江戸シャーク

眞山大知

小説

5,095文字

江戸×サメ! 巨大サメよ、江戸の町で暴れろ!
※サメ映画感を出すためわざと構成をガバガバにしています。

 熊さんと八っつぁんがサメに襲われてから一ヶ月が経った。
「馬鹿野郎、お前まで海に行くつもりか!」
 大工の与太郎は長屋の大家に叱り飛ばされた。
「大家さん、俺も潮湯治に行きたいんだ。ほら、サメ歌舞伎だと潮湯治の場面がしょっちゅう出てくるだろ? 俺もやりてえんだ」
 与太郎は頭をかいてへらへら笑った。
 最近の若者はサメ映画に夢中だが、江戸の世にも、サメに襲われて町人が慌てふためくという歌舞伎の演目が存在し、木挽町の芝居小屋は連日大盛況だった。ただ、サメ歌舞伎がサメ映画と異なるのは、海水浴の場面がない点だった。江戸の世にはまだ、海で遊ぶという概念はなく、海は湯治のように体を治療するために入る場所であった。これを潮湯治と呼んでいた。
 大家は与太郎の耳を引きちぎれそうになるまでひっぱった。与太郎の耳をひっぱるのは与太郎の「教育係」の熊さんと八っつぁんの役割だったが、二人がいなくなってから与太郎は急にシャキッとしだし、耳をひっぱられたのはこれが久しぶりだった。
「お前は熊と八のようにサメの餌になりたいのか!」
「俺はあの二人とは違って食べられねえ。サメ歌舞伎だと、美男美女しか食べられないから、俺はブ男だ。大丈夫だ」
「ふざけるな。サメが人間の顔なんてわかるもんか!」
 大家が顔を真っ赤にしても、与太郎は笑い続けていた。すると隣から油問屋の若旦那がニヤニヤしながら話に加わった。
「いいじゃないですか、大家さん。私も行きますよ。サメなら与太郎よりも私を食べるでしょう。さすがにサメも馬鹿の肉は食べませんから」
「つったって、本当に大丈夫なのか?」
 怪訝そうな表情を浮かべる大家をよそに、与太郎は若旦那の裾を引っ張りながら「というわけで、海に浸からなきゃサッパリしないですし、潮湯治に行ってきます」と大家へ言って、長屋を出ていった。

 

 

 

 長屋の木戸を跳ね上げ、与太郎と若旦那は夕立の間に吹く風のように江戸の町を駆けていき、昼前には潮湯治場のある高輪に到着した。幅が六間もある東海道は江戸の海の縁に円弧を描くよう走っていて、海の水面は、時折大きな黒い影が現れるがすぐに消え去っていった。
「アカエイの化け物かなんかだな」と与太郎が海を眺めて呑気につぶやくと、若旦那は鼻で笑いながら「馬鹿。アカエイの化け物はもっと大きいんだ。体が三里もあるってんだからな。日本橋から品川まででも二里だ。あの影なんて、人の背丈の二人分じゃねえか。俺みたいに黄表紙をたくさん読めば賢くなれる」とぴしゃりと頭を叩いた。
 高輪の海の岸は石で舗装されているが、江戸の町と外を仕切る大木戸のそばに、真新しい桟橋が沖へ向かって伸びていた。
 与太郎と若旦那は桟橋のたもとにやってきた。たもとには掘っ立て小屋があり、軒下に吊り下げられた看板には「しおゆ」の字が見せつけるように書かれていた。
「やってきましたよ、高輪潮湯治場!」
 与太郎がはしゃぐと若旦那は「俺が銭を出すんだからありがたく思えよ」と、恩着せがましそうに与太郎の肩を叩いた。
 若旦那は小屋のそばを指さして質問した。
「ところで、なんでこんなところにでっかい大八車があるんだ?」
 指さす先には大八車が停まっていた。
「若旦那、そんな事も知らないんですか、サメ歌舞伎だって必ず途中に車を洗う場面があるじゃないですか。サメが出そうなところには車がいるのは常識ですよ」
 ふくれっ面をして与太郎は言い返した。
 サメ歌舞伎は見世物のような扱いで、駆け出しの歌舞伎作者が台本を書き、大根役者たちが演じる。与太郎は昨日見に行った芝居を思い出した。舞台のセリから上がってきた大八車に、役者たちがよってたかってピカピカに拭き上げる。その場面だけで四半刻、現代でいうところの三十分だ。与太郎がふと花道を見ると、いつの間にかすっぽんからもサメがせり出して、突然、黒御簾の中から薄気味悪いお囃子が鳴りだすとサメは役者たちを襲った。――昔からサメの芝居は間合いが悪い。おそらく百年後も二百年後も三百年後もそんな感じだろうと与太郎はバカなりに考えていた。
「若旦那、それでも俺たちゃ観音様にお祈りしてきたんだ。サメなんて出ねえし食われねえしから大丈夫だ」
「それでも、おめえのひいたおみくじは大凶だったじゃねえか、バカ」
 若旦那が与太郎の頭を再びピシャリと叩いて、二人は小屋へ入る。番台で若旦那が与太郎に見せつけるように銭を支払って脱衣所へ入ると、若旦那の目つきが変わり、苦虫を潰した顔で「御大尽たちが品川の廓に行かずに潮湯治ってか。殊勝なこった。へっ!」と、ぶすぶす文句をつぶやいた。脱衣所の棚はどこもかしこも、真っ白で新品の長襦袢や小袖ばかりで、着物のそばには金唐革の煙草入れには親指よりも大きな象牙の根付がついていた。
 若旦那は金持ちたちの抜け殻を、ねめつけるように見ながら、脱いでいる間はずっと黙っていた。与太郎はのんきに鼻歌をうたって服を脱いだ。赤褌一枚になると「どうです、若旦那の買ってくれた赤褌、すっばらしいです!」と見せつけた。
 若旦那は「当たり前だ、俺を誰だと思っている。若旦那だぞ」と与太郎の肩を叩き、ほぼ裸の二人は小屋の外、桟橋へ出る。桟橋の下、江戸の海には、でっぷりと太った親爺たちがぷかぷかと浮かび、妙に真面目くさった顔をお天道様へ向けていた。
「大凶をひいた責任だ。さっさと海へ入れ」と若旦那は与太郎のケツをひっぱたいた。「なんでです」「俺が読んだ本に書いてあった。お釈迦様か観音様かどっちか忘れたけど、むかしこう言ったそうだぞ。『おみくじで大凶を引いたら海へ入れ』って」そんな仏はいない。「なるほど!」と与太郎は馬鹿だったので超高速で騙され、さっさと桟橋の先端へ歩いていくと、海へ飛びこんだ。
「若旦那、いい気持ちですぜ!」と海に浮かんだ与太郎が叫ぶ。すると、与太郎の周りの海面が赤く濁り、潮の流れにのって濁りは沖の方角へ伸びていった。
 沖には帆掛け船の弁才船が通っていた。赤い濁りは弁才船を取り囲むように広がった。
 突然、轟音が響いた。
 帆掛け船の船体がぐしゃりと折れ、助けを呼ぶ声がした。船体があれよあれよという間に真っ二つになり、水面から現れたのは―――サメだった。
 サメは巨大な口を開けて、弁才船をぱくぱくと食べた。瞬く間に船はサメの口の中へと姿を消した。
「ああ、サメだ、いけねえ」と若旦那は青ざめ、逃げようしたが腰を抜かして桟橋にへたりこんでしまった。
 半鐘がけたたましく鳴り響いた。
 サメはぎょろりと目を光らせると、潮湯治場へ向かって一直線に進んだ。与太郎を素通りして、でっぷり太った親爺どもを真っ先に食べた。
「なんで与太郎を食べねえんだよ!」
 若旦那の必死の叫び。
「なんでって、俺みてえな肉のねえ男よりも、太った肉のほうがうまそうなんじゃないですか?」といつのまにか海から桟橋へ上がった与太郎は不思議な顔をして言った。
「おめえ、よくこんな状況で冷静でいられるな!」と若旦那が与太郎の首根っこを捕まえた。
「なにするんですか! ひでえですよ」
 叫ぶ与太郎を桟橋の板へ叩きつけて、若旦那はぺっとつばを吐いた。
「逃げるぞ、だがおめえはサメの餌になってもらう。いいか。俺はどうしても海に入りたかったがサメが怖い。だからな、おめえにサメをおびき寄せようって考えた。おめえの赤ふんどしはな、俺が職人に作らせた特注品だ。魚の血で染めている。おめえが海に入れば、血が海ににじみ出る仕掛けだ。いまも、血が海を漂っているはずだ。サメがおめえを食っている間に俺はさっさと逃げて家に帰」水中から飛び出したサメが桟橋を横切るように飛び、若旦那の胴体を勢いよく食いちぎった。桟橋の板には若旦那の胸から上だけが残された。
「う、うわああああああ!」
 与太郎は顔面を真っ青にして腰を抜かしながら、桟橋のたもとへ向かって這って進む。与太郎が振り返ると桟橋の先から、板がめくれあがってきた。めくれあがった板から出てきたのはサメ。サメは口を開けた。口の縁をギザギザで鋭い歯がぐるりと囲む。
 与太郎が食べられると身構えた瞬間、与太郎のそばに一人の男がやってきた。
「江戸を荒らす狼藉ザメめ。覚悟しろ!」
 男は侍だった。侍は腰から刀を抜くと、侍の体は空中に踊りだした。すかさずサメも空中を飛ぶ。侍は刀を振り下ろした。サメの体を頭から一刀両断する。サメは左右真っ二つに割れ、亡骸となったサメは再び海へ落ちていった。
 宙を待っていた侍は桟橋へ降り立った。
「お、お侍さんは……」
 与太郎が聞く。
「拙者は通りがかっただけの田舎侍。名乗るようなもんじゃございません」
 振り返った侍は、真夏なのに黒い頭巾で顔全体を覆っていて、頭巾の隙間から見える顔には左目を縦断するように切り傷が入っていた。

 

 

 

 与太郎は長屋へ駆けて帰ってくると、「て、て、てえへんだ、大家さん。若旦那が……」とわななき、大家の体をつかんだ。
「どうしたっていうんでえ。まさか、サメに食われたとか?」
 与太郎は黙りこむと小刻みに首を縦に振った。
「だから言ったじゃねえか」
 与太郎がそれまでの顛末を話すと、最後に「ですがね、大家さん、あっし、わけのわからねえことがあるんです」と大家の袖で涙を拭いながら言った。
「なんだ」
「野次馬どもがやってきていたんです。そのうちのひとりがたまたま若旦那の従兄弟だったんですがね、その従兄弟が言うには、若旦那は朝からずっと家にいたって言うんです」
「馬鹿なこと言うんでねえ。なんだ、若旦那が二人に増えたっていうのかい」
 大家と与太郎はお江戸の町を走り、長屋から二町ほど離れた、日本橋本石町の若旦那の家に駆けこんだ。
 帳場を見て二人は仰天した。なんと若旦那が生真面目に大福帳を読み、そろばんを弾いているのではないか。「なんで、若旦那がなんでこんなところに」と与太郎は腰を抜かして帳場の側の土間に尻もちをつき、ぷるぷると震える手を若旦那に向けた。
「仕方ねえだろ。あんまり言いたくねえけど、最近、番頭が金をちょろまかしているんじゃねえかって思っているんだ。だから俺が直々に調べているんだ。普段だったら俺が大福帳を読むなんてねえんだけどな。昨日の夜から寝ずっぱりだ」
「そういうことじゃねえ。若旦那、俺は見たんだ。朝、与太郎と一緒に潮湯治へ出かけたお前さんをな」と大家が問いただすと、若旦那は手でそろばんを持ちながら「どういうこったよ。俺、海なんて行ってねえよ」と、長屋で飼っている犬よりも間抜けな面をして答えた。
「おい、今日二人で行ったろ? おめえ、高輪でサメに食われて胸から上しか残ってねえぞ」
 若旦那はぴたりと固まると、「なんだって?」とつぶやき、そろばんを床に落とした。若旦那は少し頭を捻って、「たしかに、そろばんを弾きながらずっと、潮湯治に行きてえって思ってた。もしかしたら、そそっかしい俺が先に行っていたのかもしれない」とつぶやいた。

 

 

 

 翌日の朝、三人が高輪へ行くと潮湯治場の小屋の脇に、むしろが敷かれていた。若旦那が来たその瞬間、むしろの側に立っていた役人どもは顔を真っ青にして叫んだ。
「化けて出てきたな!」
 与太郎と大家が役人どもをなだめている隙に、若旦那がむしろを引っペはがすとそこにあったのはまぎれもなく自分の遺体。
「なんてひでえ死に方をしたんだ。大事に葬らないと」
 若旦那は急においおい泣いて、死体につっぷして泣きだした。
「たしかそこに大八車があったよな。貸してくれねえか?」と大家が役人に頭を下げると「馬鹿野郎。死体なんて載せられるわけがねえだろ!」と小屋の主人が出てきて怒鳴り散らした。大八車は現代で言うところの小型トラックのようなもので、さすがに合理的で効率性を追求する現代人でも自分の車に死体を載せたくはないだろう。信心深い江戸の庶民ならなおさらだ。
「だいたい、死体を引き取ると本人が引き取れるって決まりはない」
 役人は大家を突っぱねた。
「決まりも、こんなことは天地開闢以来初めてだろう。決まりなんていまから作ればいいじゃねえか」
「まずは上に掛け合ってみないと」
 役人はのらりくらりと返事していた。
 大家と役人はしばらく押し問答していると、若旦那が「しゃらくせえ! 俺がおぶって帰る!」とむしろをめくりあげ、若旦那の死体を背中で担いだ。
 三人で東海道を歩く。若旦那が「なあ、与太郎、わけのわからねえことがある」と言った。
「どうしたんです?」
「俺は誰なんだ? こいつを抱いているのは本当の俺か? 抱かれているこいつが本当の俺か?」

2024年8月29日公開

© 2024 眞山大知

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