俺はタクシーから降りると、突き刺さるような日差しから逃げるように、急いで駅舎の中に入った。外の気温は四十度を超えている。駅舎の中は幾分涼しいが、それでも三十度は超えているだろう。切符を買う長い列の後ろに並びながら、額からにじみ出る汗を拭う。この地域が熱帯性気候だとは知っていたが、これほどまでに湿度が高く、体に纏わりつく不快な暑さだとは思っていなかった。
俺はチケットオフィスの不愛想な女から切符を買うと、すぐに自動販売機に向かいコーラを買った。ペットボトル入りのコーラを一口で半分ほど飲むと幾分暑さが和らいだ。一息ついて腕時計に目を向ける。発車まで後一〇分。俺はペットボトルを手すりに置いて辺りを眺めた。
身なりの悪い大勢の人々が壁にもたれるように座っている。旅行者ではない。駅舎の内側を黒く縁取りするかのように、目的を持たない人間たちが座っている。難民なのだろう。この国は難民を受け入れることに積極的だと聞いていたが、まっとうな教育を受けていない難民に出来る仕事は限られる。駅舎は仕事にあぶれた難民たちの住処になっているようだ。
ぼんやりとその集団を眺めていると、五歳くらいの女の子と目が合った。私と目が合ったことを見て母親らしき女が少女の背中を押す。すると少女はじっと俺の目を見つめながら集団から抜け出し俺に近づいてきた。
「あのね、お兄ちゃん、」
「うん? なにかな?」
「えっとねえ……」
そう言うと少女は俺の腰に抱き着いてきた。
「ん、どうしたの?」
少女は俺の腹に顔をうずめたあと、俺を見上げニッコリと微笑んだ。その笑顔がかわいらしく、俺はバサバサに傷んだ少女の栗色の髪の毛をなでる。すると少女の手が俺のズボンのポケットに入ってきた。ああ、例のアレか。政府が勧告している渡航先注意情報に載っていた子供を使ったスリの手口だ。
俺はポケットの中で少女の手を取り外に引き出した。そして人差し指を少女の顔の前で左右に振り、いけないことだと諭した。少女は俺の目をじっと見た後、振り返り立ち去ろうとしたが、俺は少女の手を離さなかった。
「ちょっとまって、これはかわいい笑顔を見せてくれたお礼だよ」
俺は財布から小銭を取り出して少女に手渡した。少女は驚いた顔を見せた後、わずかに口角を上げる。そして何も言わず集団の元へと帰って行った。
俺は平常心を取り戻すため先ほど買ったコーラに手を伸ばす。伸ばすが、コーラを置いたはずの手すりには何も置かれていない。誰かが盗んでいったようだ。大きなため息をついたあと考える。外野に言われるがまま、無尽蔵に難民を受け入れた結果、こういった歪みが生まれた。難民とそうでない人の格差はいつまでたっても埋まらないし、この国は彼らを「難しい民」と呼んでいる。
腕時計に目を向ける。後五分で列車が到着する。俺は稚内発ユジノサハリンスク行の切符を握りしめ、ホームへと向かった。
(了)
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