ハンナの母は地元平塚の海へ向かった。車の運転ができないので、電車を使って最寄り駅から海まであるいた。晴れていたのできもちがよかった。雨が降らなくてよかったわ、なんておもった。こんなにながくあるいたのは、昔ハンナを連れて蒔岡へ向かった時以来であった。娘が捕まった今、なぜか一人で行動して行くことができた。また端末などをなくすとアレなので、なつかしい水色のウエストポーチを探し出してつけた。行きかう人は、艶やかな紬姿にちぐはぐなウエストポーチをつけて、とろとろと歩く美人に訝しい目を向けた。大きな道路を渡ると二十メートルくらい防砂林があり、そこを抜ければ砂浜である。サーファーも誰も居なかった。落ちている流木とゴミに気を付けながら、波打ち際まで歩いていった。彼女の人生は、処理できない事ばかりが続いていた。なにか間違ってしまったのだろうか、と考えた。だが所詮は自分の埒外の事であり、選択が及ぶ範囲などは狭いもので、世界は理解不能、ということが身に沁みてわかっていた。ただ、かつて自分の一部だと思っていた娘も、義理の父親を殺し、飛行機に乗ってデモに突っ込むという、彼女の想像の遥か外へと行ってしまった。娘を理解している、ということさえ傲慢な思い込みだったのだ。
目の前の海は一定のリズムで寄せたり引いたりしていた。うねるようなそれが彼女にはとても懐かしく、落ち着くリズムだった。西に日が落ちようとしていた。それはもうすぐ空の眼が支配する夜の始まりを意味していた。なぜ夕方になると太陽の赤が増すのだろう、と考えた、がすぐにわすれた。自分のわからないことは、だれかが教えてくれない限りそのままだった。彼女の脳はここ数日の恐怖と混乱で摩耗しきっていて、既にネットの検索エンジンをつかって「夕陽 なぜ赤い」なんて調べることさえもうできなかった。ただ、ふたりの夫と娘を、不器用ながら真剣に精いっぱい愛した達成感だけがあった。皆自分の前からいなくなってしまったが、次は義理の息子であるエリクを愛せばよいのだ、という直観をもっていた。脳が摩耗してそれが不可逆であることを認識した時、何事にも疑問を持たず、考えるという事を放棄した時から、彼女はぼんやりとした幸福に満たされていた。
目の前の風景はうつくしかった。だが彼女は徹底的に無感動だった。夕陽を眺めることなど初めてのような気がしていた。世の中にたくさんあるよくわからないもののひとつとして放置していた。相変わらず彼女は自然に身をまかせていた。その様子はいつだって、情報に浸かり切った現代人からすると、動物的な色気を放っているように錯覚させた。
潮風が彼女の乾いた髪を揺らした。
夕日は惜しむように最後の赤を海面にながした。それはハンナが想像した、アメリア・エアハートの乗ったロッキード・ベガが海に沈んでいく光景と酷似していた。
そんな色が彼女の摩耗しきった脳を少しだけ活性化させた。それは一瞬だった。
彼女はその瞬くような間、こんな風景の中を、自分が若く美しかった頃にもどって、死んでしまった蒔岡リュウゾウと一緒に歩いてみたかった、とおもった。過ごした日々を鑑みるに、あの男は自分を本当に好いてくれていたのだろうか、とおもった。結局蒔岡リュウゾウがどんな人間だったかわからなかったな、とおもった。だがそんなことを考えても仕方がない。わからないものはわからないのだ。だけど彼女にとって確実なことがあった。彼女は亡き夫の乏しい表情の変化から、自分にはない零れ落ちてしまいそうなほど豊かな知性の機微を捉えるのがすきだった。彼がものを考えている時に自分が馬鹿な事を言うと、驚いた顔をして、そのあと微笑んでくれるのがすきだった。形而上の思索に集中し意識が宇宙や量子の世界に飛んでいても、声をかければいつも自分のために戻ってきてくれるのが幸せだった。もし自分が、こんな夕陽に照らされる砂浜で、くるくる回ったり転んだりしておどけて、それがとっても愛らしかったとしたら、彼はわたしを抱きしめてくれただろうか、とおもった。(了)
"ハンナは空の目の下 (二十三)"へのコメント 0件