興福寺の北、三笠墓苑のゆるやかな坂を上る。
クマゼミがしゃわしゃわと鳴く坂の脇には真新しく細長い石灯籠が整列していて、山のひらけた西側からは奈良盆地が一望できる。地平線の縁に連なっている山は生駒山地で、その手前に広がる狭い盆地は、奈良県の景観条例で興福寺の五重塔より高い建物がたてられず、大和西大寺駅――これから訪れる慰霊碑が祀る、政治家の最期の地――の地味なダークグレーの駅舎も、ほかの同じ規模の地方都市に比べれば低めの商業ビルたちのあいだに埋もれていた。
「すまねえな、黒木。こんな程度の坂、東京だったらどこにでもあるし昔の俺だったらひょいひょい登れるのによ」
ぜえぜえとした声で呼ばれて後ろを振り返る。親友の佐藤は片手に花を持ったまま、もう片方の手を膝についていた。日本会議の関東ブロック支部長で、幹部のなかでいちばんの大男の佐藤健一はまだ四十歳なのにここ最近は老けこんで、頭は白髪だらけになっていた。痩せた体と、着ているだぼだぼのスーツとの対比が可哀そうに思えた。
普段なら佐藤のすぐ近くにいるボディーガードは坂の下まで離れて行って、ハイヤーの前で仁王立ちをしていた。佐藤が待機させていたのだ。ただの一般中年イラストレーターの自分にとっては、この佐藤健一は右翼界の若手のホープでなく、高校の薄汚い部室で一緒にスーファミで遊んだ親友のサトケンだった。
「どうだ、黒木。絵はできそうか」とサトケンが聞いてきた。
「なにも。アイディアが出てこねえ」
なかば諦めて返事する。
生成AIの発展で仕事がなくなった俺に、サトケンが日本会議の機関紙『日本の息吹』の表紙のイラストを描かないかと誘ってきたまではよかったのだが、うかつに仕事を引き受けて後悔していた。機関紙の主な購買層の、田舎の裕福な地主や日本が豊かだった時代を懐かしむ高齢者が好きそうだからという理由で、イラストには繁盛する小さな商店街を夕暮れ時にオート三輪で走る風景とか、家族全員で御真影に頭を下げる光景など、三丁目の夕日やクレヨンしんちゃんのオトナ帝国の逆襲でしか見たことのない古き良き昭和を描くよう指定されているがそんな光景は奈良市の端のニュータウンで産まれたアラフォーの自分には想像すらできず、イラストは案の定描けず、ついに締め切りを破りそうになった寸前、サトケンから東京から奈良に帰るから会いたいと誘われたのだった。
サトケンがようやく坂をのぼってきて、二人で墓地の区画に入る。入り口のすぐ脇に大きさ一メートルほどの御影石が置かれて、その中央には「不動心」と彫られていた――安倍晋三の慰霊碑、留魂碑だった。一昨日、七月八日は命日だった。サトケンは参議院応援で忙しく、慰霊祭は欠席して、今日ここへ個人的にやってきたのだ。
手に花を持ったまま、サトケンは黙って慰霊碑をじっと見ていた。
長く沈黙していた。慰霊碑の周りは、クマゼミの騒々しい鳴き声で満たされていた。
ようやく、サトケンは絞り出すようなかぼそい声でつぶやいた。
「――俺はわからない。尊敬していた先生があんな教団に関わっていたのが」
少なくともいままでサトケンは俺に嘘をつかなかった。ここへはサトケンのハイヤーに乗せられきたのだが、車内で聞いたところ、サトケンは幹部なのに日本会議が統一教会としばしば、反共運動やジェンダーフリーへのバッシングで共闘した事実を本当に知らなかった。
慰霊碑の前、低めの献花台には菊や百合など多くの花が手向けられて、大半の花は萎びていた。その献花台の中央に、ほかの花よりも妙に赤く紅い花があった。近づいてよく見ると、実が裂けて、献花台の白い布に紅い果肉が染みを作っていた。――鬼灯だ。
花に詳しい母親がむかし、よく花言葉を教えてくれたからわかる。鬼灯の花言葉は、「嘘つき」だ。
サトケンは花を献花台に手向け、ゆっくりとしゃがむと手を合わせた。サトケンのしわだらけの顔からは、どこを切り取っても苦悩が滲みでていた。サトケンは統一教会の宗教二世だった。教祖は日本をサタンの国だと否定して、韓国人の父親と日本人の母親は合同結婚式で結婚。サトケンは成人するまで日本と韓国の二重国籍者だった。だからこそ、サトケンは日本会議のために身を削って頑張った。ハイヤーのなかで自慢げに見せてきた写真には、豪華絢爛なホテルの大宴会場で自民党の大物議員たちや、日本会議の長老たち数十人のなかに並んでサトケンが映っていて、その顔は野心に満ち溢れていた。
サトケンがいつか言ったひとことを思い出した。
――俺は日本人以上の日本人になりたい。
二人で坂を下ると「黒木、母さんは大丈夫か?」とサトケンが聞いてきた。サトケンは人差し指で頭をトントンと突く。
「大丈夫じゃないよ。もうあきらめた。今日もどこかで奥崎謙三みたく街宣車に乗り回して演説してるはず」
母は鹿せんべい売りのおばちゃんだ。コロナ禍で鹿せんべいが売れずに困っていたが、コロナ禍が明けても売り上げは戻らずついにおかしくなった。
すべて、鹿は実在しない運動なんてネットミームのせいだ。
コロナ禍が明けた二〇二三年春、東大寺学園高校の生徒がTwitterに「奈良公園には本物の鹿は一匹も存在せず、すべての鹿は闇の力によってすりかえられた」と投稿。いわく、奈良公園の鹿は春日大社に祀られる春日大神の遣いだが、北極に住む鹿のサタンが南下してきて、日本を支配するのに邪魔だからと手先が奈良公園の本物の鹿をすべて攫って鹿そっくりの化け物にすり替えたというのだが、投稿日は四月一日。当然このツイートはジョークなはずだった。
だが奇妙なことにこの投稿を本気で信じる人が世界中に出現。TwitterがXと改名したころには鹿は実在しない運動にかかわるショート動画が数え切れないほど増え、その年には映画化をしてしまい、春日大社や興福寺、奈良県庁が「奈良公園の鹿は実在します」と連名で声明を出すまでに運動は発展した。そして去年あたりから、話を本気で信じて、北極の鹿のサタンを崇拝するカルト教団の信者が奈良市の中心部に大量に移住。観光客は不気味がって来なくなった。いまでは奈良の中心部にやってくるのはオカルトマニア、そしてこのカルト教団の信者しかいない。
鹿せんべいの売り上げが激減した母は毎日愚痴を吐き、仕事を辞めようと漏らしていた。そんなある日のこと、ニュータウンの一戸建て、二階の子供部屋で俺が遊戯王のカードのデッキを作っていると突然外から絶叫する声が聞こえた。驚いて窓から顔を出して見下ろすと家の小さな庭で草むしりをしていたはずの母は、駐車スペースのムーヴのルーフに乗って両手を広げ、目をかっと天へ見開いたまま「鹿は実在しない!」と叫んだ。それから毎日、母はムーヴを運転し、奈良県内のいたるところに行くと、鬼気迫った口調で鹿が実在しないと演説するようになった。
だがそれでも鹿はしっかり実在して、奈良公園でむしゃむしゃ草を食べている。せっかく忙しいなか奈良に帰ってきたサトケンに鹿を見せたいと思った。
「むかし読んだきだみのるの本だかに、せんべいを食う春日大社の鹿は埃にまみれていて、村で犬を追う鹿のような元気はなかったってあったな。けど、いまの奈良の鹿はろくに鹿せんべいが食えなくて、いつも空腹だから凶暴。それにさ、発情期じゃないのに発情してるってよ。なあ、鹿でも見に行くこうか?」と誘う。
「いいね、見に行こう」とサトケンは即答した。
坂の下、霊苑の駐車場までたどり着くとサトケンはボディーガードに声をかけ、ハイヤーの後部座席に乗った。俺はサトケンの後ろへついていき、隣の席に乗る。
「奈良公園まで運転して!」
サトケンはボディーガードへ頼むと、息を吐き、眠そうに目を擦った。ボディーガードが後部のドアを閉める。
「黒木さ、俺、最近変な夢ばかり見るんだよ。それでまともに寝れなくて、体の調子もずっと悪い」
「どんな夢?」
「神様がな、俺の家のうえにまたがってうんこを漏らすんだよ」
「……はあ?」
「わけがわからない夢だろ。神は鹿の姿だった。巨大な鹿の神が俺にまたがって、あの丸いうんこをぽろぽろケツの穴から落とすんだ」
サトケンはシートベルトを締めながら続ける。
「そういや鹿は実在しない運動でこんな話があるんだ。噂を流した高校生ってうちの奈良支部の役員の親戚でさ、その役員から聞いたけど、あの高校生、最近一家全員が行方不明になったんだ。Xに『風に乗り歩むものに呼ばれた』って書き残して」
サトケンが言い終わるとハイヤーのエンジンがかかる。ハイヤーは滑らかに駐車場から走りだした。田んぼと民家が混在する道をうねうね曲がるとすぐに国道三百六十九号線の今在家の交差点に差しかかり、ハイヤーは左へ曲がってそのままずっと国道を直進する。
奈良は当然古い町で、太平洋戦争のときも京都と同じく空襲がほとんどなかった。この国道――奈良街道の対向車線には、どこまでも並ぶ二階建ての古い民家と小さな商店が雨戸を締め切って沈黙していて、こちらの車線側は広い草地――東大寺の境内で、天平時代の姿そのままの転害門には立派な太い注連縄がかかっていた。このまま道を進めば県庁があり、その県庁の角、大宮通りとの交差点を左折した先、東大寺南大門の隣にある浮雲園地は奈良公園でも特に鹿が多い場所だ。
転害門の前の交差点で、信号が赤になった。ハイヤーは音もたてずに静かに停まった。後部座席の隣、サトケンが突然苦しい表情をして、お腹を抑えてだした。大丈夫かと声をかけたがサトケンは「東京から新幹線に乗ったときからからずっと腹が痛い。なに、気にするな。昨日の夜に食べすぎただけだ」というだけだった。
「ボディーガードさん、コンビニに寄って胃薬でも買いましょう」と言うとボディーガードは「ええ。たしか県庁にセブンイレブンがあったはずですね」と冷静な口調で返した。
サトケンを励ましながら、窓から奈良の市街地を眺めた。
――奇妙だった。七月なのに、半袖の服だと寒気を感じるほど空気が冷たく、それでいて空気が湿っていて、暗い霧がうっすらとかかっていた。
転害門からのそのそと数人ほどの人影が出てきた。彼らは国道を渡ろうとしたが、みな判を押したように顔がやたら細く、目はつぶらで背筋がやや前に曲がり、足取りが短い。目を合わせたら、途端に逃げだした。
「ひさしぶりに奈良の街に来ましたがおかしいですね」とボディーガードに言う。
「ええ。鹿は実在しない運動のせいで、この街はどこもかしこも、禍々しくなりました。あのカルト連中のせいで、商売あがったりです」
ボディーガードは話を続けた。鹿は実在しない運動が盛りあがったころ、ロシアの極東やアメリカの北東部、カナダから移住者が奈良市内へ数多くなだれこんだ。移住者たちは国籍が違えども、みな同じサタンを崇拝している。彼らによれば、サタンは鹿の姿をした悪魔で、宇宙の深淵の奈落から星々の間を跳躍して地球に到来し、北極の秘め隠された風の神殿に住んでいる。教団の信者はサタンの末裔と称し、先祖代々信仰を守ってきた。信者の顔はどれも同じくプレスしたように細長に歪んでおり、目はつぶらで、鼻と口が異常に伸びている。転害門から現れた奇怪な人影と特徴は一致していた。
信者は夜ごと、鹿の角を模した仮面を被って、奈良市のあちこちにある朽ち果てた空き家へ集まる。集まった信者の集団は空き家のなかで、鼓膜を爪でひっかくような金切り声をあげると木でつくった禍々しい形状の祭壇へ火をつけ、風に乗り歩むものを崇拝するという、おぞましく、冒涜的な呪文を詠唱しながら、等身大の人間の人形をその火のなかへ投げ入れて燃やす。仕事終わりのボディーガードがたまたま空き家を通りかかり、その光景を見たのだが、人形から漂った焦げた臭気は肉の臭いのそれで、ひとたび嗅いで吐瀉せずにはいられなかったものだった。
信者たちは人形を燃やしたあと、燃え盛る祭壇を囲み、男と女の区別もなく、鹿の交尾を真似て狂ったように腰をたたきつける。酒か幻覚剤かよくわからないものをお互いに飲ませあって、汚らしく野蛮な声をあげながらセックスの真似をした後、信者たちはお互いの腹部に藁と小さな鹿の人形を詰めこむ。異様に膨らんだ腹を抱え、真夜中、信者は男女を問わず出産するかのように呻き声を漏らす。そして別の信者がナイフで藁の腹を切りって胎内から鹿の人形を取りだし、新しい生命の誕生を祝う。
"奈良の鹿はなぜ発情しているのか"へのコメント 0件