大きな暴力を以て、小さな暴力を省略する傾向

チュニジアの夜(第4話)

ポン_a_k_a_dm

小説

5,570文字

作品集『チュニジアの夜』第4話

会社を辞め、あてのない日々を過ごす男、カワサキ。
援助交際を行う女子高生、吉井早苗。
二人は出会い、援助交際デリバリーヘルスを始める。
次第に怪しい気配が漂い、暴力により血と涙が流され、謎に翻弄される。

――空にはたくさんの星が瞬いているが、チュニジアの夜に輝く星こそ、砂漠で導いてくれることを賢者しか理解していない――

ジョン・ヘンドリックス チュニジアの夜

喉元でつっかえた、間抜けな悲鳴みたいなエアコンの音が響いた。
「話してくれてありがとう」カワサキさんはわたしから視線を外し、テーブルの一点を見つめた。「具体的な話をしようか。僕は援助交際に関する知見がまるでない。一方で、ヨシイさんはある程度経験を積んでいる」
「そうですね」
「どれくらい経験を積んでいるのだろう?」
「施設に入ってからなので、三年半くらいでしょうか」
「なるほど」カワサキさんはコーヒーを一口飲んだ。「であれば、基本的に僕がヨシイさんのやり方に合わせるべきだと思う。どうだろう?」
「それがいいと思います」とわたしは頷いた。「援助交際には、守るべきいくつかのルールがあります」

 

わたしは援助交際のルールを説明した。客は出会い系サイトで探すこと、他人名義、あるいは架空の名義で契約されている、飛ばし携帯を使用すること。
「飛ばし携帯を専門に扱っている人がいます。わたしたち女子高生にも提供してくれる人です。よかったら紹介します」

カワサキさんは頷いた。

業界構造も説明した。「大きく分けると、この業界は三種類の業者から成り立っています。ヤクザ系、半グレ系、モグリ系です。ヤクザ系はヤクザ直営の業者、もしくはヤクザにみかじめ料を納めている業者です。半グレ系は半グレ単体による業者がほとんどです。そしてモグリ系は、ヤクザとも半グレとも関わり合いをもたない業者、あるいは個人です。わたしたちはモグリ系になります」

部屋のエアコンが再び軋んだ音を鳴らした。カビ臭い匂いがした。
「モグリ系はなにを差し置いても、ヤクザと半グレから目をつけられないように気を配る必要があります。一番恐ろしいのは、ヤクザと半グレの標的にされることです」

カワサキさんは頷いた。
「援助料は、最低でも二万円に設定する必要があります。暗黙のルールですが、ヤクザがそう取り決めているのです。二万円にホテル代は含みません。二万円以下で援助交際をすると、ヤクザか半グレに必ず目をつけられます。値崩れを起こすという理由で」

カワサキさんは、賢いイルカのように無言で話を聴いている。
「ヤクザと半グレは価値観や行動原理のようなものに違いがありますが、根本はほとんど同じです」わたしは一呼吸置いた。「その根本とは、暴力です」

これまでで一番ゆっくりとカワサキさんは頷いた。
「暴力で、あるいは暴力から生まれる恐怖からお金を生むことを生業としています。さらに彼らは、ここぞというところで大きな暴力をつかって、最大の効果を生み出します」わたしは冷めたコーヒーを飲み干した。「彼らに標的としてロックオンされたら、いっかんのおわりです」

ここまでの説明を咀嚼するように、カワサキさんはゆっくりと頷いた。「だいたいわかったと思う。それにしても詳しいね。説明もわかりやすかった」
「それなりに怖い目にあいましたから」わたしは目を伏せた。それからカワサキさんを見据えた。「わたしが仕事のパートナーを探していたのは、もう怖い目にあいたくないからです。客を探す手間を省きたいということもありますが。わたしがトラブルに巻きこまれないように、注意深く見守ってくださいね」

わたしは微笑んだ。カワサキさんは頷いた。それから仕事の流れや、お金の分けかたを決めた。援助料の取り分はカワサキさんが四割で、わたしが六割になった。
「プレゼントです」わたしは一台の携帯電話をテーブルの上に置いた。「飛ばし携帯です。二週間か三週間は使えるはずです」
「ありがとう」
「まずはこれを使って仕事を始めましょう」

 

わたしは掲載用の写真やプロフィール情報なんかをカワサキさんに渡した。それらを基に、カワサキさんはその場で出会い系サイトに登録した。これまでに何度も繰り返し行ってきた登録作業。それはわたしにとって頭のなかに完成品のイメージがあって、とても簡単な作業だった。いつもと同じ通学路を歩くようなものだ。

カワサキさんに登録内容のアドバイスみたいなことはしなかったし、カワサキさんから答えを求められるようなこともなかった。カワサキさんは自分で考えて、わたしのプロフィールらしきものを登録した。わたしから見れば手を加えた方がいい部分がずいぶんとあったけれども、そのままにした。カワサキさんならば、きっと自分で変えるべきことを学び取ってくれる気がした。

 

カワサキさんは前かがみになり、うつむいて見こみ客の発掘を開始した。

これまでにも何度も見てきた光景。場所と人が変わるだけで、わたしはずっと同じ場所に留まっている。そう思った。

何年か前の光景を思い出す。この部屋とよく似たカラオケだった。最初はファミレスや喫茶店に集まって援助交際の手配をしていた。施設の先輩から紹介された、少しだけ年上の男が仕切っていた。男は自ら、出会い系サイトで客を獲得する打ち子もこなしていた。男のほかには、わたしを含めて三人の女子が一緒に援助交際をしていた。

業界のルールを理解していなかったわたしたちは、すぐにヤクザと半グレに目をつけられた。地下に潜るようにして、場所をカラオケに移した。しかし、いとも簡単に彼らの情報網に引っかかり、彼らはある日、部屋に乗りこんできた。チームを仕切っていた男の顔は思い出せないが、あの日男が流した、目が覚めるほど真っ赤な血を今でも覚えている。

 

「受注できた」

カワサキさんは突然そう言い、こちらを見た。わたしはカワサキさんが差し出した携帯電話の画面を覗きこんだ。待ち合わせは明日の十六時で、池田公園からすぐ近くのバーの前になっていた。叔母がやっていたスナックの近くだ。
「やりましたね」とわたしは微笑んだ。「なかなかこんなすぐに受注できるものではありません」
「ビギナーズラックだよ」とカワサキさんは困惑したように言った。「話が転がりこんできた、というだけのことだ」

その表情を見て、カワサキさんは安心して仕事を任せられる人だと感じた。
「大丈夫ですよ。カワサキさんならば、きっと安定して受注できるようになります」

 

カラオケを出ると、昼間と夕方の中間といった具合の空が広がっていた。太陽の光は昼間の白さが和らいで、少しだけ暖色が溶け始めていた。

わたしとカワサキさんは、地下鉄に乗って上前津駅にむかった。カワサキさんの家と、わたしの行く先はほとんど同じ方面だった。

電車のなかはそれほど混んでいなかった。わたしとカワサキさんは無言で、じっと立っていた。電車はすぐに上前津駅に着き、改札を出ると短く挨拶を交わして、別々の出口へと別れた。

バイト先のマクドナルドを目指した。道路は人ごみであふれていた。すれ違う人は、わたしと同い年くらいの若者が多く、買い物に来たのか、それとも特に目的もなく街をぶらぶらしているのか、だいたいそんな風に見えた。ほとんどの人が楽しそうで、穏やかな休日を過ごしているように見えた。

マクドナルドの店内に入ると、クルールームを目指して歩いた。指が押す場所を覚えている暗証番号を入力して、ドアのロックを解除した。重たいドアのむこうにはだれもいなかった。

荷物を置いて、更衣室で制服に着替えおわるとちょうどいい時間になっていた。キッチンに歩いた。
「おはようございます」すれ違うバイトクルーに軽く頭をさげて、笑顔で挨拶をした。

定められた手順を守り入念に手を洗うと、わたしはカウンターに配置された。だいたいいつも通りだ。いつも通り。その実感を得るために、わたしはマクドナルドでバイトをしているようなものだった。二時間ほどバイトをして、門限前に施設に帰ってその日をおえた。

 

翌日、学校がおわると素早く帰路についた。途中のコンビニで私服に着替えて、スクールバッグをコインロッカーに預けた。それからカワサキさんの家にむかった。

カワサキさんが住むマンションは、とてもくたびれて見えた。全体的にくすんだ灰色をしていて、マンションが建てられてからきっと何十年も経っているに違いない。

敷地の床はざらざらとほこりっぽくて、入口の集合ポストの下にはこれでもかというくらいにチラシが散乱しているし、なかなか荒れ果てていた。

おまけにちらりと見えた階段の上には、ケチャップ、マヨネーズ、ウスターソース、からし、わさび、ポン酢のボトルが入ったどんぶりが置いてあった。このマンションでは、いったいどういう人が生活しているのか。なにがどうなると、調味料やらを入れたどんぶりをマンションの階段に置くことになるのか、完全に謎だ。

 

エレベーターのマットにはよくわからないシミが付着していた。タバコの匂いがした。エレベーターはぎこちない音をたてて、不安になる揺れかたをして七階に到着した。ドアチャイムを鳴らすと、久しぶりに動かした自転車のチェーンが軋んだような音がして、ゆっくりとドアが開いた。カワサキさんがいた。

部屋は、これ以上はコンパクトにはできないという感じのワンルームだった。玄関の目の前に申し訳程度のキッチンがあって、キッチンとの境目もなく部屋があった。部屋にはシングルベッドとローテーブルが置かれていて、その奥に小さなテレビ台とテレビがあった。ほかには衣類をかけるハンガーラックと食器棚、冷蔵庫くらいしか置いていなかった。そのどれもがおもちゃみたいに見えた。

ローテーブルのそばに置いてあった、薄っぺらいクッションにわたしは座った。カワサキさんはホットコーヒーが入ったマグカップを二つローテーブルに置いてから、ベッドに腰をかけた。
「見こみ客の発掘はどうでした?」
「苦戦しているね、正直に言って」カワサキさんは足を組んだ。ベッドがきしんだ。「でも、もう少しで勘所のようなものを掴めそうな気がする。いろいろ試してみるさ」
「大丈夫ですよ」わたしはホットコーヒーを一口飲んだ。「カワサキさんは、今にきっとうまくできるようになります」

ホットコーヒーを飲みおえると、そろそろ出発の時刻といった具合だった。カワサキさんは車を取りに部屋を出て行った。わたしは部屋を見渡した。窓辺に段ボール箱が何箱か積まれているのが目に入った。収納しようがない荷物が入っているのだろう。

この部屋で、一人孤独に出会い系サイトで客を探すカワサキさんの姿を想像してみた。あまりうまく想像できなかった。

そんなことを考えている間に携帯電話が震えた。カワサキさんからの電話で、マンションの前に車をつけたということだった。わたしは立ち上がり、部屋の鍵を閉めて外に出た。

 

マンションの目の前に、ほこりにまみれた黒い車が停まっていた。スモークが貼られた後部座席にわたしは乗りこんだ。軽く会釈をしながらカワサキさんに鍵を返した。鍵には革製のキーホルダーがついていて、革にスタッズが打ちこまれていた。暗がりで目が合った猫の目みたいに、スタッズが怪しく光った。

車で数十分走ると、客と待ち合わせをしている場所のすぐ近くについた。待ち合わせ場所まで歩いて五分くらいの距離にある、コンビニで降ろしてもらうことにした。

わたしは車を降りるためにドアを開けた。そのとき、ミラー越しにカワサキさんと目があった。無言だった。

待ち合わせ場所を目指して歩いた。何度も何度も繰り返してきたことだ。待ち合わせ場所にむかうとき、心を深い海の底に沈めるように、わたしはいつも意識する。決して心が動くことがないように、常に冷静でいられるように、心に重しを縛りつけて、深いところに沈めてきた。ゆっくりと目を閉じて息を深く吐き出し、力をこめて目を開く。今回もいつも通りだ。

待ち合わせ場所にはまだだれもいなかった。できるだけ自然にあたりを伺った。池田公園のむこう側に、ほこりっぽい黒い車が停まっているのが見えた。カワサキさんの車だ。大丈夫、カワサキさんは注意深く見守ってくれている。

 

とても暑い一日だったが十六時になり、うだるような暑さは落ち着きをみせていた。昼の間にアスファルトに染みこんだ熱気が、徐々に解放される音が聴こえるような気がした。夏がもう少しのところまで迫っている気配があった。

前から男が歩いてきた。男はネイビーのポロシャツに、カーキのチノパンを穿いている。靴はグレーのプーマ・スウェードだった。ぼんやりとした印象の男だ。一度目を離すと、どんな風貌だったか思い出せなくなるタイプ。客だと直感した。
「ナナミちゃん?」と男はわたしの偽名を呼んだ。
「そうです。タナカさんですか?」

男は頷いた。「行こうか。外はまだ暑いね」男は歩き始めた。「でも、ときおり涼しい風が吹く」

そのとき風が吹いた。池田公園の草木が揺れた。
「涼しい」とわたしは微笑んだ。

 

待ち合わせ場所のほとんど目の前にあるホテルののれんをくぐった。男が選んだ部屋に入った。
「先にお金をいただきますね。二万円です」

男はヒップポケットから、古ぼけた黒い革の長財布を取り出した。縫い目のはしがほつれている。「はい」と言い、二枚の一万円札をわたしに差し出した。

わたしは頭をさげてお金を受け取り、受け取ったお金をハンドバッグにしまった。
「シャワーを浴びてきます」

ハンドバッグを持って洗面所に歩いた。洗面所の鍵を閉め、ノーカラーのブラウスのボタンを上から一つ一つ外して脱いだ。タイトジーンズも脱いで、下着も外した。鏡に映った裸の身体を見つめた。そのたびにわたしは思う。ほんとうにこの身体に数万円の価値があるのだろうか? 値段をつけるとしたら、実際のところいったいいくらくらいが適正なのだろうか? わたしはなんの感慨もなく自分の身体を眺めてから浴室に移動した。熱いシャワーで念入りに身体を洗った。

そのあと男もシャワーを浴びて、性行した。

2023年3月17日公開

作品集『チュニジアの夜』第4話 (全21話)

© 2023 ポン_a_k_a_dm

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