車内には腐臭が漂っていた。床一面に腐葉土と、パリパリの枯葉が敷き詰められていた。それらに混じり、半ば腐りかけた肉塊が、いくつも転がっていた。
「人生を終了したい人たちは、ぜひとも集合してください」
という内容のメールが、突然来た。雅夫は当惑したが、何となく、「終了したくない」という割合と、「終了したい」という割合とを比べたら、「終了したい」という割合の方が勝っているように思い、やって来たのだった。
雅夫は、隣の席に座っているあきらかにホームレスであろう、襤褸を纏った老人に言った。
「あなたも、同じですか?」
老人は微笑んだ。
「私の妻は、30年も前に死んでしまったよ。それ以来、私は独りぼっちだ……こんな年だからモテるわけもないしね……ああ、もう一度、若くなりたいなぁ……そう思わないかい?」
雅夫は掌を見つめた。昔の歌人みたいに。若い手だった。雅夫は32歳だった。先日、8年間勤めていた印刷工場を馘首されたのだった。
「別に、それが『終了したい』ことの理由ではない」
と、雅夫は呟いた。「俺は、本当に、本当になんとなく、死にたいってだけなんだ……」
若いカップルが、落ちている肉片を眺めていた。クニオとクニコ。
「何かの動物、だよな」
「わからないよ。もしかしたら人間かも」
「そんなことはないだろう」
「わからないよ。わからないよ」
「お前、何、なんで来たの?」
「えっ、えっ?」
「クニコ、お前、顎が長いよな」
「クニオ、あんた、おでこ出過ぎ」
カップルは笑いあった。クニオは座り込んだ。パンツの内部にまで、腐ったエキスが染みこんで心地よかった。クニコも座った。クニコはポケットからオニギリを一つ出した。
「ハンブンコしよう?」
「良いね」
「はいっ」
「お、サンキュー」
クニオはクニコの首に噛みついた。大量の血液が噴き出した。クニコはゴボゴボと口から大量の血液を零した。クニオは貪るようにクニコの肉を食べ始めた。
ルチオ・フルチの悪趣味映画。雅夫はカップルの演じている光景に、そんな印象を持ったのだった。そういえば、昔、伊東メグミと『サンゲリア』を見に行ったなぁ。見終わった後、伊東メグミは大きく深呼吸した。そして、「気持ちよかった!」と発言した。
「何が?」
雅夫は言った。伊東メグミは「オヴォー」と叫んだ。クリーム色の半固形のモノが、伊東メグミの口から溢れていた……懐かしい、微笑むべき想い出。
伊東メグミの葬式に出席した際、雅夫は旧友であるコマオと再開したのだった。
「残念だったな、メグミは」
コマオはため息をつきつつ言った。葬式に感情移入した人間の典型的な表情を作り上げていた。それに感動した雅夫は、思わずコマオに抱きつき、濃厚なキス。コマオは思わず目を見開くが、すぐに抵抗を止めた。突然のロマンスに感情移入した人間の典型的な表情を作り上げていた。それに感動した雅夫は、「すぐ行こう!」と叫ぶと、ラブホテルに入り、5ラウンド。
コマオは妊娠し、中絶。
その3日後に死んでしまった。
「相次いで愛する人を失ってしまった俺は、何て不幸なのだろうか。きっと、今現在俺ほどの不幸を背負った人間は地上に存在しないはずであるゾヨ!」
雅夫は過去を思い出して涙を流した。
センチメンタルなBGMが流れ出す……少しだけ、チャイコフスキーの『悲愴』に似ているが、気にしない……それが、雅夫クオリティ。
雅夫は過去を思い出して股間を熱くした。
女達の喘ぎ声が流れ始めた……雅夫はアドレナリンを大量に分泌し、そのために、あの白濁の液体をも分泌させたいと考え、ズボンのチャックに手を伸ばす……。
「クニコ! クニコ!」
クニオは叫んだ。クニオの全身は赤黒い血液によって濡れていた。大量の蟻たちが、クニコの死骸に群がっていた。
「誰が、誰がこんな酷いことを!」
クニオはカメラを探した。これは何かのドラマ、あるいは映画に違いないと考えたのだった。このような悲惨な光景は、現実世界にはあり得ない、しかも、この「平和な日本」には尚のことありえないのだ。クニオは目を血走らせた。
「愛していたのに……クニコ。お前の長い顎も、少し饐えた臭いのするマンコも、それから、えーと、それから……まあ、とにかく色々愛していたのに……クニコ!」クニオはクニコを抱擁。しかし、すぐに「気持ち悪い!」と叫び、死骸を投げ捨てる。「さっさと処理しろよ! バカ!」
クニオは煙草を吸った。「嫌煙家はキチガイだよ、本当に。煙草によって、日本人の寿命を少しでも縮めなくては、この国の未来はないというのに!」
あきらかにホームレスであろう老人は、車内を前方から後方へ、行ったり来たりしていた。老人の白髪からは、腐臭が漂っていた。いや、老人の全身から、腐臭は放出されていた。老人は一歩踏み出した。
「ギュムス」
と、腐葉土と枯葉は音をたてた。
「ギュムロ、ガンゼスム、ジャニスタ」
と、腐葉土と枯葉、そして半分腐っている肉の塊は音をたてた。
老人は微笑んでいた。「あんぱん。食パン。メロンパン」と呟いていた。
まさしく、この世の春を謳歌していた。
突然、一番前の扉が開いた。男と女が入って来た。男は上半身裸、あちこち破れたオシャレジーンズを着用していた。女は下半身裸で、フリルのついたブラジャーを着用していた。
男が言った。
「運転手です。よろしくお願いします」
女が拍手した。
女が言った。
「あたしはサバイバー純子、よろしくね!」
男が拍手した。
男が言った。
「サバイバー純子さんはまさしくサバイバーの鬼なんだ。つい12年前まではただのおばさんだったんだけど、急に田島陽子にライバル意識を持ち始めて、それからというもの、17歳の少年に対して猥褻な行為をはたらいたりして大活躍で。前科44。でも実刑はくらったことがないんだよ。なぜか? それは、彼女が『名器』だからなんだ。裁判官、検事、弁護士。みんな彼女の世話になっている。あ、それから被害者と警察官もね。だから、彼女、これまでずっと、パラダイス! だったんだけど……疲れたらしくて」
「だってジョン、あたし、もう89歳よ?」
「89歳なんて花盛りじゃないか!」
「ええ、それはわかっているつもりだけど」
「そういうわけなんだ。彼女をよろしく頼むよ。あっ、名前言い忘れてたけど、僕はマイケル・モグラゴリラ・田中悟朗。略してジョン。みんなはジョンって気軽に呼んでる。ちなみに年齢は67歳だよ! イエーイ!」
3時間後、マイケル・モグラゴリラ・田中悟朗、通称ジョンは、誤ってショットガンで自らの腹部を撃った。それが致命傷となり、深夜一時半、死亡した。
誤りによる死。
その悲惨であり、凄惨な光景に、誰もが涙を流したのだった。
誤りによる死。何であれ、それは全く不条理というしかないだろう。誰もが、その不条理によって、自らの実存を疑い始めるだろうし、また、誰もが生の歓びを知るためにセックスを欲するだろうし、また、そういう場合には、性的能力皆無な人間は、ただ口をポカーンと開け、茫然自失の体で寂寞とした感情を受け流さなければならないだろうし、また、性的な行為が生の歓びであるという安易な考えを持った人々は、けっきょく、本当の歓びを得ることはできないだろうし、それによって、彼らは、オルガスムの後の喪失感、寂寥とした思い、虚しさによるニヒリズムに陥り、希望を見出すこと叶わず、率直に言って、死を願うようになるだろう。
誤りによる死。人は機械ではない、という何とも当たり前のことを、あたかも一世一代の決めゼリフのように発言するいい歳をした男の恥ずかしさ、その恥ずかしい男と同じ国に育った同じ民族であるというだけで虫酸が走り始めてしまう。人は機械ではないのだから、間違いを犯すのは当然である。というふうに己のミスを正当化しようとする生まれつきの犯罪者。そういう人間たちの意識の中にある、「平等」という概念。まさしく「人が自分よりも幸せになることは許せないし、許されない!」というルサンチマンにまみれた汚らわしい概念だ。そういった無意識犯罪者予備軍達は、たとえ子どもであっても抹殺するべきなのである。という、安易な排他主義。そういった排他主義そのものも、また、ルサンチマンによって汚染されているということを、正義面したバカ坊主どもは知らないのだろうか。「私、チクワが好きです」というのは実はセックス愛好家の表明であるのだと、重野一之は考えたのだが、しかし、そのような高度な比喩を、15歳の少女が考えつくはずもないということを、重野一之は考えつかなかったようであり、その結果、重野一之は少女の恋人(自称)の、金属バットによる殺人の餌食となったのだった。そもそも、なぜ「チクワ」=「セックス」なのだろうか。これは簡単で、つまり「チクワ」=「男性器」ということであり、それを好きであると女性が表明することは、「私、ペニスが好きです」と発言することに等しい、ということなのだろう。重野一之は将来、幼稚園の先生になって、年少クラスを受け持ち、お昼寝タイムの際には一人一人の裸をお気に入りのカメラで撮影したいと考えていたのだったが、そんな無邪気な彼の夢は、永遠に叶うことはないのだった……。
我々はどこから来て、どこへ向かうのだろうか、と誰かが発言した。
ウチから来て、ソープランド・ヤマトナデシコへ向かうに決まっているだろ! と誰かが発言した。
「この臭い、酷いよな」
と、クニオは言った。
「あんたにも、メール来たのか?」
と、雅夫。
「人生には、多数の曲がり角が」と老人。
「クタバレ」とクニオ。
クニオはサバイバー純子を押さえつけた。クニオはサバイバー純子のブラジャーをはぎ取った。全裸の89歳。クニオの股間は破裂しそうに隆起していた。クニオは息を荒くしながら衣服を脱いだ。クニオはサバイバー純子の乳房を吸いながらマンコを人差し指で弄り始めた。「クリちゃん舐めて~!」とサバイバー純子は言った。クニオは微笑んだ。クニオはサバイバー純子の顔面を殴りつけた。サバイバー純子の顔はほとんど潰れた。クニオはサバイバー純子のマンコに唾をかけた。クニオは自分のペニスを摘み、サバイバー純子のマンコに差し込んだ。「良い感じだぜ!」クニオは叫び、腰を一秒間に30回ほどのスピードで振った。
おでこが飛び出しすぎていて、ガリガリの醜い青年と、太りすぎ、皺だらけの89歳老婆のセックス。
世にもおぞましい光景に、雅夫は吐き気を催した。
「外、外」
扉を開けようとするが、開かない。雅夫は耳を塞ぎ、目を閉じた。
「妊娠しちゃうー!」と89歳の老婆は叫んだ。
雅夫は手元にある半径12センチの六角ボルトを、老婆に投げつけた。サバイバー純子の頭は粉々に砕けた。クニオはピストン運動を続けた。
ルチオ・フルチの悪趣味映画。そんな印象を、雅夫は持った。確か、『サンゲリア』を大原由美子と見に行ったなぁ。大原由美子は見終わった後、「気持ちよかった!」と言った。
「何が?」
と、雅夫の問いかけ。しかし、大原由美子は無視。怒り狂った雅夫は、その日の夕方大原由美子の家を襲撃した。ガラスを割り、家内に侵入、大原由美子の愛犬プチブルを踏みつけて殺し、大原由美子の祖母、アマンダブラ加奈子をピアノ線で絞殺したのだった。微笑ましい想い出……。確か、首を絞めすぎてけっきょく、アマンダブラ加奈子の首は、切断してしまったのだったことだなぁ(微笑ましい気分に日本語もおかしくなる。無理もないことである)。
雅夫は過去を思い出して微笑んだ……BGMにはヘンデルのハレルヤコーラスを選曲。
結局、雅夫は大原由美子とは別れてしまったのだった。別れ話は大原由美子からだった。
「あなた、よく見ると気持ち悪くて……ご免なさい」
それが別れの言葉だった……。悲しさがこみ上げてきたが、雅夫は泣かなかった。泣いたら、いけない。そんな気がしたのだった。
「そうなのか。うん。わかったよ。僕は、君には誰よりも幸せになって欲しいから。うん。君がそう決めたなら、わかった。僕は去るよ。うん。それじゃ、幸せにね……バイバイ」
その翌日から、雅夫は大原由美子の留守中に彼女の自宅に侵入し始めていた。中でしていたことは、主に、
・オナニー。
・盗聴器を仕掛ける。
・盗撮器具を仕掛ける。
・オナニー。
・いくつかの下着を身につける。
・食器類に唾液を付けておく。
・冷蔵庫の中にある飲み物に、自分の精液を混入。
・オナニー。
等々。
半年間のストーカー行為の後、雅夫は大原由美子を殺害したのだった。
人間の心の闇。それには底というモノは存在しないのかも知れない……。
だから、我々一人一人が、何らかの防犯器具(主にピー! というけたたましい音の出る小さい装置)を持ち、危機意識を高めていくしか方法はないのだろう。
それでも犯罪は起きてしまう。
人間の心の闇。我々は我々人間という種族が存続する限り、それと対峙しなくてはならないのかも知れない……。
BGMは深刻な感じのものを使用。
突然一番前の扉が開いた。
「開くのかよ!」と雅夫。
誰も車内に入っては来ない。雅夫は立ち上がり、扉へ向かった。外は完全な暗闇。電灯一つ見えないし、星空なんて高級なモノが見えるわけもない。誤作動によって開いたのだろうか。わからない。冷たい風が吹き込んできた。
「寒いよ! 寒いよ!」
あきらかにホームレスであろう老人が叫んだ。「閉めてくれ! 早く! 早く!」
雅夫は車内から一歩、外へ出た。
「外だ。ここは、あきらかに外だ」
暗闇の中を雅夫は歩き出した。確かな地面を感じた。雅夫は馘首された日のことを思い出した。
工場長は言った。
「君はもういいよ。明日から来なくて。何の役にも立たないから」
確かに、雅夫は、10部印刷するはずのものを12000部印刷したことがあるし、また、無断で工場の印刷機を用いてアダルトな内容のイラストを80000部ほど刷ったことがあった。それは、まさしく無能、いや、無能というよりもあきらかな害虫以外の何者でもないだろう。
しかし、そんな害虫であるからといって、モノのように扱うことが許されるのだろうか。害虫も生きているのである。立派に勃起し、正常なセックスを行うことを欲しているのだ。
雅夫はこう考えた。
「俺は、あきらかに害虫だ。だから何だ? 死ねというのか? イヤだ! そんなのはイヤだ! 俺は生きたいのだ! 精一杯、毎日生きたいのだ! 精一杯、毎日セックスしたいし、オナニーもしたい。できれば毎日ご馳走を食べ、毎日ゴロゴロしながらたまにオナラがしたい、毎日性感マッサージも受けたい。それって、人間の最低限の権利、つまり生存権ではないのか?」
そんなささやかな願いも、工場長には通じない。工場長は言った。
「生きるためには、苦労が必要なんだ。人間は消耗していく。そうやって生きるものなんだよ」
そして、ションボリした雅夫を送り出すとき、工場長は、「頑張れよ。君はまだ若い、色々辛いこともあるだろうが、私は君を応援しているからね」と言ったのだった。雅夫は憎悪した。
「殺したい! こいつの一家を惨殺してやりたい!」
雅夫の憎悪は近所に住んでいる動物たちに向けられた。
猫が殺され、スズメが殺され、カラスが殺され、鳩が殺され……。
命はかけがえのないものです。
ときどき、雅夫の耳に、優しい女の声で、そういう言葉が聞かれた。
雅夫はそのような安易なフレーズを憎悪した。
命はかけがえのないものです。
その言葉は雅夫の動物殺しをますます激しいものにした。
ついに苦情がでた。アパートの大家が出ていくように勧告した。雅夫は拒否した。大家の家のポストに、猫の死骸を切り刻んで入れた。大家の孫のランドセルを切り刻んだ。雅夫は奇声を上げて、近所の住人を追いかけ回した。その手には出刃包丁が握られていた。もう片方の手には、腐り果てた犬の首を持っていた。やがて、警察が来た。雅夫は拒否した。公務執行妨害で逮捕された。
雅夫は暗闇の中を歩きつづけた。
「何もないし、何もいないのか?」
「いるよ!」
子どもの声。
「どこに?」
「ここだよー」
雅夫は足下を見た。子どもがいた。小学校低学年くらいの子ども。暗闇にも関わらず、その姿をはっきりと見ることができた。
「誰?」
「僕? 僕はね、ファンシー佐藤」
「は?」
「だから、ファンシー佐藤だよー、プゥー、ものわかりが悪いおじさんだね、あんた」
「あ?」
「怒らないで!」
「怒ってない」
「そう?」
「多分」
「ここ、暗いでしょう?」
「ああ、そんなことは言われなくてもわかる」
「怒らないで!」
「怒ってない」
「本当に?」
「多分」
「ここ、暗いでしょう?」
「そんなことは言われなくてもわかる」
「怒らないで!」
「怒ってない」
「マジで?」
「もう止めないか?」
「何を?」
「このやりとり」
「あはは、そうだね」
「で?」
「ん?」
「お前は何か用があるのか?」
「何で?」
「登場人物ってやつは、何かするために出てくるだろうが、大体」
「既成のものは?」
「そうだよ」
「意味がなくちゃいけないってこと?」
「そうだよ。意味がないものに耐えられるほど、人間は強くできてない」
「あはは! 今の台詞、自分で少しカッコイイって思ったでしょう?」
「殴られたいのか?」
「怒らないで!」
「怒ってない」
「そう?」
「多分」
「これこれ」
「あ?」
「僕、多分この『やりとり』をするために出てきたんだと思う」
「ふざけているのか? あ?」
「違う、違う! だって、僕の姿の描写もないし、会話だけでしょう? ということは、会話の中に、なんらかの『意味』というか、僕の『キャラクター』つまり『役割』を見出さなくてはいけないわけ、でしょう?」
「そうか、よくわからないよ」
「そうなの! そうなると、何て言うか、その会話のなかで頻繁に用いられるもの、それに比重があると仮定するわけ」
「はー」
「何かつまらないね、こういう話。止めるよ。僕、あんたがつまらないって顔しているの、あんまり見たくないからさ」
「何で? 俺を愛しているから?」
「いや、違う……」
「どうした? 顔が赤いぞ」
「あんた、意地悪だよ……その」
「ん?」
「わかってるくせに……僕の……」
「何だよ」
「あんたのことが、その……」
「殴るぞ?」
「怒らないで!」
「怒ってない」
「ホント?」
「うん。マジ」
雅夫は子どもを押し倒し、首を絞めた。ウッ、ウッ、と呻いて、子どもは死亡。子どもの股間は死に際の失禁によって濡れていた。雅夫は死体を担いで、車内に戻った。
もしも俺の人生が小説だったら、と、雅夫は考えた。人殺しを多用して、なんて安易な小説だろう、という印象を与えたことだろうな。それに、薄っぺらで、空っぽだし。糞みたいに読み応えのない小説だろうな。
車内ではクニオが疑似乱交パーティを開いていた。サバイバー純子の死体と、あきらかにホームレスであろう老人の死体とを、交互にクニオは犯していた。
汚い鼠のような男だな、と雅夫は思った。狂ってやがるぜ。クニオを「悪」であると判断した雅夫は、クニオに向かって子どもの死体を思い切り投げた。
「あっ!」
クニオの首が一回転した。完全に首の骨が折れたらしい。雅夫はガッツポーズした。
「正義は必ず勝つ!」
雅夫は叫んだ。
車内には腐臭が漂っていた。雅夫は席に座り、目を瞑った。静かだった。虫も鳴いていない。空気の流れも止まった、らしい。
雅夫は目を開けた。
朝の光が、車内を照らし出していた。まぶしさに目を細め、雅夫は立ち上がった。腐臭は完全に消えていた。
腐葉土や枯葉も、もはや消えていた。死体もない。
雅夫は深呼吸した。
「清々しい朝だな!」雅夫は財布をとりだした。とりあえず150円あった。オニギリが買える。その喜びに、雅夫は思わず泣きそうになった。
雅夫は目を開けた。
激痛が太腿を走り抜けた。ドクドクと脈打つモノが、足下への流れていくのを感じた。それでも雅夫は走り続けた。次の瞬間、今度は肩を激痛が走り抜けた。背後からは叫び声。雅夫は肩を押さえた。止まりそうもなかった。妙に冷たい汗が流れ始めていた。
雅夫は目を開けた。
凄まじい腐臭の漂っている空間にいた。まだ朝になっていなかった。足下には人間の死体の山。腐っていた。全ては腐る……。
雅夫はもう立ち上がらなかった。時計を見た。間もなく発車時刻だろう。そう思った。根拠はなかった。しかし、そうだろうと考えた。その無根拠性が、逆に真実味を持っているように思われた。
雅夫は腐臭を精一杯吸い込んだ。
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