異常的異形

人間賛歌(第29話)

山雪翔太

小説

4,005文字

ある青年と、蜘蛛の大群の話です。
残虐な描写が含まれますので、閲覧の際は十分ご注意ください。

時々、そう、人は自身が異常だと感じる時があるだろう。

自分だけが世界に取り残された様で、それは酷く不気味だ。

・・・僕は、自分が異常だと思っていながらも、心の奥底では自身は正しい。間違っていない。そう思っていたのかもしれない。

そうじゃなきゃ、こんな暗い所に閉じ込められたりはしていない。

異常的だった。

学生時代は自分で言うのも何だが、優秀だった。

スポーツはあまり出来なかったが、その他でカバーしていた。

ただそれが祟ったのか、随分虐められた。

それが高三まで続いた物だから、精神が病んだ。

自分は精神的に弱かった。

大学もあまり奮わず、致し方なく実家に帰り相談した。

そして僕が今住んでいる田舎のアパートに住むよう言われたのだ。

田舎でのんびり暮らせば気も晴れるだろうと僕の母は思ったからだ。僕もそう思った。

幸い家は裕福だったので、何不自由なく過ごしてきた。

まあ、浮世離れしているから、別にまた就職活動などしなくてもいいと思っていた。

僕はルーチンである夜のウォーキングに出かけようと、団地の三階から階段を降りていった。夜風が冷たく体を撫でる夜だった。

僕が二階の階段を駆け下りた時、突如心臓が高鳴る感覚がしてしまった。

本能的に僕はこの胸の高鳴りを抑え、さっさとウォーキングに出掛けたかった。

だがその僕の右にあるドアは無性に僕をひきたてた。

確かにある圧力。ドアを見ろという強い引力が働いていた。

何故あの時あれ程あのドアにそそられたのかは今でも分からないが、きっと僕を貶める為に天の誰かが用意したんだろう。

僕はそのドアを覗き穴から覗いた。

中は薄暗く、人の気配は無かった。

電気はあるが、照明がついていない。

やはり骸というか、ただの空き家の様だ。

ただの空き家ごときに震え上がっていた自分が馬鹿馬鹿しく感じてしまった。だから僕は駄目なのだ。

「ああ、もうお前は駄目だ。これだからお前はろくでなしなのだ。さっさと消えろ。消えてしまえ」

もう自分が嫌になり、階段で降りようとした所だった。

突然、ドアから気味の悪いカサカサという足音がした。

僕は思わず扉を覗いた。

中には大量の蜘蛛がいた。嘘だ。さっきまで居なかったのに。どういう事だ!

「あ、あ、あああああああああ!」

その虫は僕の方に気付き、百匹ほど居るだろうか、一斉にシャアと鳴き声を上げ、僕の方に走り出した。

「見ろ!見ろ!やってきたぞ!お前を殺しに、神の使いの蜘蛛がやってきたぞ!!はははははは!!!」

その中の一匹が口の中に入っていくように見えた。

口の中が苦い何とも言えない味に包まれた時、僕は思わず防衛的本能で悲鳴を上げた。

「はははははは!!!入っていった!無様だなあ!!!!ははははははははははは!!!!!」

喉へ蜘蛛が無理矢理入ってくると、ざわざわと気持ち悪い感触が喉へ伝わり、そして蜘蛛は食道から僕の事を脚で引っ掻いた。

途端強烈な嫌悪感と痛みを感覚神経が伝わらせ脳へと向かわせた。

鋭い痛みと果てしない屈辱感が喉を貫き、僕を決壊させる。

声にもならない悲鳴を上げ、耐えるしか無かった。

嫌悪感の中、階段を転げ落ちる様に進み、一階へと辿り着いた。

何とか立てるようになっていたので、ふらつきながら真っ先に大家の事務所の扉を開けた。

普段大家とは話す機会が無い為、面識が無い。そして彼の方もまた住民と話す機会が無い為驚いていた様だ。

「・・・大丈夫ですか?」

彼は慌てて僕の方を見て駆け寄った。

「うえ・・・上の階の・・・二階・・・あああ」

大家と共に階段を上がってゆく。何とか今頃歩ける様になっていた。そして、いつの間にか喉の痛みも無くなっていた。

すっかり時間が経ってしまった。これからウォーキングに行く事は不可能だろう。

「・・・馬鹿め」

ドアの前に着いた。今はあのドアの惹き付ける様な雰囲気も無くなっている様に見えた。

「・・・で、この先ですね」

大家は慣れた手つきでポケットからマスターキーを取り出し空き家を開けた。

中はやはり薄暗かったが、先程より心做しか明るく見えた。虫の気配もない。

だがやはり先程のトロゥマが残っており、ドンドン進んで行く大家の後につき歩いていった。

中は無人だった。そして覗き穴から覗いた景色とはかなり違っていた。

あの時はドアの先に布団が置かれている様に確認出来たが、そんなものは無かった。

そもそも家具等無かった。それはそうだ。空き家なのだから。

「で、この中に?大量の蜘蛛がいたと」

大家は少し呆れた様に周りを見渡した。

「・・・いや、そんな事は、無かった筈なのに」

今日はもうダメだ。幻覚でも見たのだろうか。だがあの喉の痛みと蜘蛛の大群は確かに脳に焼き付いているのだが。

その翌日にもあのドアはあった。ただ、何もかもが消えている様だった。今までが全て空想の様だった。

ただ自分の中でその事があったという記憶のみが存在していた。

あの雰囲気は消えた。あのドアの覗き穴からも何も見えなくなっていた。

これで清々した。もう怯えることは無い。

いや、勝手に怯えていたただけだろう。

「ははは、臆病者めが」

臆病者だが、臆病者らしく生きることは出来る。ただそれは恥じらうべき事だ。

・・・まあ、元々僕は恥晒しな訳だが。

最近はバイトも行っている。ただあまり長続きしない。また事件が起きるだろう・・・。

僕は生まれつき不器用だ。ティーカップは上手く持てないし、車の運転なんて以ての外だ。

一度親に病院に連れて行かれ、検査させられた事もあったが、医者は何ともなし、異常なし、そう答えた。

今思うとセカンド・オピニオンでもしてもらうべきだったが、もう遅い。どうせフリーターなのだし、生活は事足りている。改善する必要もない。

いずれ僕は堕ちるだろう。それでもいい。

僕は本屋でのバイトの帰り、路地に入った。ここを通ると近道だ。

今日もやはりミスをしてしまった。もう帰りたい。帰って麦酒でも飲もう。

そうして路地を半分位まで進んだ時。

気味の悪いカサカサという音がした。

嫌な予感がする。汗が吹き出る。

また、あの。

奴らは、奴らは、あのドアから出ていき、何処か遠くに行った訳ではない。

奴らは、僕を付けてきているのだ。

一目散に走った。走った。決死で走った。

もしかしたら奴らでは無いかもしれない。ただ僕が危険を感じた。それだけで十分逃げる理由だ。

背後にはまだカサカサと脚の音が聞こえる。

ただ一匹ではなく大群だ。奴らはいつまで追いかけてくるのか。

背後で僕が笑っている。嘲笑っている。

自我を忘れ走り、何とか家に着いた。

ふらつき自室のドアを開け、ソファに身を任せた。

あの底知れぬ名状し難い雰囲気を醸し出す、背後の物は何だったのだろうか。

幻想だったかもしれない。ただ逃げて来た。

あの蜘蛛の大群が脳裏に焼き付いている。

あの蜘蛛は、確かに僕に存在を認知させようとしているのだ。

恐ろしくてたまらない。

今も何処かで奴らは僕の事を見ている。

もう我慢ならなかった。

僕は階段を降りている。大家の元へ向かっている。引越しをするのだ。

奴らがこれで僕の事を諦めるかは分からない。ただ距離を離したかった。

そして、あの扉を通り過ぎる。

また異様な雰囲気を感じた。でも無視した。無視しなくてはならなかった。

もう僕を巻き込んで欲しくなかった。

想えば良い団地だった。迷惑な住民もいない、皆助け合っている。

ただ奴等だけが。奴等だけが僕の安息を滅茶苦茶に壊している。

それで怯えて暮らすくらいなら。僕は逃げてやる。何処までも。何処へでも。

「・・・ああ、出ていかれるんですか」

大家はそう、何故か少し残念そうに呟いた。

「やはり、原因は、あの蜘蛛、ですか」

「はい・・・」

頬杖をついて大家はヒラヒラと転居の紙を捲りながら質問した。

僕は反対に少し焦っていた。こうしている内にあの化け物達が僕の方を追い、食い尽くしてしまうかもしれない。恐怖していた。いや怯えていた。

「何度も言ってますがね、あの部屋に蜘蛛なんか居ないんですよ?一応害虫駆除もしてもらいましたけど、何も無いって」

「・・・いや、もしかしたら」

それを言うと、彼は露骨に溜息をついた。

「出ていってもいいですけどね、・・・その、蜘蛛。また追ってくるかもしれませんよ?」

悪意の籠った嫌悪感のある嫌な衝撃が脳髄から全身を走った。

僕は今こうして化け物から逃げている。

もし、あれが追ってきたら。

僕は逃げても逃げても、奴等に追いつかれる。

そして、また恐怖に怯え。

ろくに外に出られず。

「・・・弱いな。お前」

背後から声が聞こえた。

「あああああああ!!!!!巫山戯るなあ!!!」

僕の中の悪意。憎悪。恐怖。痺れ。全てが今前面へと宿った。

おもむろにパイプ椅子を持ち上げる。

「俺はぁ!!俺は!!!逃げてるんじゃない!!!奴等に追跡されてるんだ!!!!止めろ!!!!!これ以上僕を殺さないでくれ!!!!!!!」

椅子が大家の頭を貫く。途端に弾ける血飛沫。

嫌悪。憎悪。恐怖。

「止めろ!!!止めろ!!!!喋るな!!!!!!!殺すな!!!!!!!!!!!」

ガンガンと打ち付けられる椅子。この瞬間に平常は異常へと変わり、家具は凶器へと変わる。

そして僕は変わらない。奴らも変わらない。まるでこれが普段の日常の様。

凶器が刺さる度、血は出る。止まらない。もうこの苦痛の連鎖は止まらない。

目に血が飛び、視界が真赤に染まる。

「・・・異常だよ。お前は」

前の、俺が、今声をかけてくる。

「視界に入った物が全て真実だと思い込み、それに従う。もう気付けよ。本当は蜘蛛なんていないんだ。お前の異様な妄想。全ては空想だったんだよ」

薄れてゆく意識の中、もう一人の僕がそう言ってくる。

「・・・俺はもう付き合いきれん。ああ、でも俺もお前に付き合わないといけないのか・・・。今まで散々被害妄想させて、済まなかったな。・・・じゃあな、妄想屋」

今は暗い病棟の中。結局僕は・・・

「何がしたかったんだろ」

そうして、眠りについた。

無様、だ。

2022年4月7日公開

作品集『人間賛歌』第29話 (全45話)

© 2022 山雪翔太

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