志賀直哉について

山谷感人

エセー

1,445文字

 大ファンである。

 太宰治が志賀直哉を敬愛し続けて、全く自身が評価されない為、「津軽」や「如是我聞」で攻撃したハナシは有名である。
 津軽では田舎者は、こういうのを好む、如是我聞については、あの坂口安吾すら酔っていて訳が解らなくなっていたのだろう、とエッセイで嗜めて(太宰の没後だが)。
 檀一雄のエッセイにも有るが「この俺の写真を見なよ。若い頃の志賀さんに似ていないかい?」と訪ねたり、早稲田派閥で志賀さんの為なら人、やりますよ~なる尾崎一雄と仲良くしていたのも、あわよくば志賀先生、紹介してなる流れであろう。然し、結局、相手にされなかった。当然である。最早、功も名もある大家は酔っ払いの新進文士は目障りなだけだ。
 故にそれで太宰や檀一雄は初期から佐藤春夫の門下に入った。使えないが例えば男はつらいよ、の御前様、若しくは幕末の長州藩主のように「良きにせい」と述べるネームバリューは有る好々爺だったからだろう。
 もう二十数年は前。
 私の幼馴染みで本名は敬介なのに「俺の事はヒバリと呼べ」と語る熱心な太宰治マニアがいた。お気付きであろう、ヒバリと云う強要もパンドラの筺の主人公名だ。
 彼は西荻窪に住んでいた故、「明日、三鷹に行くから来い」と強制された。言わずもがな、禅林寺。桜桃忌の連行である。
 前乗りして、そのヒバリが住むレオパレスに着。朝までワイン五本は空けた記憶がある。ニワトリが鳴く頃、さあ、行くぞで部屋を出た。太宰マニアだから「この西荻窪は太宰も呑み屋界隈として歩いているのさ」と裏道なぞ案内され、とうとう禅林寺まで歩かされた。一時間。今となれば良い追憶だと、思いたい。
 結構、混んでいた。
 ヒバリ先生は出来上がっている為、ギャラリーに「似非どけ」と絡む。終いには鷗外の墓を蹴った。
「俺、鷗外、青年とか好きだな」と嗜めると「読んだ事ない」と驚愕の台詞を吐いた。御参りをして帰り本堂に入ろうするヒバリに「関係者、いないから。井伏鱒二も昨年、他界しているから」と決死に止め、門跡を出ようとしたら忘れない。ティヴィショーのインタビューがズィマーに来た。
 アナウンサーの女性が「太宰ファンですか?」なる聞き方も悪かった。私は咄嗟に「事務所、通して下さい(無所属)」とかわそうしたが遅かった。ヒバリ氏「俺に太宰を語るな!」と延べキャメラに二度、頭突きした。慌ててタクシーを拾った。全て事実である。
 西荻窪駅前に着き、私も呑みたい故に大衆酒場に入った。ヒバリは如是我聞的な嫌味を語りまくる。「分かったから、もう」と諭し二時間くらいして店を出た。
 部屋へと散策していると西荻窪に往時、良く有った寂れた古本屋を見つけた。「そう云えばさ、ヒバリ。志賀直哉のどれが嫌いなんや?」と訪ねたら、これまた「読んだ事がないわ」だった故に店に入った。誤解されない為に云えば彼は大変な読書家であった。ツルゲーネフもドストも彼に教わった。まあ、ロシア好きあるあるのキャラであった。
 古本屋に、ちょうど暗夜行路の全巻があった。私はそれを購入しヒバリに渡した。
 暗夜行路の感想は、彼から聞いていない。曰く二十七歳倶楽部街道まっしぐらの彼は、程なくして入会したからだ。
 太宰が遺作・暗夜行路で志賀直哉に絡んだあとコメントで「余り印象にない」と延べたのは、嘘でも流行作家のスキャンダラスに乗じて美師を語るより、スタンスを崩さなく流石、大家だと思った。後追いだが。
 結論。私は暗夜行路は手垢が付いたほど読んだ大ファンである。特に主人公が裕福な暮らしをしていて全く暗夜じゃない箇所が。

2024年9月2日公開

© 2024 山谷感人

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