あたらしい生活様式

応募作品

大田区

小説

1,784文字

あたらしい生活様式というウサンくさい言葉が流行っているみたいなので

ついにウーバーイーツの配達エリアが僕の住むアパートのある地域まで拡張されたので、新しいもの好きの僕はさっそく利用してみることにした。ハンバーガーの気分だったから駅前の洒落た雰囲気のハンバーガーショップでチーズバーガーセットを頼んだ。前から気にはなっていたものの、その雰囲気のせいでつい物怖じして一度も入ったことはなかった店である。ここ数年テクノロジーの急速な発展と共に僕みたいな人付き合いの苦手な人間でも住みやすい世の中になってきていることを肌感覚でも感じる。結局世の中を望ましい方向へと変えてゆく力を持つのは選挙の時だけ綺麗事を言う政治家や、後出しジャンケンでしかモノを言えない有識者や、世界を変えたいなんて言う割に想像力の乏しそうなロックスターなどではなく、一から十まで技術だ。だから僕は人間、特に文系の人間というものを全然信頼していない代わりに新しいものが何よりも好きなのだ。

チーズバーガーセットが届くまで三十分ほどかかるようなので、僕はその間リングフィットアドベンチャーをやることにした。僕は生来の運動不足が祟ってまだ二十代ながら身体のあちこちにガタが来ている。ついでに花粉症も酷いものだから、一年を通して快適に外を出歩ける期間は殆どない。けれどジムに行くのだけは死んでも御免だった。僕は人の汗の臭いというものが大嫌いなのである。その点リングフィットアドベンチャーは家にいながら、しかも楽しく運動不足を解消出来る点で非常に有難い発明と言えよう。

ステージを三つ進め終えたところでチャイムが鳴った。出るとウーバーイーツだった。あの正方形の独特のバッグを背負った恐らく高校上がりたてくらいの若い青年は、僕のことを見て露骨に顔をしかめた。きっと汗臭かったのだろう。しかし、それにしても年下の分際でなんて不遜なんだと僕は内心腹を立てたが、無論それを表に出せるような人間ではない。さっさと物を受け取って、せめてもの怒りの表明として、バタンと力一杯に扉を閉めた。それだけで僕の心臓はバクバクとし出し、また汗が垂れてくる。

気を取り直してハンバーガーを食べようと紙袋の中を覗くのだが、しかしながら僕は更にショッキングな出来事に直面することになる。何度目を擦って確認しても袋の中はドリンクだけで、肝心のハンバーガーと、サイドメニューのポテトが入っていないのである。ポテトのみならまだしも、ハンバーガーすらないのは店のミスとは考え難い。きっとあの配達員に食われたのだ。調べてみるとどうやらウーバーイーツではたまにこういうことが起きるらしい。僕はますます人間が嫌いになる。

怒りは沸点へと到達していたが、腹もまた限界に近かった。ひとまず何でもいいから食べ物を買いに行こうと玄関まで向かうのだが、そこで僕は自分の下半身に現在何も身につけられていないことを思い出した。

一週間前から僕の会社はテレワークを導入し、それによって僕は外に出る必要が全くなくなった。ズーム会議で映し出されるのは上半身だけである。なのでズボンやパンツは全てメルカリで売ってしまった。ズボンやパンツだけではない。僕は半年前にメルカリを覚えて以来、不要になった側から物を売ってきたため、現在僕の部屋は引っ越ししたての時みたいにキレイさっぱり片付いている。

二十世紀が物質的な豊かさを求めてきた時代だとしたら、二十一世紀は精神的な豊かさを追い求める時代となるであろう。シェアリングエコノミーという言葉に代表されるように、物を占有することはダサいという風潮が若者たちの間で広まっていて、所有権こそ格差の根源であるということが人々に気付かれつつある。精神的な豊かさとはとどのつまり、これまでの人生の中でどのような経験を送ってきたのかにかかっている。空腹でぼんやりしてきた頭を何とか働かせて僕はこれまでの人生を振り返る。初めて言葉を覚えた日、初めて家出をした日、初めてのキス、初めての夜、初日の出、初ガツオ、初音ミク……そう言えば初めて何かをしたときのことは鮮明に覚えている場合が多い。初めて、というのは刺激に満ちているから何にせよ忘れ難いのだろう。

だからきっと、今日の初めてのウーバーイーツもそうなる。

生涯僕は覚えていることになる。

でもそれは嫌な思い出だから、きっと二回目はないだろう。

或いは今日、このまま餓死してしまうから……。

2020年6月2日公開

© 2020 大田区

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