私は書き損じを破ると屑籠に放り込んだ。これで五回目だ。毎度のことだが、思った通りに言葉が出てこなかった。書いたものを見返したら、とても心の内を伝える文章には思えない。ただただ硬い。筆跡も伸びやかでなく、これでは、とても送れない。七年間想い続けて──私はもう二十四になった──その想いの丈を一度に送る、つまり、文脈に纏まりがあり、相手が読むに堪えるものであり、尚且つ──これが最も大切なことだが──心の内が伝わる文章になっていない。
一回目に書こうとした、即ち、彼女が名前と住所を初めて知らせてきたのは、もう半年前のことになる。
私は毎月心を決めて、こうして書き始めては、読み返し、げんなりして、手紙を破いてしまうのだった。
こんなことになってしまう原因は分かっていた。あまりにも彼女への想いが強く、思考の筋肉がこわばってしまうのだ。
私は五回破いて、あっ、と気が付いた。自分は心を伝えようとしていたが、それは不可能なことなのではないか。
私は諦めることを知った。それは後ろ向きの意味での諦念ではなく、直立した諦念であった。
心を伝えるのを諦めて、そうではなしに、「事実」を伝えれば良い。「事実」と云うのは幾層にも折り重なり私の前に現前していた。これをそのまま掴んで手渡す。その「事実」は何年にも及ぶ私の行為のことであり、それらが全て彼女の見えぬ姿に依るものなのだから、それを伝えればいいのだ。さすればおのずと、そのスクリーンには映写機の前にいる──観客には見えない──彼女の舞が、影となって「事実」の映像の上におりるであろうから。
私は「ありのままに言うと」から書きだし始めた。
その「行為」とは私が大阪の地元の大学に通い始めてから語られることになる。
彼女は埼玉県の浦和に住んでいた。当時は彼女が正確に浦和のどのあたりに住んでいるのかはわからなかった。
彼女と私は一つ違いで、私の方が年が上だったが、文筆家を志す、と云うか、書くことでしか己が自らを救えないと云うことを発見したのは、同時期だったように思う。私が十六、彼女が十五の年だった。私は彼女の文章の中に自分と同じものを見出し、彼女もそうであったのだろうと思う。私と彼女は示し合わせたかのように、同じ時間帯にキーボードを叩き、同じ場所にアップロードして、互いの文章を読み合い感想を送りあった。
常に同じもの──とは、自らと世界の絶対的な相容れなさにあったと思うが──を見出しながらも、セクシュアルな異質性──男女の差異ではない──に強く惹かれ合っていたのだと思う。
私に限って言えば、私は彼女の文章のいまにもほどけてくずれそうな、柔らかな糸できめ細やかに縫われた織物に聖なる空間を感じていた。
対して彼女が私に抱いていた感覚は推し量りがたかった。ただ彼女はしきりに私の思想に言及した。問うた。
私はある日、彼女の文章について、このようにメッセージを送った。
「貴女の文章について語ろうとすると、降りしきる真夏の通り雨の中で、ひと際輝いた一粒の雨粒を見出し、急いで手を差し伸べて掬おうとするかのように、その雨粒は指をすり抜けて地面に落ちてしまうか、掌に掬えたとして、他の雨粒によって溶けてしまうように、溢れる言葉の中で、適切な言葉を私は見いだせずに、途方に暮れてしまいます。ですから、私は物体としての延長を持たない「抱擁」と云う言葉を貴女の文章に送りたいと思います」
私たちは自らを含む世界から拒絶されていたし、私たちの方からも世界を拒絶していた。そのような意味から言えば、互いが互いの唯一の意味付け可能な存在と言ってよかった。
私たちは安易には周辺の事柄を共有しなかった。趣味嗜好などは些末なことに過ぎなかったからだ。
それよりも、どの様に自らと相容れない世界と云う物体、時間と対峙しているかと云うことの方が私たちにとっては重要な事柄だったのだ。
私たちは三年もの間、その「こうかん」を続けた。「こうかん」は交換であり交歓であった。私たちは毎日傷つき、書くことによって、「こうかん」することができ、その痛みを喜びに変えた。
三年ほど経ったある日、彼女の文章の持つ圧倒的な異質感が、共有していた交歓を上回って私の世界の破滅を誘っているかのような恐れを抱き、私は彼女とのやり取りを一切絶った。
他の場所で名前を変え、一人で書き始めた。私には自分の文章を保存しておく癖があった。新しく書き始めた場所でも以前かに書いていたものを再掲することがあった。
そのためか、半年後に、彼女からメッセージが届いた。
「わたしはすぐに分かりました、あなただということ。わたしも書く場所を変えました。」
彼女の文章を恐る恐る見に行くと、彼女はとても変化していた。彼女は世界を受け入れ始め、世界からも受け入れられ始めていた。その時の彼女の文章を一言で表すのならば、「衣擦れの音」。
私は二十になってから、ろくに学校も行かず、全国を鈍行で旅した。しかし、いつも最終目的地は浦和だった。彼女が高校生の時に歩いたと書いていた二駅分の長い道のりを歩き、彼女が通っただろう中央図書館で本を読み、苦しい時や辛い時に彼女がよく行っていたと云う大宮にある、太宰治が生前最後に訪れたとされる土地に行った。
これを大学生になってからの四年の間に何度も繰り返した。私は、浦和ですれ違う人々に彼女の影を見た。夏の暑さに汗だくになりながら、冬は寒さに凍えながら、その影を追った。
──この事実を事実そのまま書こうと思った。
「ありのままに言うと」からはすらすらと言葉が出てきた。そして、自分では考えもしなかった結末に至った。
手紙はこのように、結ばれた。
「僕はこの言葉であなたを呪ってしまいたい。返信は書けないと思います。さようなら」
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