目覚める頃には

ショートショート・ストーリーズ(第1話)

諏訪靖彦

小説

2,426文字

エメーリャエンコ・モロゾフがコールドスリープ中に夢想したショートショートです。

「次に目覚めるのは百年後です。その頃にはきっと治療法が確立されていますよ」
 最小限に縮まった瞳孔ですらハレーションを起こす程の真っ白な部屋で、境界線があやふやに溶け込んだ真っ白なベッドの脇に立つ空色の白衣を着た女が俺に向かって語り掛けた。
「そうで……あることを……願っています……」
 既に首を動かすことは出来なくなっていた。宙を見たまま口を開き、そう言ったつもりだが、女に届いた自信はない。
「それでは、始めます」
 そう聞こえるのと同時に右腕に繋がれた管からピンク色の液体が身体に流れ込んで来た。いや、ピンク色であることは確認できない。確認することは出来ないが、右腕から体幹に向けて流れ込んで来る液体は仄かに暖かく、ピンク色以外の色彩を想像することが出来なかった。
 
 最初はただの発疹だと思った。虫に刺されたか、何かにかぶれたか、もしくは手荒れの類だと思っていた。それが次第に手指全ての関節が赤く腫れあがり、爪の甘皮に点状出血が現れた。会社帰りに訪れた皮膚科で念のためにと言われ取られた俺の血液は、町医者から大学病院へ、大学病院から研究機関に送られ、二週間後俺自身も大学病院に送られた。医師は深刻そうな顔を向け俺に自己免疫疾患の難病だと告げた。病の世紀が終わり、ヒトの平均寿命が百二十歳を超えた時代において、まさか自分が不治の病にかかるとは思っていなかった。医師から要領を得ない治療方法の説明を受けた後、免疫抑制剤による治療に入ったが、人工幹細胞療法にシフトした医療において、免疫抑制剤による前時代的な対処療法は停滞しており、満足な治療効果は得られなかった。
 幸い痛みは共わなかったが、効果の見られない治療は永遠のようで、それでいて次第に消えゆく四肢の感覚に時間は流れていくものだと認識させられた。自己免疫の暴走による体組織の繊維化はつま先から体幹に進み、自律運動が可能な領域が首から上に限定された頃、白衣を着た一人の男が病室に現れた。男はエメーリャエンコ・モロゾフと名乗った。その容姿と名前から最近平和条約が結ばれた某国との医療交流の一環として研修に来た医師だと思ったが、話を聞くとどうやらそうではないらしい。平和条約締結によりこの国に来た事は正しいが、医師ではなくビジネスマンだと言う。モロゾフはベッドの脇に備え付けられた来客用の丸椅子に座り、俺の病状を事細かく聞いた後、驚くような事を語り始めた。
「ハイバネーションをご存知ですか?」
 俺は首に嵌められた固定帯を顎で外し、首をだらりと左に傾けモロゾフを見る。その頃の俺は首を動かすことが出来たが、一度動かすと元の体勢に戻ることが困難なため、拘束具と言っていいような固定帯を首に嵌めていた。
「人工冬眠の事でしょうか?」
 SF好きなら誰でも知っている言葉だ。俺は仕事をしていた当時、暇を見つけては小学生が夢に見るような空想科学を、小学生の作文のような拙い文章で綴りWeb小説投稿サイトで発表していた。当然、小学生のような発想力と文章力に読者が付くはずもなく、独りよがりな文章をただただ書き続けていただけだったが、それでよかった。誰かに認められたいと言う欲求は勿論あったが、俺は自分の力量は知っていたし、なによりアマチュア作家である俺にとって好きな事を好きなだけ書ける環境があるだけで満足だった。
「そうです。人工冬眠です。はっきり言いますが、現在の医療技術ではあなたは死を待つばかりです。肝臓を除く臓器の大部分が繊維化し、代替臓器によって延命されてはいますが、いずれそれらを繋ぐ血管も線維化してしまうでしょう。そこで提案なのですが、ハイバネーション施術を受けてみませんか? 冬眠期間は百年が限度ですが、百年もあればこの病気に対する治療法が確立されているはずです。我が国のハイバネーション技術は他国の追随を許さないほど進歩しています。冷凍睡眠のような冷凍時の体組織破壊や解凍時の血管の膨張などの心配はありませんし、不凍液置換時の血液脳関門の混乱も起きません。ただ……」
「何でしょう?」
「費用の問題です。人工冬眠は冷凍睡眠と違い被験者のバイタル管理が必要となります。冬眠期間中、被験者の代謝は落ちますが、生きている事には変わりなく被験者は常にエネルギーを消費し続けます。その管理費用に……」
 モロゾフが言った冬眠期間時の管理費用は一般的な労働者生涯年収の数倍に当たるものだった。しかし、それは俺にとって大した金額ではない。退職こそしたが現役だったころ、俺が興した会社から一生遊んで暮らせるほどの役員報酬を受け取っていたし、何より死んだ両親から莫大な遺産を相続していた。どうせ使い道のない金だ。俺はモロゾフの話が終わると同時に言った。
「よろしくお願いします」
 
「……さん、……さん。聞こえ……か?」
 瞼の先がぼんやり朱色に滲んでいる。目を開けると瞬時に視界が朱色からぎらぎらとした黄色に染まる。視線を光源から外すとスティック状のライトを持った女が俺の事を見下ろしていた。
「あ、はい……わ、私は……」
 空色の白衣を着た女に向かって言葉を発しようとするが、口がうまく動かない。
「口は動かさないでもいいですよ。目の動きで確認します。目覚めたばかりで口輪筋をうまく動かせないでしょうから」
 俺は口を動かすのを止め、女の次の言葉を待った。
「今後の予定ですが、もう一度眠ってもらいます。次に目覚めるのもまた百年後です。まだ治療法が確立されていませんから」
 俺は鼻からゆっくりと息を吐き出す。既に六回冬眠を繰り返している。六世紀経っても俺の病気は治せないらしい。そればかりか、白い天井も医療器具も医療施設服のデザインも、初めてハイバネーション施術を受けた頃と何も変わっていない。それらの機能性は既に六世紀前に完成されていたのだろうかと考えていると、俺の身体にピンク色の液体が流れ込んできた。
 
 
 
エメーリャエンコ・モロゾフ『キムの水爆を食べたい』収録 
訳:諏訪靖彦

2018年11月24日公開

作品集『ショートショート・ストーリーズ』第1話 (全10話)

ショートショート・ストーリーズ

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© 2018 諏訪靖彦

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