(9章の2)
バスがやってくるまでにかなり待たされた。これはわたしが、「バスがすぐに来る」と念じなかったからだ。田舎のバスは本数が少なく、長く待たされるのが当たり前なのだ。特に念じなければ、この時代の常識に沿って、ことが進む。
しかし、本当に待ったのだろうかと疑問も感じる。この世界には時間などないのだから、待ったという感覚を植えつけられただけかもしれない。人の感じる時間の長短というのは、ある種の薬物の配合で操作が可能だ。だから、やってやれないこともない。もしかしたらこの3日間という時間そのものが、操作されたものかもしれない。そうする方が、業者としては利点が大きい。短時間で済むのであれば、容態の悪化に気を配る時間も短縮できるというものだ。
夕刻なので、バスは混んでいた。冷房などなく、汗のにおいが車内に漂う。しかし窓が開いていて風が通るので、たいして不快には感じない。吊り革につかまってぼんやりと夕日を見ていたら、バスは駅のロータリーに滑り込んだ。
小さな駅舎の入口に、赤い筒型の郵便ポストが立つ。ここの時代設定が昭和40年ジャストだとしたら、まだ郵便番号制度はないわけだ。仕分け、たいへんだっただろうな。わたしはぼんやりと思う。郵便局員という職業は、平成の世ではプロフェッショナルという言葉からは最も遠く感じる職業に成り下がってはいるが、この時代には仕分けの職人がいたことだろう。
わたしは10円玉を2枚出して1駅分の硬券を窓口で買い、リズミカルに鋏で金属製のリズムを刻む駅員から切符に鋏を入れられ、入場する。
かろうじて脇だけがコンクリートになっているプラットホームは、街灯もなく暗い。錆びた網目のくずかごに、掘っ立て小屋の待合室。わたしは、「人も、列車も、来ない」と念じた。そして木のベンチに、カバンを枕にゴロンと横になった。
一度やってみたいと思っていたことだ。気ままに一人で、ふらふらと鉄道を乗り継いでいく。宿は駅で、目的地も適当。あやうくやれないまま、人生を終えてしまうところだった。
ちょいと惰眠をむさぼるのも悪くはないが、この夢の世界には眠りがない。ここでは72時間、起き続けとなる。眠気を感じないように施されているので、それで辛いわけではない。
わたしは帽子を顔に乗せ、視界を塞いで考える。寿命の尽きる者だけではなく、大金持ちの連中なども『業者A』に勧誘されているのではないだろうか。あれほどの施設に設備だ。それに、ここまでの研究や開発費に莫大な金がかかっていることだろう。むしろわたしのような者は稀で、大金持ちの余興の方が主要な業務なのかもしれない。海外の富豪などを受け容れていることだって考えられる。湯水のように金を使える億万長者なら、3日間の好き勝手な体験は安いものだろう。
もしそうであれば、心底うらやましい。最後でない、人生の途中の3日間に思うままのことができる。銀行強盗をしてもいいし、殺人を犯してみてもいい。それを思い出に抱えるその後の人生は、より充実することだろう。
でも一方で、やはり寿命の尽きる者限定なのかな、とも思う。そうでなければ、秘密を保てないからだ。こういった業種は倫理的にも風当たりが強いだろうから、秘密に行っていくことが必須となる。富豪たち、ましてや外国人のそれにまでターゲットを広げれば、隠しておくことは絶対に不可能だ。わたしのような客であれば、夢が終わって現実世界に戻ったあと、世間に伝える手立てがない。
帽子を取り、のっそりと起き上がる。両の手をぺったりと付き、少し前のめりに、呆けたように夕日を見る。もう何時間も見ているというのに、内面からわき上がる怖れは一向に消えない。人間が大きな自然を見るときに感じる、原初の怖さ。えんじ色に染まった空に、わたしは吸い込まれそうだ。
わたしが子どもの頃に暮らしていた町の最寄り駅は、これほどまでにローカルではなかった。平成の世から見れば古びてみすぼらしいが、それでも複線のホームで、跨線橋も掛かっていた。電化もされていて、車両は六両。郊外の住宅地にある駅だったのだ。しかし今目の前にある、単線のディーゼルという設定の方が、大きな夕日の畏怖を味わうには適している。わたしは原体験と現況が食い違っていても、満足だった。
はたして夕暮れが怖くない状況というのはあるのだろうか。わたしは以前、大真面目にそんなことを考えたことがあった。子どもの頃ではない。成人してからのことだ。会社からの帰り、電車の車窓から、真っ赤に染まった家々を見つめながら考えたのだ。
まったく、自分の人生は夕日のことばかり考えどおしじゃないか。わたしは鼻で笑った。子どものときならいざ知らず、大人になってまで考え、しかもご丁寧に、考えたことをいちいち覚えているときている。やはりわたしは、夕日というものに特別な思いがあったのだろう。
あの夏休みの最後の日に考えた、夕日を見ながら死んでいくのではという予測。それと同様に、この、会社帰りのときに考えたことも明確に覚えていた。
あれも夏だった。わたしは高架を走る電車の車窓から、びっしりと隙間なく並ぶ屋根を見ていた。そして夕日の怖くない状況というのを考えた。そんなことなんかに時間を使わないで、仕事のことに頭を使っていれば少しは出世できたのかもしれない。もっともこうやってがんに倒れるのだから、出世したところで意味はなかったのだが。
そのときにわたしの構築した状況というのは、こうだった。わたしは結婚していて、幼い子どもがいて、そして既に家も持っている。それが背景。そして週末、仕事が順調に終わり、残業がなく、思いがけずに早くあがれることとなり、まっすぐ地元駅まで帰ってくる。
そんな状況であれば、暗く、深い朱色に広がる空を見上げても、怖さは感じないで済むのではないか。これなら、負の気持ちなど入り込む余地がない。いやぁ、こんなに早く帰れちゃったよ。なんだよ、まだ夕暮れじゃないか。あぁ腹へったなぁ。でもまだ飯なんてできてないだろうから、ま、しばらく子どもと遊んでるとするか、と……。
おそらくそんな日は、夕日はむしろ好ましいものに映るかもしれない。
今こうして思い返すと、なかなかユニークなことを考えてたんじゃないかと、自分に感心したくなる。会社に勤めだしたばかりのわたしは、そんな30代になることを密かに望んでいたのだ。
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