それぞれの場所で、きっといつまでも

中塚大順

小説

2,780文字

甘い感傷にひたりきった男女の話。あかるい話。みじかい小説です。

十月の始め、僕たちはおおきな問題を抱えていた。それはよくある話だが、僕たちにとってはとても深刻だった。

イチョウの葉が色づきはじめ、日が短くなっていく。乾いた風が吹いて、肌をなでていく。

友人たちとひさびさに会ったあと、僕たちは一緒に帰っていた。暗い夜道を、ならんで歩き、くりかえし僕たちの横を車が通りすぎていった。僕たちが住むマンションが見えたとき、彼女は突然言った。

 「もうむりよ」

その言葉が何を意味しているのかはすっかりわかっていた。つまり、僕たちの関係はそのときすでに終わっていたのだ。僕たちがならんで歩くのは、何年も続いていた関係に流されているだけで、僕と彼女はそれぞれ別の方向を向いている。

僕は彼女を愛していたし、彼女も僕を愛していた。お互いにそのことは完璧に理解していた。

しかし僕たちの気持ちがどうであれ、もとにもどらないこともわかっていた。

 「でも、わたしたちはながいあいだ、お互いを求めていて、からだの深いところでつながったままでいる。だから、ゆっくりと離れることにしたいの」

たしかにそうだと思う。僕たちがいま別れたら、深い喪失感に押しつぶされてしますかもしれない。

 「四月になったら、自然と離れましょう。それまでにわたしたちはお互いを精算していくの」

彼女はうつくしい眼をもっていた。ながい睫毛が影を落とし、おさないが真に迫る力強い眼つきをしている。細身で、すらりとした腕から伸びるしろい手がやわらかな輪郭を描いていた。

最初は、僕が浮気をした。同棲してから三年経ったころ、会社の同僚と仲が良くなり、ひんぱんに遊びにいくようになっていた。

彼女は疑った。ある日彼女は僕を問いただし、僕は正直にただ飲みにいったりしているだけだと答えた。すると彼女は僕のことを卑怯だと非難した。僕にはそれが卑怯であるということがどういうことなのか理解できなかった。

そして次の日、いつものようにその同僚と遊び、そのあとはじめてその人とセックスをした。

たしかにあとから考えれば卑怯であったのだ。僕は知らぬ間に、彼女から浮気をしているかのように非難されたことで、その権利が与えられたのだと子供のように考えていた。

しばらくしたら彼女は僕の知らない男と浮気していた。

そのようなことは時間とともに落ち着いて、またもとの関係に戻るだろうとお互いに考えていた。より深く、強い関係として。

そして実際には、ただ悪化の一途を辿っていくだけだった。

ある種のものごとはひたすら最悪のほうへ向かっていく。僕たちは活力をうしない、うなだれていった。海の底に押し沈められたような息苦しさであったし、そこではもがくこともできないほどに脱力していた。

僕たちは別れるための準備期間に入った。

とはいってもそれまでと変わらずにいる。同じ部屋に住んでいる。

僕は本を読み、映画を観に行き、友人たちと飲み歩いて過ごしていた。ときどきその同僚とも会ってセックスをした。

彼女がどのように過ごしていたのかはわからない。いつも彼女は僕よりも早く家を出る。そして僕が帰ってくるころにはひとりで寝ている。

僕たちはそれまでの生活をわすれて、順調に固く結びついた糸をほぐしていった。痛みもなく、ゆっくりと、お互いを気にしないで日々がながれていく。

そのようにして一ヶ月以上がすぎた。十二月の半ばで、外では雪が降っていた。雪は地面に落ちて、コンクリートの熱でとけていく。部屋は暖かかった。僕が目を覚ましたとき、彼女は自分の洗濯を干し終えたところだった。

 「出かけようよ」と彼女は言った。

僕たちはデートをした。雪がぱらぱらと降るなかで、ふたりで歩き、彼女の買い物に付き合った。

スキー用品店の前を通ると彼女は

 「ずいぶん長いこと行ってないわね」と僕の顔をのぞいた。

 「たしかにそうだね。前に言ったのは四年前くらいかな」

 「わたしが滑れないこと知ってるのに連れていくんだから」彼女はわらっていた。

 「でも、そのおかげでだいぶうまくなっただろ」

 「そうね。あなたがちゃんと教えてくれたから」

夜になると僕たちはレストランで食事をした。ふたりですこし贅沢をしようとすると、かならず来る店だ。

 「旅行に行きたいな」と僕は言った。

思い出してみると、たくさんの場所に行った。それでも全部覚えている。

 「言ってみて」

 「最初に行ったのは熱海だ。そこは三回行った。そして草津は二回。伊香保、伊豆、それに群馬の山奥のところ」

 「赤城ね」

 「それから北海道に一週間泊まった。沖縄にも行った。あとは京都。海外だとハワイとセブ島だね」

 「ざんねん、ぬけてるものがあるわ」

なんだろうと頭を悩ませた。

 「おしえない」と彼女はいじわるそうに微笑んだ。

それからゆっくり歩きながら、僕たちは家に帰った。

そういえば、と彼女はつぶやいた。「初めて熱海に泊まったときの旅館、また行こうねって言ったのに、行けてないわね」

 「じゃあ今度行こうか」

 「いいわね」

そのあと、僕たちがならんで歩くことは二度となかった。

別れるための準備期間は佳境に入り、彼女は他に部屋を借りて、週の半分をそこで過ごした。だんだんと部屋にある彼女のものは少なくなっていった。彼女のタオルがなくなり、本棚に空きができた。僕のお気に入りだった彼女の下着もなくなっていた。

部屋に彼女がいるとき、夜遅くまでさまざまなことを語りあった。それは未来についてのことであり、希望に満ちた会話だった。いまの僕たちの状況について話すことはなかった。

ほんとうにおおくのことを語り、僕はこれまで以上に彼女を深く知っていった。そしてだんだんと彼女がどのような人間であったのかわからなくなってきた。

三月の終わり、日が傾いて、風が強く吹いていた。イチョウの木の梢がゆれて、群となった鳥たちが、いっせいに飛び立つ。屋根の上にとまる鳥は、くりかえし僕たちの声を模倣しているように鳴く。

僕はなによりも特別な時間を過ごしていると感じていた。

彼女はコーヒーを入れてくれた。その夜、僕たちは一晩中話しつづけ、いつのまにかカーテンから差しこむやわらかな光をふたりで浴びた。

僕は眠るために横になり、彼女のながい睫毛が影を落としている眼をおぼろげに見ていた。

彼女は右手でそっと僕の頭にふれた。

それから僕は眠りにつき、外が暗くなる頃に目が覚める。

彼女のものは完全に無くなっている。がらんとした部屋に、彼女はもういない。別れの言葉もない。

草木が力を取り戻し、青く伸びていく。あたたかい光が満ちている。

とても充実した気持ちだった。彼女も同じだろう。

僕たちは、もう会うことはないが、僕と彼女はそれぞれの場所で、きっといつまでもこのような日々が続く。

2018年8月11日公開 (初出 https://note.mu/lenhu11/n/n94de963e67af

© 2018 中塚大順

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