東京ギガストラクチャー (三十一)

東京ギガストラクチャー(第32話)

尾見怜

小説

9,929文字

寒暖差が激しいのは苦手です。もうすぐ終わります。

アオイがテルを殺した。なぜ、彼女がテルのことを知っているのかもわからないし、なぜ殺したかもわからない。ニシキが死んで彼女が不安定になっていたのはわかるが、理解しがたかった。
俺が軽井沢の施設に着くと、アオイは宝生とテルが居る病院に向かったと聞かされた。俺はなんだか嫌な予感がして、急いで病院に向かった。テルの病室に入ると、顔を真っ青になったテルの絞殺死体があった。アオイは既にそこに居なかった。
俺はアオイを探し回ったが見つからなかった。俺はアオイも失ってしまったら、もう立ち直れないかもしれない、と感じていた。茂山に連絡をとり、アオイのDNAパッチを追跡してもらうと、彼女はベオウルフによって穴だらけにされた上野オフィスへ戻っていることがわかった。俺は茂山の制止も聞かずに上野にとんぼ返りすることにした。

ベオウルフが侵入した上野のビルにはアオイ以外の人間は居なかった。ぼろぼろの外壁。受付が粉々に吹っ飛んだエントランス。チェーンガンの弾痕だらけの廊下。砕けた照明の破片。黒く固まった誰かの血。
アオイは五階にあるニシキの執務室のソファで寝ていた。はじめて人を殺した人間はその夜ねむれないんだ、とニシキが言っていたのをおもいだす。きっと俺とアオイは例外だ。情報と感情を整理するため眠り続ける。
目が覚めてもアオイはそれからずっとソファから起きようとしなかった。アオイは俺が食べ物を渡しても、うつろな目をして口の端からだらだらこぼしたり、首を奇妙な角度にして振ったり、反応がまるで知的障害者の様なふるまいをした。自然な反応だとはとてもおもえなかった。
わざとだ。アオイは心が壊れたふりをしている。かつて彼女が居た施設で、アオイは知的障碍者と一緒に暮らしていたと聞いたことがある。恐らく彼らの仕草の真似をしている。なんのために。俺にはわからなかった。
おい、アオイ、もうやめてくれ、やめてくれ、こんなアオイは見ていられない、これ以上はもう無理だ……アオイは時折ぐるりと大きく首を振りながら、俺が買ってきたサラダを手で食べる。そのわざとらしさと演技の稚拙さが、彼女の心を俺にはもうどうしようもできないこと、そして自分の思惑を超える、他人という存在の不気味さを思い知らされた。
理解できない、なにも、彼女がなにを考えているのか。
コーヒーを飲ませても、遠慮がちに口元からダラダラと垂れ流してしまう。視線はあさっての方向で焦点がどこかに合っているとはおもえない。ボロボロと食べたものをこぼす。それを俺はただただやりきれない想いを抱えて、子供の様に無力なままベッドの脇でアオイの愚行を眺めていることしかできなかった。
いい加減にしてくれ、そう言って俺はアオイを平手で殴った後、もういい、と言い残してニシキの執務室を出た。アオイは泣いていた。やっぱりだ、人と関わると、すべてが陳腐になる。人間ドラマは俺の人生に必要ない。くだらない、幼稚で、恥ずかしい、古臭い、感情的、大声で叫ぶだけの下手な劇団の様な。しがらみだ。宝生が生きる意味だといった、人間の醜いねちねちした絡み合いだ。
俺に絡みつく細い糸。決して離れない……
俺はニシキの死とアオイの陳腐な演技に衝撃を受けている。そんな自分にまたイラついている。俺はいつの間にこんなに弱くなった、こんなことならば山から下りなければ、強い個別の意思のままでいられたのに。なんだこのていたらくは。おい、ニシキ……。後悔をする時点で俺はもう弱くなっている。またなにか知らないうちに変わっていく、俺の最も大事な、根源的ななにかが巨大な何かに包まれる。頭の中を触られて、内臓の位置をぐちゃぐちゃにいじられるような、あのなにげない夜に襲われた、自分を見失ってしまう恐ろしい感覚にまた包まれる。俺は、またあの夜の様にダメになってしまうのだろうか。

俺は一週間ずっとアオイの傍に居続けた。稚拙な演技はその間もずっと続いた。時折泣き出すので抱きしめた。俺は一言もアオイと話すことは無く、服を着替えさせたり、食べ物を与えたり、シャワーを浴びさせたりした。アオイは茶番を止めようとしなかった。茂山と葛野からのそこに居るのは危険だ、殺されるぞ、という連絡もすべて無視した。もうどうなってもかまわない、と俺は考えていた。心配した葛野はビルに十名ほどの護衛を派遣してくれた。

十月十八日、早朝五時のことだった、一緒に寝ていたアオイが、初めて俺に話しかけてきた。

「ごめんね」
アオイは俺の顔を見ずにかろうじて聞き取れるくらいの小さい声でそう言った。
「ごめんね和泉さん、ごめんね」
嗚咽しながら話すアオイはとても見苦しかった。美しくて賢かったアオイだとは到底おもえなかった。俺は嫌悪感を隠す気もなかった。
「もういいよ、人間に戻ったか」
「本当にごめん」
「怒ってないよ、あんな女元々どうでもいい、でもキチガイのふりはもう二度とやんなよ」
「自分のしたことから逃げたら、だめよね」
「そうだな」
「わたしもあなたも悪いことをしたよね」
「そうだな」
「なにが原発テロよ、結果ニシキが死んじゃ駄目じゃない」
「そうだ、その通りだ」
「大失敗だわ」そう言ってアオイは俺の肩を叩いた。
「ああ」
「でもね」
「うん」
「ごまかしたりひきこもったりしたら、だめよね、わたしも、あなたも」ふり絞るような声だった。俺はその言葉に自分でも意外なほど衝撃を受けていることに気づいた。
「そうだな、ありがとう……」
「だめなの、逃げても耐えられるわけが無い……」
だめなの、ごめんね、と延々繰り返す彼女を俺は抱きしめる事しかできなかった。
俺は自身でさえ戸惑って認められなかった想いが、憔悴しきった彼女を初めて見て、しっかりと言語化されたことを感じた。ずっと抱えていた、誰にも言えない、情けなく、女々しい気持ちだった。

アオイとニシキと三人で、ずっと一緒に。

なんて陳腐なんだ、とおもった。
アオイに影響されてしまったのだろうか。しかしその願いはもう永遠に叶うことは無くなった。俺がこれから生きるのは、まったく別の人生と言ってもよかった。怒りや不快感は覚悟へと変わり、目的はアオイに迫る危険を取り除く、という一点に集約された。そして、ニシキを殺した奴らに地獄を見せてやると決心した。

その時、俺とアオイの寝ているソファ脇の壁が吹き飛んだ。恐ろしくデカい男が巨大な銃を持って部屋に入ってきた。顔に見覚えがある、喜多と一緒に居た男、杉山シュウジだった。もともとでかかったような覚えはあるが、これほどではなかった、軽く見積もっても身長が二メートル五十センチはある、足も手も異常なほどの太さと長さだ。
俺の頭は生き残るために高速で回転を始めた、絶対に今死ぬわけにはいかなかった。こいつは人間でも機械でもない、化け物だ。四肢はどこで制御しているのだろうか、姿勢制御用のセンサーさえ壊せば、こいつは動けなくなるのかな、しかし四肢に独立したソフトウェアが入っていて、相互にデータリンクしつつ冗長化できるようになっていたら無理かだろうか。そもそも、クラウド上にソフトウェアがあるのかわからない。そうなると、もはや杉山シュウジは簡単な命令だけで細かな動きの指令は機械部分に反映されていないのかもしれない。

機械の手は血まみれだった。俺たちを守っていた隊員はおそらくこいつに皆殺しにされた。そう確信させる禍々しい居姿だった。
俺はアオイの手を握ってソファから机のある執務室の奥へと逃げた。部屋中の家具や照明がライフルの掃射でバラバラになった。俺は逃げながらも、敵の姿を観察した。驚いた、生体部分が残っている、上半身の両腕以外は生身だ。内臓は全部残っている。むしろそちらの方が残酷だとおもった。おそらくはなんらかの試験に利用されただけだろう、この襲撃ももしかしたら、実働試験かなにかかもしれない。

俺は五階の窓から飛び降りる事を考えた。街路樹にうまく引っかかれば骨折くらいで済むかもしれない、あいつは見る限り相当重い、四肢の機械の重量は合計で三百キロはあるだろう、マンマシンインターフェースがどの程度の衝撃を想定しているのか知らないが、人間と機械の境目が一番弱いはず、飛び降りたらどこかしら壊れてくれるとありがたいのだが……
俺は寝たきり生活で体重の軽くなったアオイを抱えて、窓から飛び降りた。上野スラムの手入れがされていない為伸びっなしの街路樹に足から突っ込んだ。死ぬかもな、という思いもあったが、アオイだけでも生き延びる様、かばうように抱きかかえて何とか着地した。
一瞬意識を失っていた。
気づいたら背中に流れる暖かな感覚と時折ピキッと走る痛み。でも生きている、左腕は折れていてもう動かない。結局背中から落ちてしまったのだ、もしかしたら背骨に何かあったかもしれない。幸い俺の体がクッションになってアオイにケガは無かった。ともあれあいつはどうなったか、確認しなければいけない。
杉山シュウジも俺と一緒に五階から飛び降りた。残念なことにあいつの機械でできた四肢は全く壊れていなかった。今俺たちが殺されていないのは、杉山シュウジが飛び降りたあとに目を苦しそうに抑えているからだ。眼が見えていないのか。
おそらく黒視症だ。神経にすさまじいストレスがかかっている状態で、飛び降りたときに自重と衝撃によるGで網膜に血液が一時的に行かなくなったんだ。ということはあいつの目は義眼ではなくまだ生身ということだ。ソフトの性能がハードに追いついていない。いい加減で細部を無視した投げやりな義肢化だ。
俺は眼を攻撃することを思いついた、あいつにはアイウエアもサングラスもない、人間の最も敏感な、そして脳に直結し最古のセンサーである眼、弱点をさらけ出していることになる。
端末で茂山に連絡をした。
「茂山、今どこだ、近くにギガストラクチャーにアクセスできる機器はあるか」
「和泉さん、どうした」
「今上野で襲撃を受けている、葛野の兵隊はみんな殺された」
「すぐに葛野を行かせる、場所はどこですか」
「とてもじゃないが間に合わない、それより、今から言うことを最優先でやってくれ、ギガストラクチャーの秋葉原、御徒町に面した太陽光パネルの反射角度を、光が俺たちのビルに集中するイメージで調整してくれないか、アオイのDNAパッチの座標めがけてでもいい」
「どういうことですか」
「早くしてくれ、宝生のコードキーを使って遠隔でSUAのメインサーバクラウドに入れば可能なはずだ、ギガストラクチャーの太陽光発電システムの天体同期をオフにして、手動でコントロールするんだ、あいつは地上げのいやがらせに使っていたくらいだからできるはずだ」そういって俺は通信を切った。その後すぐに、この内容で調整するが認識合ってますか、と茂山からメッセージが端末に入り、OK、とだけ返信した。
杉山シュウジは誰もいないスラムで所かまわず銃を乱射している。軍用麻薬でも打たれているのか様子がおかしい。空中にベオウルフのロゴが入った監視ドローン、全周囲型カメラアレイ付きがその様子を撮影している。あくまで実験であるらしい。
あいつの黒視症が収まれば、アイツはアオイのDNAパッチデータをGPSで追跡して、俺たちを追っかけてくるはず、足は折れていないが、アオイを連れていては絶対に逃げきれない。なんとかしてあいつを殺さなければいけなかった。今持っている武器はニシキの買ったデザートイーグル一丁だけだ。確実に頭部に当てるには距離があると無理だ、しかも左腕が折れている。背中からの出血もひどい、出血のショックで震えが止まらない右腕一本ではまともに狙いが点けられないし、反動にも耐えられないだろう。

俺はアオイを連れて、杉山シュウジから距離を取った。左腕と背中からは血が止まらなかった。とにかく、俺が考える最善の方法を試すしかなかった。とにかくギガストラクチャーを背にできるような、広い道路が理想だった。たどり着いたのは、ニシキの死体が見つかった現場近くの幹線道路脇の歩道だった。そこで待ち伏せる。
アオイに支えられながら俺は走った。

上野の複雑に曲がりくねった狭い道を抜けて、まっすぐギガストラクチャーへと向かう幹線道路脇の歩道へ出た。
俺は左腕の傷をなんとか止血しようと、ベルトを使って左脇を縛ったが、無駄だった。止まらない俺の血を見て、アオイは青ざめていた。
「最後にきいて、昨日また同じ夢を見たの」アオイはもう自分も生きることを諦めている様だった。最後の何分かをよりよいものにする試みだった。
「後にしてくれ、たぶんあのビルの陰からあいつが出てくる、目をそらすなよ」
そう言って俺は前方二十メートルくらいにあるビル角を指さして示した。恐らくだが、アイツがアオイのDNAパッチへ向かって最短距離で追ってくるとしたらそこから姿を現すはずだった。奴に入ってるソフトウェアが俺と同じグーグルマップを使っていればだが……
「3人でさ、広い草原にある一軒家に住んでいてね」アオイは話すのを止めない。俺はその場に座り込み、デザートイーグルにマガジンを入れて、安全装置を解除した。
「おい、あきらめるなよ、逃げ切るぞ」俺はビルを見つめているアオイを見上げながら言った。自分に言い聞かせているのも同然だった。
「あなたと、ニシキと三人で……」
「泣くな、いいか、しっかりとグリップを左手で支えるんだ、アイツが姿を見せたら俺の合図で一発撃って、当たらなかったら俺を置いてギガストラクチャーの方に逃げろ、走れよ、これで葛野と連絡をとれ」俺は自分の端末をまだ寝巻のアオイに渡した。
「とても楽しい、楽しい生活、でもふたりは時々危なっかしくて……でもあなたたちは寂しそうな顔をしているの、はじめて会ったときからずっとよ、苦しそうで、なんとかしてあげたかった、ふたりとも強がりで、頑固だから」
「妄想の中に逃げるな、なんにもならない」
「もういやなの。楽しい夢、わたしの生活、昔から、憧れてた、でも、もうニシキは……」
「ニシキは死んだよ、あのカメラ越しに見てるやつらに殺されたんだ、俺達もこのままじゃ死ぬ、おそらくベオウルフっていうPMCだ、力も経験も差は圧倒的な差だ、俺たちは逃げなければならない、おい笑うな、自分をごまかすなよ、目を閉じちゃだめだ」
ベオウルフの監視ドローンは俺たちの様子を上空から高感度のカメラアレイで撮影し続けている。場所のデータも、なんなら俺のケガの具合まですべて杉山シュウジにデータリンクしているだろう。手が震える、血を流しすぎている。
俺たち日本人は大事なところでいつも最終的に外人どもに負ける、圧倒的な力で叩き潰される。
「くそっ」
腹が立った。日本人はみじめな民族だ。なぜ、俺たちはあいつらにずっと負けっぱなしなんだ。

ギガストラクチャーを背に俺たちは杉山シュウジを待った。左腕からは血が止まらない。杉山シュウジが俺たちへの最短距離をGPSで確認したのであれば、間違いなく目の前のビルの角を曲がることになる。入り組んだスラムの路地を抜けて、俺たちが現在居る幹線通り沿いに出るはずだ。
片手じゃデザートイーグルのスライドも引けなかった。アオイと協力してようやく引くことができた。そして銃の反動に備え、二人で片手ずつ銃を握った。俺の手とアオイの手が触れあったが、不思議と嫌悪感は無かった。アオイは泣き止んでいた。
背後でギガストラクチャーがすこしずつ何千の太陽光パネルの反射角度を変え、俺とアオイがいる地点へ太陽光が集中するように調整されていく。いまやギガストラクチャーはおれたちのものだ。俺たち三人で奪い取ったんだ。もうこの国で好き勝手なことはやらせない。ニシキ、そうだろう。
朝日が雲間から顔を出すと、俺とアオイの背中がじりじりと焼けるように熱くなっていった。舞台上で女優にスポットライトが集中するように、俺達は光に包まれていった。二人の影が前方に長く伸び、長く濃くなっていく。強烈な熱を背後に感じる。夏の朝日が自分たちのいる地点に集中しているからだ。振り向いたら目がつぶれてしまうだろう。それほどの光が俺とアオイのいる道に集中していた。アオイは熱さと恐怖で泣きそうな顔をしている。もうすぐ、杉山シュウジがあの数メートル前方の角から現れる、アオイの顔がこれ以上ないほどにこわばっている。なぜだろうか、その表情を見た瞬間怒りと恐怖がすっと消えて、アオイを安心させてやりたくなった。
「大丈夫、ニシキが守ってくれるさ」
心にもないことを言った。
でも、こんな嘘をつかなくてはいけないほど、俺はもう引き返せないところまで来てしまったんだ。
アオイはそれを聞いて、うそ、と呆れながらも、とてもかわいらしい笑顔を見せてくれた。彼女も俺を安心させようと頑張ってくれたのかもしれない。この笑顔は嘘に決まっている。内心は怖くてしょうがないはずだ。彼女の心のどこからこの笑顔は生まれたのだろう、彼女は今、何を思っているのだろうか、なんにもわからなかった、なんにもわからなかったが……俺はその笑顔を何か本質的なものとして捉えた。永遠に心の奥底に閉じ込めて置きたいと願った。俺はこの子の為なら、どうなっても構わないとさえ思った。俺はその瞬間、なにか大きなものについに呑み込まれてしまった、と感じた。それは一瞬で、事故の様な唐突さと理不尽さだった。
心と体に明らかに変化が生まれた。心臓の鼓動が早くなり、呼吸が荒くなる、感覚器官は研ぎ澄まされ、目の前の風景の隅々まで意識が届く、脳内には目と耳から流れ込んだ情報が嵐のように駆け巡る、どんどん加速する生理的なテンポ、飲み込まれそうな、情報と感情の洪水だった。

そうか、これはニシキの世界だ。
あいつはアオイと居る時、こんな気持ちでいたんだな。

杉山シュウジが角から恐ろしい速さでその異形を露わにした。顔を怒りにゆがめよだれを垂らしながら銃を構える俺とアオイの影を捉える。巨大なライフルを構えて俺たちを蜂の巣にするために照準を合わせようとしたその瞬間、杉山シュウジはギガストラクチャーから注がれる太陽の反射光をダイレクトに生身の眼球で受け止めた。軍用麻薬で敏感になっている彼の視神経には耐えきれる刺激ではないはずだ。
奴は一瞬たじろいで先ほどの様に両手で目を抑えた。
俺は杉山シュウジの位置を確認して、少し銃口の向きを修正した。自分でも恐ろしいほど正確に素早く。
「腹だ」
「うん」
俺とアオイが握るデザートイーグルから銃弾が放たれた。衝撃波と反動で俺とアオイは腰を抜かしたように後ろへ転んでしまった。空薬莢がアスファルトに落ちて甲高い音を立てた。
弾丸は杉山シュウジの胸と腹の間、みぞおち部分に直撃した。五十口径弾の威力は、いくら最新の合成炭素繊維を使用したボディアーマーに守られているとはいえ、衝撃を彼の内臓まで伝えることに成功した。
四肢の重さで倒れることが出来ないまま、視神経に強烈な光、内臓への衝撃、とかろうじて残された生体部分へ立て続けに損害を受けた彼は、ライフルを落とし吐瀉しながら一時的に行動不能となった。失神はしていない。それを確認した俺はアオイを振り払って接敵し、片手で撃っても当たる抱き合うことができる程の至近距離まで詰めよった。
右手で持ったデザートイーグルの尻を自身の右肩で固定して背の高い杉山シュウジの顎の下へ銃口を突きつけた。そして顔と腹を抑えて悶絶する哀れな半機械人間の頭部を丁寧に吹き飛ばした。今度は反動で右肩が外れたかとおもった。派手に転んで折れた左腕からアスファルトに倒れた。激痛で気を失いそうだった。右耳からも血が出ている。鼓膜が破れたかもしれない。
彼の首から上はきれいに無くなったにもかかわらず、機械製の四肢はプログラムに従って律儀に姿勢制御を続け、二度と来なくなった次の指示を待っていた。彼の青い目が見た最後の風景は、発光するギガストラクチャーと、その光を浴びてワルツペアのごとく支えあいながら銃を構えた男女の影、滑稽な眺めだ、と思ったかもしれない。
俺は腰を抜かしているアオイの手を取って、
「アオイ、これから大阪の空港に行こう、海外に行く」と言った。
「え、これから、どこへ」
アオイは俺の急な提案と、血だらけになった自分の寝巻姿に改めて驚いている様だった。
「イスラエルだ、頼む、一緒に来てくれないか」
俺は少し冷えてきたデザートイーグルを見ながら、ニシキが初めてこいつを持って来た時のことを思い出しながら言った。
後に葛野がやってきてひとまず近くの病院へ向かった。PMCのドローンはいつの間にかいなくなっていた。この病院でアオイのDNAパッチを取り除いた。これで位置を知られることは無いだろう。ケガの応急処置を終え、アオイと関西の空港へと向かった。

イスラエルへ向かう機内で、隣のアオイが眠りについたのを見計らって、野村が残した論文を改めて読み直した。前半は観世ヒカルという歪んだ権力者の一代記に近い記述で、関係者の証言や膨大な記録を基に作られたものだった。彼らしい皮肉と厭世的な言い回しだらけでところどころ飛躍しすぎの誇大妄想狂の様な記述も含まれており、俺は野村のさっぱりした人柄や時折顔を出す空虚さを懐かしくおもった。

観世ヒカルは二〇一〇年の神奈川県に生まれ、学生時代を外交官であった父親にくっついてイギリスで過ごした。イギリスの義務教育は日本とは制度が違うので感覚がいまいちわからないが、日本でいう中学生の時に人種差別を理由とした性的暴行をクラスメイトから受けていたようだ。イギリスにおける名門校であるイートン・カレッジに進学後も、優秀だったにもかかわらず日本人、という理由でコミュニティから疎外され続けた彼は、階級という名の幻想がいかにして人間を支配し、人種という言葉が人間の価値を定義する、ということを残酷なまでに思い知らされた。彼はとても美しい容姿をしていたが、周囲の友人より小柄で、幼い顔だちをしていた為、隔離され徹底的に管理された男子校という風土も手伝って、白人生徒たちの格好のおもちゃとなった。
イートン校はファッションもスポーツも勉強もすべて、階級次第だった。黒の燕尾服にファルスカラー、チョッキ、ピンストライプのズボン、ポロやクリケット、世界最高レベルの教育、本場の帝王学。最も成績が優秀な二十名が選ばれる「監督生」は金のボタンがついたグレーのチョッキを着ることができ、ルールを守らない生徒に罰則を与える権利を持つ。彼は懸命に努力して二十番以内の成績を取ったが、その中で彼だけがグレーのチョッキを着ることができなかった。初めて自分の限界を感じたとき、性的トラウマとその絶望は日本人という自分の出自への憎悪に変わった。ケンブリッジで文化人類学を学んでいた際、チャーチル・カレッジと呼ばれる学寮で同じ日本人でありニシキの父親である鷺沼博士と出会う。彼は鷺沼とコンプレックスを共有しあい、国家単位別に階層を定めた世界経済の管理という思想を磨き上げていった。奇しくもそれは三十年後に米中露がたどり着いた結論と一緒だった。彼は日本に帰国後、外務省に入省、父同様に在英大使となり、四十代で議員となった。
そのころから彼は他者を圧倒する知性を磨くために行った努力の弊害か、両目とも後天的な外斜視になっていった。どんどん左右の黒目は離れていき、完璧に美しかった容姿はどこかアンバランスな印象のものへと変わっていった。

そこまで読み終えると、観世について想像している自分に嫌悪感を抱いた。人づてではなく、直接会って話したい、と考え、観世という人間に関する記述は読み飛ばすことにした。後半は前半を踏まえて観世を政治的に追い詰めるシナリオが整然と記されていた。俺たちが持つ政治的なカードや平岩たちの技術、暴力装置を最大限利用して、観世の権力を二年がかりですこしずつ削いでいくというものだった。俺は野村という男の執念に身震いし、そして俺にこれを託して死んだ彼は、詩聖にはなれなくとも多少の満足を得て死んだだろう、と想像した。
「まあちょっとアレンジはするけど、これでいくよ、野村さん、お疲れ」俺は死んだ野村に向けてつぶやいた。
「どうしたんですか」隣でアオイがあくびをしながら起きた。相変わらず敏感な子だ。
俺は何でもないよ、と言って彼女の手を握った。そうすると安心したのかアオイは再び眠りに落ちた。
機内から金剛と葛野と茂山に膨大な量の指示を送った。三人からはそれぞれ、了解した、とすぐに返信があった。

2020年11月23日公開

作品集『東京ギガストラクチャー』第32話 (全35話)

© 2020 尾見怜

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

著者

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

"東京ギガストラクチャー (三十一)"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る