絶對に見失はない樣にね

幾島溫

小説

1,103文字

戀人へのラブレターでした。僕は本當に純粋に誠実に愛さうとして居たのだと思います。

外は雨が降つて居て、大丈夫かなつて出る度にずぶ濡れになつて風邪を引いたり肺炎になつたり、トタン板とか看板が飛んできて頭に當たつて氣絕して倒れたり、風雨が凄くて道に迷つて結局電柱の廣告を賴りに這ひつくばつて家まで戾つてきたりして、そんなことを何度も繰り返すうちに、僕はもうすつかり家から出る氣を失くして仕舞つた。
だつて家から出なくたつて、西友もヨーカドーもネットスーパーで卽日配達して吳れるし、ヨドバシだつてあらゆるものを翌日には運んで吳れる。さういふ譯で特別に多くを望まなければ、僕は外へ出る必要が無いのだ。それに家には君が居る。君はただそこに居るだけで、僕に癒やしを齎すし、君の聲を聞いて居るだけで色んな不安や重苦しい氣落ちがすつと和らぐんだ。
だけど君には君の人生が在る。
君には君のために行かなくては成らない場所が在る。僕が出かける裏口は何時も雨なのに、君の出る玄關の方はたいてい晴れてゐて、惡くても精々曇りだ。君は每月の樣に玄關を出て步いて五分の場所にある驛のホームから新幹線に飛び乘つて東京に遊びに行く。2、3日で君は歸つてくるけれど、その閒君を感じられない僕は簡單に元氣をなくす。
君は空氣だ。
僕を穩やかな氣持ちにもさせるし、苦しくもさせる。
けれど僕は、此樣な自分は嫌だ。僕だつて君みたくちやんと外へ出られたら好いのに。
さうしたら此樣な氣持ちにも成ら無いだらう。寂しいだとか羨ましいだとか、さう云ふ單に苦しいだけの氣持ちには。
僕は君と僕との關係に不純物は混ぜたく無い。さう云ふ僕の氣持ちは、二人の戀愛とは本來無關係な處から生まれて居る。
僕は外へ出て行くしか無いのだらう。何樣なに雨が降つてゐても。何度轉んでも迷つても。僕が行く可き場所へ辿り着くまで進まなくちや不可ない。止まない雨は無いと言ふし、底のない沼は在つても頂上の無い山はない。どれだけ高い場所だつて、步いて行けば何時かは辿り着くはずだ。
僕は革の鞄にノートと萬年筆と端末とヘッドフォン、それから君が素敵だと襃めた財布と、君が吳れたナツメグの好い香りがするハンドクリームを入れてもう一度傘を握つた。恐らく二ヶ月ぶりである。
裏口を開けると空は濃灰色でどす黑く、雨は相變はらず强く路面を打つて居た。水音だけを聞いて居ると、心地好い。
僕は君が似合ふと言つた黑のコンバースを履く。
秋口の僕はたつた一人で何度も行き倒れて仕舞つて居たけれど、今の僕には君がゐる。だから若し、躓いて轉んだり、道に迷つたりしても大丈夫だよ。
そんな時は、君に電話して聲を聞けば行き先が自然と理解るし、君が笑顏を見せる方向には惡いものは居ない。
僕は玄關の外に一步、足を踏み出した。

2024年9月21日公開 (初出 2016/7/21 個人ブログ(現存せず))

© 2024 幾島溫

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

"絶對に見失はない樣にね"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る