蒔岡に爆弾が落ちるようになってから、エリクはすっかり人間が変わってしまった。混乱から解き放たれたようにシンプルかつまっすぐな人間になった。あれだけ気性が激しかったのに、そういうのからは卒業しました、と言わんばかりの落ち着き方であった。
母もハンナも、エリクの知性がステージの違う領域に一足飛びで進んでいくのを感じていた。彼の父が棲んでいる同じ深い穴の中へもぐって姿が見えなくなってしまったようだった。かろうじて通信は出来るけれど、価値観と情報量が決定的に違っていて、同じ人間ではなくなったような気がしていた。最も変化したのは表情であった。ハンナと喧嘩していた頃は、なんというか他人全般に対して反抗的でパンクな表情をしていたのが、今は迷いの一切無い、まだ見ぬ真理に対する憧れで常にうるうるしているみたいな神秘的な眼になった。じっとものを考えている時間が増え、バカにしていた下男たちもエリクの知性からくるカリスマと、時々出るちょっとしたユーモアとのギャップにあてられて崇拝する者も出始めた。ユーモアと言えどすべては彼の計算の内から生じたものであり、彼は人間から離れていっているというより機械に近づきつつあった。先般のハンナや下人に対する感情的な態度は、エリクの人間性の最後の灯だったといえる。彼はとっくに常人の理解を超えてしまった現代のテクノロジーを最適化して自らの知性に組み込んでいるようであった。民主主義者が落とした爆弾は、エリクを青年から大人以上のなにかに変えた。
エリクとハンナとの付き合いも以前より友好的になった。だが心理的な距離は拡がったといっていい。もはやエリクにとってハンナは動物やなにかと変わらなかった。対等ではなくなったのである。動物と喧嘩する人間はいない。そんな認識に変わっていったのだ。いくら友好的になったとはいえ、ハンナは義兄と目が合う機会が減った、と感じていた。エリクが他のものをものを考えている横顔をハンナがチラチラ見ているという構図が増えた。
それに対してエリクと母はさらに距離感が縮まった。食事のときなど、本当の親子以上にべたべたした雰囲気になり、エリクは母に対して冗談っぽくからかったりして、母の方も、もーう、やだもー、なによーう、みたいな感じで対応、普段元気ないのにこの時ばかりは上げ上げで仲良くしているのでなぜかハンナは腹立たしい。母とエリクが食後一緒にお茶してるだけで嫉妬やら嫌悪感やらでめちゃくちゃな気持ちになった。ふたりともお茶ならあたしとすればいいじゃんか。どっちに嫉妬しているのかも、どっちにむかついているかも日によってまちまちであった。
急激にエリクの態度が大人びたためか、母が若く見えるうえに言動が幼いためか、どっちかというと母の方がエリクより年下の娘のように見えることがままあった。義理の母子って感じにはとても見えぬ。ふたり仲良くしていると、あんたらつきあってんの? とか訊きたくなるほどの無邪気さで、ハンナとしても寂しいやらキモいやら名付けようもない焦燥感を下腹のあたりに感じていた。あたしもエリクとあんな感じで冗談とか交わす関係でありたいよ。なんだ? 話が違うじゃないか。お母さんの方が美人だからか? あたしの方が若いんですけど。そこ評価してほしいわ。
どこか蒔岡の中心から外れてしまっているような気分がハンナを支配していた。母娘の外見の優劣というのは、十三歳の時点で逆転しているはずである。どうしたって母親は老いていくし、娘は成長するからだ。だがこの母娘の場合いつまでたっても母が美しいままであった。それが腹立つ。はよ老いろ。
そこでハンナは、あたしは義父と仲良くなってやろう、と考えた。母がエリクとべたべたするのであれば、あたしはお義父さんとべたべたする。そんなあてつけがましい卑屈な考えに至った。我がキュートさをもってすればあの程度の老人を篭絡することなど楽勝楽勝、あたりきしゃりきこんこんちきよ、とおもっていた。陰湿かつ子供じみた発想である。
そうと決まれば善は急げで、夕飯後のすこしリラックスしたタイミングを狙って、
「おとうさぁん、ちょっと応接間でしゃべろうよー」と日常系アニメ声優を若干意識した甘々の声ではなしかけた。あたしもエリクと母のように、義父と無邪気にトークしてやろ。アホ母よ思い知れ。嫉妬するがよろし。
義父は作務衣、ハンナは紺の紬を着ていた。ふたりともゆったりとした服である。そとでは大量の鈴虫がコンスタントにりんりんないている。のんびりした夜である。
「なんですか」と義父はすごいふつうな感じで答えた。
なんですか、と問われてもハンナには特に何もない。
母への当てつけのために仲良くしたいといえるわけもない。ほんとうに何もないのでハンナはとりあえず可愛らしく装ってしなをつくり、もじもじしながらニコニコした。無意味とはいえ女の子に微笑みかけられてうれしくならない男はいない。かえって用事や意図が不明なコミニュケーションの方が、自分を無条件で好いている気がしてなお良かった。例外無く男性全般の歓心を買うのに有効な手段である。
「どうしたの?」と義父は無意味にはにかんでいるハンナにつられて笑った。ハンナは義父の緊張がすこし解けた気がして、よし、とおもった。あとはアドリブで適当に最近見たネット動画や学友で変わった娘がいるなどのことを喋った。テーマの無い世間話を義父は最も嫌ったが、この時ばかりは話がそれなりにもりあがった。
話が始まって二十分後のこと。
ハンナと義父が座る応接間のソファ。近くでジョルジが控えている。奥の部屋ではエリクと母が話していてる。
ハンナは蚊の鳴くような声で「へぇー」「そうなんだ」と相槌を打ち続けた。「へぇー」「そうなんだ」「ふんふん」「なるへそ」。
ハンナはおもった。ぜんぜん会話楽しくない。
なぜ楽しくないのか。それは義父の話していることが理解できないからである。
義父はブッダかキリストかみたいな口調になりつつあった。
「民主主義の必要条件はたくさんありますが、最も重要なのは知性と豊かな人間関係を持った人口過半数の中産階級です。経済と知性の格差が拡がりきった現在の日本にはほとんど存在しません。普通選挙がこれでは成り立たない。必要条件がないものを採用してもしょうがないでしょう。民主主義は今の日本と日本人にはぜいたく品なのです。無いものねだりはだめというわけでなんですよね」
義父はずっとこの調子である。ハンナは夢であってほしいと願った。当初話題は近所のうまいパン屋についてとか、ネット有名人についてなどのハンナの日常に関わることのよしなしで愉快なものだった。しかし、なぜかテーマはどんどん社会、経済などの硬いものに変わっていき、最終的には政治、主に民主主義の弊害についての話題へ移行した。まじでなんでやねん。ハンナは仲良くなるのが目的だったので、毒にも薬にもならぬたわいもない会話がしたかったのである。ただこうなってしまってはしょうがない。
奥の部屋で母はエリクとまた今にも手とか繋ぎそうな感じでいちゃいちゃしている。こっちだって負けない。
「ねぇお義父さん。あたしもいつか公務員になって投票できるかなぁ」
ハンナは意図的に幼稚な感じを出していった。かわいくていとしい義理の娘。我ながらいい感じである。すると義父の顔が鬼面がごとく険しくなった。
「頭がよくないとダメだ」
義父はハンナの希望をぶった切るように言った。
「でも、あたしこの前の全国模試は結構よかったよ。偏差値六十はじめていったの。国語だけだけど」
「あの学校程度で結構よかったってレベルじゃあ無理だ。それに昔と比べて日本人は全体的にバカになりつつあるからね。まずもって全国偏差値七十以上は無いと」
「七十かー。もうちょい頑張ればいけるかなぁ」
えへへ、とハンナはかわいい感じにはにかんだ。やはりアニメの影響が垣間見える。
義父は言った。
「ハンナさん、偏差値の意味わかってる?」
「あんまわかってないです」
「でしょうね。いいかい、全人口のIQでも任意の学力テストの偏差値でもなんでもいいが、知性の分布は、正規分布、つまりガウス曲線を描く。ハンナちゃんガウス曲線って知ってる? しらない。だろうね。じゃあお寺にある鐘。ゴーンって坊主が木の棒で時々シバくやつだよ。その鐘の断面図を想像してほしいのよ。中心が盛り上がった線対称の山のようなグラフだ。それをガウス曲線と言いう。あるいは見た目そのまんまでベルカーブともいう。あるいはお椀の断面図をひっくり返した感じ。わかった? そのグラフにおいて左端がバカで右端が賢い。頭いい人とバカの人の間、ちょうど真ん中が一番多い。真ん中の平均値が偏差値五〇だ。つまり上位五十パーセントラインだよ」
まぁたはじまったよ。楽しいはずの会話が統計学の授業になってしまった。ハンナはかなしかった。この男と仲良くなるのは不可能だ、と悟った。日常会話が最終的に政治や統計の話になる男はどんなにイケメンだろうとキショい。なぜ賢いのにそれがわからんのか。
「鐘の中央からちょっと右にスライドして、偏差値六十になると全人口の上位十五パーセント。ハンナちゃんの今回の国語はそこだよね」
既に義父はホワイトボードにベルカーブを描いて授業のような様相。
「結構上位じゃん。だめぇ?」とハンナはしなをつくりまたかわいい感を出した。まだ楽しい会話をするのをあきらめていなかった。
「ぜんぜんダメ。公務員になるには論外」
「だめかぁ」
「偏差値七十以上で便宜的にエリートの仲間入り。ベルカーブの端っこ、標準偏差+2の外側、二・二八パーセントの優秀な人間だけ。わかりやすくいうと百人中三位以内ってこと。公務員を目指すならせめてこれくらいの知性がまず前提として無いとだめ」
それを聴いてハンナは、公務員は一生無理だな、とおもった。
子供の数が少なくなったとはいえ、上位五パーは無理。自分の頭は、がんばって中の上が関の山である、という確信があった。
「偏差値七〇以上っていうのは投票権を得るための最低条件、つまりものをまともに考えられる人間の最低条件であって、その程度テストでとれなきゃあ人間として論外なんだよね。論外っていうのはそこからが、試験対象者ってこと。それに加えて、政治システムを構築する人間というのはさらにプラスして抽象的な思考ができないと無理であって、その素養があるかどうか問われる。答えが決まっているテストはパターンをつかめば馬鹿でもテクニックだけでイケるけど、真のエリートは考える力が必要なんだよ。「熟慮」と「討議」が出来る人間のみが参政権を持つべきであって、守銭奴だったり、快楽主義的な俗物愚民共では、この規模の国民国家の……」
あああああ鬼めんどくせえええこいつ。あたしはネット掲示板みたいな不毛な会話がしたかっただけなのに。なんで岩波新書みたいなことになるのか。知ったことか。
そんなハンナの想いを知ってか知らずか、義父の演説は止まらなかった。内容は優性論、エリート主義に限りなく近かった。要約すれば、バカは黙ってろ、に尽きる。優性論はいけないんだぜ、ということぐらい愚女であるハンナにだってわかる。上から目線はどうあれ良くない。なぜなら下のものがむかつくからである。むかつくと談判破裂して暴力しかなくなるじゃないか。
ハンナは腹が立ったが、態度に出ぬよう気を付けた。この男は日本社会のトップである。媚びれば媚びるほど得をするはず、とハンナは考えた。だがそれは所詮ガキの浅知恵であり、そう考える人間は義父の周りにたくさんいた。義父はそのような人間に何人も会っていてうんざりしていたし、そんな人間が放つ匂いを敏感にかぎ分けることができた。義父はハンナにもそんな匂いを感じ、わざと意地悪をしてからかっているのであった。
「僕が作った行政AIでは、参政権は知能の上位三%の人間に与えられるのが最も効率的で望ましいと出た。僕も同意見だ。バッファをとって二%増やしている。行政システムのメインプログラマーになるというのは、国民国家の運営において最も合理的な判断をシステムに実装させるということだ。各ステータスの値は他の公務員との熟慮と討議で……」
「ちょっとあたしにはむずかしいなぁ」
そう言ってハンナはもろ手を挙げ降参した後にへらへらわらった。何とか話題をパン屋の話に戻したい。
その態度を見た義父は感情の読めぬ無表情に変わった。それは、彼がマスコミのインタビューを受けている時と同じ見慣れた表情であった。もうこいつらはバカだからほっとこう、という諦観の念。
「ハンナ。君はまだ若い。いまはわからなくていいから理解することをあきらめないでくれないか。知性の七十パーセントは遺伝で決まるというんだ。いいかい。言っちゃ悪いが君のおかあさんはそんな頭がよくない」
「うん。よくないね」あんたの嫁でもあるだろ、とハンナは言いたかったがこらえた。
「同世代全員対象に学力テストを受けさせたら、おかあさんは間違いなく偏差値三〇以下だ。ベルカーブ曲線の左端なわけ。下位三パーセントの知能しかないだろう」
「……」
「でもとても顔面がキレイだ。美貌で差別して文句を言う人はあまりいないよね。美人女優がクソみたいな演技しても文句言う人は少ないが、ブスがしてしまうと非常にまずいことになる。オリンピックだって、運動神経が悪い人は初めから排除されているだろ? 容姿や運動能力の差別は容認されているんだ。でも知能で差別すると文句が出るんだ。なぜだろうね。頭の悪い人から参政権を奪ったら、ものすごい反発が起きた。人間は知能に関して貶められると激しく怒る。なぜか。『おまえアホやなー!』とバラエティ番組的なノリで言ってもキレられないだろうが、『貴方は読解力と情報処理能力が平均より下やなー!』と言われるとめちゃキレるだろう。知的能力は人間の能力の根幹だからだよ。最も大事な能力なんだよ。一番だめなのは自分が世の中を理解するのを諦めて、やけくそになってしまうことだ。そうなってしまったら、人間はそこで終わりなんだ。つまり人間かわいいだけじゃダメなんだよ、ハンナ」
「……」
「だから、いくらハンナの両親が頭が悪かったとしても理解しようとすることをやめないでほしいんだ。知能は遺伝が八〇パーセントくらいらしいが、残り二〇を諦めないでほしい。コミュニケーションは楽しいけどそればっかりじゃいけないよ。だから、毎日絶対に勉強しなさい。勉強をし続けなさい」
ハンナはこれが言いたかったんか、とおもった。
勉強しなさいだってさ。月並みだよね。
「……」
「エリクだってあらゆる種類の知性を獲得しようとしているんだ。それにより彼の参政権の重要性が増す。あいつは私よりバカで無能だが、必死で頑張っているよ」
「……」
「差別のない平等な社会は今のテクノロジーの段階では作れない。すべては知能の問題なんだ。差別主義者のレッテルを張られるために議論することをタブーとされてきた人たち、精神障害、発達障害、知的障害、そして情報オーバーロードを起こした者。峻険な学習曲線の道のりから脱落していく者達。知識社会から没落し、嫉妬にまみれた一般人。そう、民主主義者たちだ。絶対にその人たちと一緒になってはいけないよ。彼らは民主主義の何たるかを考えず、一冊の専門書も読まずに支持するんだ。民主主義なんてもともとフランスのならずものが考えたことなんだから。大衆の幻想なんだよ」
「……あの、近所のパン屋」
「いいかい、エリクはね、一般の学生が一年かけて学ぶことを一週間でやっているんだ。日曜日だけ休ませているから、実質六日だよ。それくらい日常が勉強漬けなんだ。知能において日本人の一割の中の一割の中の一割の中の一割を目指してる。常人ならすぐに情報オーバーロードを起こして白痴になるけど情報靭性を鍛えて何とか耐えている。情報が肥大したこの世界では、知識の偏った専門家ではなく、総合的に情報を吟味する知能を持った人間を恣意的に作ること、すなわちエリーティズムがなにより必要な事なんだよ。国が機能するというレベルで考えれば、トップ五%の人間が機能すれば十分。あとの九五%はぶら下がってるだけなわけ。そのラインがわかりやすく言うと、ベルカーブ上の偏差値七〇、標準偏差2のラインなわけ。その向こう側にいるのが最低条件なんです。はっきりいいまして、この世の九割五分の人間はものを考えることができないのです。だからハンナちゃんが参政権を獲得するのは今の状態じゃ無理。はやくそっちがわにいけるようにしなさい。以上」
ハンナはいろいろとひどいよ、とおもった。なんでそんなんいわれんとあかんの。無理なのになんで頑張んなきゃいかんの。ダラダラしたいのに。散々バカにしたあとに、でも頑張れなんてめちゃくちゃやわ。
ハンナは義父をにらみつけた。
義父は言った。
「いやなら他のことをやればいいんだよ。政治に関しては諦めなさい。知性を放棄した大衆が投票権を求めるなんておこがましい。エリクは事実、毎日地獄のような努力を自分に課している。以前は僕がやらせていたけど、自分で考えてやるようになった。よかった」
そんなことにハンナは当然、モチベーション湧かない。手の届く範囲は自分と母ぐらいである。狭い世界を維持するだけで精いっぱい。常人のふりをして生きていくだけの戦いだけですでに限界を迎えている。自分がやろうとしている事だってめんどくさがりの自分や持病の「あれ」が妨害してくるのだ。
「あのう、もし、なぁんにも頑張れない人がいた場合どうすればいいんでしょうか……」
ハンナは勇気を出して訊いてみた。スポーツの才能も無い、知能も低い、芸術的な感性も無い、根性もモチベーションも無い、ないない尽くし、ない尽くし~のハンナがこの先どのようにいきていけばいいのか。
「そういう人は必ず居る。……なぁんにもできないなら、なぁんにもしなければいいんだ」と義父は答えた。
蓋し正論である。
ハンナはなにも言えなかった。言外に、おまえは顔面がマシなんだからどっかの適当な男と結婚でもすればいんじゃね? みたいな感じを受けた。でもそういうことではないのだ。ハンナにもう少し語彙があれば、それはエリートの傲慢だ、と活動家の人みたいに弾劾したかもしれない。そうすれば、少しは溜飲が下がって建設的な気持ちになったかもしれない。だがただの十三の娘であるハンナにそんな気の利いたことは言えず、ただただ義父に対するヘイトの気持ちを溜めた。
外で池の鯉が何が楽しいのだろうか、ばっしゃん、と音をたてて跳ねた。
ふたりはガラス越しに鯉に目をやった。
ハンナはちっとも楽しくなかった。
話が途切れ、義父は仕事部屋へともどり、後にジョルジが続いた。
めっちゃ怒られてたね、と母がハンナをからかってきて、めっちゃむかついた。
ハンナが母への陰湿な嫌がらせのために義父を篭絡しようとして大失敗した次の日の夜のこと。
それは世界一変してしまうような出来事で、有史以来前代未聞、地球規模の大事件であった。
世界各地の夜空に突如、「空の眼」が出現したのである。
「空の眼」とは、発見したカナダ人天文学者のジェフリー・メネラウスというおじさんが名付けたもので、地球の周りを公転する、月に次ぐあたらしい衛星のことを称して言う。隕石のように徐々に接近してきた訳では無く、唐突に全世界で観測された。専門の天文学者だけではなく、世界各地で多くの人が肉眼で発見したのである。なにせ見える大きさが月ほどにしおらしくないのである。その新しい衛星は月の四十倍の大きさを誇る。なんの前触れもなく、前から存在していたかの如く、とつぜん空の眼は地平線から夜空に上ってきたのである。それは全人類の日常、いつも慣れ親しんでいた夜空を全く違うものに変えた。巨大な青白い新参の衛星が、夜空の五分の一を占拠したのである。
この衛星が空の眼と呼ばれるのにはわけがあった。月と同じく公転周期と自転周期が一対一である為、常に同じ面を地球に向けている。その面には中央に巨大なクレーターが二重にあった。陰になり周りの青白く発行する部分より暗くなる。そのクレーターと惑星の外周と二重のクレーターが、人間の眼球、虹彩、瞳孔に比率が似ているのである。ましてや月より大きく、天球の五分の一が空の眼で覆われるので、晴れの日は夜空に巨大な目玉が浮遊しているような、不気味な夜空になってしまった。地平から現れて中天に昇ってくる様子は、こちらに向かってくるようでかなり怖い。
天文学者も物理学者も、空の眼にはお手上げだった。現段階では理解不能である、という事だけわかった。これほどの質量が近づいてきたら前もって察知できるわけだし、たまたま月と地球の間の軌道に乗り、地球と太陽の重力と釣り合う確率など紙よりも薄い。重力から潮汐からなにからなにまで狂ってしまうはずなのに、なぜかいつも通りの日常が続いている。今までの科学を全否定するほどありえないのだ。だが人類はこのあたらしい天体を受け入れる以外の選択肢はなかった。あるもんはしょうがない。あるんだから。毎晩、晴れていれば理解不能な目玉が夜空を覆う。それは月の満ち欠けと同じように変形し、直径五万キロの天体は、満月の日は立派な目玉となり、圧倒的な存在感で人間を圧迫するのであった。
たったそれだけで、世界は混乱し発狂した。
人間だけではなく、動物も不安定になって凶暴化、人間を襲ったり、大量死したりする例が続出した。各宗教が活発になり、経済は混乱し、各国にきなくさい事件が頻発した。
日本人はというと、他国と比較的に落ち着いて空の眼を受け入れた。毎晩空に昇ってくる不気味な天体を、昇ってくるんだからしょうがないじゃん、と諦めに似た境地で受け入れた。各国、各宗教団体、各個人が様々なメディアで科学的見解を諦めて徐々に文学的見解に移る中、ひっそりと決断をする人間たちがいた。公務員の資格を取得し、参政権を持っている日本人達である。彼らが、次々に自殺し始めたのである。
空の眼を恐ろしく感じるか否かは、知性と相関関係がある、とある統計学者が発表した。事実空の眼は知性の高い人間の精神を蝕んだようだった。理論物理学をかじったり、今までの常識に縛られていればいるほど、突飛な理解不能なものを認められないのだ。意識で認めようとしても、無意識には抗えない。こんな巨大質量が月と地球の間にあるのはあり得ない、と考え続けた。だがわからない。でもじっさいあるんだから信じなければならない。それは目の前の事態を認めないことで、知性やデータを信望する者としてはこの上ない挫折であった。持ち合わせの教養、天体に関する既成の知識から大きくはずれた空の眼は、毎日知識人たちの頭上に現れて圧迫した。もういやだ、死ぬしかない、と考える人たちはそれぞれのタイミングとやり方で自殺したり失踪したりしていった。
ハンナや母の様な人類の大部分であるアホ寄りの人たちにとっては、空の眼なんて割とどうでもいいというか、ハンナに至っては夜空を見上げるとかセンチメンタリィな事はめったにしないし、不気味なのは不気味だが、そんな騒ぐことではない、と高をくくって騒ぐ人たちを愚かだとおもっていた。こんなもン慣れればよいのだ。空の眼が何か自分たちにしてくることは無いらしいし。宇宙線?とかの影響もないみたいだし、夜空に気持ちの悪い目の玉に居座られたのは癪だが、実生活に支障はないのだ。母なども普段通りで、空の眼を見ても、わーすごいねー、なんて言っていた。
問題があったのは義父とエリクである。
ふたりは空の眼に囚われてしまったようであった。なにせ天体が地球の周りに現れて公転しはじめるなど、前代未聞である。わけがわからないことを放置する癖のないふたりは、この理不尽な現象に関して考えずには居られないのであった。衛星の成分はなにか。質量は。宇宙線は。特に義父に関しては、日本のトップ公務員として行政システムを書いている身として見解を尋ねられることがおおい。彼は、「空の眼についてはなにもわからない。信じられないほど確率の低い事象が起きたということは、信じられないほど情報エントロピーが増加したということだ。重力や放射線以外のなにか未知の力の影響が考えられる。とにかく人類史上最大に途方もない事が何の前触れも無くおきた」と言って、氷柱を抱きしめたような苦しい顔をしていた。
その後も良く晴れた日の夜には、月と一緒に空の眼が昇ってきた。ハンナは母と一緒に眺めることが時々あったが、義父は空の眼を恐れ、見たくない、と言って決して庭に出てこなかった。エリクはハンナがむりやり空の眼を見せると、おそろしい、こんなものを認めたくない、と言って泣き出しそうになった。そんなにこわいかな、とおもいハンナは空を見上げた。
夜空にでっかい目が浮かんでいる。
青白く光っている。
確かになんか宇宙的なスケールのものがこんなに間近に感じるのは正直迫力がある。しかし自分はもう、もっと怖いものになれてしまっているのでへいちゃらだった。「あれ」の方がもっとひどい。あたしにとって、この世界には理解できるもののほうがすくなないのだ。現実から逃げることに関しては義父やエリクより優れていた。
空の眼を初めて目の当たりにしたその夜、ハンナは初潮を迎えた。十四歳であった。
空の眼に人々が慣れ始め、繊細な知識人たちの自殺も一段落したころ、ハンナは蒔岡でさらにへらへらした人生を送り始めた。髪は金パで、徹底的に怠惰で、勉強なぞ一切せず、菓子を貪り、隠れて酒を飲み、悪い友人と無為に日を消した。ハンナにとって渋谷の円山町周辺に一日中居ること自体が蒔岡への批判であった。ただ、根が真面目にできており、ドラッグや売春などの近づくことは可能だったのだが、どうしても母の顔がちらついて一歩踏み込めないでいる、というのが現状であった。
"ハンナは空の目の下 (九)"へのコメント 0件