Addicted to you

牧野楠葉

小説

1,879文字

普通の恋愛って何?と思いながら久々に書きます。

俺のNEMU、と言われると、おかしくなりそうになる。なぜならわたしは所有されたいから、俺のNEMUと言い続けて、HNでいい、だから、どうかお願い、話し続けていて。

 

あなたとはclusterで出会った。clusterとはボイスチャットとテキストチャットができるアプリで、いわゆる仮想空間だ。現実ではない。あなたのことは二年前ぐらいから知っていて、たまにあなたの入っている大人数のボイスチャットの中に混じって少し話す、ぐらいの関係性だった。眠れない夜に、あなたがいるとわたしはそのボイスチャットに入った。わたしは結婚していた。夫と二十六歳のときに。それから二年経って、彼との会話は失せ、なんのスキンシップもないまま、わたしは極度の鬱状態に陥って、全く眠れなくなった。同じ部屋に暮らしているのに、触れられない、話しても仕事のこと。それは存在を否定されているようなものだ。clusterのただの雑談のボイスチャットが、そんなわたしの救いだった。ただの雑談というか、そのclusterのサーバーは精神障害者だけしかいないものだったけれど。あなたも、わたしと同じ鬱を抱えていた。

そのうち夫が、自分の部下である女性のことを頻繁に話すようになった。嬉々として。ああ、「好きが漏れてる」ってわたしは思った。だって、好きって、瞬間、その空間をがらりと変えてしまうから。わかった。わたしは頷く、そうなんだね、素敵な女性だね、と言うたびに、なにかがひとつづつ死んでいった。わたしはますますclusterに没入していった。寝室は別々。だから気にすることはない。

「夜、なんか話し声が聞こえるんだけど、なにしてるの?」

朝、出勤前に夫がスーツを着ながら言った。そのときわたしは何故だかものすごく後ろめたい気持ちがした。脳裏に、あなたの話している声が浮かんだから。でも、あなたとは直接、一対一で話したことなどない。あくまでも大人数の中で、少しだけ。それだけの繋がりに過ぎないのに。

「今、眠れないからゲームしてるの。ゾンビゲーム。それをやりながら通話してるのよ」

すらすらと嘘が出た。
「へえ……深雪がゾンビゲームとかやってるの意外。じゃ、俺、行くね」
「うん。行ってらっしゃい」

わたしはドアが閉められた瞬間、即座にclusterをスマホで開いた。すると、いつもオフラインになっているはずのあなたのアイコンが、オンラインになっていた。即座にわたしはあなたにDMを送った。指が滑るように動いた。
『NEMUです。ピンキオさん、もし話せるようだったら、話しませんか?』
『ああ、今日は仕事がちょうど休みで。是非話しましょう』

それからわたしたちは、話しまくった。そして、数日のうちにわたしは夫に離婚を切り出した。「健常者といるのが辛いので、離婚してください」と。夫は言った。「いいよ。それで深雪が楽になるなら」

こんなに簡単だとは思わなかった。もっと早く切り出せばよかったと思った。それからすぐにあなたはわたしのために車を買い、わたしと住むアパートを契約した。法律で定められているから、結婚が可能になる100日後に結婚しようと言われた。わたしはなんのためらいもなく、うん、と言った。新しい人生が始まるなんて、信じられなかった。それまで、わたしはいつ死ぬかばかり考えていたから。

 

「この前新宿を歩いてたらね、ストリートスナップを撮られたの」
「すごい。なにかブランドの服を着ていたの?」
「アールディーズっていうブランドが好きで、お兄さんが、それ『アールディーズですよね!?』っていうから、『そうです』って言ったらね、撮ってもらえて。なんだか、雑誌の小さいページに載るみたい。知らない雑誌だったから、直接その写真を見る機会はないだろうけど」
「うわ、もしかしてこれ!? NEMUちゃん、ものすごい美人だ。びっくりした。こんな奥さんが来るなんて、信じられない」

そう言ってピンキオはわたしの写真のリンクをチャットに貼ってきた。ネットにまで載るなんて知らなかった。

「これだよ、ちょっと恥ずかしい!!ピンキオの写真も送ってよ」
「ちょっと前のしかないけど、送る」
「……格好いいじゃん!」
「一緒に住むようになったら、鳥とか、飼いたいね。もう家族全員には伝えてあるからね、大丈夫だよ」

わたしは崩壊した。

東京の今住んでいる大きな部屋よりもっと小さいけれど、それでも丁寧なアパートで、鳥を一緒に飼っているリアルなあなたとわたし。

どうせ出会ったら外見でしかないのに……

 

そして今、わたしは高速バスの乗り場にいる。

2022年5月4日公開

© 2022 牧野楠葉

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