「今からね、僕と君と、どっちのほうが運勢があるか、白黒はっきりさせようと思うよ」
エンジンお兄さんは笑顔で叫ぶと、自分の紺色のオーバーホールからナイフを取り出した。真っ黒の持ち手から銀色に輝く刃が伸びており、先端は何にも負けないほどに尖っていた。
「ねえねえお兄さん! それでどんな運試しをするのぉ?」
広場に駆け足で集まったたった独りの女児は、エンジンお兄さんが持っているナイフを見つめながら訊ねた。
エンジンお兄さんはナイフを指揮棒のように振りながら、楽しそうに口を開いた。
「へへっ。それはね、これをほっぺに刺して、出てきた血の量を勝負するんだよぉ……。血がね、床に垂れるくらい出てきた方が、運の無いやつ」そこで右手を地面と水平に上げ、五メートル先に置かれたゴミ箱を指差す。「運の無いやつは、ゴミ箱行きだよぉ!」
「それはたいへんだぁ!」女児は胸元に垂れ下がっている自分の長髪を指で撫でながら叫んだ。「でも私、まだ十歳にはほど遠いよ? それでもナイフを使っていいの?」
「おや、君はもしかして、対象年齢は忠実に守るタイプなのかな?」エンジンお兄さんは遊園地に居る着ぐるみキャラクターのような大げさな挙動で低音を吐いた。「でもね、大人がしっかりと監視をしていれば、対象年齢なんて無に帰るんだよ」
「そうなの? でもお母さんは、私にナイフ使わせてくれないよ?」
「うんうん。蒙昧無知なガキはおいておいて、さっさと運試しを始めようか!」
そこでエンジンお兄さんはナイフを指の中で一回転させた。それから太陽光を受けてきらりと輝く切っ先を自分の右頬に向けると、作ったえくぼをめがけてナイフを進めた。切っ先がエンジンお兄さんの白い肌を貫き、中の肉の組織に入り込んでいった。エンジンお兄さんは顔色一つ変えずにナイフを押し込んだ。
「ははっ! とっても痛いな!」
「どんな痛みなの?」
「んん? 僕が血を流したら、次は君が同一の方法で血を流すだろう?」
「うん。それで、どんな痛みなの?」
「わからない子だなぁ! 自分でやって確かめろって言ってんのが、伝わらないのか? 君の身体はその九割が山羊で出来ていると言っても過言ではないんだ。でも間違っても、頭の中まで山羊になっちゃいけないよ」
「そっか」そして女児はエンジンお兄さんの膝の辺りを視た。そこにはついさっき垂れたエンジンお兄さんの鮮血が滲んでいた。「もう少しで垂れちゃうね」
エンジンお兄さんはすでにナイフの刃の全てを頬に刺していた。右頬から口内に入り込んだ刃の先端は、反対側の左の頬の肉を貫いていて、頬を伝って垂れ落ちていく血液はオーバーホールとその下の白シャツを赤く濡らしていた。
「ほら! 私がカウントダウンをしてあげる! いち、にい、さん、しい……」女児はエンジンお兄さんが握り続けているナイフの持ち手を見つめながら、単調な声色で数を数え始めた。「ごお、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう……」
女児は両手を取り出し、エンジンお兄さんに対して拍手をした。皮膚と皮膚がぶつかり合う連続した乾いた音がエンジンお兄さんの耳に届くと、彼は握っていたナイフをゆっくりと抜いていった。
「おめでとう! 床に血は付いていないね」女児は床を見つめながら呟いた。屋外をモチーフにした緑色の床には血は一滴も落ちていなかったが、エンジンお兄さんが着ているオーバーホールと、その下の白い長袖シャツは真っ赤に汚れていた。特にシャツは白の箇所がほとんど無くなっており、元から赤色のシャツだったと言っても騙せるほどだった。
「ぎりぎりセーフだね。お兄さん」
「次は君の番だよ」
エンジンお兄さんは頬から完全に抜いたナイフを女児に向けた。刃の部分を掴み、紳士的な態度で持ち手を女児に突き出した。
「わかった。でも私、全身の血液量が他人より少ないから、この運試しで病院送りになるかもしれない」
「なら、君が倒れた時は僕が自宅に輸送して、三日くらいは世話をしてあげるよ」
「あなたの家での生活ってこと? それって具体的には、どんな具合なの?」
「毎朝目が覚めると……」
「覚めると……?」
女児はエンジンお兄さんの顔面に注目して言葉を待った。
「横に僕がいる」
「それは嫌だなぁ!」
強い語気で吐き出すと同時に、その勢いのまま女児はナイフを右頬に刺した。一気に刃を押し入れて柔らかい肉を貫くと、熱のある激痛が全身を焼き、女児はすぐにナイフを抜きたくなった。しかし女児はエンジンお兄さんにだけは負けたくなかった。腰に力を入れて踏ん張ると、尻の穴から糞がひねり出る感触が現れ、同時に頬から発生する痛みが引いていった。それは全身の意識が頬の痛みから尻穴の出かかっている糞に移動したからであり、女児は腹に力を入れて激痛を誤魔化しながらナイフを最後まで頬に刺し入れた。
切り開かれた傷口からの出血は止まることを知らなかった。若さゆえにさららさとしている血液は頬を流れ、顎に集結し、そこからぽたぽたと落ちていった。血液の雫は女児の青色のシャツに着地し、紫色のシミを作った。
「ああ! このまま血の量が増えていったら、君の負けだね!」
エンジンお兄さんは女児のシャツにできたシミに顔面を近づけて喋った。鼻息がシャツを介して肌に伝わってしまうほどの至近距離だった。
女児はそれでもナイフを進めた。顔面そのものがエンジンお兄さんよりも小さかったため、右頬を貫いたナイフはそのまま内側から反対側の左頬を貫いて外に出た。流れ出る血液の量は倍に増え、口周りや顎の周辺は赤黒く染まった。
「駄目だっ! もう床についてしまう!」
女児の頬から流れ出た大きな血の雫を睨んでいたエンジンお兄さんが叫んだ。大きな雫はそのまま勢い良く顎を流れ、顎の先端から落下し、床にぽたりと落ちていった。
「あああああああっ!」
女児が叫びながらナイフを一気に引き抜いた。その衝撃で血が飛沫となって散り、辺り一面とエンジンお兄さんの服を真っ赤に濡らした。
「あぁ……。君の負けだ」
すっかり赤色になったシャツの裾で頬に付いた血を拭うエンジンお兄さんは、五メートル先のゴミ箱を見つめながら低く呟いた。その声色には何の感情も乗っていなかったが、決定された事柄を何が何でも実行するために必要な冷徹な意思の強さがあった。
「ま、待ってくれ! まだっ……。まだだ!」ナイフを投げ出した女児は素早く土下座をして悲鳴を上げた。顔面を赤色になった床に擦り付けながら必死に言葉を出した。「まだ、まだおれは終わってない……」
「いいや、君はもう終わったよ」エンジンお兄さんは右手を地面と水平に上げ、五メートル先に置かれたゴミ箱を指さした。「君は運が無かった。ゴミ箱行きだ」
その声にはやはり感情の類が乗っておらず、プログラムから作られた電子音のようだった。
「やだっ! やめてくれ! やめてえぇ!」
「ゴミはゴミらしく、小さくしないとなあ!」
エンジンお兄さんは尻の穴から吐き出したのこぎりを右手に持ち、土下座のまま動こうとしない女児を起き上らせようとした。しかし女児は思いのほか強い力で土下座をしていたため、エンジンお兄さんは諦めてあらわになっている女児のうなじにのこぎりを下ろした。高速で振り下ろされたこぎりは女児の首をすっぱりと切り、身体から分離した生首がエンジンお兄さんの足元にごろんと転がった。
「全く。ふざけた運試しだよ。あんたらはサーカスティックフリンジヘッドか何かなのか?」
顔部分が上を向いている女児の生首に、エンジンお兄さんは右足を下ろした。強烈なかかと落としは女児の柔らかい頭蓋を簡単に砕き、中の脳漿や血肉が乾いた血でまみれた床に飛び散った。
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