私はいまやルンペンの身分だが、個人的に云えば、元来の父方の家系は九鬼氏に仕え、三重の大王岬なる箇所で主をしていた家系である。富豪だ。
諸々とあって母方の、ナガサキは荒屋に育ったが、中学時代の三年間、夏休みは本来の父方の両親が住んでいた大阪に一ヶ月は滞在するなる暮らしをしていた。本来の父は居ない。ヒッピーだからだ。満州から引き上げる時、祖父と祖母は何人かの子供を手放しにしたが父だけ、焼夷弾に驚かなかったで是が非でもにて見込みがある、で連れ帰ったらしいが、その息子が遊び人になり三重の財産を使いまくるとは……、とは何度も聞かされた。
ヒッピーの父は、ほぼ帰らないが、その両親が住んでいたのは、なんば駅から徒歩十五分くらいの稲荷神社前だった。ド大阪である。近くに大阪球場があった為、私は開催試合の全てに行った。南海、人気がなくてガキは無料で入れたからだ。懐かしい。
私に少しばかりでもユーモアのセンスがあるとすれば、そこで鍛えられたと云っても過言ではない。
ヤジがすごかった。例えば、故・ドカベンには「香川〜。明日、日本ハムにトレードや。選手としてちゃうぞ。肉としてや!」は有名で有るが九回に同点だと「あぶさん(漫画のキャラ)出せや」と騒ぐし、他、誰某選手へ北新地に今日も行くのか〜は常であった。近鉄戦で試合前、私も模倣して佐野選手に内野から「ハゲ!」と延べたら、ガッチリ人を殺す視線でギロリと睨まれたのは忘れられない。佐野氏、最近、糖尿病で利き手を切断されたらしいが私の大スター門田選手も数年前、アルコール依存症で糖尿病、他界したし、まあユーモアと大阪的な豪快さは表裏一体な不健全なのだろう。昨今では。
今週末、大阪の文学フリマに破滅派が参加すると聞いた。私の、実の故郷でもある大阪で躍動をして呉れば、私自身、何もやってないが嬉しい。
破滅派の高橋君と現在は、その素敵なワイフになった女性と、道頓堀で、たこ焼きを食べ飛田新地と釜ヶ崎は旅したのも、大阪ラヴの宣伝として、良い追憶である。百五十円の、三角公園近くの、焼酎と素饂飩のモーニングセットは、私の死ぬ前に食したい一品である。
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