「人間は鉄パイプ」
鉄パイプ先輩の人間観はシンプルだ。
鉄パイプは弱い。人間は鉄パイプ。よって、人間は弱い。破壊の三段論法だ。
20世紀の人類世界では凶器として使われることも多かった鉄パイプだが、もとよりその本質は凶器ではない。流通経路である。内部の空洞こそが鉄パイプの本質であり、その本質は凶器としての殺傷力を大きく削いでいる。
そして、人間もまた、凶器としての純度は著しく低い。空気、血液、消化液。さまざまな流体を体内で流通させなければならないという仕様上、人体には数多くのやむをえない脆弱点が存在する。インフラ破壊の第一人者である萩谷帝王位の教えを受けたこともある鉄パイプ先輩は、己の空手と人間観に、学部レベルでは絶対的な自信を持っていた。
「来いやッ!」
突き降ろされるゴーザの巨大な掌底にも臆さず、伸び来たるその右手首に鉄パイプ先輩は外側から右手をひっかけた。そして相手の右肘へと左の手刀を振るう。
教科書通りの手刀インフラ打ち。
相手を鉄パイプにしてから打て、という古流インフラ空手の原則通り、完璧なタイミングで手首を制された相手の腕は完全に鉄パイプ。その肘に手刀を打ち込めば、体内を走る勁道の15%は麻痺するはずであった。
⁉
しかし、手刀を打ち込んだ瞬間、全身を麻痺させて倒れたのは鉄パイプ先輩のほうだった。
「……こいつ……耐災未来都市すぎる……っ」
「先輩っ」
俺は先輩にかけよった。鉄パイプ先輩は、全身の勁道がややこしいことになっていた。
「案ずるな」ゴーザは言った。「この小僧、必殺対象の器ではあるまい。最速クリアの要諦は、速やかなる情報収集。正気を失わぬ程度に加減しておいた」
「ふ、かなわねえな……」
鉄パイプ先輩は、苦笑いしながら上体を起こした。
「では、御教示願おうか。この世界、どうすればクリアになる?」
「そんな〈半可通〉に訊いても〈本質直観〉らねえよ」
⁉
「何奴!」
「この〈大学〉で〈一等〉強い男の〈直弟子〉だ。よろしくな」
いきなり現われた細身の男は、特攻服のさらに上から山吹色のマントを羽織っていた。その襟には、菊と盃を象った学位章が付いている。
――修士!
ヤンキーの学位を示す12×2のシンボルが、俺の頭の中を駆け抜けた。
梅に鴬。ヤンキー理工学士。深緑色のマント。ヤンキー生命学修士。
萩に猪。ヤンキー理工学士。鳶色のマント。ヤンキー物体学修士。
菖蒲に八橋。ヤンキー理工学士。藍色のマント。ヤンキー数理学修士。
芒に月。ヤンキー理工学士。焦茶色のマント。ヤンキー言語学修士。
桐に鳳。ヤンキー人間学士。黒色のマント。ヤンキー軍事学修士。
柳に燕。ヤンキー人間学士。灰色のマント。ヤンキー宗教学修士。
紅葉に鹿。ヤンキー人間学士。空色のマント。ヤンキー美術学修士。
藤に杜宇。ヤンキー人間学士。白色のマント。ヤンキー芸能学修士。
松に鶴。ヤンキー法文学士。緋色のマント。ヤンキー精神学修士。
牡丹に蝶。ヤンキー法文学士。桃色のマント。ヤンキー社会学修士。
桜に幕。ヤンキー法文学士。萌黄色のマント。ヤンキー歴史学修士。
菊に盃。ヤンキー法文学士。山吹色のマント。ヤンキー人文学修士。超魔法の観測者。四次元ボクシングの天才集団。ぶっちぎりで話の通じない実存破綻者の新大陸。
「なにジロジロ〈まなざし〉てんだ? アァ? 俺の〈表象〉がそんなに〈希少財〉かよ?」
「あ、いや……」
俺はあわてて眼をそらした。こいつらとカチ合ったら、実存までバラバラにされかねない。
ふん、と鼻で笑ってから、人文修士はゴータマ・ゴーザに語りかけた。
「あんたの知りたいこと、教えてやれるかもしれないぜ?」
「汝は」
「ヤンキー人文学研究科博士課程所属、〈乱菊研〉の乱菊実写謎舞踏だ。俺らの〈教授〉に会わせてやるから、ついてこい」
「ちょっ、待てやコラ!」
鉄パイプ先輩が噛みついた。
「いきなり出てきてなに勝手くれてんだよ。世界アスロンは俺らの専門だってことも知らねーのか?」
「は。〈芸能〉ぐれーが、いっちょまえに〈専門〉の講釈かよ」
「てめ、人間学なめてたらマジで殺すぞコラ!」
「殺す? 〈乱菊一門〉の〈修士〉を〈殺す〉のか。テメーそりゃ、〈人間学部〉の〈総意〉なんだな?」
「くっ……」
鉄パイプ先輩は、明らかに怯んだ。
現在、乱菊研究室を中核とするヤンキー人文学研究科は、同じく武闘派の極みにあるヤンキー言語学研究科と、激しい縄張り争いをくりひろげている。どう考えても、人間学と事を構える余力は無いはずだ。しかし、そんな計算を超越してくるのが人文学の連中だ。
「〈学位〉も受けてねえ〈学部生〉が、余計な〈パロール〉回してんじゃねえよ」実写謎舞踏は鉄パイプ先輩に学圧をかけてから、くるりと背中を向けて歩きだした。「〈教授〉に〈会う〉気があるなら、ついてきな。〈損〉はさせねえよ」
「エンポリオ、あの男が言うておる「オヤジ」とやらは、この世界に詳しいのか?」
「たぶん……この世を滅ぼしかけた人ですから……」
「ほう!」ゴーザは眼を輝かせた。「なんたる僥倖。他のアスリートに先を越される前に、なんとしてでも押さえておかねばなるまいて! ゆくぞエンポリオ!」
「え、俺もっ?」
「うぬには武運がある。今後も、この調子で頼む」
「や、それ俺は関係なくて――」
アンタみたいな超存在をみんなが待ち構えていただけですから、と言う暇もなく、俺はゴーザに腕をひっつかまれて宙に浮いていた。
「乱菊実写謎舞踏! もそっと速うに走れんのかあッ!」
「ふん、〈挑発的〉だ」
院生クラスの速度をさらに上げて、乱菊実写謎舞踏は一直線に大学の深奥部へ向かっていく。その先にあるのは、関東ヤンキー大学の最重要施設――〈イベント〉を引き起こした全教員が収容されている大学刑務所だった。
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