やっと秋っぽくなってきてホッとしていたのに今日はまた35度を超えました。いやぁあつい日でしたぁ。とテレビの中のアナウンサーがやや眉根をひそめて隣の女性アナウンサーともに心底あつかったということに同意する。
どの局のアナウンサーも暗いニュースあるいは明るいニュースのいちいちに声のトーンや態度顔色などを変えないとならないこれまた難儀な仕事だなぁとぼくは幼い頃から感じていた。
まあそもそもいつも誰に対しても顔色を伺いながらこの20数年生きているのだし今さらさらさらこの性格などを変えることなど出来ない。
しかし。アナウンサーではないけれど昨日はお、やっと涼しくなったぞ。長袖でもいいくらいだな。と半袖のシャツからむき出しになった腕をさすってみたりしたのだけれど、あれ、いや待てよ。というくらい今日は本当に夏が戻って来たな。かき氷かマックシェイクが飲みたくなるほど異常にあつい日だった。
ぼくは小さな印刷会社の営業兼カメラマン兼編集をしている。
今は『海の幸がふんだんに食べれる港まち巡り』(仮)といううさんくささの半端ない小さな小雑誌を作成していてその小さな港まちに来ている。
都会から離れた小さな街。ぼくのことを誰も知らない街に。
のどかにカモメがないている。カモメ。そういえばなぜカモメはカモメという名前なのだろう。
アリは? 一体だれが名付けたのだろう。
あつさで頭がやられたのかシャッターをうまくきれなくて会社の経費で落ちるであろう安い民宿を探す。
取材は20日。経費はあまり出せないから安いところで。局長に口をすっぱくしいわれた。
交際費もだめだぞ。とつけ足して。交際費? ぼくは笑った。いやぁ、そんなぼくキャバとか興味ないっすよ。と。
バカか。お前な。男ならねーちゃんの1人や2人口説かないといけねーよ。
局長はそういってさらに笑った。じゃあ、経費で落としていいですか。訊いてみたら、それはダメだとキッパリいわれなんだそれまったく説明になってねーしとぼくは肩をすくめた。
港に面しているせいか宿はすんなりと決まった。一泊3500円。朝飯付き。冷房あり。
宿に荷物だけを下ろして —カメラは持っていく— 日が落ち始めたころぼくはビールが飲みたくてコンビニに行こうと宿を出た。宿のビールは割高だからだ。
ぶらぶら歩いているとちよっとだけいかがわしい歌舞伎町の足下にも及ばない場末のヘルスが2件これまたいかがわしいピンク色したネオンを光らせて建っていた。
民家の中に突如とあらわれたようなヘルスはけれどその位置にすっかり溶け込んでいたし店の前で普通のおばあさんがお店のスタッフであろういわゆるパンチパーマ風の黒服と談笑をしていた。あついねぇ。とけちまうよ。あはは。今日はなんだい? ぶり大根かい? そんなやりとりが微笑ましく耳にとどく。
きっとこの街ではヘルスやキャバクラやスナックはさほど数はないにしても文化なのだろうと思慮深く思う。
うーん。
僕はその場で足を止めた。
ヘルスになど全くもって興味などなくかといって彼女もいないけれどお金を払ってするという性行為にひどく嫌悪感を抱いていた。はたしてヘルスの看板に書いてある値段の安さに驚いたし飲み物は飲み放題です。という部分にそそられた部分がある。1日中あつかったので喉がカラカラに乾いていたしそうだぼくは今からビールを買いにいくんだった。なんなら汗も盛りだくさんかいている。汗を流しビールが飲めてこの値段で女の子と喋れる —やれるかも—
となるとぼくはもう財布の中身を確認しちょっと料金が安いさっきおばあさんと喋っていた黒服パンチパーマの方に声をかけた。
「あのぅ……、」
「あ、はい! どうぞ。どうぞ。お客様ごあんないでーす」
いやいや、まだなにもいってないし。ぼくは呆気にとられたままいきなりごあんあいされるからちになっていた。まいっか。もうどうにでもなれだ。
「前払いですね。っと、お時間は。フリー50分が1万円です。おすすめですよ。っと、消費税はかかりませんよ」
ふたたび饒舌に黒服はいいながら笑う。あはは。すみませんね。あまりお客さんが来ないのでつい口数が増えてしまって。黒服はいいわけじみたことをいうのでいやべつに構いませんよ。ぼくもそういって笑った。
「女の子は選べないんですよ。フリーだと」
いいですか? と顔を覗き込んだのでぼくはうなずいた。正直誰でもよかった。とにかくシャワーをしたいと思ったしビールが飲みたかった。
え? お店の待合室に貼ってある張り紙をみてぎょっとなる。
泥酔の方おことわり。本番の強要は罰金。暴力団関係お断り。お酒は扱っていません。
なるほど、そういえばそうだよな。キャバクラじゃないし。酒を飲むとたいがいの男は射精が遅くなるか出なくなるおそれがあるから。
僕はウォーターサーバーの水を3杯飲んだあと、目の前にある飴の入った籠の中から適当に飴をつまんだ。
甘いバターの風味の飴は舌をひどく優しくした。包みをなにげなくみると【BUTTER SCOTCH】と書かれたみたこともない飴だった。
待合室は1畳ほどしかなくテレビがまるで貼ってある絵画のように妙に部屋にちぐはぐだったのはそのテレビが超薄型テレビだったからだし、3枚の女の子写真はお店のNo.3と書いてあってその写真はおい女優かと突っ込みたくなるような嘘だろと絶対に誰でもいうような写真だった。ぼくはいちおうカメラマンでもある。写真の加工技術はそれはそれは現在でなくともパソコンが普及してきた頃からどうにでも出来る。こんなだまし絵みたいな写真が飾ってあっても誰も文句をいわないのがこの世界の暗黙のルールなんだな。そういえばフーゾクが3度の飯よりも好きな男友達がいっていたことを思い出す。
「あ? パネ写? あー、あれさ、たいがい3割は盛ってあるよ」と。
やや待ってから、パンチパーマに声をかけられた。従業員かと思っていたらなんと店長だという。いや両方ともおれの店なんだわ。もう一方はさ、熟女の店。と教えてくれた。熟女の店の方が料金がやや割高なのが不思議だった。
「ナナセちゃんでーす」
やけにテンションの高い声で紹介されたナナセというヘルス嬢と対峙したときギョッとなった。
え? まじで? 嘘だろ?
悪い意味合いでの感想ではない。いい意味での感想だ。
無駄にかわいかったのだ。
「ど、どうも」
ぼくは緊張のおももちでナナセちゃんのあとにならう。いってらっしゃいー。パンチパーマの声が背中にかかりその声は不気味に笑っていた。
「あ、靴、脱いでくださいね」
あまりにも狭い部屋だったので土足でいいだろうとそのまま入ろうとしたらナナセちゃんは慌ててそう言葉を発した。ハスキーな声だなと思った。
これまた本当に狭い部屋だった。2畳間にちょっと毛が生えたような広いさに建築現場に置いてある簡易的なトイレの大きさほどのシャワールーム。シングルのベッド。小さなテレビ。小さな冷蔵庫。三段ボックスにはナナセちゃんの私物であろう飴やチョコ乾きものが食べかけのまま置いてある。
「住んでるの?」
部屋を見回しといってもすぐに見終わったのでつい質問をしてしまった。え? ナナセちゃんはほとんど真顔で半分はね。とこたえた。半分は。ぼくは意味がよくわからずに苦笑いを浮かべて頭を掻いた。痒い? シャンプーしていけばいいよ。ナナのドライヤーもあるし。ナナセちゃんはクスクスと笑う。あ、うん。痒いかも。じゃあ、あとシャンプーしてよ。ぼくは冗談っぽくいったのだけれどナナセちゃんはうんいいよ、ナナシャンプーうまいよと本気を出していた。かわいいなぁ。ぼくは幾度目かのかわいいなぁをつぶやく。
しかし。ぼくは考えてしまう。なんでこんなにかわいくて若くて溌剌としたいい感じの子がこんなに狭い個室にずっといるのだろうと。おもてに出ることはほどんどないというしオールで働いているから —オールとかオープンからラストまでという意味— 昼間の太陽より暗い世界の方にいる時間の方が長いかもねと彼女は屈託なくいい破顔一笑した。
「じゃあ、」とナナセちゃんは立ち上がりさささと身につけているものをさらっと脱いだ。わ、ぼくはつい目を逸らす。シャツを脱いだらもう裸だったから。
「あら、そんなウブなのかしら?」
シャワールームからぼくを手招きをする。ぼくは逡巡しながらまるでこれじゃ童貞じゃねぐらいの勢いで下半身に血がどっと流れるのをとても意識した。久しくなかった性欲というやつに久しぶりに出会った気がした。
ナナセちゃんの身体は色白だけれどひどく荒れていたし背中に吹き出物がたくさんできていた。顔はお化粧でごまかせても身体だけは隠せない。よく見てみると顔も吹き出物だらけだった。部屋は薄暗く保たれていたため蛍光灯の下でのシャワーは全てを明らかにして全てを現実に戻した。その頃には下半身に落ちる血液は落ち着きをはらい元の位置に戻っていった。
「お兄さんはどこからきたの?」
狭いベッドに横たわりながらナナセちゃんが訊いてきた。
「東京の市から」
「し?」
とても不思議そうな声で繰り返した。し、って。なあに?
「だから、東京の中にある市だって」
ちょっとだけ語気が強まってしまいあ、ごめんねなんかとあやまる。ううん、こっちこそごめん。東京だよね。うんそっか。ナナセちゃんは東京に『市』があることを知らなかっただけだ。
じゃあ、はじめますね。飯食いましようね。みたいな軽い口調でナナセちゃんはぼくの乳首を蛇のような舌先で転がす。あっ、つい声がもれた。男なのに。ぼくは自分が少々こわくなる。
舌先はとても執拗で繊細だった。そこらじゅうを舌が這う。生暖かい舌が爬虫類のそれに思えてしまいぎゅっと目を閉じた。上にいるナナセちゃんの細っそりした背中に手を乗せて撫ぜる。ザラザラで骨ばった背中。
あ、ぼくは急に不安になってつい起き上がってしまった。
「へっ? なに?」
ナナセちゃんが顔をもたげぼくをみつめる。ぼくの言葉を待っているようだ。ぼくはいっていいものかいうべきなのか散々迷ったうえやはりいうことにした。
「あ、えっと、ゴムをつけてフェラしてくれないかな」
病気がこわいから。とは絶対にいえない。けれどこわかったから。
「あ、ぼく早漏だからさ、すぐ出ちゃうんだ。だから。いいかな」
やんわりとつけ足した。ナナセちゃんはまばたきもしないでまだぼくをみつめている。唇がやっと動いて言葉を待ったけれただ息を吐き出しただけだったようでそのごの言葉はなかった。
ゴム……。ないんだぁ……。
本番はしないからね。ゴムはないの。ナナセちゃんはいいながら肩をすくめた。
「そっか、じゃあ、もういいよ。シャンプーしてよ。いい?」
ぼくは必死だった。必死。一体何に必死に。何に怯え。何に困惑。し? 死? ぼくはそれ以降の記憶が曖昧のままミント系のシャンプーの匂いをまとったまま呆然としたまますっかり暮れまくっているヘルスから出ていた。
夜気は湿った肌を乾かすようサラサラと流れていく。港町だからといっても塩害のない地域だしもちろん海の香りなどしてはこない。
喉が死にそうなほどカラカラだった。死なないけれど。
生で舐められることにひどく身体が拒絶反応を起こした。鳥肌が、立った。何かの病気になるかも。あるいは死んでしまうかも。だってあんなにかわいいんだもん。おかしいよ。だって。そんなのおかしいって。
ぼくは男なのに泣いていた。おいおいと、泣いていた。こわかった。ナナセちゃんにではない。その物語が。こわかった。23歳の男なのに。
自動販売機の前に立ちポケットから小銭を出そうとしたら、ポロっと何かが落ちてかがんでそれを拾う。
【BUTTER SCOTCH】
さっき食べた飴の包み紙だった。
「バタースコッチ」
声に音に出していってみる。ナナセちゃんの部屋にもたくさんこの飴が置いてあったなとぼんやりした頭で思い出す。
ナナセちゃんはあの箱の中で一体いつまで男達を待つのだろう。あの箱の中から出してくれる人間はあらわれるのだろうか。それとも一生出られないのだろうか。狭く、苦しくないのだろうか。友達はいるのだろうか。そもそもいくつだったのだろう。
ガタン。と雑な音を盛大にあげ、缶コーヒーが吐き出される。
プルトップをひき、秋の夜空を見上げるかたちで缶コーヒーを一口飲んだ。甘い缶コーヒーは舌に甘く心にまでしみた。
ぼくはまた泣いている。なんでだろう。お母さん〜。って死んでねーよな。おふくろは。
ぼくは気がつく。
存外泣き虫だったということ。【BUTTER SCOTCH】が好きだったということに。
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