Adan #82

Adan(第82話)

eyck

小説

1,174文字

ティルト・シフト・グラス〈9〉

薬王院について簡単にのべる。薬王院はInstagramフォロワー数2921人(2021年11月7日時点)の寺院だ。

 

のぼりで僕らはそんな薬王院をフォローせず夕立のようにとおりすぎたわけだけど、じつをいうと僕は薬王院境内にことのほか気になる祈念所があった。その祈念所の名称はね、願叶輪潜ねがいかなうわくぐり

 

願叶輪潜は幅2.5メートル奥行30センチ高さ1.7メートルくらいの石壁で、その石壁の中央に大人ひとり難なくとおれるまるい穴があいていた。ねがいを念じながらその穴をくぐるとねがいが叶うらしく、世界中の縁結びゴッドに裏切られ神様不信におちいってた僕はその立ちはだからない壁に神様不信を解消させてもらいたいとそう思っていた。

 

しかし無情にも僕は願叶輪潜をくぐれなかった。いや神様の許可がおりなかったわけじゃなくって、むつきの許可がおりなかったんだ、うん。そう、立ちはだからない壁のまえにむつきという壁が立ちはだかったってわけ。彼女は一秒でもはやく山をおりたがっていた。ひょっとしたらむつきは僕が思うより前頭部の怪我の痛みがひどかったのか、そうじゃなければ彼女の意識はすでにべつのテーマに向かっていたのかもね。

 

「亜男のねがいってなんだったの? もしかしてドバイでふられた女とよりをもどしたいとか? それだったらもったいない。痛手はその原型をとどめないくらいぼろぼろになるまでひきずりまわさなきゃもったいない」

 

薬王院の四天王門をでてスギ並木を歩きながらむつきが僕にそう言った。それに対し僕は「その痛手はもうとっくに僕の足首をはなしたよ、その痛手は」とだけ言った。嘘じゃないよ。だって僕のねがいは「もう相手はだれでもいいから結婚できますように!」っていうあくまで建設的なものだったんだから。

 

僕は薬王院から遠ざかってくことで親よりも身近な存在だといわれる神様がどんどん遠い存在になってく気がした。とそれにともなって「結婚!」という夢もどんどん遠ざかってくそんな気がしてならなかった。したがって死に急ぐようにハイスピードで歩くむつきが僕の結婚を邪魔マーラするマーラに見えた。

 

そんなマーラが歩みをとめたのは〈男坂〉とよばれる108段の階段をおりてるときさ。いいや正しくいうとマーラはその煩悩をかるくふみはずしてとまったんだ。あ、そのときも僕はちゃんと手をかさなかったよ。むつきが煩悩をころげおちるかもしれなかったとはいえ手をかしたら僕は彼女に「手をかす人は大きらい!」ってほほをひっぱたかれていたにちがいないんだ。まあそれはそれとしてさ、むつきがこの日いちばんのバッドジョークをかましたのはこのときなんだよ。階段の半分くらいをすぎたあたりで立ちどまった彼女は僕にこう言ったのさ唐突に。

 

「結婚しよ、亜男」

2021年11月7日公開

作品集『Adan』第82話 (全83話)

© 2021 eyck

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