軍艦

野原 海明

小説

3,632文字

巨大な軍艦がビルを破壊しながら突き進んで行くさまは、まるであの日の津波のようだった。小型戦艦が数隻並走している。軍の自動制御装置のトラブルだと、防災無線は繰り返し告げている。

海上に浮かぶ街は水路が入り組んでいる。そこをいつもなら小ぶりの荷船が通過するだけだ。そんな巨大な船体に耐えられるはずもない。水路に面したビルから次々に崩れ落ち、ひきはがされたコンクリートの間に呑み込まれていく。

水路ばかりの街で道路はない。建造物は互いに肩を寄せ合い、人々は連絡通路を渡ってビルからビルへ移動する。おりしも土曜の夕方、街は休日をのんびりと買い物をして過ごす人でにぎわっていたが、突然やってきた非日常に騒然となった。

独りでぶらぶらと街を歩き、デパートの店先をひやかしてまわっていたおれは、とにかく自分が生き延びることを考えた。デパートとデパートは複雑に入り組んでいて、何階が地上階にあたるのかわからない。いくつもの連絡廊を駆け抜け、ようやくビルの外へたどり着いた。

エントランスの白いポールにはヒビが入っていた。人の声とも思えないような絶叫が上階から聞こえてくる。とにかく砂浜に向かって走った。街から抜け出してきた人々で浜は埋め尽くされ、夏の終わりのなごやかなビーチと似つかわないちぐはうぐな光景に皆眼を泳がせた。

ダメダ、ブツカル!

指さされた方角を見れば、今まさに軍艦の上部が街上層のまんまるのガスタンクに突っ込むところだった。

閃光と爆音の後、恐る恐る瞼をあけると、おれは吹き飛ばされた円形競技場の木造の瓦礫に取り囲まれていた。楕円形の縦穴になったそこに、もう出口らしいものは見あたらない。幸いどこにも怪我はない。緑のリュックサックも背負ったままだ。

瓦礫の中で、何事も起きていなかったかのように独り遊ぶ少女がいた。おかっぱ頭で、眼と眼の離れたしもぶくれの間抜けな顔で、おれのほうをきょとんと見つめる。

ねえ、遊ぼうよ。

冗談じゃない。無視して瓦礫に手をかけた。よじ登ればどうにか抜け出せそうだった。

ねえ、どうしていっちゃうの。ねえったら、ねえ。

うるさいな、あんたも早くここから出た方がいいよ。たいへんなことになってるんだから。

瓦礫はところどころささくれ立っていて掌の皮を突き刺した。おれの後を追って登ってきた少女のふくれた手にも血がにじみはじめているのが見えた。

やがてついてくるのを諦めたのか、少女は瓦礫の途中で動かなくなった。丸い黒眼がおれを見上げていた。

ねえ、もうあえないの?

おれは彼女の前まで引き返し、ノートの一ページを汚れた手で破いておれの名前を書いた。いい? これがおれのなまえ。これさえ持っていたら、いつかきっと会えるから。そう言ってごまかそうとした。

泣き出しそうに見えたけれど、涙はこぼれなかった。煤けたその紙切れを彼女はじっとみつめ、それからもう一度その眼でおれを見上げた。

泣いていたのはおれの方だった。

しょうがないな。

彼女の柔らかく、妙に熱を持った手を握って、瓦礫の外へむかって引っ張りあげた。

競技場の縦穴は深く、底まで足を滑らせたらもう二度と出てはこられないだろう。今この手を離したら、彼女と会えることはもう無いのだろう。

登り切ると、目の前に見えたのは海岸線に沈んでいく夕陽だった。島がやけに暗く影をおびている。どちらにも抜け出せる道はなく、どうにか進めるとしたら、それはもう一度惨事のデパートの中に入っていくという選択しかなかった。

蛍光灯は天井からはずれ、配線をむき出しにしてぶら下がっている。エスカレーターのところどころで火花がはねる。おれは少女の手を握って薄暗い婦人服売場をかきわける。

ひょろりと背の高い男が追いかけてきていた。瞳孔の開いた目、半開きの口。学生服は泥で汚れている。右手にジャックナイフを握っていた。眼を白黒させて口から泡を飛ばしながら追ってくる。

ドウシテ助ケタ。ソノ子ハ存在シテハイケナイノダ。

逃げ込んだ先は試着室に向かう行き止まりだった。おれは少女をLLサイズの婦人服が並ぶハンガーの奥へ押し込んだ。男の振り下ろした腕を掴みそこない、とたえたのはジャックナイフの刃先だった。錆びた刃先が掌に食い込み、濁った血が腕へ流れた。

煤けた白いソックスの貧弱な脚が婦人服の間から抜け出し、男の背後をすり抜けていくのを見届け、おれは男の手からナイフをもぎ取った。血の流れる右手に痛みは感じなかった。ひるんだ隙を見計らって握り拳で思い切り横っ面を殴った。呻く躯をなぎ倒し、少女の後を追う。いつのまにか額に浮かんでいた汗を手の甲で拭うと、血が眼にしみて視界が赤くかすんだ。

動かなくなったエスカレーターを駆け降りる。階下で放心して立ちすくんでいた少女の手を握って外へ駆け出した。太陽はもう沈んでしまい、海岸線に残されているのはわずかなオレンジ色の光だけだ。昨日まで街灯がともり、煌々と明るかった波止場は嘘のように闇に沈もうとしている。どこにもまともな道は無いが、防波堤にわずかに残されたコンクリートの縁を辿っていくことはできそうだ。

西か、東か。

家族はどうしただろう、とそこで初めて思い当たった。家に戻るには東へ向かわなくてはいけない。

それなのに何故か、おれの中の何かが東に行ってはいけないと訴えていた。冷たい風が東の方角から吹いてきた。

西へ。

何故おれは出逢ったばかりの少女の手を握り、血を流しながら命がけで逃げようとしているのだろう。わけがわからなかったが、今少女を手放すことは自分が死ぬことよりも耐えられないことのように思えた。何を捨てても、誰を失っても、この少女だけは手放してはいけない、と。

折れ曲がった棕櫚の木が潮風に吹かれている。太陽が遺した最後の光が海原に橙の道を描いていた。

何処へ行っても魚の匂いが漂う町だ。生臭く、生温い。黒い瓦屋根の平屋が緩やかな傾斜に並ぶ。どの露地を覗いても猫が寝ころんでいる。高台にある魚市場は、日が高くなれば人気がなくなった。積み上げられた木箱にはところどころ魚の血が染み込んで赤く汚れている。トタンの壁の下は隙間が空いていて、すぐ下に延びる道路が見えた。昼間はそこから眩しい光りが入り込む。昼間のうちに木箱の隙間で眠りをむさぼる。太陽の光のなか、うつらうつらと薄目を開けて。

何日が過ぎたのかよくわからない。掌の傷は大きな瘡蓋になっていた。少女は日だまりのなか、猫のように躯をまるめて眠る。

自分の名前は口にしなかった。おれも敢えて訊こうとは思わなかった。まるで始めから名前なんて持ち合わせていないように、彼女はそのままで彼女だった。

何も持たずに生きていくことは拍子抜けするくらい簡単なことだった。残念なのは二人とも腕力さえ持っていない、ということくらいで。

嘘のように毎日は静かだ。

道端に捨てられた新聞を拾って広げてみても、あの日の記事はどこにも見当たらない。紙面を埋めるのは以前と変わらない、この国の不景気と政治家のくだらないスキャンダルばかりだ。

町の夕陽は恐ろしいほど赤く澄んで、町の空気を赤く浸した。今まで見たどんな夕焼けよりも赤く。その時刻になると身を起こして町を歩く。のしかかったまま眠りこけている少年の躯をどけて。

市場にたむろしている兄弟がいた。兄は坊主頭で、襟元の伸びきったランニングシャツを着ている。弟は伸びすぎた髪をぼさぼさと風になびかせて、その細い膝を抱えていつも高い場所に腰掛けている。

細いくせに力は強い。あらがうのはもうやめていた。兄の大きな躯は言うまでもなく、抵抗しても意のままにされるのはわかりきっている。それならばいっそ、近づくでも離れるでもなくいたほうが都合がよかった。

日溜まりでまるくなっていると全身から毛が生えてきてケモノになりそうだ。うぶ毛が陽射しを受けて金色に光り、ふさふさと風に吹かれる。長いこと洗っていない髪は泥と埃で絡まり、ちょっとやそっとじゃほどけそうにない。

少女はすっかり自分の名前など忘れてしまっているようなので、とりあえず「ゆり」と呼ぶことにした。

ゆり、と呼びかけると、なにも答えずに振り返る。茶色い丸い目がくるくると動き、おれの姿を追う。ゆりの細い髪は陽に焼けて茶色く脱色されていた。魚市場の木造の骨組みの中を動き回るには二本足よりも四つ足のほうが向いている。いつしか後ろ足で立つことは忘れてしまったようだ。

おれの胸に顔を押し当てて眠る。そのままふたつのまるになってしまいたいと、おれは想う。

時折リュックサックから手帳を取り出してみる。そこにはおれの名前と住所が書かれているが、それがひどく遠いものに思える。

腐りかけた魚を食べても腹を壊さなくなった。不憫に思うのか、漁師のおかみさんが取れたての魚を置いていくこともある。

遠くからサイレンが聞こえる。

あの日のように。

2013年4月29日公開

© 2013 野原 海明

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