わたしは野村さんと平岩さん、そしてなによりもニシキが立て続けに居なくなったことに対して、どう反応したらいいのかわからなかった。
泣いたらいいのか、それとも気丈にふるまえばいいのかわからない。反応の仕方を知らないのだ。
だいじなひとがいなくなる時というのはドラマや映画でよくあるシーンだけれど、それらの登場人物みたいに泣いたり怒ったりすることができなかった。
わたしはなにか奪われてもいつも無反応、へらへら笑っている。
時間やプライド、そして大事な人を奪われても。ただただ、楽しかった思い出を反芻し続けてごまかす。
和泉とニシキのずっとそばに居たくて努力した。高校しか出ておらず勉強はきらいだったけど、彼らのやたら小難しい話をすこしでも理解したくて、政治や経済のニュースを見るようにした。彼らの歓心を買いたくて、ITの資格をとったり会計の知識をつけたりした。
ニシキはいつもわたしにかまってくれた。がんばるとほめてくれた。からかったり、時に心配したり、だらだらしたくだらない話もいっぱいした。あいつはおしゃべりで、付け焼刃の知識しかないわたしより数段頭がいいから、わたしは相槌を打つだけで精いっぱいだけど、その時間だけは心から楽しくて、ニシキと和泉が意地を張りあったり、じゃれあっているのをずっと見ていたい、そしてふたりからずっと気にされるわたしでいたいと願っていた。
ちいさいころはSUAの施設の中で大好きな職員がいたとしても、わたしが独占しているわけではなかったから、いつも年少の子供や、手のかかる障害を持っている子に取られていた。それにくらべると、ニシキと和泉はわたしをいつも気にかけてくれて、わたしは存分にあまえることができた。わがままも時折言ったし、我ながら面倒な女だったとおもう。政治や経済の難しいことは結局よくわからなかったけど、三人の生活においてはわたしの意見を最優先にしてくれた。彼らふたりはやっとできたわたしだけのひと。この数カ月はとてもしあわせだったのに。
でもニシキ、私はあなたにもう会えないの、いやだな。
わたしは今とってもくるしいよ。たすけてよ。
でも泣くことができない。和泉がまだいる、という気持ちがあるからだ。
いやな女だ。
わたしは本当に破廉恥で現金でばかで幼稚だ。
でも和泉に泣きつくことも今はできない。
無視できないきもちがひとつある。そのきもちはニシキの死を悲しむことができない、そして和泉に泣きつくことができない原因だとおもう。
あのテルって女が和泉の子を妊娠したからだ。
平岩さんが全部教えてくれた、わたしの知らない和泉だ。宝生ってSUAの人のこどもだったらしいけど、閉じ込めて時々暴力を振るいながら犯してる、妊娠させて、最近は勉強を教えてるんだって。わけわかんない。
平岩さんも知ったような口をきいて、正直腹が立った。
もっと聞きたいことがあったのに勝手に死んじゃって、もうなにもかも信じたくないようなことばかりだ。和泉は女の人との接し方を知らないだけだ、わたしに対する態度を見ればいままで異性経験がほとんどないことはわかる。だれにだって不得意なことはある、わたしだけが彼を理解してあげられる。和泉はわたしやニシキなしではなにもできない。朝だってわたしが起こさなきゃいつまでも寝ているし、ご飯だって好ききらいがひどいから栄養バランスめちゃくちゃで、わたしがいなきゃ病気になっちゃうかもしれない。もうニシキはいないのだから、わたしがもっとしっかりしなければ、きっと和泉は壊れてしまうだろう。
わたしはテルという女が和泉の子を妊娠しているということがとても我慢できない。
また大事な人が離れていってしまう。あの女を逃がして、和泉から遠ざけてしまおう。
それがわたしの涙であり、主張になるだろう。
あの女はわたしよりきれいで若くてスタイルもいい。ネット番組とかで確認するかぎり、肌もきれいだし服もかわいい。それは認めるし悲しくていやだけど、和泉とごはんの時会話するのは勉強して知識をつけたわたしにしかできない。あの女を逃がしたあとに和泉とゆっくりとニシキの死について話しあおう、今は、あの女と子供の存在はノイズでしかない。これが解決しないとわたしはふつうにご飯を食べて、寝るだけのことすらできない。ニシキが殺されてから、わたしはほとんど廃人みたいな状態で、着替えることやご飯を食べることさえ億劫でできなくなっているのだから。これは混乱しすぎてこうなっているだけで、ノイズがなくなればきっと大丈夫だ。このきもちはノイズ、ノイズ、必要ない……
元気を出そうとひとりで笑ってみたけど、無駄だった。和泉と会わないと無理なのかもしれない。
テルがいる場所は知っている。軽井沢の施設のとある一角、古いサナトリウムを改装した建物の二階奥の部屋だ。和泉はこの部屋に女を閉じ込めて、ちょくちょく会いに行っている。なんで字を教えてるんだろう。わたしは和泉の考えていることがわからない。でも、もう居なくならないでほしい。テロなんかやめてわたしと暮らしてほしい。いつまでも、ニシキと三人で過ごした日々、楽しかった思い出を、わたしと語り合っていてほしい。
わたしは毎日和泉と一緒だから、テルと比べて、会う回数はわたしの勝ち。でも、こどもが生まれてしまえば和泉は変わっちゃうかもしれない。それだけは避けなければならない。
軽井沢の病院周辺はすずしくて快適で、周囲を保全林にかこまれた、すごしやすいところだった。かわいいお店もいっぱいある、わたしがいつもいる汚くて雑多な上野スラムとはおおちがい、あいつはこんな美しい自然と生活環境の中で和泉とのこどもを育てるのだろうか。そんなことは決してあってはならない。ぜったいにダメだ、バランスが崩れてしまった。あの女が現れて、ニシキが殺されてしまった。なぜ、わたしの好きな世界はすぐ壊されてしまうのだろう、ゆるせない、あの女。どんな顔をして軽井沢で過ごしているんだろう、髪はまだサラサラなんだろうか、わたしとちがってしっとりしてサラサラの髪、ヒールをはかなくても服が似合う身長、細い手足、わたしではとてもかなわない、和泉はなぜわたしに手も触れてくれないのだろうか、わたしはこんなにも頑張っているのに、もともと私に価値なんてないのはわかっていた、ニシキはもういない、わたしには和泉しかいなくなった、どうしよう、またひとりになるかもしれない、どうしよう。泣いてみたくなった。泣いちゃおうか。いつまでも自信がないまま、こんなのはもういや。
わたしがテルの居る病院に着くと雨が降り出した。雨は熱くなっているわたしの頭を冷やしてくれた。病院の中に入ると、しめった木と土のにおいがした。その匂いのせいかへんなきもちになって、わたしはどんどん混乱していく。
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