6月中旬、空洞と頭の散歩(自己開示によるデトックス、きょねんのはなし)

ich

エセー

2,603文字

去年の自粛期間に溜まった毒を吐き出したもの。分かり合いたいけど分かり合えない私たちへ。さみしいを抱える誰かへ。

 

プライバシーの話。階下、オンライン形式で酒を酌み交わす会話が駄々洩れで聞こえる。電車、乗ってくる人々の画面がいやでも見えてしまう。だからどうってことはないのだが。みんな気を付けてねと心で念じている。たぶん私も同じことを平気でやっている。疚しいものを眺めている記憶はないが、他人の思考・志向・嗜好が無意識に漏れ出ているのはそんなに嬉しくないだろう。私も気を付けるからみんなもよろしく頼む。これも心で念じている。

 

私はどうしても人々の見た目を気にしてしまう質なのだ。駄々洩れの無意識はハッとしてしまうが、意識的な(もしくは無意識に意識している)各々の思考・志向・嗜好は面白い。彼女はどうしてこんなに上下模様だらけの服装なのだろうかとか、随分ひなびた様子の彼はこれからどう変わっていくのだろうかとか、年齢を重ねた方のきっちりと嗜む様に、私もああなれたらよいのではとちょっと憧れたりだとか。見える姿から浮かぶ各々の生活を想像する。想像して私もたぶん同じように誰かに見られているのかなと想像する。自分が気になるから他人も気になる。—その割には安上がりな身なりで済ませてるなお前、そのリュック何年使ってるんだ。いい加減モノを買うことを躊躇するな。さして困窮している訳じゃあないだろう。いやほら、要り様の時に素寒貧じゃあまずいだろうが。けどお前今年で三十一だぜ、そろそろちゃんとしなきゃ。「ちゃんと」ってどんなよ。ちゃんとのレンジが広過ぎて分からんのよ。ううん確かにそうだな、言った本人があまりその基準を分かってなかった、すまん。いやいいよ。大人って大変だよな、気にし過ぎなのかな。ほらお前仕事柄人前立つこと多いじゃん。たぶんちょっといいシャツとかさ、身幅に合ったやつとかさ、御誂えのスーツとかいいんじゃないの。けどなあ。今着てるやつ気に入っているし。そこなのよお前の変えていった方がいい所は。モノを大事にするのは大変素晴らしい心構えよ。小さい頃失くしたあの帽子が今もトラウマになってるのは知ってるさ。けど適度に空気を換えていかないと。家の換気と同じ理屈さ。息が詰まっちゃうぜ。ううん。考えてみる。—私は私とよく対話する。自分対自分だからナイスな答えは大して浮かばず、自分の気持ちを自分で諫めてこうしてみようかなああしてみようかなと自分で呻吟する。他者に相談するほどでもないかな、いや相談するのもおこがましいよなと留まる。分かってほしいけど苦笑いされるのがこわい。社会に揉まれる内自己対話が増えたのち、誰かに話せないがどんどん増えた気がする。疎遠を平気なふりするようになった気がする。大人こわい人こわいの波は、寄せては返しを繰り返している。

 

たぶん他者に期待をし過ぎているんだと思う。何か圧倒的な解決策を与えてくれる神様のように感じているんだと思う。ハードルが盛大に上がり過ぎていて、今の私は高確率で他者に拗れた自意識を高速ストレートで投げ込んでしまう危険性がある。だからいっぱいいっぱい飲み込んで、甘い味の付いたオブラートに包み込んで、苦くないよ大丈夫だよ、と当たり障りない言葉ばかりを日々放っている感じ。結果、濃縮した毒が時々漏れ出てしまい、痛く後悔する。マジメになったら涙が出るぜという唄が私のアンセムなので、良かったら聴いてほしい。

 

総じて私は気弱なのだ。この膨らんだ自意識を針で突かれて、あっという間に破裂させられてしまうのが心配で仕方ないのだろう。何がここまでそうさせているのかと言えば、大学時代。同じ志を持った友がいた。少なくとも当時の私はそう思っていた。一緒に頑張れたら何と素敵なことかと。ある日唐突に、盛大に無下にされてしまった。もしかするとこの無下もこちらの思い込みなのかもしれない。けれどあんなにぱたりと連絡が途切れる、音沙汰すら無くなるなんて。何がだめだったのかすら聞かせてもらえないのは悲劇だ。あったかもしれないイフを、こうすれば回避できたのではをひたすら、ひたすら呻吟し、毒は溜まり、この頃から人は分かり合えないものなんだなと勝手に悟る。他者に期待し過ぎてるけどそれはお前の中だけでは、教の教祖が誕生する。こわいのに期待する、抱えた自己矛盾をほぼ解決できないまま、社会の波に揉まれている。

 

しかし、そんな状態でも何だかんだで暮らせている。案外図太いのかもしれない。誰にも期待してないと自分に言い聞かせるようになったからかもしれない。私は私なりに自己防衛の線引きを手振れたっぷりにして、一生抱えるであろうこの気持ちと横並びで暮らしている。たのしいもかなしいも一括りにして、程良い満足と空洞を抱えながら。

 

散歩しながらこんなことを考えていた。ひとりひとりの意見を、自由なアレをナニせよ、と言いながら、まだまだじっくり考えることを許されない、瞬発力や分母の大きさがたくさん求められる時世のように感じる。仕事柄、どうしてもそちらに調節せざるを得ない状況がとても苦しいなと思うときがある。きぬごしの上の砂のお城の敷地内に住む小市民であるユーとミーが今穏やかに暮らすには、側(がわ)より内(うち)の皮を分厚くしなきゃいけない気がする。いっぱいいっぱい本を読んで、本当の言いたいことを巧みな比喩で誤魔化して、平気なふりが上手にならないといけない。社会はなかなかにやばいの極みだぞと仕事柄伝えられる立場なのに、調整された私はそれをオブラートに包んで包んで、いい具合に卒業させてあげないといけない。書を持ち町へ出て、ちょっと傷ついて、そこから大変だけど学んでいかないといけない。本当はこれを伝えたいけど、の日々繰り返し。気弱な大人は社会の波に揉まれるをループして毒をプールさせて、マジメになったら涙が出るぜを唄いながら、頑張ったり頑張れなかったりしている。

 

たぶんこれも気にし過ぎなのだ。届いているかどうかは受け取る側の判断なのだから、波を読んで適度にぼやかして、最大球速を受け取れる人受け取れない人をこちらが判断すべき問題。取捨選択の自由。認められたいの病が肥大してしまうと、心の調整弁が傷付くと、どうしても提出前に第四稿くらいになってしまう。尾鰭が巨大過ぎて、もう元が何の魚か分からなくなってしまう。空想上のとてもおいしい魚。

2021年5月13日公開

© 2021 ich

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