溺れる人魚

大木芙沙子

小説

2,622文字

秋七月に、摂津国に漁夫有りて、罟を堀江に沈けり。物有りて罟に入る。其の形、児の如し。魚にも非ず、人にも非ず、名けむ所を知らず。(『日本書紀』より)

「眠るまえに目をとじると、瞼のうらに海が見える。おかから見た海ではなくて、海の中から見た海が。波が太陽に照らされて、大小いくつもの光のうねをつくりだすのを見たことがある? それを下から見たことは? 私は毎晩、夢のはざまでそれを見る。今まで一度だってそんな光景を、実際に見たことなんてありはしないのに。

海のそばの村で生まれ育ったのに、私は子どもの時分から、泳ぐことができなかった。海はこわいものだった。引きずりこまれたら最後、もがいてもがいて、肺が水で満たされて、くるしみながら死んでいく。海に入ったこともなければ溺れたこともないくせに、そういう心象だけが、幼いころからずっと憑いてはなれなかった。

大人たちの多くは海で働き、子どもらは皆、あたりまえに浜で遊んだ。砂上を駆け、足を濡らし、みじかい夏には沖まで泳いだ。そんなとき、泳げぬ私は浜に棒きれで絵を描きながら待っていた。砂に描いた絵は陸側なら風に、海側なら波に消されていった。消えるそばから私はまた同じ絵を砂に描く。波や風がまたその絵をさらい消していく。それを繰りかえして遊んでいた。何度でも、何度でも。

十六のとき、同じ村の若者と夫婦になった。夫となった人は私のことを、とても大切にしてくれた。けれど翌年、私は病魔に侵される。夫の献身もむなしく、私の身体は日毎弱っていった。熱に浮かされながら、おなじ夢を度々見た。夢の中で、私はかならず海で溺れて、呼吸ができなくなって死ぬ。けれどもそれは悪夢ではなかった。息が止まればこれでもう、くるしまなくてすむのだとほっとした。私は肺を病んでいた。

隣村の寺にえらい尼さんがきている、と教えてくれたのは夫だった。そのひとは、人魚の肉を食べたのだ。人魚の肉には不老不死の力がある。それを食べた彼女には、人魚の法力が宿っている。だからどんな病も、彼女に手をかざして祈ってもらえば平癒する。噂がまわり、いまでは近隣の病人や年寄りが寺に列をなしているそうだ。おまえの病も彼女に祈ってもらえばきっと良くなるはずだ。夫は嬉々としてしゃべり、私は黙ってうなずいた。人魚の肉に不老不死の力があるという話は、私も聞いたことがあった。しかしそんなもの、ただのお伽話にすぎなかった。人魚などいるわけがない。だからその尼の法力も、信じることはできなかった。それでも夫の気が済むならと、私は尼のもとへ行くのを了承した。

私は夫に背負われて、山を越え、半日かけてその尼に会いに行った。尼の滞在する寺に行列はなかった。寺の中で邂逅した尼は、私とそう歳が変わらないように見えた。夫が事情を話すと、尼は申し訳なさそうに小さく首を振った。「私が人魚の肉を食べたのは本当です。しかし私には、病を治したりすることはできません」

尼のもとから戻って三日後、夫が仕事にでかけたまま、夜になっても帰らなかった。夜更けにようやく帰ってきた夫からは、鉄錆のようなにおいがした。どこへ行っていたんだろうか。私は布団のなか、熱でぼうとする頭で思ったが、すぐまた眠りに落ちてしまった。朝になり、台所からの物音で目が覚めた。隣の布団に夫の姿はなく、台所からは何かを切ったり煮たりする音が聞こえてきた。しばらくすると夫が「薬だ」と言い、土鍋に入れた何かの汁を運んできた。さあ、と夫に促されるまま、私は重い体を起こしその汁を飲んだ。汁の中には、とろりとした脂をふくんだ肉のようなものが入っていた。私はそれも食べた。うまかった。うまい、うまいと夫に言うと、夫はそうかそうか、とほほ笑んだ。あまりにも美味だったので、私は夫にも汁を勧めた。夫も汁をすすり、肉のようなものをんだ。たしかにうまい、これはうまいな。私たちはもう無我夢中でそれを食らった。

土鍋が空っぽになると、私は体中に活力が漲ってくるのを感じた。今すぐ好きなだけ、思いのまま、駆けたり飛んだりできそうな気分だった。自分の身体が、初めて自分のものになったような感覚だった。いや違う、まるで全然ちがう身体を新たに得たような感覚だった。自らが包まれている不思議な高揚感を伝えたくて、私は夫の方を見た。

夫はうつむいてぶるぶると震えていた。どうしたの、と私が訊くよりはやく、夫がこちらに顔を向けた。私は思わず叫んでその場から飛びのいた。夫の顔は土色で、左右の目玉が別々の方を向いていた。顎が上下に激しく動き、口からは涎と歯の鳴る音が漏れていた。両腕は自らを抱きしめるように交差され、腕の皮膚は粟立っていた。腕だけではない。よく見れば、夫の首や胸元の皮膚には、鱗のようなものが浮きでていた。夫は涎を垂らしながら、声も出さずに震え続けた。息がうまくできていないようだった。私はただ目のまえで起きていることの恐ろしさに、為す術もなく泣きながら夫の名前を呼んだ。しばらくすると夫の震えはぴたりと止まり、ごとり、と床に倒れた。黒ずんだ顔は苦悶に歪んだまま沈黙し、それきり二度と動かなかった。

あの日、私たちが食べたのは尼の肉だったのだ。人魚の肉を食べた尼の肉には、人魚の肉と同じ作用があると夫は考えたのだろう。尼が本当に人魚の肉を食べていたのか、今ではもうわからない。夫が死に、私が今も生きている理由もわからない。わからないけれど、夫の死にざまは人魚のそれであったように思う。夫は人魚になって、陸で呼吸ができなくなって死んだのだ。私は海を知らないから、人魚になることができなかったのかもしれない。

あれからもう何年経ったのかわからない。何十年なのか、何百年なのかもわからない。もう私は色々なことを忘れてしまった。あんなに愛した夫の名前も顔も忘れてしまった。そのことだけがとてもかなしい。だからときどきこうやって、不老不死になれるとかたり、私の指や、耳や、腿の肉を、削いで煮こんで若い男に食べさせる。男たちは不気味がりながら、それでも欲望に抗えず肉に食らいつく。私は男たちが人魚になっていく様を見て、夫のことを思いだす。何度でも、何度でも。忘却のさざなみに何度砂が洗われようと、何度でも。忘れてしまわないように。こうやって」

尼が話し終わるより前に、俺は持っていた箸と茶碗を床に落とす。茶碗が高い音をたてて割れる。でももう遅い。全身に悪寒が走り、両手を見ると皮膚に鱗のようなものが浮かびあがっている。息を吸うことができず、視界が歪む刹那、光に揺れる水面みなもが見える。水面の向こうでは、尼が嬉しそうにわらっている。

2021年1月19日公開

© 2021 大木芙沙子

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