審判前の手記

合評会2024年01月応募作品

能田 麟太郎

小説

4,052文字

拙い文章ですが、何卒よろしくお願いします。

窓の外からは賑やかな人の声がわあっと重なって沈む。私は小さな部屋の中で、白い紙の海原に、文字という魚を放って泳がせている。小説とか、日記とか、そういったものではない。

誰にも見せることなんて出来ないものなんだ。今は。

なぜこれを書いているのか。それには理由がある。私は気弱な人間だ。こうやって書き記すことが唯一の手段なのだ。

私は祖母に育てられた。祖母は温かくて、とても私に対して献身的だった。父母は何を考えているのかわからなかった。今も正直わからない。

当時、家には二人ともいないことがほとんどで、幼い自分の面倒を見るために、祖母は家によくやってきた。玩具相手に遊ぶ私の背中を見ては、散歩に連れ出してくれた。雨の日は、二人でテレビを見たり、本を読んで過ごした。何よりも楽しみにしていたのは、毎月末に行く動物園だった。

行くのはいつもおなじ動物園で、いつもおなじ道順で動物を見て回った。決まってニホンザルの山の前に来ると、今日はおしまいの合図だった。あれは夏休みの最後の日。暮れゆく西日が私を物憂げにさせた記憶が鮮明に蘇る。

私たちは並んで静かにサルを眺めていた。山の頂上近くに座るサルたちは、大きな口で果物を頬張り、彼方を見つめていた。満たされた中にもまだ、何かを求めているみたいに。

山の下の方では、食べ残された果物を拾って丁寧に食べているサルがいた。俯く姿は、彼らも悲しみに満ちているように見えた。

隣で無言で見ていた祖母がそっと口を開いた。

「マモル、困っている人や、力のない人がいたら助けてあげなさい。それは、性別や年齢は関係なくて、あなたがそう思ったら行動をしなさい。」

「うん。」

「あと、笑顔も忘れずにね。」

「わかったよ。ばあちゃん。」

祖母のその一言と、声色、表情が、私を柔らかく包んだ。そのあたたかさが、きゅうと奥側を締め付けて、視界が潤んだ。溜まった感情が溢れないように、懸命に堪えた。

祖母は何も言わずに私の手を握り、手を引いて、祖母はゆっくり歩き出した。私はそれに従うように歩いた。こっそり涙を拭ってから、祖母と並んで家路についた。

涙の理由は簡単だった。父母にとって自分が必要だと思えなかった。無関心。存在しない愛情。幼いころは、言葉が見当たらない分、感覚が優れていた。私は見て見ぬ振りをして、他の事に気を傾けた。二人を振り向かせようとすればするほど、私の心は沈んでいくから。そういう生活が続いてから、最初の義務教育の中に放り込まれた。自分の記憶を追って、書いていきたいと思う。出来る限り、詳しく。

 

入学式が終わり、ほとんどの生徒同士が初対面の中、授業が開始すると、すぐ後ろの席にいたやつが突然僕に話しかけてきた。

「あの、ソウヤマくん。」僕は振り返った。

「どうしたの?」

「…ぼく、今日さ、消しゴム忘れて、ちょっと貸してくれないかな?」

「いいんだけれど、一個しかなくて。ぼくも使うかもしれない。」

「君なら大丈夫さ。」

「はあ。」

そう言って彼は丸い顔に万遍の笑みを浮かべた。僕は祖母の言葉を思い出して、貸すことにした。

手渡すと、彼は無言で受け取り、笑顔を消した。始業のチャイムが鳴り、先生が入室すると、授業が始まった。

僕はそのとき気付いた。周囲ほど文字や、計算が出来ないことに。左右の判別もついていなかった。何故父母はこんなことも教えてくれなかったのだろうか。

先生が黒板に書いた文字を書き写していると、僕くらいの出来の悪さだと、当然書き損じは起きて来る。先生が背後を向いたときに僕は後ろを向いた。

「ねえ、消しゴム、返してもらえないかな?」

僕のことが存在していないかのように彼は書き写しをしていた。

「ちょっとでいいからさ、じゃあ、もらうね。」

机の上にあった消しゴムを僕は取ると前を素早く向いた。すると、先生と目が合った。

「ソウヤマ。今何をしていたんだ?」

僕は突然の大人の冷たい声色に驚きを隠せなくて、どもってしまった。教室内は針が落ちても鮮明に聞こえるくらい静かだった。僕はなんとか言葉を出した。

「消しゴムを返してもらっていました。」

「消しゴム?」

先生は曇った表情をしてから視線を後ろの席に向けた。

「そうなのか?」

「いいえ、ソウヤマくんが勝手に僕のものを持っていきました。」

えっ、という声が喉に引っ掛かった。

「せ、先生、それは違います。」僕は必死で詰まりながら経緯を話した。

「そうか。どちらにしろ、それを返しなさい。君は、最初に渡したんだから。」

「でも、僕のものです。」

「でも、渡したんだろう?」

「…。」

じんわり涙が浮かんできた。僕は振り返って、自分の消しゴムを渡した。彼は相変わらず僕の存在なんてないような目で前を向いていた。

そして、何事もなく授業が始まり、終わった。ただ、そこから僕のクラス内の立場は、失われていった。

ずっと一人だった。異物が混入したかのように、はじかれて、一人になった。

体育、遠足、給食。形式上の形のグループになったりもしたが、話をするわけでも何もなかった。先生もそれを言及するわけでもなく、ただ淡々と行事を進めて行った。

ある日、授業中僕は突然鼻血を出した。粘膜がどうとか先生は言ってたっけ。そのときに隣の席に座っていた女子がハンカチを差し出してくれた。祖母以来の女性のやさしさに触れて、とても嬉しかった。そのハンカチは血まみれになってしまったけれど、大切にしまっておいた。まだ彼女の匂いが残っていた。それから、幾度となく、視線を向けたり、帰り道を揃えてみたりしたけれど、彼女は何も言ってこないから、僕も返さなくていいのだ。という考えに至った。僕は、不安になると、そのハンカチを家で大切に丁寧に触れて、遊んだ。

 

僕は孤独のまま、学校を卒業して、進学した。

そこで何かが変わったのか、というと、殆ど同じだった。違う学校から違う生徒も入ったからだ。だから、突然話しかけてくるやつもいた。

「よう、ソウヤマ。ちょっと頼みがあるんだけれど。」

「…僕に?」初めて学校で話しかけられることがあって僕は嬉しくなった。やっと、存在というものが出来た気がした。彼は僕の耳元まで近づいて、小さな声で囁いた。

「…この手紙をあいつに渡して欲しいんだ。頼む。」そう言って、彼は、窓際に座る一人の女生徒に視線を向けた。顎をしゃくって、あいつ。とだけ小さく言った。

「じゃあ、よろしく。」そう言って彼は僕の肩を叩いて去っていった。

僕は改めて視線を彼女に移すと、彼女は静かに本を読んでいた。今渡すかどうか迷った挙句、放課後に渡すことにした。

一日の工程が終わると、僕は彼女の背を追う形で、席を立った。追い越さないように。あくまで自然に。しかし、校舎から出ると、彼女は大勢の生徒に混ざってしまった。

でも、問題なかった。僕は、彼女の帰り道を把握していたからだ。

まっすぐ進んで、角をまがり、ふたつめの細い道に入ったときが、渡すチャンスなんだ。

狙ったタイミングで僕は背後から彼女の背中に手を置いた。彼女は振り返ると、笑顔を浮かべていた。

「なに?」

「これ。」僕は彼女に手紙を渡すと、そのまま身体を翻して、その場を発った。彼女の笑顔が脳裏に張り付いて、眠りに落ちるまで消えなかった。

 

翌日、手紙を頼まれたやつからは何も言われることもなく、一日を終えた。僕はまた窓際の彼女に目をやった。彼女は席を立つと、こちらを一瞥した気がした。

僕はその視線を逃さなかった。また、彼女の後についていった。手紙を渡した同じ場所で、僕はまた彼女の方に手を置いた。

「ねえ、手紙、読んだ?」

振り返ると彼女は微笑んでいた。やさしい笑顔が、僕の腹の底をあたためた。

「うん、読んだよ。」

「どうだった?」

彼女は無言でいじらしい顔を見せていた。

「いいよ、付き合ってみても。」

僕はめいっぱいの笑顔を浮かべた。

そこから毎日彼女と一緒に帰って一緒に遊んで一緒にご飯を食べて一緒に眠って一緒に裸になって一緒に愛し合って一緒に笑って一緒に泣いて一緒に年をとって

一緒に一緒にこれだけしたのに何故あいつと笑顔で話しているんだ?あいつらは何故僕の方を睨むんだ?

僕は悪いことなんて何もしていないのに、何故みんなそんな顔をしたりするんだろう?茂みに落ちている金属の破片を見るくらい、みんなの目は何も感情がないんだろう?こんなときは彼女に優しくしてもらうことが一番だ。悩みを聞いてもらって、ずっと一緒にいようと語り合おう。

意を決すると、放課後、行動に移すことにした。終礼が終わり、僕が立ちあがる前に彼女はすぐに立ちあがって、急ぎ足で教室を出た。まあ、帰り道は同じで、知っているから急ぐ必要もない。僕は彼女の姿を見送ってから、校内が混雑する前にそそくさと学校を出た。

彼女の後ろ姿が遠くにあった。この距離なら十分問題なく追いつく。主要道路で信号待ちをする彼女の姿を捉えた。もうここで大丈夫。僕はポケットから赤黒く固まったものが張り付くハンカチを取り出して、香りを嗅ぐ。ずっと一緒だよ、マモル。

 

そうやって彼は突然死の淵に落ちました。彼の後についていた彼氏が、背中を押して、飛び出たところ勢いよく車に轢かれました。引きずった血の跡が今も思い出せます。彼は一人、妄想と現実の境を行き来しているみたいでした。たまに話していると、私と付き合っている。みたいな言動をしていました。最初は祖母の言う通り、優しく勤めました。しかし、彼の妄想と勢いは拍車をかけていきました。そこで私は付き合っている彼に相談をすると、(依頼はしていません)彼氏は困っている私のためなら何でもすると言ってくれました。彼も彼で、あいつに手紙を渡させたことが後ろめたかったみたいです。この手紙自体は、今は出しません。いいタイミングを狙って出したいと思います。彼の夢中の女と、共に道連れにできるように。まだその条件は整っていないから。

 

 

 

 

 

 

2024年1月22日公開

© 2024 能田 麟太郎

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"審判前の手記"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2024-01-22 18:43

    とても綺麗だと思いました。芥川の掌握を読んでいるような感覚です。こういう流れが書けるようになりたいと思っています。

  • 投稿者 | 2024-01-26 16:17

    彼がサイコパスだなんて、とんでもない。
    そういいたくなりましたが、普通他人からは人の心情など丸見えになるわけでもなく…サイコパスだなんて、理解しにくい人に対するレッテル以上のものたりえない、そんな代物なのかもしれませんね。

  • 投稿者 | 2024-01-27 00:23

    最初妄想パートで一人称が変わっているのに気付かず、読み直してやっとわかりました。叙述トリックというやつですね。
    サイコパスかどうかはわかりませんでしたが、強いて言えば「私」がサイコパスなのでしょうか。

  • 投稿者 | 2024-01-27 10:53

    人物関係が把握できずに混乱してしまいました。河野さんのコメントを読んでそういうことかと。サイコパスと言うより妄想型統合失調症か妄想型パーソナリティ障害なのかな。

  • 投稿者 | 2024-01-27 11:36

    叙述トリックを使おうとする発想は良かったと思うのですが、人物名をもっと中性的にしたほうが読者もすんなり納得できるのではと思いました。サイコパスというよりも統合失調型パーソナリティ障害のようなものを感じました

  • 投稿者 | 2024-01-27 18:45

    何回か読み返したんですけど、複数人に分かれちゃってるってことでしょうか?
    サイコパスとはちょっと違うような。でも消しゴムの話とかすごく心痛む嫌な気持ちになって良かったです。良い意味で。

  • 投稿者 | 2024-01-27 20:51

    おばあちゃんとの思い出話が良くて、途中で語り手が変わったことに気が付きませんでした。ラストへの伏線だったのですね。
    孤独な「僕」にすっかり感情移入したら、だんだん様子がおかしくなってきて、突然の幕切れ。マモルさんこそがサイコパスなんですね。怖い。

  • 投稿者 | 2024-01-28 03:39

    この僕って今、病院に居るんですかね。普通に生活圏内に居るんだとしたら危ないですね。きっと。引っ越したりとかどうすかね。道連れにするんじゃなくて。引っ越してもついてきちゃうかな。まあ引っ越しもお金かかるか。道連れの方が後腐れなくていいですかね。

  • 編集者 | 2024-01-28 10:14

    先生が一番サイコパスだと思いました。

  • 投稿者 | 2024-01-28 23:32

    他の方々のコメントにもありますが、ちょっとストーリーが把握しにくい点を除けば、良い作品だったと思います。サイコパスどうこうよりも誰からも同情されない少年の哀しい話として読みました。夢見たまま死んだなら幸せだったと言いたいところですがそんな訳ないですし、彼氏も捕まったのでしょうし、まあこの彼女に非があるかってそれも難しいところですね。別に人格を罪に問えるわけではないでしょうから。

  • 投稿者 | 2024-01-28 23:58

     途中、同じ視点で継続しているのか、切り替わったのか、よく判らなかった。ミスリードの意図があったとしたら、別の手法を考えたい。終盤の視点の切り替えも、意外性よりも唐突さが勝ってしまった。読者を驚かせてやろうという意気込みは買いたい。

  • 投稿者 | 2024-01-29 16:11

    文章の美しさに魅せられました。消しゴムをパクる少年が気になるので、彼との関わりをもっと読んでみたいです。

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