毟り

殺虫小説集(第1話)

Y.N.

小説

3,319文字

あらすじ:虫に似ている「何か」の巣を、主人公「俺」が訪れる。「何か」たちは、「俺」を餌だと思い込み、調理しようとする。2020年執筆。

 虫以下のなりをしている虫どもめ、虫より少しは上にいるつもりでいる連中が、馬鹿にしながらそばを通り過ぎるたびに、何かキュウキュウ音を立てて存在を誇示しているように思えるのだが、どうも意味がわからない音ばかりである――俺に聞こえるように、わざと大きい音を立てているらしいことは分かるのだが、しかしあの、虫よりも立派ななりをしているつもりでいる連中が通り過ぎるときだけ音を立てるということは、やはり、俺ではなく、あの連中に対して何かを言おうとしているのかもしれない。虫以下にしか見えない虫、虫以上に見えているつもりでいる連中、そして俺――それぞれに何かを抱えながら生きているのである。
 だから周囲に気を使いながら、さほど馬鹿に見えない者に対しては、さほど馬鹿にしすぎることもなく接していかなければならないなあ、と俺が思いを新たにするたびに、邪魔するかのように、立てられるのだ、音たちが、キュウキュウと。俺のそばにいる虫たちのそばを、何者かが、虫たちを馬鹿にしながら通り過ぎるときにだけ、立てられるのだ、耳障りな、何かを伝えようとする音たちが、キュウキュウと。俺が聴きたくない時に限って聞こえてくるということは、虫たちは俺を意識しているはずだし、「連中」たちも俺を意識しているはずである。いつかは向き合わなければならないようだ、あの虫、そして「連中」と。
 俺は「連中」の巣を訪れることにした。不意に、訪れることにした。
 巣に近づけば近づくほど、連中の雰囲気が、強く強くなっていくかのようである。ああ、連中がいるのだな、「俺は虫よりは上にいるぞ」という思いを、奴らは今、たった今、またしても新たにしているのだな――そんな風に思わせるに足る雰囲気が、巣の周囲には漂っていた。
 俺はノックした。
 虫のような形をした何かが、扉を開けた。じろりと俺を見ると、目をぐるりと回し、ぺろりと舌なめずりした。じろり、ぐるり、ぺろり――動作にいちいち「り」をつけるのが好きらしい。
 「あなたは、餌ですか?」涎を垂らしながら、虫としか思えない風貌の何かが、俺に尋ねた。
 虫としか思えない風貌のくせに、俺を餌などと間違えるとはおこがましい。俺は腹が立った。
 しかし怒りをこらえた。「いや、今日はあなた方に向き合いに来たのです」
 「ひゃあ、餌が喋ったぞ」虫のような何かが驚いたような声を上げた。
 奥から、ぞろりぞろりと「連中」たちがやって来た。
 「よお、どうしたんだよ?」
 「餌が喋ったんだよ、餌が」
 「そんなわけ無いだろ、聞き間違いだろ」
 「本当だよう、自分からやって来る奴なんて、みんな俺達に口も利かず食われる運命にあるくせに、おこがましくも何か喋るだなんて、そんな奴、俺、初めて見たよう」
 「見間違いじゃないのか?」
 「ほら、そこにいるじゃん」虫のような奴が俺を指さした。
 「連中」たちは一斉に、舌なめずりした。「美味そうだな」
 「でも喋るんだよ……」
 「私は餌ではない」と俺は言った。
 全員がギョロリとした。
 「私は向き合いに来た。あなたがたと向き合いに来た。私は餌ではない!」
 「ひええ、餌が喋ったよ」全員がオロリオロリした。
 「互いに、互いを認め合うことが大切だ。皆が互いに、互いの良さを見つめ合うべきなんだ」
 「怖いよう、怖いよう」
 「そこで提案がある。私に、聞えよがしにキュウキュウと音を立てさせるよう、あなた方は毎度毎度画策しておられるらしいが――」
 「ものを喋る餌なんて、怖くて食べたくないよう」
 「――それをやめていただきたいのだ。いかがだろう」
 「でも餌は無駄にできないからなあ……」連中たちは、巣の奥に一度引っ込むと、縄を持って戻ってきた。
 「その縄で何をするつもりだ!」俺は嫌な雰囲気を感じて、叫んだ。
 虫のような連中たちは、要領よく俺を縄でぐるりぐるりと巻いて、まるで芋虫のようにした。
 「やめろ! やめろ!」俺は叫んだ。もがけばもがくほど、縄はきつくなっていった。「解いてくれ!」
 俺は巣の中に連れ込まれた。
 巣の中は意外に清潔で、全体的に白っぽかった。おそらく清潔だから白っぽいのだろう。
 ところが白っぽい床の一部が、他と同じく白っぽいにもかかわらず、あまり清潔ではないように、俺には思えた。
 「き、汚い」俺はとっさに口走った。「汚い感じがする。そんな感じが、漂っている」
 連中は、俺をその部分に放り投げた。
 「やめろ! やめてくれ! 汚い!」俺はもがいた。もがいた分、縄がきつくなり、体が痛くなった。
 白さが、俺の視界を覆った。それらは、連中の体から落ちた、白っぽい粉のようであった。俺の鼻の奥にまで粉が入ってきて、気持ち悪いことこの上なかった。
 俺は何度もくしゃみをした。「ハクション! ハクション!」くしゃみをするたびに縄がきつくなった。
 「そろそろいいかな?」「いやいや、もっとじっくり時間をかけなきゃ」連中の話し声が、白い粉越しに聞こえた。話しながら、体をこすり、粉を出しているらしい。
 俺のいるあたりの床に、パラリパラリと粉が積もっていった。俺は粉に埋もれかけた。口の中にまで粉が入ってきて、胃が気持ち悪かった。
 俺は何度も咳をした。「ゲホゲホ! ゲホゲホ!」また縄がきつくなった。
 「助けてくれ! もう耐えられない!」
 突然、足のあたりを掴まれ、俺は持ち上げられた。
 「粉はまぶされたようだよ」という声が聞こえた。
 俺は懸命に、対話を試みた。「私は餌ではない! 今すぐやめろ!」
 「よし、油は準備できたかな?」
 「やめろ! やめろ!」
 「では、体中を貫いて二度と消えることのないほどの激しい熱を味わわせることで有名な、あの調理法を試みよう」
 「助けてえ!」
 「調理される側は、すごく熱くて痛くて苦しいらしいよ、あの調理法は」
 「今すぐやめなさい! 君たち!」
 「出来上がりが楽しみだなあ」そう言うと、俺を掴んでいた手は俺を放し、俺は宙に舞い、「油」の表面に叩きつけられ、中へ中へと沈んでいった。
 意外なことに、油は全く熱くなかった。しかし呼吸ができない。2分ほど耐えたが、限界に達して、俺は油を思いっきり吸ってしまった。
 口の中が油臭くなり、胃がもたれた。
 やがて、匂いが俺の鼻を刺激した。
 視界いっぱいに広がっていた白い粉が無くなり、代わりに油が見えた。
 油は半透明で、少し先の景色を見るのには不都合がなかった。
 俺はもがきながら先へ進み、どこかから外へ出られないか、油の中を探検した。だが、あまりにも俺がもがきすぎたせいか、縄はついに俺の体への圧迫を強めすぎて、俺の体を破裂させてしまった。それでもなお、縄はきつくきつく自分自身を縛り続けた。
 存在しなくなった俺の体からは、液体が流れ出て、油と混じっていったらしい。やがて油の香りは俺自身の香りと一体になっていき、どこからどこまでが俺の中身なのかわからなくなっていった。
 俺の視界を、俺の中身が覆った。
 俺は自分自身を味わい、自分自身の匂いを嗅いだ。美味だった。
 やがて、もはや俺自身と化した油は、月日とともに乾燥していった。俺は気体となって、あちこちに存在する羽目になった。あまりにも多くの場所に存在しすぎたせいで、はじめに存在していたはずの場所がどこにあったのか、少し考えないと思い出せなくなったくらいである。
 その場所では、白い粉ばかりが、俺の不在を埋めるかのように、寂しく取り残されているらしい。
 油としての役目も果たせず、気体と化して宙を舞うこともできず、何のために産み落とされたかもわからぬまま取り残された白い粉どもを不憫に思い、俺はそれらに時々近づいてみるのだが、近づくたびに、なんとも言えない気分の悪さを感じ、すぐに遠ざかる羽目になるのである。
 この粉たちは、ひと粒ひと粒が、紛れもなく「虫」なのだ。その証拠に、時々動いている。油の中にこんなにもたくさんの虫がおり、動いているという事実が、俺にとっては気持ち悪くて仕方がない。
 おまけに彼らは、自分を、虫よりも少しばかりは上にいるのだと思いこんでいるのである。俺がそのことを知ったのは、ある日、彼らがヒソリヒソリと優越感に浸りながら会話しているのを聞いてしまったからである。
 食用の油の中で、虫たちの声がこだましているのが、俺にとっては恐ろしい。
 俺は逃げた。

2023年8月20日公開

作品集『殺虫小説集』第1話 (全6話)

© 2023 Y.N.

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