わたしは今品川のギガストラクチャー入口に来ている。新品川空港に向かうため、のんびり歩く。この巨大な壁を眺めるのは、これで最後かもしれない。一年前、イスラエルから帰国後、ここで、もう和泉の傍にいることはできないとおもった。この決断は、自分でも驚いてしまう程に思い切ることができた。なぜだろう、もうすべてが過去となってしまった気がする。このまま新品川空港を経て、中国大陸に向かう。といっても行先は何も決めてないのだけれど。太陽が真上にある。帽子をもってこなかったのは失敗だった。まあいいや、向こうで買おうかな。
今年の残暑は厳しい、十月だというのに暑くて、ぼんやりとした午後、限りなくテンポが遅くなっていくようなゆったりとした時間がながれている。まだ飛行機まで時間があるのでなにをするでもなく品川の商業ビルを冷やかすことにした。SUAがなくなって、各店舗のレジはコードキーのリーダーから現金か金融機関のカード用の端末に変更されている。日本人は変わらず、くだらない買い物とくだらないコミュニケーションに時間を費やしている。わたしたちがやったことは彼らにとってなにをもたらしたのだろうか。彼らは結局お金と膨大な情報にからめとられたままだ。すくなくとも外国の製品は手に入りにくくなった。きっと外資企業が日本市場から撤退を始めているんだ。あれだけ居たアジア難民もどこに行ったのか、見なくなった。和泉とニシキはきっと、あの壁の一部となって、確実にこの国を甘美な崩壊へと導くだろう。そんな予感があった。
和泉の声が聞きたい。ニシキの顔が見たい。でももう不可能なことだ。彼らはわたしを自由にしてくれた。守ってくれた。わたしがすべてを拒否して甘えたときに叱ってくれた。それ以上を彼らに求めるのは傲慢が過ぎるというものだ。わたしも、和泉やニシキ同様、弱くとも個別の人間なのだから。自分ひとりで考えて、行動する力があるのだから。
日本人の若い露天商の男が、暇そうにしていたわたしに声をかけてきた。適当に相手をして、時間を潰そうとおもった。
「これから旅行なんですか、あぁ中国ですか、観光で、いいですね、向こうも場所によっちゃまだ暑いですよ、これ、日焼けクリーム、日本製です、安くしとくのでどうですか、 向こうの日差しもきついとおもいますよ」
安くしとくだって。SUAがあったときにはあり得なかったやりとりですこしまごつく。
「いえ、結構よ」
わたしはそう言ってその場をはなれた。
不愛想だったかな。ただもう守ってくれる人はいないのだ。外国ではこのくらいでないと。
和泉やニシキを想うと力が沸いてくる。いつか夢に見た草原は大陸のどこかにあるのかな。見つけたら、わたしは泣いてしまうのかしら。
夢の草原を見つけたら、わたしは現地の美しい男とこどもを作ろう。
できれば男の子二人がいい。三人で、彼らに守られながらわたしは生きるのだ。(了)
"東京ギガストラクチャー (三十四)"へのコメント 0件