罷り路

水羽見

小説

9,769文字

2018-07-31 | 随筆

7492文字数、一気に7時間近く掛けて完結させた随筆作品です。

このフィクション作品は、御遺族の方々と教団の方々を侮辱する為に書いたものではなく、「罪とは何か」という永遠に解くことのできないテーマで書いた作品です。

もんのすごい量の俺のヤフコメを、さっき観たら削除されていることがわかった。


投稿内容に関する注意

 

Yahoo!ニュースでは24時間365日体制でのコメントパトロールを行っております。

ガイドライン違反の不適切コメントを削除」や「悪質ユーザーのアカウント停止措置」に加え、機械学習によって「不適切なコメントを解析・検知」も行っています。

違反するコメントを見つけた場合はコメントの報告にご協力ください。

禁止事項

  • プライバシーの侵害にあたるコメント

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  • 特定の個人(公人を含みます)、被害者・被害者の親族、犯罪者・犯罪者の親族などに対する人権侵害、中傷に該当しうるコメント

  • 不快な内容のコメント(わいせつ、差別など)

  • 根拠のない批判や全否定的なコメント

  • 複数のアカウントを取得し、多くの意見として印象を扇動する行為

  • 特定のユーザーに対して執拗に煽りを繰り返す行為

  • 報じられている出来事や情報との関連性がわかりにくいコメント

  • 意図が伝わり難い伏せ字や隠語を含むコメント

  • 犯罪または犯罪の助長にあたるコメント(犯罪・自殺予告、犯罪・自殺助長、恐喝、詐欺、フィッシングなど)

  • 宣伝行為や布教活動、抗議行動の扇動、またはそれに準じるコメント

  • マルチポスト(同じ文章を短期間に繰り返し投稿する行為)

  • そのほかYahoo! JAPANが不適切とみなすコメント


違反報告されたからか、Yahooが不適切と見做して削除したのか、はたまたA.I.が俺を危険人物と見做したのか…

それは以下のコメントである。

 


 

>『最期は善人に戻ったのか。それでも遺族は許せないだろう。亡くなられた方々は無罪なのに「死刑」にされたのだから。』

亡くなられた方々は無罪だとか、なんで軽々しく言えるんでしょうね。
いいですか。肉食はかなり重い大罪です。
オウム真理教信者は厳格な完全菜食を貫いていました。
肉食者は死後、全員地獄逝きであることをわかっていました。

人間の罪の重さを、人間が量ろうとすることがどれほど烏滸がましいことであるか。

人間を裁けるのは神だけです。
もし人間も人間を裁いて良いと言うのならそれはカルト宗教の考えと同じになります。

オウム真理教の教義は凡庸な俗世の人間の教えより遥かに優れた教えです。
人間を裁こうとしたのは人間を何百万回という地獄の輪廻から救い出す為です。
俗世の人間が人を裁くとき、その者を絶対に救い出してみせるという善なる信仰から裁けているでしょうか。
無論、そんな信仰はない人ばかり。
みんな自分の感情と安全の為に人を裁き、殺しているに過ぎない。
本当に愚かでならない。

信者以上の利己主義者達よ


>『決して白紙にはならないと思うが、洗脳されてたと気付き自分の犯した罪と真剣に向き合ってきた人と、まだまだ麻原を信じている奴では大きな違いがあると思う。同じ死刑でも死後は天国と地獄の差があると思う。』

最後まで麻原尊師への信仰を貫いたミラレパ正大師は接見室で奥様に向かって『死後、わたしも貴女も地獄に行きます。』と言われたそうです。

彼の亡き御尊顔は安らかであったと元出家信者の方から教えて戴きました。

でも人類にわかっておいて貰いたいのは、殆どの人間は死後、地獄なのです。

それが厭ならば、せめて完全菜食者になってください。

家畜の苦痛と人の苦痛は、さほど変わらないからです。
肉食は、実は殺人と変わらないほど重い罪(業)です。

何度も言いますがオウム真理教信者は毎日完全菜食、ゴキブリも捕まえて逃がしてあげてました。

肉食者に、殺人者を責める権利はありません。
肉食は殺人です。


>『それを自分の罪を認めて反省する、まともな精神状態にしてから刑に処するのが理想なんだよ
この人の場合は、ちゃんと罪を認めて刑を受け入れて、理想的な処刑だったと思うよ

池田小学校のときの宅間みたいに、なんの反省もなく遺族を罵倒して死なれるより余程まともだよ』

どちらが理想的かと言われると勿論前者です。
反省を何一つしない人を殺すことは例え被害者であっても野蛮な行為です。
しかし反省をしても殺せと言うのはそれ以上に野蛮です。

どのような理由があっても人を殺すことは野蛮なのです。
天地がひっくり返っても正義にはなりません。

旧約聖書の神ですら、人類を滅ぼされたあとに反省しております。
人一人でも苦しめたなら、正義だと開き直ることは野蛮です。

罪のない人間はいませんが、今、神によって人類が滅ぼされたら、それを神の正義だと想えるでしょうか。

誰もが生きていきたいのです。
殺すなかれ。


>『 面白いね朝日系列は被害者のその後の人生より加害者の擁護みたいな記事ばかり
亡くなった被害者はもちろんだけど重度の障害を負った人の事は記事にしないのかおかしいって思わないのかな社内の人は』

私にはどの記事も加害者を擁護しているようには想えません。
何故、皆そういう風に感じるのか不思議です。

事実を事実としてちゃんと知らせる事が必要です。

死刑囚の反省と苦悶を記事にしないなら、それこそ偏った社会です。

死刑廃止も、死刑囚を擁護するためにあるものではありません。
倫理、人権、正義とは何か?と人は追求していかなくてはならないからなんです。

悪いことをしたなら罰を与えろ。で解決することは一つもないからです。

子供が人様に危害を与え、ただ罰だけ与えてきた親は正義でしょうか?
何故、そんなことをするのか?親は子と、死ぬまで考えていく必要があるのです。
それが最も社会に必要なものです。


これ以上に、オウム真理教問題のコメントもたくさん送ったし、もっと環境破壊問題も訴えたコメントも大量に送り続けたのだが、

そのすべてが削除されている。(コピーして残ってたやつだけを貼り付けている)

確かにちょっと過激やなと自分でも想いながら打ち込んで送信したものもある。

しかし待ってくれよ。

俺のコメント以上に、ガイドラインに触れているコメントが山ほどあるのがヤフコメである。

それも大体がおんなじコメントばっかし。

くだらん、浅い思考しかしない人間ばっかりだ。

だから人を殺しても正義だとか言ってるんだよ。

正義なわけないだろう?

誰々は殺しても良いんだとか言って殺して、そんなことはすぐに忘れて、被害者遺族の感情もすぐに忘れて。

肉は食べたいだけ食べて、家畜の苦しみはどうでも良いとばかりに家畜の福祉には全く関心も持たない。

何がしたいんだろうなと想いますよ。

わたしは、はっきり言わせて貰うが、善意で自分の欲を毎日断って生きてきた人が洗脳され、善意から人を殺してしまった信者の彼らよりも、

人の命というものの価値の重さを量り、死刑を望み、そのくせ被害者のことも死刑囚のこともすぐにすっかりと忘れ、

家畜の苦しみを省みることなく肉食をし続けて美味いと喜んでいる人間のほうがよっぽど恐ろしい。

上記のコメントが消されたコメント欄は

オウム豊田亨死刑囚 執行までの3週間に親友が見た苦悩 麻原執行後に筆記具を取り上げられた〈AERA〉

この記事の一番上のコメントの「豊田死刑囚と親友で、個人的な良い思い出があるのはわかったけど、それでやったことが白紙になるわけじゃないよね。」のコメントの返信欄に書いたものである。

自分の個別のコメントも書いたが、それも削除されている。

自分の考えをまとめてみたいと想う。

まず、人を裁ける人など、この世界には誰一人いない。

人の罪の重さは、量れるものではないし、量ってはならないからだ。

人の罪の重さを量って死刑執行するとは、人の命の重さを量ることである。

それなのに多くの人は、人の命の重さを自分が量ることができるとでも想っている。

あいつは悪人だから、あいつは人を殺したから、生きる権利などない。そんなことを容易く言い切る。

ある日突然、人の脳を持った家畜が誕生する。

彼はそしてどんどん、人間と似た身体に成長してくる。

しかし彼の母と、彼の父は、人間の食べる食肉として、生きたまま解体されるという拷問のなかに死んで行った。

彼はある日、ヤフコメでコメントを自由に発信し、とても嬉しかった。

わーい、ここは、俺のどろどろな感情を、自由に吐き出せるぞー。

なんて気持ちの良い場所だろう!

そう想ってて、朝起きて、俺のコメントに返信きってるっかなー。とドキドキびくびくしながら

自分のヤフコメ欄を覗いてみた。

すると、あろうことか、自分のヤフコメが、もんすごい大量に、削除されていた。

彼は悲憤し、これは社会の陰謀ではないか?政府が俺を監視しているのではないか?と想った。

では、他の人間たちは、一体どれほどガイドラインに触れない、人を尊重した、思い遣り溢るるコメントを書いておるのか?

そう想い、自分の削除されたるコメント欄を観てみた。

すると、そこには、ほとんどが、死刑囚の死刑に賛成する者の、「人の命を殺したのだから自分の命で償うべきである」という考えのもとに

発せられているものであることがわかった。

彼は怒りにはらわたが煮えくり返った。

「どの口がゆうてるねん。この日本で、ほとんどの人間は肉食者である。つまり、俺の父母を拷問に掛けて惨殺しても平気な顔で俺の父母の死体をバラバラにした死肉を美味い美味いゆうて喰うとった人間やないか。」

彼は怒りに我を忘れ、噴火した。

「人の命を殺したのだから自分の命で償うべきである」ほうほうほう、そういう考えであるのだな。おまえらは。

俺にとっては、おまえらが貪り続けている家畜たちが人間だよ。

勿論、俺も人間の脳を持って生まれてきたから、俺も人間だ。

前世は脳も動物だったのかもしれないね。

俺は脳も見た目も、人間であるようだが、しかし、俺の両親は家畜であった。

俺はそれでもずっと怒りを沈めて生きてきたんだ、これまで。

でも、もう、限界だ。

俺は人類に、報復す。

そして彼は、オウム真理教の後継団体のアレフに入信し、約3ヶ月で出家した。

そして、漸く彼は覚ったのだった。

『人類がこのままやったら、あかん。』

『絶対に、あかんことに、なる。絶滅する。滅亡する。』

『なんとか、せなんだら。あきまへんやないか。』

彼は人類に、報復する為にアレフに入ったのに、あろうことか、彼は人類を救済せねばならぬという崇高なる正義と道義と本義に、ようやく目覚めたのだる。

彼がある日、いつもの近所のアレフ道場に赴くと、なんと、ものすごい信じられない人間とは想えないような神秘的で美しく、同時に白炎で燃え盛っているようなオウラ(Aura)を発し続けている黒い長髪と長髭を生やした人間が、紫色の衣を纏いて白い台の上に鎮座し、彼を穏かな小さなつぶらな目で見詰めておった。

『あ、あ、あ、あ、あ、嗚呼嗚呼嗚呼ああああああアアアアアアアアアアああああああアアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアアア嗚アアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ麻原尊師いいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?????????????????????????????????????????』

と、彼は叫び、あまりにも、目の前で自分を見詰めて慈悲深く微笑むその御姿が、麻原尊師にそおっくりであったので、発狂しかけ、脱糞もしかけたが、なんとか、耐えることができた。

彼は、感動の再会を果たしたような気分で、泣きながら麻原尊師に想い切り抱き着いた。

『いっ、生きておられたのですかああああああああああああ、ああああああああああああああっっっっっ!!!!!!!!!!!』

すると、麻原尊師は、彼をしっかと強く抱き締め返し、背中をぽんぽんと叩きながら、言った。

「ははは。わたしが死ぬはず、ないだろう。人は死ぬ、絶対死ぬ、必ず死ぬ。この世の命は幻に過ぎないが、わたしは死ななかった。ということは、わたしは、人ではなかったと、そういうことです。さ、修行に励みましょう。ハルマゲドンは、もうすぐ目の前ですよ。」

彼は滂沱たる涙と鼻水を流しながら、麻原尊師の胸に顔を擦り付けた。

『あっ、麻原尊師いぃぃぃぃぃぃぃっっっっっ。御逢いしとうございましたああああああぁぁぁぁぁっっっっっっ』

 

こうして彼は、甦った(?)麻原尊師と共に、日々、人類を救済すべく苦しい修行と教学に励んだ。

麻原尊師が寝ている彼の額に手をあて、シャクティーパットを受けると、グルの強烈なエネルギーによって射精の快楽を一万回足してもまだ全然足りないような恍惚な神秘体験を生まれて初めて経験した。

それはこんなヴィジョンを彼に見せた。

真っ白な衣を着た天女を、雲の上で彼は追い駆けた。

天女は彼を振り返った。すると驚いたことに、天女は美しい麻原尊師であった。

彼は白き大蛇の背に乗せられ、地上に降り立った。

そしてそこには、家畜たちが草を食み、彼がそこに立っていることに気付いて、家畜たちは振り返った。

すると、またも、家畜たちも皆、麻原尊師であった。

そして、彼は目覚めたのであった。

そうか、俺の父母も、実は麻原尊師であり、人類は麻原尊師の血と肉と乳を食べて生きてきたのか!!

麻原尊師はすべてのマザーであり、ファザーであったのだ!!

俺は麻原尊師と共に、人類を必ず救済します!!

 

本当に、本当に、本当に、俺は、目覚めたのだ!!

麻原尊師は、俺の部屋に翌朝早く訪れ、ドアを開けた瞬間、こう告げられた。

「決まりましたよ。あなたのホーリーネームは、”アチャラナータ”です」

俺は余りの感動に、第二の神秘体験に突入し、四畳半の部屋の壁と天井がすべて瞬間的にダイヤモンドと化し、吹雪く雪のようにその粒子が舞うなか、布団に包まったままの状態で麻原尊師に空中浮揚して飛びついた。

そして麻原尊師は何を想ったか布団に丸められた俺をくるくると一本の棒でクッキーを作るように空中で伸ばし始め、伸ばされた俺に、幾つもの星型のクッキー型で型を抜いていった。

俺は気持ちの良いほど、たくさんの星型となって分裂し、麻原尊師は今度は残りの俺の軀の生地を丸く捏ねてはごむ鞠のように床に打ち付け、跳ね返ってきた俺の軀の鞠を、細く長く、切っていった。

こうして俺の軀の無数の星型と、俺の軀の無数のうどんが完成した。

しかし、まだ、俺等は生である。

麻原尊師はうーんという口を伸ばした顔をして、俺等にこう言われた。

「此処までは頑張ったけれど、まだ生だからね。これ以上はわたしは手を加える必要はない」

星型とうどん型の俺等は口々に言った。

『これから、どうすれば良いでしょうか』

『人類を救済するには…』

『もうすぐ、間に合わなくなってしまいます』

『早く、早く、早く救わねばなりません!!』

『どうすれば人類を急速に!救済できるでしょうか?!』

麻原尊師は、また口を横に伸ばして「うーん」と言う顔をして言った後、こう俺等に告げた。

「そうだなぁ。やはり、此処は。ポア、するしか、ないかな」

俺等はみな驚いて顔を見合わせ、『ポア……しか、ないのですか…』と麻原尊師に言った。

突如、蝉がずっと鳴いていることに気付いた。

さっきまで完全に聴覚を奪われていたのだ。

目の前に、麻原尊師は居られなかった。

しかし床に一枚の白い紙が置かれてあった。

其処にはクッキーの美味しい焼き方と、うどんの美味しい茹で方が書かれてあった。

俺等はまた、顔を見合わせ、沈黙してその紙が燃えるほどに、熱い目で凝視し続けた。

そして言った。

『これが……ポアの方法か……』

一体、どれほどの、どれほどの地獄であろう…?

そしてなにゆえに、クッキーとうどん、この二つに俺等は分かれているのだろう?

つまり、ポアとは、実は二つの方法が在るということを、麻原尊師は示唆しているのではないか?

焼かれるポアと茹でられるポア、どちらのポアが地獄で人類を真に救済できるか、そういうことではないようだ。

しかし俺等は、今、無数に分裂しているけれども、素は俺一人である。

ということは、俺一人が、その両方のポアを、実行に移さなくてはならないということだ。

どちらか一つのポアだけでは、人類を全て、全て、いや人類だけではなく、生命をすべて、救済することはできない……!!

俺等はまた顔を見合わせた。

星型の俺等と細い麺型の俺等はそれぞれ顔を見合わせて、額から、じっとりとした脂汗を垂らし続けた。

その脂汗は、七夜目に、漸く止まった。

その間、俺等がどうしていたかというと、丁度、今年の御中元で貰った箱舟型の空箱があったので、その中に俺等は避難したのだ。

そして自分たちの脂汗を、一端バケツに汲んで、箱舟の窓から、その都度外へ排出していた。

七夜が過ぎてなんとか俺等の脂汗は止まり、脂汗海は波を荒立てることなく静かに穏かになった。

俺等はほっと一息つき箱舟の窓から外を眺めていた。

そして想うのだった。

人類を救う為には、自ら地獄へ向かわねばならない。

地獄へ向うところに天国が在り、地獄を拒むところには地獄が在る。

どちらも地獄ということだ。

地獄へ自ら向かえば地獄が在る。しかしそこには天国が在る。

地獄を拒むところに地獄在り、そこが天国で在る保証はない。

信者たちは、全生命の天国(救い)を心の底から信じて自ら地獄に向かい、地獄に堕ちた。

しかしそのような信仰のない者は、他者に地獄を与え続け、自ら地獄に向かうこともなく、後悔のうちに地獄へ次々と堕ちてゆく。

いや、それは自ら、地獄に突き落とされる。

そして業火に焼かれ、または釜茹でにされながら、地獄の底で救いを求め叫ぶ。

畜産業は、影で不要な虐待が行なわれ続けている。

鶏を生きたまま熱湯に入れて殺す。生きたまま燃やす。採卵用の雄のひよこは生きたままシュレッダーでミンチにする。

豚を生きたまま熱した鉄板の上に転がし、毛を焼き切る。仔豚の雄は去勢するため麻酔なしで下腹を切られ睾丸を引っ張り出す。

牛の目玉を抉り、電気ショックを何度と与え、尾骨を折り、思い切り足蹴りにする。

一体、いつまでこんな地獄に、わたしたちは耐えねばなりませんか…?

そう、地獄の苦痛を味わいながら、他者の地獄の苦痛を省みなかった者たちが、叫ぶ。

一体、誰が、どのように、彼らを救うことができるのだろうか?

何故、平気でいられるのか?

何故、平気でいられたのか?

俺等は断言する。

それが”洗脳”というものである。

人類が恐れ、忌み嫌い続ける、洗脳である。

まるで赤ん坊や幼児のように無邪気で純粋な彼らを、拷問に掛けて殺して食べ続けることが洗脳でなくて、一体何なのか?

”集団心理洗脳”、そこにある悪とは何か。

誰が誰を、支配しているのか?

俺の父母は、家畜であったが、俺は生まれてすぐに言葉を発したので、或る人間に家に連れて帰られ、人間として育てられた。

俺は何もわからず、生まれて約9ヶ月後からは、肉を食べさせられた。

肉は、美味かった。

そして俺は三十年近く、肉を食べ続けてきた。

俺を育ててきた人間は、或る日俺に言った。

「よく聴いてください。あなたが食べてきた美味しい肉は、実はあなたの生みの親と、あなたと同じ種の生き物の死んだ肉です。」

人間が、まさか、人間が、こんな酷いことをするはずがないと俺は想った。

『嘘でしょう…?』

『う、嘘ってぇ、言ってくうだ、さ、いよぅ…』

俺はその場で腰が抜け、がくがくな腰で俺を育てた人間に縋り付いて、「ええ、悪い冗談でしたね。嘘ですよ。」と言って微笑むのを渇仰するように目から粘液状の汗を垂らして喘いだ。

俺を育ててきたその人間はその時以来、無動無言症になった。

そして物も食べず、飲むことも出来ず、毎日骨と皮だけのようになった軀で眼を見開き、天井を睨み続けた。

奇妙なことに、俺を育てた人間は、死ぬ間際、白くて長いうどん状の、のたうつ蛇のような線形虫を、肛門寄りの脊髄の部分の穴から産んだ。

医者が病理解剖すると、その軀には脊髄が、なくなっていた。

どうやらあの、のたうち回って這う白いけれども虹色に光る美しい細い蛇のような線形虫自身が、俺を育てた人間の脊髄であったようだ。

その虹色に光る白いうどん状の45cmほどの線形虫は、のたうって這いずり、少し目を離した隙に、外へ逃げてしまった。

俺は今でも、その存在が、俺を育てた人間の本質であると想っている。

人間ではなかった。

だからあんなに酷いことを、俺に共喰いを、カニバリゼーション(Cannibalization)をさせ、俺にとっての人肉を、喰わせ続けて来たのである。

これが洗脳でなくて、一体何なのであろうか?

俺の脳は人間であるし、軀も人間のように見える。人は人の肉を食べると一番苦しい死に方をすると聴いたことがある。

俺は、人間ではないことはわかっている。父母は確かに食肉用に生まれて育てられた家畜だった。

だが突然変異で、ヒューマノイドでハイブリッドな感じの俺という変異生物が生まれてしまった。

俺の父母の親は、俺の祖母と祖父は、もしかして人間だったのじゃないか。

いやそうでなくともずっと遡るなら、きっと人間がいるんじゃないか。

気付けば俺等という一人称複数でなく、俺という一人称で話していたな。

この箱舟の中に、俺は無数に分裂しているが、俺は一人であるようだ。

しかしねとねとだ。俺等の七日掛けて流し続けた粘液状の脂汗であるから。

しかも、生温かい。一体どれくらいで、この脂汗海は渇くだろう。

渇いてくれなくては、俺らは竈と釜戸を、探しに行くことも見つけることも出来ない。

生の星型の俺等をOven(アヴン)でBake(化け)しなくてはならない。

阿分皿供(アブンベイク)する必要がある。

生うどん型の俺等を釜戸の釜(Kettle)で釜茹で(Boil、茫洋)しなくてはならない。

そして釜茹でうどんの完成だ。

家取る(ケトル)で菩鋳る(ボイル)。語尾に両方”ル”が入るが、これは釜(カマ)の、”カ”と”マ”の間に、入れなくてはならない文字が”ル”だからであろう。

Boilは日本語の発音だと茫洋(ぼうよう)である。

カルマ(कर्मन्)茫洋が、必要だということだ。

人類は、もうこのままでは、駄目だ。間に合わない。

人類は、間に合わない。

”何をやっても間に合はない
世界ぜんたい間に合はない”

俺という変異人間が、人類を救済せねば。

俺は不意にふっときづき、この箱舟の、磨りガラス状の四角い窓の向こうに反射する美しい午前の光を、眺めるともなく眺めていた。

そして、言葉を話した。

刈る魔。それは、魔を刈るという意味ではない。

魔が、刈る。何かを。

茫洋。

嗚呼、茫洋。

神は、そう言って、俺等を刈った。

2019年2月13日公開 (初出 https://blog.goo.ne.jp/amanenonikki/e/8a81d58510ecb8167ade16052ee0f0da

© 2019 水羽見

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