◯純喫茶(夜)・外観
趣のある木造の作り。
入口のドアに「2025年8月22日をもちまして閉店させていただきます。長らくのご愛好誠にありがとうございました」と張り紙が貼ってある。
◯同・店内(夜)
薄暗い店内。ジャズが流れ、古い洋画のポスターが貼ってある。
牧田静江(70)が各テーブルを惜しむように拭いている。
◯同・カウンター
牧田裕一(75)が丁寧にコーヒーを淹れている。
牧田「お母さん」
静江の声「はい」
牧田「もう十分だよ。一息つこう」
静江がカウンターの席に座る。
静江「いい匂い」
牧田「最後の一杯をお母さんに淹れられて、僕は幸福だよ」
静江「(涙ぐみながら)わたしこそ」
ドアが開く音がして牧田と静江は振り返る。
◯同・入口
おずおずと岡島浩次(25)が入ってくる。
岡島「あの、まだ開いてますか」
◯同・カウンター〜窓際の席(夜)
牧田「ええ、いらっしゃいませ」
静江「お好きな席へどうぞ」
岡島、窓際の席に座る。
静江が水とメニューを岡島に持って行く。
静江「どうぞ」
岡島「すみません、遅くに」
静江「いえいえ、ごゆっくりくつろいでください」
岡島「(店内を見回し)あの、すごくいい、落ち着くお店ですね」
静江「ありがとうございます」
岡島「あ、すいません、注文しますね(メニューを見つめる)」
牧田「ゆっくり選んでください。多分、お兄さんが最後のお客さんなので」
岡島「……あ、今日ってそうか」
静江「ええ、最後なんです」
岡島「すみません、はじめてくるのに」
静江「いえ」
岡島「どれくらい続けてこられたんですか」
牧田「あっという間の、50年ですね(カウンターから出てくる)」
岡島「50年! すごいなあ、ずっと2人で」
静江「ええ。お父さんがコーヒーを淹れて、わたしが注文とって」
牧田「(静江の隣に立つ)お母さんは毎朝キッシュもつくってくれるんですよ、これが人気でして」
静江「いえ、お父さんのコーヒーがとにかく評判で、雑誌やテレビなんかにもずいぶん特集されたんですよ」
岡島「そうなんですか。いいなあ、お二人の感じ、憧れます」
牧田「いやいや。でもコーヒー一筋でしたからそれなりにこだわってね、常連さんに支えられてきました」
岡島「もっと早くこれたら通ったのになあ」
静江「お住まい、お近くなんですか」
岡島「あ、会社が近くて……今日、はじめて契約をとれたんです」
牧田「よかったじゃないですか」
静江「おめでとう」
岡島「すみません、浮かれちゃって」
牧田「若いんだから浮かれなきゃ。そういうあとの一杯は思い出に残るものですよ」
岡島「はい……すみません、キリマンジェロってどういう味というか」
牧田「キリマンジェロはね、一般的には強い酸味があるんだけど、うちのはフルーティーで甘酸っぱい香り。コクもあって後味も雑味もないんですよ」
静江「おいしいですよ。わたし大好き」
岡島「そうなんですか、うーん、迷うなあ」
牧田「ゆっくり選んでください」
静江「ごゆっくり」
牧田と静江、カウンターに戻る。
◯同・カウンター付近(夜)
選びぬかれたカップが並んでいる。
種々のコーヒー豆が入った瓶。
銀製のコーヒーポットでお湯をわかしている。
◯同・洗い場(夜)
牧田、洗い物をしながら感慨にひたっている。
これまでの人生の折々の記憶ーー肉体労働、ようやく開店した当初、店が閑散としていたころ、子供が小さいころ、豆の買付、深夜に店に残り研究する姿、内装を自ら手掛ける、テレビの取材、盛況する店内、子どもとの喧嘩、静江のキッシュとコーヒー、常連の笑顔、コーヒーが一滴一滴落ちるーーなどがフラッシュバックする。
ポットのお湯が湧いている。
岡島の声「すみません」
静江の声「はい」
牧田、振り返る。
◯同・岡島の席(夜)
静江「お決まりですか」
岡島「えっとクリームソーダを」
◯同・洗い場(夜)
牧田、洗い物を落とす。
◯同・岡島の席(夜)
静江「えっと、クリームソーダ?」
岡島「ええ、クリームソーダを」
静江「……本当に?」
岡島「はい(邪気がない真っ直ぐな目で)」
静江「……かしこまりました」
静江がカウンターに戻る。
◯同・カウンター(夜)
静江「クリームソーダです」
牧田、カウンターを出て岡島の席に向かう。
◯同・岡島の席(夜)
牧田「お客さん、あの、うち今日閉店でね」
岡島「残念です」
牧田「コーヒー一筋でやってきて、みんなおいしい、コーヒーってこんなに飲みごたえがある、種類もある、文化なんだってね」
岡島「すばらしい人生です」
牧田「ご注文は?」
岡島「クリームソーダを」
牧田「あれ、キリマンジェロは?」
岡島「甘酸っぱいのはちょっと」
牧田「なんで?」
岡島「なんで?」
牧田「50年やって最後にクリームソーダ出すの?」
岡島「お祝いなんで、色がついてるのがいいですし」
牧田「色?、え、色なの」
静江「お父さん、悪気はないから」
牧田「でも」
静江「目を見て」
岡島、悪びれた様子はなくまっすぐな目をしている。
静江「悪意はないの、純粋なの」
牧田「(ため息をつき)かしこまりました」
牧田と静江、カウンターに戻りかかる。
岡島「あ、あとお腹が空いたんで」
静江「あ、でしたら」
岡島「シーフードピラフを」
静江「なんで?」
岡島「なんで?」
静江「冷凍だよ」
岡島「冷凍の、おいしいですよね」
静江「毎朝お父さんより早起きしてつくってきたの、50年よ」
牧田「お母さん、目を見て」
岡島、楽しみな様子でまっすぐ静江を見てる。
牧田「お腹が空いてるんだ」
静江「食べ合わせも悪くない? すごい甘いのと」
岡島「お祝いなんで、エビとか入ってるほうが」
静江「冷凍だよ」
岡島「冷凍の、おいしいですよね」
静江「……かしこまりました」
◯同・外観(夜)
スマホのカメラのシャッター音がする。
岡島の声「閉店ってエモいですよね。これ、インスタあげていいですか」
牧田の声「……そういうお店じゃないから」
レンジのチンという音がする。
(了)
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