河津桜、及び人々の風景について

人間賛歌(第39話)

山雪翔太

小説

2,618文字

淀にある河津桜を見に行きました。冬に咲く桜は綺麗です。

 私の地元では、主に花見をしようと言ったら、それは桜を見る、という行為を指すのであり、そしてそれと同時に背割で見るのだ、という事が半ば強制的に決定付けられる。

 背割は私の地元でそれなりに名を轟かす桜の名所である。それはその付近を流れる三つの川の防波堤の様な役目をしており、その上には桜の木が所狭しと並ぶ。何十本か、何百本か……正確な数字は知らない。

 兎に角、私には気軽に桜を見に行くとすれば背割しかなかったし、これからも背割で桜の道を歩いていくのだろうと思っていた。異常かと思われるかもしれないが、これが事実である。だがそれ程背割の桜には魔力があったし、その呪縛に囚われてずっと背割から抜け出せなかったのだ。

 そんなある日、私が普段脚として使っている鉄道が妙な放送をし始めた。私の帰り道を狙った様に、頻繁に。態々肉声で。

 曰く、私の利用する駅間の駅……淀駅。滅多に降りない場所である……。そこで桜が満開に咲いているのだと。

 その日は三月初旬で、まだ肌寒かった。ジャケットが手放せず、未だに家に帰ってストーブで手を暖めたくなる……。そんな寒い時期である。三月というものが、名ばかり春だと主張して、この冬の寒さにうんざりしていた時期だ。

 そんな時に、桜が咲いているというのだから、俄然私は興味が出てきた。曰く淀の河津桜は早咲きの桜らしく、また背割の様に大勢の人々が集まるのだと。

 私はそれを聞いて待ち切れなくなった。こんな冬……未だ来ない春。そんな日々は耐えられない。……私はこうして、春を先に頂こうと淀へ向かった。

 淀は高架駅である。淀屋橋方面の電車に乗ると、左側には大きくJRAの文字。淀競馬場。ここは平日はしんと静まり返っているが、休日は競馬の開催でよく賑わう。特に私はそこに賭けをしに行く人々が目に付いていた。とても目の前に立って言える事では無いが、私はその人々の汚れた格好が嫌いだったのだ。

 なので淀駅にもあまり良いイメージは無い。……ただ通り過ぎるだけの、少し大きな駅。それだけだった。

 だから桜なんて咲いているイメージも無かったし、何処に咲いているのかも皆目見当もつかなかった。

 困った事に、駅を降りると目の前に広がっていたのは灰色の、コンクリートだらけの住宅街であった。

 私は降りて唖然としてしまった。背割も、開発された土地の中にあるが、あそこには確かな緑色があった。……自然的な、色鮮やかで美しい、緑。

 だがここはどうだろう? 見ての通り、何処を見ても灰色だらけである。

 桜の桃色どころか、緑色すら見えない。そんな道を歩けと言うのだから、段々と私は不安になってきた。

 本当にこの辺りに桜が咲いているのか? 早咲き桜とか言っていたが、駅を間違えたのかもしれない。けれど看板はここにあると言っている。看板は嘘をつかないと仮定すると、おかしな話だ。

 ただ私は住宅街を歩き続けた。ここに咲いているという冬の中の春を求めて。

 何分歩いただろうか。腕時計も見ていなかった。灰色の砂漠を歩き続ける中、私はふと前を見た。確かに私はそこに、待ち望んでいた桃色の木を見た。

 それは本当に突然で、予兆も無かった。灰色の砂漠の中に、確かに私は桃色のオアシスを見つけたのだ。そう思うと急に嬉しくなって、足取りも軽くなっていく。ようやくだ。

 私は遂に、名ばかりの春、三月の冬の中で春を見つけたのだ。

 背割の桜を見て育っていた私には、やはり市街地に咲く桜は新鮮そのものであった。桜という物は自然豊かな土の上に初めて咲くものだと思っていたが、実際は違う。

 この河津桜は、住宅街、コンクリートで舗装された川……見る限り灰色のコンクリートの砂漠……。そこに力強く、桜の道を作り上げていた。

 コンクリートの上に根を張り、力強く根付く。こうして三月に一足早く……誰も居ないまま、孤独に咲く。まさしく敦盛の象徴である。

 私はすっかりそんな河津桜が気に入ってしまった。この桜は強く、華々しい。

 桜は白い花弁を桃色の染料で染めた様であった。私はそんな光景から、一種の着物を着ている様を想起させた。

 分け行っても分け行っても桃色の桜である。桜の傍には小さな舗装された川が流れている。その川の上に、散ってしまった桜の花弁が載っているのも、これまた美しかった。散った後も、桜は色を残す。即ち周りの環境すらも巻き込んで、鮮やかな、春を象徴する色に染めていく。

 それにしても見ていて不思議なものである。目の前にあるのは確かに穏やかな春の風景だが、人々は皆冬に合わせた格好をしている。

 私はこの頃の生活で、すっかり冬という季節に浸かってしまっていたのだと改めて実感した。もちろんそれは人として健全な事であるが、いざ目の前に桜が現れるとそう感じるものなのだ。

 体感は冷たく、人の温かさが恋しくなる冬。しかし目の前にある桜は、私には安らぎを与える春という空間にいて、触れればほんのりと温かく感じられるものであった。

 そんな事を思わせる桜は背割の桜で育った人間にしてみれば初めての事で、恐怖にも近い矛盾を私は覚えていた。

 周りの人々に混じり、私は桜の木の下に向かった。垂れている桜はまるで餌やりをされているキリンの様に首を下げ、私達にその美しい姿を存分に見せてくれる。

 その性質が、この空間に桜のトンネルを生み出している。私はその桜のトンネルに潜った。

 何とも不思議な光景であった。上を見ると、青空はほぼほぼ見えなくなっていた。ただあるのは、一面の桃色の着物を着た桜のみである。こんな小さな物でも、自然の力強さや雄大さを感じさせる。人間という存在はあまりに小さい。桜の木は本気を出してしまえば、あっという間に人間を飲み込んでしまうだろう。

 そんな畏怖を覚えながら、私はその桜で覆われた空を眺めていた。

 ああ、いつかはこんな風に桜に覆われて死んでみたい。何と素敵な光景だろうか。そして桜に覆われて死ねたらどれ程幸せな事だろう。

 桜はやはり素晴らしい生き物である。少女の様な可憐さを持ちながらも、青年の様な力強さを持ち、神の様な風格を醸し出している。到底、他の植物にこの様な芸当は不可能であろう。

 冬に咲く桜という物は、強い。そして河津桜は加えて、コンクリートという人間のエゴの塊の上に立ち、根を張っている。その勇気と力は、他の桜には及ばない。

 孤独に咲く桜も、良い物である。人はまた、そんな桜を見ながら、ゆっくりと真の春を待ち続けるのだ。

 河津桜とは、そういう桜である。

2024年3月9日公開

作品集『人間賛歌』第39話 (全45話)

© 2024 山雪翔太

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