昨夜。
泥酔して陋屋に帰宅をしたら、破滅派の新刊が届いていた。全作品を拝読したが全て、甚だ面白く感じた。
巻頭の高橋氏の作品は、彼が私小説風に書き、モデルとなった僕が検閲と云うか少々なる可筆、更に、それに脚注を入れている三度、味わえる作品である。
では、ここで四度目の所謂、お腹一杯だろうけど、デザート的に述べる。
良く出てくる僕が書き換えた「B」は、意味不明となっているが、ゲラを送って頂き、氏が「彼のアニキ心が〜」を多用していた為、最初にその「アニキ心」を「偽善者」に代えて「以下は偽善者を、ちょくちょく書き直すのが面倒な故、Bに統一する」と記した筈だが往時、アルコール依存症でヘロヘロだった僕の文字が返送したゲラでは判断が出来なかったのであろう、Bって何? になっている。Bはアニキ心じゃなく偽善者の修整である。
更に、
金銭に就いて「盛っている」なる箇所も多々あるが、物語の通り、会話は私小説的に事実だが、金銭を借りる人が、心苦しくなり額を盛る訳がない。訳注が彼的には正解であるけれども事実は、その金銭を僕は動かしていた故、検閲では真実に代えた。
労働者の件でも事実、基本的に「時給百円くらい」なので、そこはリアルに修整したが、氏は多分、ネットで調べたのであろう「五百円」に拘っている。そこは、関東に住む氏と九州の西の果てに配所されている我が身とは所謂、自治体の方針が違うだろう、額も異なるだろう、になる。
ここは、ルンペンで、そうした労務に通っている彼等の名誉に関わるので記さて置く。無論、かの私小説の題名になっている通り、僕は一度も行っていないが。
加筆で、意味不図指摘される箇所もあった。
モノホン(犯罪者)逆に信用を重んじるしね、などの辺りだ。
考えて貰いたい。単なる喜劇としつつ悲劇を描いている映画「男はつらいよ」の単なる中年テキヤの渥美清が常に仁義を語るのは僕自身、そういう世界に居た事はないが、彼達は結句は見栄だとしても、それこそ裏切る、裏切らないを明文化しているのである。だが然し一旦、それが崩れると犯罪に走る者が如実。故に、僕は「犯罪はしないが〜」を友人には多用する。
元々、氏の作品は私小説風に、として完成品で面白く、僕が加筆するのには遠慮していた。だが検閲と云うテーマなのでにて加わった。現在、私生活が混乱しており、それドコロじゃなかったが、短くジョイントをさせて頂いた。然し前記した様に冊子が届き、全作品を読み、全て面白いなと感じ、新たな活力にはなった。
この辺で終わらせる。全く興味が非ずとも、モームを読む時間だ。アデュー。
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