(3章の2)
それにしても汗だくの感触は、夕日に赤く染まった田舎道によく合う。とうの昔に忘れてしまった感覚を思い出すというのは、さっきの駄菓子もそうだが、贅沢なもののうちの一つだろう。
わたしは意識して足を進め、汗とともに疲れも味わう。疲れだって念じれば一瞬で取り除けるので、懐かしむに限るというものだ。耐えられないくらいくたくたになったら、「疲れよ、取れろ」と念じるだけのことだ。だからそのままにしておく。疼くような足の痛みが、外れるような膝関節の違和感が、元気だった頃を思い起こさせ、爽快ですらあった。
下が石壁、上が木造という、大きな蔵がある。屋根は瓦葺きだ。土蔵でないところが、昭和という、中途半端な古くささを感じさせる。ブロック塀に囲まれた他人の敷地だが、失礼して入り込み、蔵の正面に回った。
入口には閂がかかり、手前に麻袋が山積みされていた。乾燥した農作物だろうか。角を持って引っ張ると、意外に軽い。
奥の家屋も木造で古びているが、二階屋で、山裾の田舎道に建っていたものとは違い、堂々としたものだ。それでも障子がところどころ破れていて、また全体的にひしゃげている。
頭上でカチッとスイッチの入る音が響き、童謡が流れる。「夕焼け小焼け」のように聞こえるが、使い古した間延びするテープで雑音がひどく、そのうえ山に反響してなんの歌だかよく分からない。しかしこれもまた、小さかった頃を思い起こさせる。こんな、子どもの帰宅を促す放送がかかっていたものだ。
こういったものが「原風景」というのか。だいたいにおいて「原風景」というのがどういう風景なのか、よく分からない。古きよき時代に、ありふれていた景色。そんなふうに思うが、合っているだろうか。そもそも古きよきなどという言葉だって漠然としている。幼かった頃、自分が若くて元気だった頃、それが古きよきというものなのだろうか。少し違うようにも思う。自分の生まれていない昔のことにも、原風景という言葉が使われる。秋の夜の、縁側に置かれた、八方に乗ったピラミッド状の団子。そんなもの、わたしは実際に見たことがない。マンガや映像の中だけのことだ。しかしそれも原風景だろう。原風景なんてものは、とっても曖昧なものだ。
わたしにとっての幼き頃の原風景は、昭和四十年代の後半。しかし歩き回っているこの世界はもう少し古い。場所も住宅地ではなく、田舎の温泉地となっている。これはしかし、わたしが指示したもので、ずれていることに不満はなかった。
わたしは実際には、これほどまで寂れた田舎に住んだことがない。しかし本やテレビではよく見た景色で、とても懐かしく、また巡ってみたいと憧れた景観だ。わたしはひとつひとつに興味を掻き立てられ、足を止めた。おんぼろトタン屋根、石垣や石段、錆びてひしゃげた自転車。丸目ライトの車。フェンダーミラーもまたまん丸。生まれた頃には当たり前すぎて気にも留めなかった生活周辺の眺め。その当時、ごく一般的だった日本の道端。瓦屋根やトタン屋根の木造の平屋建てが並ぶ。でこぼこの道路に木の電柱に、ぼやけた街灯。空き地の土管に、焼却炉から上がる黒い煙……。
家が密集すれば街灯も増える。その光に、夥しい数の虫が旋回していた。わたしは虫嫌いなので、旋回している虫たちが向かってくることはない。頭で念じれば、矛盾が起こらない限りそのように進行していく世界なのだ。「虫よ、寄って来るな」と念じればいいだけのこと。
寄ってこないのをいいことに、電灯の真下に行ってみる。数も多いが、種類が多彩で大型のもいる。この時代、人間はまだ他の生物を生活圏から完全に追いやれていなかった。たったの一世代で、天文学的な数の虫を、この国土から追い払ったのだ。
また歩き出す。限られた時間なので、ひとつひとつに執着しないで進むに限る。砂利を踏む、ザクッ、ザクッ、という音が耳に心地好い。また、感触もいい。靴が薄っぺらなので、よりダイレクトに伝わる。
薄暗くて足元が見えにくい。この夕暮れの世界にずっといたら目が悪くなってしまいそうだなぁ。そう考えてすぐに、苦笑が出る。夢の中で視力が落ちる心配などしたってしょうがないというものだ。むしろ視力が落ちるほど、長いことこの世界に留まっていられるならとても喜ばしい。わたしがこの世界にいられるのは、現実の時間に換算して三日間だけなのだ。
帽子で蒸れた頭から汗が流れ落ちる。昼の猛暑の名残がある夏の夕暮れ時には、なんとも邪魔なシロモノだ。しかし被りたいのだからしょうがない。
ひと時代前、ある程度年齢のいった男の多くは帽子を被っていたイメージがある。その昔に白黒映画で見たチャップリンの被っているような帽子。ああいった、形のはっきりしていて、全体につばがある帽子。なんというのだろう。ダービーハット、と言っただろうか。
ともかく、男たちはなんらかの帽子を被っていた。そして黒縁のメガネをかけて背広を着ていた。わたしが子供だった頃、四十代の男がジーパンを履いているなんて滅多にないことだった。
そして、外出時こそ背広が当たり前だったが、家に戻ればランニングシャツ一丁が普通だった。ジャイアンツのナイターでも観ながら、卓袱台の横でゴロンと横になる。横向きに、下になった腕を折って手のひらに頬を乗せて。それがこの時代の、40代の男だった。わたしはその、自分のイメージする外出時の男の、格好そのもので歩いていた。
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