昨年の芋煮会は、参加者98名で8名の死者が出た。例年よりやや多い。1人の死者も出さずに無事終わることも稀にはあるが、9年前には周辺住人を巻き込んで88人の死者を出した。このときの犠牲者の中には、かの映画監督、畑智之も入っていた。芋煮会取材のため会場を訪れた彼は、芋煮会をめぐる壮大な人間ドラマの構想を練っていた。彼の死によって映画は頓挫したが、4年後、畑が遺した脚本を元に、映画監督としては当時まだ無名だった若手の桐村宏がメガホンを取り完成させた「芋煮会に死す」はカンヌ映画祭でグランプリを獲り話題となった。
芋とは、最大で全長8メートルにもなるグドという海棲哺乳類の睾丸である。グドは500メートル以深の深海に生息し、生態は謎に包まれている。直径12センチほどのその睾丸は細長く丸く、見た目は大ぶりの白いレモンといった風情である。東北地方の太平洋側の海岸に年間数個から数10個打ち上げられる芋の取引は法律で厳格に規制されており、海岸で芋を発見した場合は、速やかに公的機関に届け出なくてはならない。芋を個人で調理して食べたり闇で売買した場合は、法で厳しく罰せられる。
芋は硬化した外皮と内質(精細管、精巣網、輸精管が複雑に絡み合って癒合し白膜に包まれている組織)から成る。食用になるのは内質のみ。外皮に共生している芋菌と呼ばれるクロストリジウム属の細菌が厚い偽膜を形成して芋を覆い、毒素を生成して他の細菌類の繁殖を阻害するため、漂着した芋が腐敗していることは稀である。芋を素手で触ることは非常に危険で、偽膜内の細菌に触れ感染すると激しい頭痛、嘔吐などの症状の後、全身の皮膚が壊死、剥落し約6日で死に至る。致死率は約80%で、運よく生き延びても皮膚の瘢痕、拘縮など見た目の悲惨さのみならず痴呆化、狂暴化など人格にも深刻な後遺症が残り、結局は日和見感染症などで死ぬ。いわゆるゾンビ化である。主に罹患者からの咬傷によって感染が拡大して行き非常に深刻な問題を引き起こす。前述の約88名の死者が出た事例の他、1世紀近く遡った過去には、芋煮会が開かれた村落の住民約900人がゾンビ化して全滅したという事例がある。
芋は加熱されると可食部の粘度が極度に高まる。煮るより蒸す方がその危険は増す。食べる際注意を怠ると上口蓋に強固に付着し容易に引き剥がせなくなる。激痛を堪えて無理に剥すと口蓋粘膜が裂け、時に上口蓋動脈が断裂して大量出血をきたす。しかし剥さずに放置した場合、調理時の熱に耐えて生き残った芋内の精子原虫が口蓋粘膜を通って体内に侵入する。精子原虫は酵素を分泌して血液脳関門のバリアを溶かして突破し脳へと到達する。するとその者は高所へと移動し、そこから飛び降りる行動をとる。ビルでもマンションでも樹木でも、とにかく近くにある高いところに駆け上がり、頭部を下にして身を投げるのである。いわゆる乗っ取られであり、下にいた者が巻き添えの被害に遭うことも少なくない。60年前、ある集落で芋を蒸して食べたところ、食べた住人中70人ほどが、集落の外れにある高い崖に面した展望台に殺到し、そこから次々に崖下へと飛び降り、全員が死亡したという事例が報告されている。
なお、煮る、蒸すはよいが、芋を焼いて食べることは法律で禁止されている。焼くと、急激に膨張した内部組織が手榴弾のように硬い外皮を破裂させ飛び散る。外皮は極めて硬いうえ、爆発力は強く、焼いた芋が爆発した場合、半径10メートル以内に遮蔽物無しに存在する人間はほぼ確実に即死する。また飛び散った内部組織の中の精子原虫が皮膚や衣服に付着すると、そこから体内に侵入し、蒸して食べた時の場合と同様の乗っ取られが起こる。
芋煮会が催される場合、通常、会場において大釜で湯を沸かして芋を煮るという方法が用いられる。一緒に入れる具材は白菜や人参、椎茸などが多い。注意を要するのは温度管理で、低温で時間をかけて過熱し、急激に沸騰させないことが肝要である。さもないと芋に含まれる不活性の特殊な熱耐性蛋白質を活性化させてしまう。活性化された芋の蛋白質はプリオンに似て、引き起こされる症状もまたクロイツフェルト・ヤコブ病に酷似するが、進行がはるかに速く劇症型で、摂取して数日で発症、寝たきりになり、更に数日後には、溶解し血液の交ざった桃色の脳が涙管、鼻腔、口腔、耳腔から溢れ出てきて、顔中桃色に染まって死亡する。いわゆる桃死病である。遺体を解剖すると頭蓋内は綺麗に空洞になっている。
危険はまだある。最も深刻な問題がアナフィラキシーである。芋によって引き起こされるアナフィラキシーは激烈で、摂取後ごく短時間のうちに血圧上昇、不整脈、気道浮腫による呼吸困難が出現して悶死する。また頭蓋内圧が急激に亢進するため、眼球が多くの場合眼窩から飛び出てしまい、更には眼窩から脳が飛び出して悲惨な様相を呈する。エピペンなどのエピネフリン製剤も効かない。これはどういうメカニズムで発症するのかがまだ解明されていない。アナフィラキシーの発生は概ね2%程度であるが、発症したら死亡率100%で救命できない。
食芋に伴うこれらの危険性から、再々の医療界からの勧告を受けて、政府内で検討部会が設けられ、何度か芋煮会禁止の方向で議論が進められた。が、その度に、政府内の芋煮会支持派(その多くは芋煮会経験者である)は、その程度のリスクを承知の上でも、芋煮会は存続させる価値がある文化であると主張した。議論はまとまらず、結局立ち消えになった。つまるところ、芋による死亡の発生確率は煙草や酒とそう変わらない、芋煮会のリスクをどう捉えるかは個人の価値観の問題である、という意見が最終的には多数を占めたのである。
かくも危険な食芋が、何故人々を魅了してやまないのか、何故、老若男女こぞって芋煮会への参加を熱望するのか、その理由は単純明快で、芋が何にも比較しがたい天味、すなわち天上の美味だからである。その香りは龍涎香を遥かに凌駕する唯一無二のものとされ、味は、絶妙な火入れで調理した極上のフォアグラの旨味を何倍も濃縮しかつ洗練させたものと形容される。一度でもそれを口にしたものは、生涯その天味の呪縛から解き放たれることはない。実際、芋にはフェンタニルの30倍の依存性があると言われる。実際に芋煮会に参加した者にとって再びいつか芋煮会に参加する、ということだけが日々を生きるための心の拠り所となる例は少なくない。
芋煮会は国と自治体によって厳密に管理され運営されている。開催にあたっては警察による厳重な警護下で開催される。開催場所は開催直前まで公表されることなく秘匿される。
芋煮会は開催されない年もあれば、年5回という年もあるが、平均すると年に2,3回である。ちなみに芋煮会が現在の形になって以来、開催されなかった年が過去20年のうちで5回あった。特に死者が多かった場合、翌年の開催が中止になるケースが多い。日本全国各地から参加希望者が殺到するため、芋煮会の参加者は厳格な抽選で決められる。開催情報はネットで不定期にあげられ、抽選に参加するためには開催告知後30分以内に応募しないとならない。そのため芋煮会開催の情報を入手するべく、多くの人々が昼夜問わずスマートフォンを手放さず、芋煮会告知のサイトをチェックし続ける。50名程度の募集定員に対して、応募は、例えそれが深夜2時の告知であっても通常5000人は下らない。日中の告知であれば10万人を超えることが珍しくない。首尾よく応募し、宝くじのような難関を突破して芋煮会への参加の権利を得た者たちは、周囲の羨望や嫉妬の的となる。当選者たちは日本の各地から、あるいは出張先の海外からさえ芋煮会に駆け付ける。過去には結婚式をキャンセルして駆け付けた者もいた。芋煮会を契機に失業したり転職する人も少なくない一方、参加者には新聞や雑誌の取材や講演依頼などが多くあり、参加体験記を書くことを契機に、作家として活動し始める者などもいる。芋煮会を堪能し無事生還した者は、勇気ある芋煮会サバイバーとして尊敬の対象にもなる。芋煮会のキャッチフレーズとして第1回から使われ続けている「芋で生まれ変わる」というのはあながち誇張ではない。
もう一つ厄介な問題がある。それは、芋煮会の開催場所の選定である。芋煮会にはまず50名程度の参加者を収容できる十分な広さがあること、万全の警備体制がとれて参加者の安全確保ができることが絶対の要件である。
因みに、都内の公園で開催された昨年の芋煮会における死者8人のうち1人は調理参加中の事故(参加者の女性が、芋を扱った手袋をはめたまま、迂闊にも顔にかかった前髪を払ってしまい芋菌に感染した)、1人はアナフィラキシー、2人が桃死病、2人は乗っ取られ(による高木からの墜落)である。残りの1人は当日、会場外で包丁で襲撃され落命した。犯人は芋煮会参加経験者の62歳の男で、会場出口で待ち伏せ、出て来た2人を刺し、1人を死に至らしめ、1人に重傷を負わせ犯行現場で自殺した。遺書に記されていた動機は芋煮会参加者への嫉妬と、己の人生への絶望。彼は10年前に芋煮会に初参加し、早期退職して2度目の参加を果たすべく応募を続けていたが果たせず、自暴自棄となり犯行に至った。芋煮会の会場が襲撃された同様の無差別テロ事例は過去少なからずあり、その影響もあって開催場所の確保が年々困難になっている。特に昨年は死亡者が8人出たため、開催には例年以上の困難が伴うと予想されている。
私自身、常に応募はしているが、幸か不幸か、当選したことは無く芋煮会参加の経験はない。もちろん当選を熱望している。天味を味わってから死にたい。人生、他にこれという希望もない。
その一方で、当選する前に芋煮会が廃止されてほしいとも思う。悲惨な死に方で死ぬのは、やはり怖い。
昨年、芋煮会の参加者を襲撃し2人を刺した男は、私の大学時代のゼミの恩師であった。彼を擁護するつもりはないが、温厚で学生に人気があり、誰からも尊敬されていた教師だったということをここに追記しておく。
眞山大知 投稿者 | 2026-01-08 18:34
真島文吉の『右園死児報告』を彷彿とさせる文体で大変面白く読めました。芋煮がまさか危険生物SFになるとは!! 今度食べる時は気をつけます(?)
浅谷童夏 投稿者 | 2026-01-13 16:37
ありがとうございます。本来の楽しいイメージとは真逆のスリリングな芋煮です。制限字数に余裕があれば、芋煮を囲む自殺志願者たちの阿鼻叫喚ドラマも書き足してみたいです。
浅野文月 投稿者 | 2026-01-19 13:29
芋煮会をここまで発展した力に敬服です。常に芋を有機的に扱っている姿勢も素晴らしいと感じました。
浅谷童夏 投稿者 | 2026-01-19 15:48
ありがとうございます。生理的嫌悪感をかきたてることを想像するのが楽しくて、我ながら「うげっ」「きっしょ」と呟きながら書きました。
大猫 投稿者 | 2026-01-22 20:53
面白過ぎです!
大真面目にあほらしいことを書いた作品大好きですが、悲惨な死に方をする人々を描く筆致の冴えっぷり、本気だな、と唸らされました。
この危険極まりないシロモノを死なずに調理してのけたつわものは誰だったのだろうと、遥かな思いを寄せたことでありました。
浅谷童夏 投稿者 | 2026-01-23 01:14
ありがとうございます。芋煮をしたいが場所がない、という風変わりなお題に??と思いました。ひょっとしてこれは芋煮というイベントが何か非常に危険な要素を孕むからでは?と。で、何が危険なのかを考えながら一気に楽しんで書きました。
河野沢雉 投稿者 | 2026-01-23 14:27
最初の一節で「これ絶対面白い」と確信して読み進めました。そしたら予想の斜め上をいく面白さで、ずっとニヤニヤしっぱなしでした。バカ具合とディテールが絡み合いながら同時にぐいぐい上がっていく感じ、たまらなかったです。
神は細部に宿ると言いますが、やはり面白い作品は細かいところまで目配りが利いて物語を引き立てますね。
浅谷童夏 投稿者 | 2026-01-26 01:02
ありがとうございます。お題をみて、芋煮会絡みの人間ドラマで真っ当にいくか、狂った発想で芋煮会をグロテスクで変態的なものに変えてしまうか、その2つの選択肢を考えました。自分に向いているのはやはり後者です。だから書いていて実に楽しかったです。
曾根崎十三 投稿者 | 2026-01-25 11:45
とんでもSF! いや、サイエンスでもないのか。
最後の事件とか、もう芋直接関係ない死者やん! いや、関係あるといえばあるのか? とめちゃくちゃ脳内ツッコミしましたが、そこもまた良いですね。
毒キノコはすごく美味しいみたいな話を思い出しました。めちゃくちゃ美味しいけど死ぬ、みたいかキノコありませんでしたっけ。
ここまで危険を犯してまで美食にこだわるのは日本人だけなのでしょうか? ある意味日本的な話だなとも思いました。フグみたいで。フグより美味しそうですが、芋。
浅谷童夏 投稿者 | 2026-01-26 01:26
人類史の中で、食への欲求ゆえに食べてはいけないものを口にして、身を滅ぼした人が少なからずいたのではと思います。現代ではそういうことは稀になったかもしれませんが。食欲と生存本能は当たり前に考えればセット。しかしもし対立することがあったら……その場合、食欲を選択するならば、ある種の狂気に身を委ねなくてはならない。芋煮会という素朴な食文化にその狂気を持ち込んでみたら、という発想で書きました。
祐里 投稿者 | 2026-01-28 14:52
日本人ならあり得る……と思いながらラストまで拝読しました。
芋煮について大真面目に論じているのがとても好きです。