で、実はですね、この時点で人間も全部変わってます
縄文時代ニッポンに住んでいた人間の数は25万人と言われています
それが弥生になってから一気に100万人に増えています
その時に実は、人種すら変わっちゃってます
その増えた100万人というのは、
実は75万人は、外から入って来たんです
そして混血がなされた上で、新しい弥生人というニッポン人が生まれたんです
だから縄文人の血は受け継がれているんです
縄文人と新しく渡来した人達が混血した結果、我々の先祖が作られたんです
そして、ここにいらっしゃる皆さん
普通は日本人の方だと思うんですが
中には統一教会の方もいらっしゃると思う(関係ねーか、それは)
統一教会の方も日本人の方いらっしゃいますんで、ちょっと失言しました
我々実は弥生人なんです
我々は縄文人の血を引いてるけども、弥生人なんです
ま、そのー、別に原始人って意味じゃなくてですね、人種的にですね
さて、縄文時代っていうと
とにかく鉄器が入ってきた、青銅器が入ってきた
そして、農耕文化入ってきた
これによって、急激に人口が増えた
それ以外にどんな変化があったかというと
争いが生まれた
実は縄文時代までは、我々ニッポン人はほとんど争った形跡がない
普通は何かモノを取り合ったりして、争って人が死んだりしてるはずです
全然見つからない
つまり、縄文時代の長い長い間、本当に平和だったニッポンは
全く争った形跡がない
それが弥生時代になったら急にチャンチャンバラバラ
当然そうです、農耕、稲作、当然水が絡んできます
水を奪い合う争いが発生しました、これが集落と集落の戦いに発展します
そこでやはり戦って傷付いて死んだ人とか、いう人達の骨が見つかっています
つまり弥生時代というのは戦争の始まりでもあったんです。残念ながらね
さて、これは、まだ平和だった時の縄文時代
住居があって、一部畑や樹木の、例えば果物なんかの森があって
そしてゴミ捨て場があって
食べたものカラは全部ゴミ捨て場に捨てると
で、そのゴミ捨て場というのは今現代では貝塚と呼ばれています
貝塚っていうのはゴミ捨て場だったんですね
じゃね、縄文人ってのは一体どんな顔をしていたのか?
縄文人ってのは、あきらかに今の現代人とは違う顔をしていると
つまり我々は先ほど言ったように弥生人であるから
縄文人とは違う、
じゃそのオリジナルの縄文人、
現日本人であるとこの縄文人はどんな顔をしていたかというと
実は、結構毛深くて、鼻が高くて、目が二重、なんですね
これって不思議なんですよ
非常にその地球の温度の低かった氷期の一番最後の頃に日本に渡って来た人達だから
寒い所から来てるわけです
寒い所から来たという事は、本来ね寒い所で生まれた民族というのは
一重なんです目が小さいんです、鼻が低いんです鼻が高いと凍傷になるから
で、毛が薄いんです毛が濃いとこの辺全部氷がついちゃって凍傷になっちゃう
だから本来はそーゆー顔をしてないはずなのに、こんな顔をしてるわけです
見れば分かるようにアイヌです
実はアイヌの人達は、縄文人のDNAを深く受け継いでる
縄文人そのものではないけど、少なくとも我々よりは、はるかに縄文人に近い人種なんです
見て下さい、二重まぶた、髭ボーボー、鼻高い、
昔は、おそらくね、大正時代ぐらいまでは、アイヌ人ってのはヨーロッパ人だと思われていたんですって
目も青い人がいっぱいいるし
確かに顔を見ると、この辺の二人なんてのは白人と言われても納得出来るような顔をしている
ところが実はこれが縄文人に近い
おそらくこれに似た顔をしていたであろうと
という事はどーいう事かっていうと
たまたまこの人種が発生した時
たぶん地球はあったかかった、
で、こういう顔で種族が形成されたあとに
寒くなってきて、しょうがないから南のほうにだんだん降りてきて
結果的に日本列島に住みついたけども
元々はあったかい時に生まれたから
所謂熱帯に順応したDNAをもって生まれた、
という事であろうと思われます
そして、何を食べていたか?
縄文人が食べていたもの、というのを調べてみたら
なんだ全部僕の好物ばっかりなんですね
あのねー、春は若草、あさり、はまぐり、木の芽、うさぎ
ウサギは僕は食べないで飼ってるほうなんですけども
それから夏にかけては
トドに、アザラシ、シジミ、カツオ、はまぐり
秋にかけては
マグロ、ぶどう、マス、鮭、椎(の実)とか、栗とか、どんぐりの類
冬は
クジラに、鹿に、イノシシ、
非常にバランスの取れた季節季節に応じた食生活をしていたんです
これはいいですね。好きなもの一年中食べれて
争いはなくて、これホント理想的です
僕ね縄文時代行ってみたい、出来たら縄文時代に次回は生まれたいと思っています
これ最高
まずね、争いが無いってのがいいでしょ?
今みたいにな、いやらしいその謀略とか陰謀なんかない
毎日毎日が本当に安定した落ち着いた生活
ただし一個だけ問題がある、あんまり長生き出来なかった、
やっぱ疫病、ウイルスや細菌に対する備えが無かったから
平均寿命30歳
けどま30歳まで生きれればいいかな
そーいう時代があったあとに弥生時代がきたわけですね
稲作というものが生活の中心だったわけです
なんか今こうなってくると、ここまで来ちゃうと
なんか今のちょっと田舎のニッポンの農家の風景とあんまり変わんなくなってくる
という事で、2枚目
ま、こういう風に囲炉裏みたいなのがあって家族団らんをしていたわけです
これが弥生と縄文人の骨格の違いを現しています
ね、やっぱり顔が長い、そして鼻が低い、これが弥生人の特徴
つまり、のっぺりしていて、鼻が低くて、目が細い
これは寒冷地で生まれた種族なんです
鼻が高いと鼻が凍傷になっちゃう、
目が大きすぎると目が冷気に触れる
そういった事で寒い所で、もしくは寒い時期に生まれたのがこの弥生人の先祖であると
この人達が入ってきて、この元からいた縄文人と意外とすんなりと順応して混血してると思われます
ただ人数的には4対1くらいの差があったから、従ってこっち(弥生)の血のほうがずーっと強い
ただし我々は純粋な大陸から来た弥生系の民族ではない
やっぱりこっちの(縄文)血が入ってるから
いまだに我々ニッポン人は大陸の人とは若干違う
我々と韓国人は、やっぱあきらかに違うところがある
それは、こういう事であると思います
これは骨格なんだけど、皮を剥ぐ前はこうだったと
これが弥生人、髭ボーボー。目がおっきい。鼻が高い
こっち縄文人、こっちが弥生人、なんか今でもどっかにいそう感じでしょこの人はね
ま、こんな感じですね
今の現代の日本人にとてもよく似ていると思います
目もそれほど大きくはないけど、それほど小さくもない、ちょうど中間くらいみたいな
分布からいうと、渡来系、大陸から来た弥生人というはやっぱり九州とかこの辺に多い、みられる
そして元々いてゆっくりと弥生人と混血した縄文の血の濃い人達は、やっぱこっちに東北とか、こちらに多いそうです
これは部落同士で争ってる絵ですね
やっぱり稲作が絡んでますんで
凶作の年もあったでしょう
そういった時は水の取り合いとかいった事でイクサになったそうです
嫌ですね。稲作と一緒に争いが入ってきてしまった
平和なニッポンという国に
"2009.11.21 京都講演会「日本」(2)"へのコメント 0件