしき男から幾千弁も聞かされているが一度も納得したことはない。試しに贄を始めたのは一体いつなのかねと男にたずねてみた。男は一寸ちょっと黙って、考えたような素振りを見せて(おれにはわざと考える振りをしているように見えた、)先代の孫の代だと説いた。おれはこの返答を聞いて、幾年前か知らんがどうせこの島に凶作か疫病か何やらの厄禍わざわいが降って落ちて、しものような会話が──

「……今年もれなかった」

「子等はほとんど死んでるよゥ」

「火の神がお怒りになったんだ。もうお終いだ」

「いや待て。それなら、この厄災やくさいを鎮めるためには、贄しかあるまい。なァに先代の偉業をじ付けてしまえば贄の道理もかなうだろう」

というわけなんだろうと察した。おれは信用しなかった。凶作や疫病といった厄禍が火の神にるものではないだろうと確信があった。火の神なら火の神らしく威厳を以て迸発ほうはつを招いて欲しかった。もし厄禍が降ったのが百年前なのだとすればおれの生涯に接点はないだろうし百年前の尊属そんぞくが不幸になったっておれにはどうでも好い。こんな生涯にくわすんだったらおれを産むはずだった軌跡きせきごと火の神に失くして欲しかった。おれは母を知らなかった。

 

     五

 

 おれが贄だと説かれたのは物心ついたかどうかも解らぬ齢である。長老から、お前は贄だと云われたのではなく──否云われたことに間違いはないのだが──長老は生まれてすぐのおれに、ひもすがら贄という言葉と存在意義とを説いた。一歳になってず人ではないと云われた。お前はただの贄だと、人という存在とはわずかにすれ違った存在だと執拗しつこかった。だからおれは人ではないのだなと、しかし少しだけ妙に優越感があった。全体人とどこがどう違うんだと疑問に思っていると、長老のよくわからん術を使ったのかどうか知らないが急におれの心情を読んだように訣を語った。人間は世俗感せぞくかんあふれる生き物だが贄はその世俗感を取り払った神聖たる人なのだという。人ならその世俗というものがおれの体躯からだに身についているんじゃないかと思ってみたがどうにもそれらしき気は起こらなかった。世俗というのが当時のおれには難しかったから詳しく聞いてみた──その後からおれは優越感に浸るようになった。おれは俗臭を纏った人間とは違った、特別な生き物であると。なぜかは知らんが贄という存在そのものが人間より素晴らしいものだと考えていた(世俗の意味を知って、且つそれを纏わない神聖で清らかな存在だとおれがおれ自身を認識し出したのはこの頃である)。おれはどうやら特別というものに引力を感じる奴だった。

 

     六

 

 ようやく、旭日に土が温もりをあらわし始めてきた。山に人の手を入れるのは厳禁だから、土埃と雑草とでふくはぎの辺りまで装束が薄汚い。

 おれは今までくつというのを履いたことがなかった。贄は常に跣で生涯を歩まなければならぬと長は云った。馬鹿げたおしえだと思った。でも逆らったら火の神も赫怒かくどするだろうからした。先程おれは、百年前におれの血筋が途絶えて了えば好かったと口にしたが、おれが火の神の激昂げっこうを避けたのは路地裏にいる野良猫を死なせたくなかったからだった。

 おれが産まれたときに長老に告げがあったようで、曰く、此度の贄は鶴頂かくちょう火傷やけどを負った者、らしい。おれの鶴頂にはしっかりと火傷のあとがある。妙なもので、どれだけ遣っても些っとも消えぬ。母は死んだ。やはりおれは、母を知らないようだ。名も、顔も、死んだ所以ゆえんも、好んだめしも、その全てを。

 

     七

 

 おれは人の、深い感情というものを知らなかった。知っていても数えるほどだった。知っているのは喜怒哀楽、感謝憎悪、傲慢と優越。知らないのは特に倉皇そうこう、畏怖嫉妬(これに関しては享ける側)、慨嘆──……長老が云っていたが贄として産まれるはずの者は必然的に一つ二つは何かを失うことを前提にして浮世うきよに降り立つと。傲慢な人間的行為をしたときさえ、人の云う、満足というものを感じなかった。心中が水のようなもので満ちると聞いたがそんなことはなかった。おれが長老の言葉に納得した表情を見せたのはこのときだった。おれは火の神の御影みかげを至極醜悪しゅうあくなものだろうと勝手に描いていたが、それは長老への好悪をそのまま移転させたものであって、おれは独自の火の神の御影を描いた。おれは火の神は女だと思っていた。慈悲のある女の憤怒は計り知れぬ。おれはそれを、村の女共で已に経験している。

 

     八

 

 ようやく山巓が見えてくると、西の火の山は相変わらずに劫火を吹いているが振り返ると西の山にかたぶく夕陽がなんとも美しい。しかしその美から漏れ出る薄いかぎろいというのが、なんとも死を体現しているようだ。──これは感銘か? これが心情というものか? おれは慨嘆がサッパリわからないものだったがこれがその慨嘆というものなのか? ──これは後悔だ。不覚にも、死ぬ前に、一つの感情というものを知り得て了った。

 

     九

 

 おれは人間ではないという自負があるのは周知のことだが、おれは一度だけ、なんとも人間らしい、世俗に塗れた行為をしたことがある。もっとも、昔のことであるから、おれにはいまだ贄という社会的に優れているだろうという思考はある。だから当時は決して人間的だとは思っていなかった。というよりか、今のおれが当時のおれに、お前はなんとも人間的だと一言でも云えば、長老のために自尊心の酷く並外れていたおれだから、きっとなぐっていたであろう。当時のおれに「人間的」というのは禁句なのだ。

 何度も云うが贄というのは神聖なものだったから、いやでも神聖らしく居ろと強いられたものだ。その頃のおれは優越感は知っていたが傲慢さは知らなかった。しかし、毎日のように村を練り歩いて、その度に村人から数々の品をれるもんだから、その傲慢と横柄さが目立ってくるようになった。つきもしない内におれは尊大な贄になった。人々が寄ってくる前に品をもとめるようになった。それでも村人はおれを鄭重ていちょうにした。それがあまりにも人間的で世俗に覆われているのだ。おれはようやく、人の境地に辿り着いたのだ。贄という、閉鎖的な籠の中から一条ひとすじの渇望を得たのだ。

 

     十

 

 山巓に辿り着いて、麻縄が外された。そしておれはされるがままに磔台に動かされた。褐炭かったんの臭いがおれの鼻を支配下に置いていた。嗅覚だけは抜きん出ていた。これが贄の体質かは解らん。

 馘も腕も脚も麻縄でかためられてもはや死ぬしか安息の刻はない。しかしその死への道が長々しい。さあ死ぬぞ、今に死ぬぞきっと死ぬぞ。おれは死ぬぞ、さあ見てろと唱えたとて眼前に広がりたるは荒んだ火の神宗主そうしゅの醜い村の風景である。

 村人の、おれを評する声が聞こえる。──

 

 ──まァ贄というのは火之迦具土ホノカグツチ様へのもんだと思ってェいたんだがナァ。遂には知らねェままだ。しっかしっかねェもんだナ。あの精悍せいかんさなら、世に出たって苦労しねェだろうによォ。……

 ──長老もそろそろ齢だァナ。見ろ。あの長鬚ァ憎たらしい。赭顔しゃがんも衰えたもんだ。ちょっと昔になればもう少しあかかったんだがね、──え、何それじゃ関公かんこうだって? 莫迦云え功徳くどく相違ちげェだろう。何どっちがだって? それは手前てめえ脳顱あたまかんがえてみやがれィ……

 ──贄というのは一体どう決めるんだね。え? へェ其奴ァ毒なもんだね。僕じゃなくって心底好かった好かった。難有ありがたやァ、難有やァ……

 ──彼奴きゃつの母親は死ん了ったらしいぜ。そう、産んですぐさ。長老にお告げがあるっておれァ彼奴から聞いたぜ。何でも彼奴の鶴頂──あァそう、膝の、そうさ。そこに火傷の痕があるらしいぜ。何、痛くもないさそりゃァ、神からのもんだぜ屹度。……

 ──にしてもこりゃ難有いなァ。お蔭で火の神様がお怒りになるこたァねェんだろ? 彼奴あいつも神みてェなもんだぜ。……

 

 ──なるほど。つまりおれは、彼らの良心であるのだ。免罪符としてあり続けてきたおれなのだ。個人の死という華麗な破滅が、醜くもくすぶった、脆弱ぜいじゃくな火のような大勢の生に影響を及ぼすのであれば、おれの死の華麗さなど至極どうでもよくって、彼らにとっては自身の玉の緒がほろぶことはなくなるわけだからおれの死ついてはむごくも可哀あわれにも思わないのだろう。おれの死は彼らの生と因果にあるのだ。おれは人間ではないから、人間の、羨むと云う、満足と云う、人理的じんりてき、心の高揚も知らん。しかし虚言うそ老獪ろうかい功利主義こうりしゅぎは望むところだ。おれは良識を持ちえない男だからまだ贄が人間よりも優れていると思い込んでいるが、時折おれの心中には世俗とでしか云い難い情が湧いてくるのだ。おれは──果たしておれは人間というしゅの中の一粒子なのではないか? おれが人間かどうか訝しい。長老はおれは贄だとそれ以外でもなんでもないと云い張るがそれはただの第三者からの主張ではないか? ああおれは、最後まで五里霧中たる己への猜疑さいぎを心中に抱いたままおれは死ぬ。

 

     十一

 

 ──あァもう、長は炬火こかを携えておれの下へ歩み出た。磔台の下にはおびただしい達筆な文字が綴られた一枚の札が、乱雑にかれた稲藁いなわらと褐炭の上に置かれていた。長老の隣には宮司ぐうじ禰宜ねぎが立っていた。此奴らも大幣おおぬさを持っておれの下へ歩みでた。おれは──おれは知らなかった。無意識に長老とその二人を過剰に、究極たる軽蔑と宿怨しゅくえんと憎しみとを攪拌した一種の情を視線のみに注ぎ込んでいたことを。おれは知らなかった。同時に火の神にもそれを遷していたことを。あァ燃えよ、燃えよ。おれに意義など要らぬ。おれは人か? その証明をたのめる者も、その証明を買って出る者も居らぬ。おれが欲望の権化だった頃は迎合げいごう狷介けんかいを先んじていたものだが、それが好くなかったとも、反って好かったとも思わん。おれは人間的でいたかったがどうも傲慢な人間の膜だけを剥いで纏って了ったようだ。ただ人間になりたいと思って、表べなどすべて剥ぎ奪った真の人間の貌を真似した了ったようだ。ねがわくば──人と人との庶幾こいねがうものの矛盾を凌駕りょうがした世俗極まる人の一生涯というものを経験したかった。それでも幸福だったことは不変かわらん。

 

     十二

 

 燎火りょうかあしうらに来たところでおれの情がぜた。もはや生も死もどうだって好い。もとより死をしるべに生きながらえてきた愚鈍なおれだ。人々の希望に、高慢と慾望よくぼうを上乗せして驕り続けて生きながらえてきたおれだ。恨むらくはが母のおもかげを微塵も知らぬ──……

 「火之倶炬㟽峰神ホノクコノオノエノガミよ! 乃公だいこうしょうの御影をたん!」

 怨敵おんてき退散たいさん悪神あくじん摧破さいは七難しちなん即滅そくめつ七福しちなん即生そくしょう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

© 2026 萩原蔵王 ( 2026年3月20日公開

作品集『贄・鴨狩』第4話 (全5話)

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"贄"へのコメント 3

  • 投稿者 | 2026-03-01 18:58

    表現の仕方がうますぎる!
    一文一文の描写が鮮明で、主人公の心情が鮮烈に分かります!
    天才ですか!?

  • 投稿者 | 2026-03-22 12:00

    森鴎外や漱石を思わせる重厚な文体に漢語交じりの言葉選び。懐かしくもあり、今の時代にあっては新奇で新鮮な印象があります。

    生贄と言えば竜神様へ若い娘を捧げる「夜叉ケ池」で、暗く美しいイメージを抱いていたのですが、この作品で描かれている火の神様への生贄は、乾いて赤茶けて埃塗れで美しくもなんともなく、生きたまま殺されるしかない未来を克明に見つめています。

    生まれながらに「贄」とされ、生きる刻限を切られた若者の独白の痛々しさ。崇めたてまつられて気儘に生きてきたようでも、繰り返される「俺は母を知らなかった」は、情愛を知らずに死んでゆく者の絶叫です。もちろんそれは母のいない子を「贄」に選んだ村の酷薄なシステムでしょう。

    ラストの祝詞と思われる「乃公上の御影を撲たん乎」の意味がよく分かりませんでした。ぜひ合評会で教えてください。

  • 投稿者 | 2026-03-26 21:03

    語彙が本当にすごいですね!
    純文学的。

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