最高の山羊頬舐めと、脳の味たち。

巣居けけ

小説

3,185文字

彼らの国では食パンの大きさ調節も可能なのか? 医学と食物連鎖が絡み合う国……。

「我々は乾いた同胞を食べてから、雉のように巣立つんだっ! 炎天下と全裸でキッスをして、子宮の無い淡い桃色の髪の女神に交尾を見せつける義務があるっ!」緑色の軍服を着込んだ白い山羊頭の人型が宣誓を叫ぶ。握りこぶしの右腕を高らかに、唾液混じりの掠れた咆哮。腹から突き出る空砲を、前方五メートル先の、瘡蓋のような模様の大ゴート宮殿に放っている。

遥か上空の太陽が、灼熱を振りかざしている。広大な砂漠の、知られざる渓谷の土地。

明るい茶色の岩肌に、黒光りのブーツを装着した足で仁王立ちをする山羊軍曹。全ての事柄を規則と上下関係で決定する、根っからの軍事主義。

「我々はっ! 新たな雌の活き良い蜥蜴を食することができるの赤い飛沫の間欠泉や、将校のヘリポートのちゃぶ台の上で、山羊が好む固形の味噌を培養できる研究員を、強く所望する!」

大いなる山羊軍曹の後方にて佇む、陸軍第三山羊分隊の総勢二十名。それは極めてへっぽこで、餡よりも粘りの強い部下の群れ。着瘦せを特技としている彼らは背筋を限界まで伸ばし、両腕を胴に完全に密着させて、前方だけを見据えている。極限まで動作を喪失し、ただ立ち並ぶ。そんな直立不動の戦士たちは、たとえ蟲が足から這い上がってきても、たとえ眼球や鼻孔に砂煙が直撃しても、動き出すことなど絶対にありえない。という、この地の灼熱にすら匹敵するほどの熱い気魄を漂わせていた。

絶対不動で待機を続けている全隊員が、ついに、思い思いに叫んだ。山羊軍曹と同じく白い山羊頭の人型の戦闘員たちは、山羊軍曹と同じく握りこぶしの右腕を高らかに上げて、山羊軍曹と同じく、腹から声を突き出す。

彼らは、上官である軍曹の激励に強く賛同していた。十秒以上の咆哮は、辺りの空気を大きく震わせた。しかし熱気のある雄叫びの中には、例の『山羊山羊』も、古代の『めえ・号令』も含まれていなかった。彼らが吐き出した賛同の大声は、通常人間と同様の『言葉』だった。

そんな事態に最も怒りを表したのは、大いなる山羊軍曹だった。

彼は穴開きの黒色アーミーベレー帽を宮殿に向けて投げ捨てると、腰の警棒を引き抜きながら後方に勢いよく回転し、「脳など要らぬわっ!」と空気をつんざく高音で叫び、真っ先に目が合った最前列山羊の頭に警棒を振り下ろした。

西瓜が砕けるような打撃の音が、二十名の怒号を制した。

二秒の静寂の後、部下どもの突き上がっている右腕が一本、また一本と下がっていく。直立不動に戻る部下どもに、熱気と静けさだけが再び漂い始めていた。

その中で、上官からの一撃を受けた最前列山羊だけが、だらんと崩れ落ちた。それは電池切れを起こしたロボットか、あるいは操り糸が切れてしまった操り人形のようだった。

「ふんっ。訓練兵かと、見間違えたわ」横倒しになった最前列山羊に間髪入れずに馬乗りになった山羊軍曹は、再び大きく振り上げた警棒を叩きつける。より大きな打撃の乾いた音が鳴り、最前列山羊の全身が一度だけ跳ねた。山羊軍曹は警棒の先端で最前列山羊の頭蓋をぐりぐりと突いた。すると頭蓋は卵の殻が割れるような音を立てて粉々に砕け、中の山羊脳みそが岩肌の上にどろりと流れ出た。

「ほほう! これは上物だ」口角を、にっ、と上げる山羊軍曹は軍服の胸ポケットに左手を入れ、食パン一枚を取り出した。「いただくとしよう」

手のひらに収まるほどの小さな食パンと、岩肌に流れている山羊脳みそを交互に見つめる。口角から水飴のような粘着性のある唾液を垂らす山羊軍曹は、喉をわざとらしく鳴らし、食パンの端で脳を掬い上げた。しとしとに湿った食パンを口に入れ、腕組みをしながら咀嚼した。

「まことに美味であるっ! 非常に美味である!」舌の細胞の一つ一つに絡みつく、濃厚な山羊脳みその味。倒れている最前列山羊の顔を見つめながら、食パンと共に全てを飲み込むと、最前列山羊の細胞が、自分の脳細胞と一つになっていくのを感じた。

最前列山羊の瞳はすでに光が消失していた。もはや彼の双眼は、そういう色をした石のようだった。

山羊軍曹は食後の運動として、最前列山羊に三発目の警棒をお見舞いした。山羊脳みそや頭蓋の骨や白い体毛がぐちゃぐちゃに混ざり合っている頭に再度警棒を振り下ろすと、粘液が辺りに飛び散った。飛沫のように四散した山羊脳みそは、すぐ近くで、黙って全てを傍観している他の隊員の衣服や、山羊軍曹の頬に付着した。

「おいっ! 貴様、この頬に付いた物を舐め取らんか!」山羊軍曹は自身の右頬と、適当に目についた隊員山羊の顔を交互に指さしながら叫んだ。

指名を受けた隊員は二秒ほど視線を錯乱させた。それは葛藤の錯乱だった。軍において上官の命令とは、それがどのような内容であろうと、絶対に従わなくてはならないというのが鉄則であり、その絶対的な決まりに関しては疑う余地も、反抗する意思も、微塵も無かった。全身全霊で鉄則に従うつもりの隊員山羊だったが、しかしその一方で、ただの部下である自分が上官の頬を舐めても良いのだろうか、という躊躇があった。しかも彼は、体一つでいくつもの敵勢力を壊滅させ、その名を陸軍だけではなく、全ての軍事組織に轟かせた伝説的な軍曹。英雄とも呼べる勇ましい上官の頬を舐めるという、褒美とも称せる行為。いくら鉄則があったとしても、それに臨んで良いのだろうか。そんな強大な葛藤が脳内に渦を巻き、隊員山羊の普段は決して揺るぐことの無い軍事山羊としての鋭い視線に淀みをもたらしていた。

いつまで経っても動かない隊員山羊に、「さっさとこっちに来い! そして舐めろっ! 山羊だろう?」と山羊軍曹が激励を飛ばした。

その苛立ちと期待に満ち満ちている顔を見た瞬間、隊員山羊はようやく決意を固めた。良いかどうかを決めるのは上官である軍曹であり、自分は彼の決定に身を任せるべきだ。それこそが軍人であり部下だ。と自分に言い聞かせ、硬い眼力で山羊軍曹の頬を睨みながら、喉を鳴らして駆け足で進んだ。

恐るべき上官の元へたどり着いた隊員山羊は、最前列山羊に馬乗りになったままの山羊軍曹に目線を合わせるために跪いた。「到着いたしました!」

「うむ! では速やかに頬を舐めよっ!」

「り、了解……」

顔面に、大量の汗がべっとりと貼り付いている。口の中の水分が、一気に無くなっていく。鼓動が大きくなり、全身を包む熱気で脳が茹で上がっているような感覚になると同時に、目の前の山羊軍曹の頬が遠くに見えてくる。

その全ては、純粋な興奮から来ているものだった。慎重に顔を軍曹山羊の頬に近づけている隊員山羊は、興奮による過呼吸をも楽しんでいた。命令とはいえ、まさか上官の頬を舐めることができる日が訪れるとは思っていなかった。就寝前の下世話な妄想の中ですら、こんな体験を創り上げることはなかった。

震えている声で、静かに「失礼します」と宣言し、山羊軍曹の毛深い頬に、アイスバーのように先端が丸みを帯びている、長方形の舌を這わせた。

塩辛さの中に、少しだけ甘く、それでいて、ねっとりとした感触が現れる。すぐにこれは脳だと悟ったが、同時に石のような、小さく硬い物が舌に傷をつけた。

隊員山羊は思わず頬から舌を離し、舌と頬を交互に凝視した。山羊軍曹の頬には白い粒のようなものが貼り付いていた。砕けた骨であることはすぐに理解できた。

「貴様っ! どうして頬から舌を離した!」

山羊軍曹は叫びながら、隊員山羊に平手打ちを放った。乾いた音と共に、隊員山羊の頬の体毛が抜け、埃のように宙を舞ってどこかへと飛んで消えた。

「さあ、頬舐めを再開しろ」

山羊軍曹は二発目の平手打ちを見せつけながら怒鳴った。すでに激痛での恐怖に支配されている隊員山羊の身体は反射で動き、長く伸ばした舌が素早く山羊軍曹の頬に触れて、大量の唾液と共に這いずり回った。

「どうだ、旨いか?」

「毒性」隊員山羊は器用に答えた。

2022年4月12日公開

© 2022 巣居けけ

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