暗いスモークガラスで目隠しされた車内は一体どこを走ってるか何となくしか分からない。フロントガラスの向こう側からは幹線道路沿いのオフィス街の灯りが見えた。かれこれ30分は揺られている。ハイエースのシートは硬くて臀が痛くなる。車体が揺れる度に隣の美織がビクッと跳ねるから、大丈夫だよ、と口には出さずに運転席から見えないよう妹の手を握ってやる。
じんわり滲む美織の手汗が僕の掌に伝わる、染みていく。緩めた手の中、手相の線に指を這わせると、肩口で切り揃えた茶髪が揺れた。
視線を感じて手を離すと、ルームミラーに映る三白眼のスキンヘッドの男と目が合った。彼と仕事をするのは2回目だった。前の現場はタワーマンションだったはずだ。頭にモヤがかかって思い出せないが、確か。しばらくそのまま見つめあってると彼は気まずそうに目を逸らした。
無言の車内には僕たちの他に3人の男が乗っていた。後ろの席に座っているのは、大学生風のひょろひょろした生気のない眼鏡の男と、半開きの口からすきっ歯が目立つ中年の男。こいつらは車に乗り込む時、やたら美織の胸を凝視してきた奴らで、舌打ちしたら慌てて他所を向いた。助手席に座っているのは四十絡みの金髪の男。今回のリーダー役だ。
車はオフィス街を抜け、住宅地に入っていく。スピードを落としているのもあるのだろうが、一軒一軒の敷地が大きいようで、似たような柄の立派な塀が長く続いているのが見えた。車は白い外壁に囲まれた大きな家の前で停車する。
「最後もっかい確認すんぞ」
金髪が僕らに声をかけた。
「ヤマモトはピンポン鳴らせ。ジジイがドア開けたらミオリが押し倒す。タナカはジジイを縛れ。トーマはジジイの金庫から現金持ってこい」
場所と番号は前言った通りな。金髪がルームミラー越しに僕を見た。無言で頷く。
「全員返事」
僕らは無視して車を降りた。
門を開け、4人で敷地に入る。目の前を歩く美織のポケットから飛び出てる、薄汚れた初音ミクのぬいぐるみキーホルダーが揺れる。中年の男ヤマモトがピンポンを鳴らす。
「すみませーん。お電話してた××電力ですがー」
僕は頭上を見上げた。高級住宅街にある4階建ての西洋建築の家。こんなところで生まれ育つのはどんな気分だろうか。
「はい」
少し間があって、ギョロっとした眼の小柄なジジイがドアから出てきた。白髪でパジャマ姿。僕が老人を視認した瞬間、美織が目にも止まらぬ速さで飛び蹴りした。ハイカットブーツから繰り出されるグレネードランチャーのように強烈で素早い一撃でジジイは数メートルほど吹き飛び、壁にぶつかる。倒れ込む彼に、壁にかけてあった大きな西洋画が落ちてきた。
僕は老人には目も向けず、正面の螺旋階段を上る。4階まで登りきって、ふと下を見ると、美織が気の毒な家主を馬乗りに組み伏しているのが見えた。僕らと初めて組んだタナカとヤマモトの表情が目に浮かぶようだった。
ジジイの部屋に置かれた金庫を開ける。ぎっしりつまった現金を袋に詰めていく。数字を数えるのは苦手だ。幾らぐらいあるのか検討がつかない。両腕で抱えて階段を降りると、タナカとヤマモトが唖然とした顔をしていた。
「あの」
おずおずと中年男が声をかけてきた。
「はい?」
指をさすほうを見る。老人の痩せた身体には、ナイフが深々と突き刺さっていて、血が溢れていた。ああ、美織、今日もやっちまったか。
「まあ、こういうこともありますよ」
動揺する二人に袋を投げ渡し、これ先に積んで戻っててください、と声をかけ妹を探しに行った。初めてなのかもしれないな。
「美織」
僕の妹はやっぱりキッチンにいた。冷蔵庫を開けて中を覗いている。
「なんかおいしそうなもんあった?」
「プリン」
有名菓子店の箱があった。持って帰ろっか。僕らはお土産を貰うことにした。
車に戻ると、ハイエース内の男たちは皆、一瞬固くなったように見えた。そのまま集合した場所まで戻り、金の入った封筒を貰い、そのまま解散した。
脱税、地上げ、企業献金、インサイダー取引。金を溜め込んだ隠居老人を天誅、強盗殺人。僕らにとっては簡単な稼ぎだ。なんでいつも都合がよくお手伝いさんも警備会社も姿を見せないか不思議でたまらない。そのからくりさえ分かれば自分たちでやるのに。
ひと仕事終えたあと、僕と妹はいつも一緒にシャワーを浴びて、お互いの身体を洗う。面映ゆいような照れた顔をする妹が今日は元気がなかった。髪を乾かしてる時もずっと下を向いていたから聞いてやると、初音ミクのキーホルダーを落としてしまったらしい。ママが4さいのときに買ってくれたのに、としょんぼりする妹に、お兄ちゃんが買ってあげるから、と声をかけると、うん…と返事をしただけだった。あの薄汚れたぬいぐるみか。傷みのない妹の茶色い髪を梳かす。狭いワンルームにはしばらくドライヤーの音だけが聞こえていた。
13年も会ってないのにこいつにはあの女は恋しいものなのかとなんとも言えない気持ちで考えながら、僕は欠伸をして、思いついた。プリン食べよっか。そう声をかけると美織は嬉しそうな顔をした。
僕がひとつ食べる間に美織はみっつも食べていた。10代の食欲はすごい。僕はもうずっと食べ物の味が分からない。薬の副作用か、全て苦いような気がする。満足そうな彼女の顔、その口元に、茶色いソースが付いていたのを見た時、僕はどうしようもなくそうしたくなって、美織の顔を舐めた。
妹が僕の目をじっと見た。女の目をした女と目が合った。そのまま舌を絡めた。カラメルソースの苦い味がした。
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