:母親のモノローグ
「ええ、ちょっと前までは、本当に自慢の娘だったんです。
学校では、2年生の時から、生徒会長も務めておりましたしね。
成績も常にトップクラスで、運動もバスケット部のキャプテンでした。
先生方からも、クラスのお友達からも信頼を集めておりましたし。
ええ?バイト?アルバイトですか?
いえ、宅では一切、そうしたことはやらせておりません。
一応、これでもこちらで親子3代に渡って開業医をさせて頂いておりますので、娘にアルバイトさせる必要はございませんので。
はい、それで思い当たるふしと言われましても・・。
もともと、まあ、世間でいうお嬢様育ちと言うのですか? 宅では文字通り、箱入り娘として育てて参りました。
我が家はもともと、女系家族ということもあって、私の祖母も、私の母も、私も余所から入り婿を取って、病院を守って参りました。
宅は、開業医と申しましても、そこらの町医者ではございませんのよ。
遡れば、藩の御典医を務めて参りました家柄ですのよ。
当時は、いち早く、蘭学の技術を取り入れたとかで、お城のお殿様からの信頼も篤く...あら、ああ、そうでした。娘のことでしたね。
それで、そういう家柄に生まれたこともあって、それこそ、幼稚園に上がる前から、いわゆる英才教育を施して参りました。
この子、これでも、まだ18歳なのですが、英語はもちろん、中国語、ええ、これからは中国の時代ですので、はい、それにあと、今はフランス語の学校にも通わせておりますのよ。
まあ、親と致しましては、将来、世界中の何処に行っても不自由のないようにと、いろいろな語学を身に付けさせたのですが、それがどういう訳か、
徒となりまして・・。
ええ、そうなんです。なんか、ソ、ソロモンの72柱ですか?そんなことを口にするようになったんです。
もう、親としても何が、なにやら、まったく訳がわからない言葉ばかり、並べられて・・。
自分は、そのソロモン72柱のなんとかの生まれ変わりだとか、輪廻転生したとか、別の何かを召還するとか、本当の理解出来ないことを口走るようになったのです。
最初は、夜のわずかな時間にそうなっていただけなんです。
宅では、毎晩、夕食が終わりますと、自分の勉強部屋に戻って、寝るまでの間、お勉強の時間なんです。
ええ、そうなんです。
ガリ勉とおっしゃられますが、昔から、そういう癖を付けさせて来ましたので、本人もそれが生活の一部になっているんです。
なぜですって?
だって、あなた。やはり、人生は生涯勉強ですよね?
そうして、小学校の時から頑張ってきたからこそ、こうして常に学校で1,2を争う成績を修め続けてくることが出来ましたし、おかげさまで大学の推薦にも合格出来ました。
ええ、そうなんです。
その合格が決まった頃から、そういうソロモンのなんとかが激しくなって来たのです。うぅ・・。ああ、どうも、すみません・・。
それでね。推薦に合格するまでは、どこもそうでしょうけど、必死で勉強致しますわよね。
宅でも、家庭教師を3人つけて、ええ、それぞれの教科毎に専門の大学院生を付けて、毎晩の勉強を見てもらっていたんですよ。
それが、この春過ぎくらいからでしたか、その大学の推薦が取れそうだという頃から、その夜の勉強時間の中で、少しずつ、おかしなことを口走るようになりまして。ええ、そうなんです。
最初に気が付いたのは、数学を見て頂いている清水先生でした。
清水先生も、はじめはこの子、希ちゃんがふざけているのかな?と思ったそうです。それで、冗談かと軽く受け流していたのですが、そのうち、明らかにこれはおかしい?ということに気が付いたらしく、私に報告があったのです。
『お母さん、ちょっとご相談したいのですが、希ちゃんなんですが、
お勉強の最中に、ふと、考え事をしていて、こっちは問題を解いて
いるのかなーと、思っていると、なんだか、どこか、別の世界に
空想で行ってしまうことがあるようなんです。』
その先生の言葉をお借りしますと・・
「『先生、私、ゴエティアの中に引きずり込まれそう!』とか、『これから、ソロモン王の封印が解かれて、72の悪魔軍団が地上に放たれる。』というようなことを口走るようになり、目が完全に宙を泳いでいるんです。」
とのことで、私も最初は、信じられませんでした。
少なくとも、私は希ちゃんのそういう姿を目にしたことは、ございませんでしたし、その清水先生と二人がお勉強の合間にふざけているのかな?と思っておりました。
ええ、でも、この清水先生というのは、本当に真面目な女性なんです。
はい、うちの家庭教師の先生は、皆さん、女性です。
嫁入り前の娘に、万が一のことがあっては、取り返しがつきませんから。
それで、しばらくは放っておいたんです。私も、ウチの病院の理事会などが
ございましたもので。
そのうち、おなじようなご報告が、ほかの家庭教師の先生、ええ、村山先生と、須田先生とおっしゃるのですが、そのお二人からも、清水先生とまったく同じようなことをおっしゃるのです。
はい、宅では彼女ら、家庭教師はまったくの個別管理をしておりますので、相互に連絡を取ることは一切、ございません。
お互いの存在すら、はっきりとは知らない筈です。
それぞれ、教科も違いますし、所属する大学も異なります。
それが、3人とも異口同音に同じことを口にし始めまして。
それで、私もこれはおかしいということに気がつきはじめました。
昼間は普通に学校に行って、楽しそうに過ごしているのです。
私や主人の前でも、今までとおりの普通の希ちゃんでした。
でも、夜になって、だんだんとお勉強の時間の中で、そういう空想というか、妄想の時間が長くなってきてしまって、先生方から、これではもう、お勉強にならないと相談されました。
ええ、もう、最後の方は、先生が部屋に入ってきた瞬間から・・
『そなた、何者ぞ?なにゆえ、わらわの部屋に現れた?』
と言って、ものさしを突きつけたりするようになったそうです。
たまたま、その頃に大学の推薦も合格出来た頃だったので、先生方には、お暇を出させて頂きました。
ええ、本当は、大学に入ってからもやはり、いろいろな資格を取るために、お勉強を続ける必要がございますので、家庭教師を続けてお願いしようとは思っていたのですが...。
それで、これは、ここだけのお話ですが、やはり、こういうお話は噂になりますでしょ?『あそこの娘さんは、おかしい』とか。
そういうデマが流れましてもね、宅としては困りますから、先生方には、十分すぎるほどの特別なお手当てもお支払いして、辞めて頂きました。
まあ、その中に口止め料としてのお金も含まれておりますので、万が一、口外されることはないと思いますが・・。
その意味では、こちらのクリニックでも秘守義務の遵守は、大丈夫でしょうね?本当は、宅でも病院を経営しておりますので、ちゃんとした、お医者さんに掛かりたかったのですが・・。
あら、いやだ。こちらがちゃんとしていないと申しているわけでは、決してございませんのよ。
ただ、どこの病院の心療内科も、精神科医も、希の病状を診て、『これは、とてもうちの手に負えない。』と、匙を投げるか、統合失調症と診断して、入院手続きを取ろうと致しますのよ。
これも、嫁入り前の、いえ、婿取り前の娘の肩書きに傷が付きましてもねえ。そう、思いまして、藁をもすがる思いで、こちらのクリニックをご紹介されまして、お伺い致しました次第でございますのよ。
もう、今は、ご覧のとおり、ほぼ起きている間はずっと、そっちの精神世界に行ってしまっているといった状況で、何を話してもまともに会話がかみ合うことはございません。
とりあえず、私も主人も、どう接して良いか、わかりませんので、今は見守るしかありませんが、時折は、元の良い子だった希ちゃんに戻ってくれて、普通に話してくれるんです。
なんか、その昔、あの『変身ーっ』ってのが、ございましたわよねえ。
まさに、あんな感じなんです。突然、変わってしまって、そのままになってしまう時間が、だんだんと長くなってきている状態で。
もう、本当にどこのお医者さんもダメなんです。
妄想癖とか、そういうレベルの問題ではなく、すぐに統合失調症と看做そうとしてしまって。あれって、昔は精神分裂症と呼ばれていた病気ですよね。
宅の希は、病気じゃないんです。決して、病気なんかじゃないんです。
うぅ・・。 ごめんなさい・・。
私は、もう、この子が不憫で、不憫で・・。
この子は、今まで、ずっと頑張って来たんです。
お勉強にも、お稽古事にも、スポーツにも。
本当に、まだ、18歳になったばかりなのですが、もう、お茶とお花とお香とお習字のお免状を頂いておりますのよ。
あ、それと、日舞と着付けもございました。
宅は、生け花の未生流の皆伝ですのよ。ご存知ですか?
嵯峨御流の、ええ、京都の大覚寺の、あの大沢の池のある・・。
あら、いやだ。また、関係ございませんでしたわよね。
それで、こちらのクリニックが、とても優秀だと伺いまして、ええ、本当は、ちゃんとしたお医者さんにと思いましたのですが・・
あら、また。失礼、こちらがちゃんとしていないというわけではございませんのよ。ほほほっ。
ただ、宅にもいろいろな事情がございまして、あまり、公にもできないのと、娘を確実に治して頂く必要がございますのもので。
従いまして、もし、娘を元の通りの普通の良い子に戻して頂ければ、きちんとしたお礼はさせて頂きます。もちろん、口止め料として、それなりの色も付けさせていただきますけれども。
そういう状況ですので、どうか、よろしくお願いします。」
そう言って、二重人格症と思しき精神疾患に悩む18歳の佐々木希の母親は、形ばかりの頭を下げた。
下町の場末の繁華街の一角にある心理クリニックに来るのに、どうして着物を着る必要があるのか、砂場には理解出来なかったが、それなりに娘の将来を心配する母親の心境は伝わってきた。
「ちょっと娘さんとお話させてください。」
そう言って、砂場は妹の冴子に命じて、母親を近くの喫茶店に小一時間ばかり、連れ出させた。
:アルテミスの悲劇
砂場と二人だけになった希は、とくに怯える表情もなく、砂場の目を正面から見据えている。そのまなざしは、ベテランの砂場ですら、一瞬、たじろぎを感じるほどの鋭さだった。
「そなたは、何者ぞ?ゴエティアより蘇らし、ソロモン72柱の一人か?」
砂場は、希の瞳孔に懐中電灯のライトを当てたり、目の前で指を鳴らしたりして、反応の確認している。
「なあ、お嬢さん。あんた、そういう世界の話が好きなのかい?」
砂場は、とりあえず、ざっくばらんに話しかけてみた。
その反応を見て、相手の症状を汲み取ろうとしている。
希は答えなかった。
砂場の顔を氷のような表情で、冷ややかに見つめている。
「あんたの名前は?」
砂場はストレートに聞いてみた。
「我が名は、アルテミス。弓術・狩猟・清浄を司っておる。
そなたは、何者ぞ。」
「ああ、俺か?俺は、砂場恍。恍惚のコウと書いて、あきらと読むんだ。
変な名前だろう?なんか、Hだよな。そう思わない?」
「わらわは、そのようなことは知らぬ。」
希は表情を変えることなく、つぶやいた。
「あ、そう。まだ、未通女(オボコ)なんだ。
今どきの女子高生しては、希少動物だね。さすがは箱入り娘。」
砂場は、希の心の揺れの反応を伺うため、わざと挑発的な言葉を並べた。
「それにしても、さっきのアンタのお母さん、あれは凄いねーっ。
なんかさ、一人でずーっと、しゃべりっぱなしで、第1章分を全部使っちゃったよ。
いつも家庭でもあんな調子なの?あれじゃあ、アンタもたまんないねー。」
「あの者は、現世に転生した折の仮の母に過ぎぬ。
わらわの本当の母君は、レト。わらわは、全能の神、ゼウスとレトの子。」
「あ、そう。じゃあ、さ。あんたのアルテミスというのが、オリュンポス十二神のアータミスの古典ギリシャ語名を指すなら、それはローマ神話で相当する存在として、古典ラテン語名のディアナって、いうことだろう?」
砂場が鼻毛を抜きながら、なにげなくそう切り出した瞬間に、希の瞳にわずかに輝きが宿るのを、砂場は見逃さなかった。
「そのディアナってのがさ、23世紀の宇宙では、カウンセラーをやってるだろう?
『スタートレック』ってアメリカのSFドラマに登場するんだけど。
あれのさ、地球連邦のUSSエンタープライズっていう宇宙船に搭乗している
カウンセラーの女性の名前なんだよ。知ってる?」
「SFドラマなどは、そなたたち人間どもが勝手に作り出した世迷言に過ぎぬ。
わらわの住む崇高な神話世界の話と、並べて語らぬが良い。」
砂場は、希の言葉を無視して会話を続けた。
「で、その23世紀の宇宙船の中でも、カウンセラーってのが重要な役割を
担っているわけ。だからさ、こうしてアンタの話を俺が聞いているんだよ。」
再び、希が無表情に戻った。
「そんなわけだから、もうしばらく、俺につきあってもらうよ。
一応、これも俺の仕事なんでね。」
「勝手にするがよい。」
「それでさ、その何だっけ?アフロディーテじゃなかった、アルテミスか、
そのアルテミスさんよ、あんたは今、なんでこの世にいるのよ?」
「かつて、ソロモン王が封じたソロモン72柱の魔人どもが間もなく、復活を
果たすのじゃ。その召還を阻止するのが、わらわの役目。」
希は、極めて真顔で答えている。
「へー、そりゃ、大変なお役目だねえ。
でも、そんな役割がアルテミスにあったかな?」
砂場は挑発の糸口を見つけた手ごたえを得た。
「そ、そなたは何を言っておるのか?」
明らかに希の表情には、狼狽の様子が伺えた。
「だってさー、アルテミスって、狩猟と純潔を司る処女神だったよね。
たしか、ヘスティアやアテナと共に、ギリシア神話三大処女神だったっけかな?
その意味では、たしかにお嬢様のアンタに相応しいといえば、相応しいけど。」
希は黙って聞いている。
「でも、たしか、双子の兄貴か、弟かにあたるアポロンにそそのかされて、当時、つきあっていたオリオンを恋人とも知らずに射殺したんじゃなかったっけ?」
砂場の意外な博識ぶりに、希の表情がかすかに変わってきた。
「あ、あれは、兄上に騙されての若き日の過ち・・。
今は、ただ、新たに復活するソロモンの72人の悪魔人たちを・・」
「ところで、そのソロモンの72人ってのは誰?
どんな奴?どこにいるの?強いの?悪いの?カッコイイの?」
砂場は、敢えて子供が怪獣の話を聞きたがるような好奇心をむき出しにして希の説明を待った。
その砂場の質問は、希のツボを得たらしい。
今まで、この部屋に入ってから、初めて見せる嬉しそうな表情を浮かべて、滔々と話し始めた。
「うむ、良き質問じゃ。
そもそも、ソロモンななじゅうふたはしらとは、悪魔学において、イスラエル王国の第三代の王であるソロモン王が封じたとされる72柱の魔神のことを指すのじゃ。
それぞれが、地獄における悪魔の階級における爵位を持ち、大規模な軍団を率いておる。」
ソロモン72柱とは、砂場にとって初耳であったが、乗りかかった船でもあるから、辛抱強く聞いている。
その砂場の態度に気を良くした希は、スラスラと言葉を続け始めた。
「この72という数には、十二宮の一つの宮をさらに六区画に分割して得られる数字であるから、象徴的な全方角の支配者を定めるための図から得られたものらしいがの。」
とても、現役の女子高生の口から出る言葉とは思えなかった。
砂場は、あっけに取られつつも、不思議と好奇心が刺激され、次の言葉を待った。
希の表情は、相変わらず、感情の起伏が伺えなかったが、それでも、今、こうして自分の話したいことが話せるという状況に、精神的な満足を感じている様子が伺えた。
希の言葉は、さらに続いた。
「ソロモン72柱には、つぎの序列がある・・
1.バアル
2.アガレス
3.ウァサゴ
4.ガミジン
5.マルバス
6.ウァレフォル
7.アモン
8.バルバトス
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