そうそう、僕の姿はステージ横の大きなスクリーンに映し出されていたっけ。それゆえ外野席の観客の目は僕に注がれていた。こんな多くの人に注目されたのは人生ではじめてだったなあ。できれば違う目つきで注目されたかったけどね。
でもそんな僕より悪者扱いされていたのはワタキミちゃん。オーディエンスはワタキミちゃんに向かってサムズダウンのポーズをとっていた。
まあとはいってもね、そこはさすがワタキミちゃんさ。彼女はすぐに政権を奪還したんだ。ワタキミちゃんはかぶってたフードをとってDJに音楽をとめるよう指示すると、まるで悲劇小説を朗読するみたいに切々と語り出したんだ。マネージャーの正体を知らなかった――私は被害者なんですって。
僕は朗読者を見つめていた。目が合っていたと思う。ステージ上の朗読者に向かって僕は、話そうと思ってたんだ、と目で訴えつづけていたのだけれど……うん、やっぱり届かなかったみたい。
そんなわけで僕がオーディエンスのなかでとりわけ元気な方々に好かれて――いや嫌われて近よってこられたのは当然のなりゆきだといえる。お世辞にも柄がいいとは言えない十数人の若い男の人たちが僕のほうにゆっくりと歩いて来ていた。「暴力反対!」とか「武器を捨てよ!」などと書かれたプラカードを肩にかけ僕をにらみつけながら近づいてくる人もいた。
「有名人だな、亜男」と北斗が言った。「サインくらい書いてあげたらどうだ、あのプラカードに」
「白人のボディーガードを連れてるぞ!」と叫んだのはカラムさん。「頭の悪そうな顔から推測するにおそらく元米海兵隊員だ!」
「僕の護衛をしっかり頼んだぞ、バカ面のボディーガード」と僕は笑いをこらえながら北斗に言った。
「この白人は海兵隊を不名誉除隊された奴だから殺しても国際問題に発展するどころかむしろ世界中から称賛されるわよ」といつのまにか僕らから離れていた宇座あいが北斗を指差しながら柄の悪いお兄さんたちにそう言った。
北斗は自業自得さ。宇座あいが北斗を売ったのは浮気をくり返してる北斗への復讐心からに相違ない。一方、彼女に裏切られた彼氏の反応はどうだったのかというと、そのあわれな彼氏は平静をよそおっていた。するとそんな痛々しい態度の男がさ、僕にこんなことを尋ねたんだ。
「けっきょく地元民同士が血をながし合うことになるわけか。亜男、これはどこの国の――誰の陰謀だと思う?」
「人類の陰謀じゃないことを心から願ってる」
北斗にそう答えて僕は十メートルほど離れたところにいたふたりの高齢とみられる男性警備員に助けてもらおうとした。ところが、僕が救済を求める視線を送ったらその警備員ふたりはそしらぬ顔で僕から視線をそらしちゃった、そうっと。あきらめて北斗を見ると、彼はヤンキーたちと一戦まじえるつもりのようでこぶしをにぎりしめていた。
とうぜん僕は北斗のそれを許さなかった。僕は北斗の腕をつかんで走って逃げ出した。北斗が殺されても悲しくもなんともないんだけどさ、でも彼が殺されてしまったらレイチェル・マロンである僕の盾になるフランク・ファーマーがいなくなってしまうじゃないか。
ヤンキーたちは暴徒と化し怒号をあげながら僕と北斗を追いかけてきた。その暴徒に発破をかける拡声器をとおしたワタキミちゃんの「武器を持て!」という声が会場に響き渡ったのはそのときさ。僕はそれを聞いたとき耳が聞こえなくなり絶望したベートーヴェンの音楽を聴いた耳に障害のない音楽家たちの絶望がすこーし分かった気がした。
火事場の馬鹿走力、とでも言うのかな。そのときの僕の足の速さは自分でも信じられないほどだった。僕に切られる風に申し訳ないと思いながらもそれでも僕はその風を切って走った。それはまるでサイコキラーが「罪のない人たち」と一般にいわれている人たちをナイフで切りつけていくようにさ。そりゃそうさ。暴力反対と書かれたプラカードで殴られるなんてまっぴらごめんだもん。
フェス会場のゲートをくぐり抜けたあと北斗が僕にこう問いかけた。彼は僕の後ろを走っていた。
「おまえ本当に亜男なのか? 陸上選手が亜男の着ぐるみをまとっているのでは?」
「話しかけるな!」と僕はどなった。「とにかく今は走ることに専念しろ!」
それから走りに走って暴徒が投げつけてきたMillerのビール瓶の破片をひらりとかわしてから一瞬だけ振り向き追手を確認すると、僕らは追手を二十馬身くらいひき離していた。
僕と北斗はフェス会場からやや離れた場所にある駐車場に向かって走っていた。僕はその駐車場にマイカーを駐めていたんだ。ワタキミちゃんとはいつも現地集合だったから僕はその日もマイカーに乗ってきてたってわけ。
駐車場に入ってマイカーが見えたとき僕はズボンの前ポケットに手をつっこんで車のキーを出した。そうして僕は走りながらそれを北斗に渡した。運転はボディーガードに任せたんだ。
で、ようやくマイカーのもとにたどり着いて僕らがそれに乗り込もうとするとき暴徒のひとりがこんな大声を発した。
「車をぼこぼこにしてやれ!」
僕は彼らに両手の中指を立てて車に乗り込み、そうしてドアを閉めた。そんなおちゃめなことをする余裕があったのはもう逃げ切れると判断したからなんだ。
余裕があったのは運転席に乗り込んだ北斗も同様だった。がしかし、この北斗は余裕をもちすぎていた。エンジンをあたためてる場合じゃないのに、彼はエンジンをかけて一度ふかしただけでそのあとは足をアクセルペダルにのせてさえいなかった。
「何してんだ北斗! 早く車を出せ! 家に帰るまでが野外フェスだ!」
「すまん亜男。見たくなった……この車がぼこぼこになるところを……」
「なに言ってんだ北斗! ワタキミちゃんにきらわれて死にたい気分だが車に乗ったままスクラップになって死ぬのはごめんだ! 早く車を出せ!」
僕の熱のこもった説得によりようやくフランク・ファーマーは車を発進させた。
僕らは暴徒から逃げ切ることに成功した。北斗が早く車を出さないせいでリアウイングは持っていかれたが、まあそのリアウイングは僕から彼らへの餞別さ。アメリカ自動車のリアウイングだし、それにその戦利品があれば誇りを保てたまま胸をはって会場に戻れたことだろうよ。
僕と北斗はウイニングランをすませて僕の自宅マンションに帰ってきた。するとしばらくして宇座あいが僕の家にやって来た。その裏切り者は部屋に入るなり裏切られた者にこう言った。
「ああするしかなかったの北斗。亜男の車は二人乗りだし。私が傷つけられたら悲しいでしょ? 私は私が傷つけられることで私の大事な彼氏を傷つけたくなかったの」
北斗はそっぽを向いていた。彼はカウチに横になり黙って僕の電子葉巻をくゆらせていた。
「宇座あいもあの暴徒も自然体のまま生きてるだけさ」と僕は北斗に言ってやった。「言動は人を選ぶ。不自然さを常人に求めるのは酷だ」
僕は宇座あいや暴徒の言動を全肯定するつもりはないし、それに北斗と宇座あいを仲直りさせようと思っていたわけでもない。これを機にふたりは別れるのではと僕はそんな期待をいだいていた。が、期待した僕がバカだった。翌日ふたりは何事もなかったかのように仲よく僕の家にただ飯を食らいにやって来たんだ。北斗の話では暴徒に追いまわされたその日の夜に宇座あいと燃えるような時間を共有したらしい。腐れ縁で結ばれた男女によくみられるあれだ。
さて、僕はワタキミちゃんと直接会ってちゃんと話をしたかったから逃げ帰ってきてすぐ彼女の携帯電話にメッセージを送った。ところが、何度メッセージを送っても彼女からの返信はなかった。電話もかけてみたけど何度かけても一向につながらなかった。
それから数週間、僕はワタキミちゃんが出演を予定していたライブ会場に足をはこびつづけた。けれども彼女は出演予定のライブをすべてキャンセルしていた。送迎会社の運転手もワタキミちゃんに「もう来ないでいい」と言われたみたいだし、それからアレンさんに連絡してみてもスタジオにはいっさい姿を現していないとのことだった。僕はワタキミちゃんのSNSもずっとチェックしていたんだけどさ、SNSの更新はダブルピース・フェスティバルの日から途絶えていた。そしてそのフェスの日から三週間後の年明け、クイーンのギタリストがツイッターで辺野古沖埋め立て中止の署名を全世界に呼びかけたその日にワタキミちゃんは何の説明もないままSNSを閉鎖した。
ワタキミちゃんの鬼歯をふたたび拝むことができたのはダブルピース・フェスティバルの日から四か月ほどすぎたある春の日のことさ。ふとつけたテレビにワタキミちゃんの鬼歯が映ったんだアップで。彼女は多国籍アイドルグループのメンバーとしてデビューし、アメリカの音楽番組に出演していた。ワタキミちゃんは海軍を模したセーラー服を着ていて、「恋人は水兵さん」という曲を歌いながら(どう見ても口パクだったね)かわいらしいダンスを踊っていた。私が拡声器を置くときは死ぬとき、と彼女は僕に語ったことがあったけどそれは虚言じゃない。ワタキミちゃんは死んでいた。「ワタシの名前はキミの名前だ!」という名前のヒップホップMCの姿はそこにいささかも存在していなかった(ワタキミ的アイスバーグ作戦は成功したんだ!)。
僕はテレビのなかの元ワタキミちゃんに拍手をおくった。なぜって、曲を歌い終えたあと彼女はカメラ目線でこんな言葉を発し鬼歯を光らせたから。
「アメリカ万歳!」
ワタキミ的アイスバーグ作戦〈了〉
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