(7章の3)
翌日、点滴注射を受けているときに沢田が来た。腕の血管に取り付けた管にセットした大型の注射器を、医師が親指でゆっくり押す。赤味がかった液体が管を伝ってわたしの中に入っていく。まだ午前中だというのに、これですでに5本目。わたしはどんよりした目で、医師の手元を見つめていた。
挨拶する沢田に、わたしは微かに顎を引いた。しかし目線はそのままだった。いったいなんの薬剤を注入されているのか皆目分からない。健康であったなら、薄気味悪くてとても受け入れられないというものだ。
頭に電気を流され、ショックを受けることも多い。これなども、まともな状態であれば拒否しているだろう。
「まったくもったいない。死期が分かっていれば貯め込んでおかなくて、もっと計画的に散財できたはずなのに」
わたしの買う「夢の中で生きる3日間」は、たった3日間という短い時間のわりに、払う金額が大層なものだ。まともに考えればバカらしいが、しかしもうそれ以外に使いみちがないのだから仕方がない。
「そうかもしれません。でも死期が分かるとなったら、どうせ死ぬのだからと自暴自棄になって犯罪に走る者もいるでしょうし」
沢田の言うとおりだと思った。死が決定しているからと、おとなしく過ごす者ばかりでないに違いない。もうおしまいだから道連れにしてやると暴れまわり、そういう連中で世の中が乱れることになることだろう。
わたしでさえもほんの一瞬だが、頭を掠めたのだ。街中で暴れてやろうかと。もっとも元々の気質が気質なので、ちらっと考えただけで実行するはずもなかった。
夕暮れ、そして夕日が心に響くのは、なにも病気になったからではない。以前からそうだった。小さい頃から。
夕方になると物悲しくなる。何故かは分からないけれど、終わりなんだなと感じていた。
夕方というのは一日の終わりに近付くので、もちろん意味として間違いではない。しかしわたしの感じる意味はそれとは違ったものだ。いや、意味というしっかり理由付けしたものではない、もっと漠然としたものだった。
ひと口に「終わり」といっても、その意味はとても広い。世の中にはさまざまな終わりがあるのだ。たとえばこの地球だって、いずれは終わりが来ることだろう。
星に寿命があるというのは、肉眼で見た者こそいないが、科学の理論上は確実なことに違いない。だから地球だって、いずれはなくなる。それに地球は惑星なので、地球そのものの寿命が尽きなくたって、恒星である太陽にちょっとでも変化が起これば、その影響を受けてたちまち人間の住めない場所となる。
太陽の熱で地球上の生命は維持されているのだ。そう知ったとき、子どもだったわたしは、おそろしくて頭から離れなくなった。陽光が少しでも弱まれば、地上のみんながいっせいに死んでいくのだという恐怖感が、染み付いて離れなくなった。
それからは、地球が終わるときのことを毎日のように空想した。まるでいつも見る夕日のように、太陽が勢いのない赤い玉のようなものになってしまう情況を思い浮かべた。正直、アニメの影響を受けた稚拙な設定だ。太陽に肉眼で分かる衰えがあれば、もう地球は凍りついて、とっくに死の星になっていることだろう。しかし子どもの空想は単純なもので、赤い玉が空に浮かび、人々が不安な表情でそれを見ているという図を思い浮かべたのだ。
世界中の人間が、慄きながら太陽を見つめる。手を合わせたり、十字を切ったり、ひれ伏したりと、それぞれのスタイルで太陽に祈りを捧げる。どうにもならない状況に絶望し、罵倒する者も放心する者もいるし、また、子どもを抱き寄せ、一緒に泣き崩れる親もいる。自分たちが足を付ける、唯一生存できる大地が、住めない環境に変わり果てる。そんな、とてつもない恐怖。その地獄絵を、小さい頃のわたしは頭の中で毎日毎晩思い浮かべた。
世界には啓示を表す絵がたくさんあるが、わたしは自分自身への啓示としての絵を、頭の中で作り出していたのだ。
だから夕日が、言い表せないくらいに怖ろしいものだった。子どものわたしにとっては、一日の終わりにあるものではなく、すべて、一切合財の消滅を示唆するものだった。じっと見つめていると、体の内からわき上がる戦慄で発狂しそうだった。
ある程度年齢を重ね、ようやくその怖れが弱まった。受験やら部活やら、友人関係やら異性やら、現実のことが適度に頭の中をかき回してくれたからだ。ガキ大将に目を付けられたり先輩にカツアゲされたり、第1志望に落ちたり3年間補欠のままだったりと、悩みの尽きない10代だったが、しかし地獄絵の啓示を考え続けるよりは救いがあったはずだ。
夕日というのは、日中より弱々しいからといって、けっして太陽の勢いがなくなっているわけではない。単に自分のいる地点が太陽から離れただけにすぎない。暮れていくだけで消えはしないのだ。翌朝になればまた上がってきて、その燃える勢いは前日とまったく変わっていない。わたしは齢を重ねるにつれ、そういったまともな感覚を持つようになった。
それでも物悲しくなってしまうことだけは変わらなかった。「心」という器官が体の中にあるわけではないが、しかし形としてはないその器官を強く両手でつかまれ、ぶるぶると振られる。そして不安定な気持ちに陥らされる。なぜなのだろう。あの暗く赤い色がそうさせるのだろうか。それとも眠りに向かう時間帯という、体内時計の問題なのだろうか。生理学的に逃れようがないこと、とでもいうように、わたしは気持ちを沈ませた。
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