今日も一日を下らなく過ごした

藤村羅甸

小説

3,859文字

私小説です。三十年ほど前に京都に流れ着いた頃のことを綴っています。現在は鷹揚なおっさんとなりましたがこの頃は胸苦しい時代でした。

 目覚めるとカーテンの隙間から鈍い日の光が差し込んでいる。どうやら夜が明けたようだ。と言っても私には昼も夜もあまり関係がないのだが。季節は冬であるが、それも同様だ。枕元の置き時計を見る。夜が明けたといっても既に正午に近い。置き時計の隣には昨日飲み残したウイスキーの入ったグラスがある。私はまず手を伸ばして そのグラスに三分の一ほど残っているウイスキーをぐっと飲み干した。いきなり食道の辺りがかっとなり、焼けつくようだ。そしてのろのろと布団から這い出し、炬燵の上に置いてあるエアコンのリモコンのボタンをピッと押す。エアコンはガタガタ音を立てながら作動する。私の部屋は四畳半なので、部屋がすぐ暖かくなるのは唯一のメリットだ。 何はなくともまずCDラジカセの再生ボタンを押す。アコースティックギターの前奏の後に森田童子が透き通った声で歌い出すと、私はカーテンをやや乱暴に開ける。私の部屋は二階だ。垣根の向こうに裕福な隣家の冬枯れた庭が目に入る。いつもの景色だが私はそれをガラス越しにしばらく見ていた。それから精神科でもらった薬を服用すると、私は歯を磨いて顔を洗い、服を着替えて出かける準備をする。

無為に暮らす私でも服にはちょっとこだわりがある。古着のリーバイス501に黒いタートルネックを合わせ、ショットのシングルライダースを羽織って、その姿を大きな鏡に映してみる。何だかナルシストのようだが自分でも決まっていると思う。バ ックパックにいくらかの金が入った財布と文庫本、煙草とライターなどを入れて、肩まで伸ばした髪を軽くブラシで梳かして、私は部屋を後にした。

煙草をふかしながらぶらぶらと駅の方に向かう。何処にも用はないし、世の中の方でも私に用はないようだ。私の住む西京区は住宅街であるが街はいつもの様子。平日の昼間なので人通りは少ない。うらぶれたスーパーを通り越して小さな美容室、煙草屋、洋品店を通り越して桂小学校の前を過ぎる。校庭では寒いのに何人かの子供がき ゃっきゃと遊んでいる。昼休みか何かだろう。私は子供が嫌いなので、子供が遊ぶ様子や騒ぐ声も不快なだけだ。私はそれらを横目に阪急桂駅の方に歩を進める。桂駅に行くと言ったって何か特別用があるわけではない。ただ、ヴィドフランスというパン屋が好きで、そこのイートインコーナーでパンを買ってコーヒーを飲み朝食としようという考えなのだ。もう昼過ぎではあるが。

桂駅に近づくにつれて、冬だというのに露出が多い服装の若い女性たちが目につくようになってくる。彼女たちの存在がひどく私を悩ませるのである。私が毎日地獄のような思いをして生きているのに、この世を我がもの顔で生きて、勝利の美酒に酔いしれ、その悩ましい姿態をくねらせて、嬌声を上げる彼女たちの存在は一体何なのだろう。罪だ。罪に決まっている。そんな偏見に満ちた阿呆なことを考えていると、目的地であるミューという桂駅ビルに近づいてきた。私はエスカレーターで改札階に上がり、ミューにある件のパン屋の扉を開ける。店内は白を基調として明るい様子だ。 私はクロムッシュとハニートーストをトングで掴んでトレイに乗せレジに並んだ。そしてカフェオレを注文すると、イートインコーナーの空いているカウンター席に陣取った。カウンター席からはガラス窓を通して人々が行き交うのを眺めることができる。 私はこうして人々が歩く姿をぼんやりと見ているのが好きだ。私はパンを囓りカフェ オレを啜り、さながら水族館で魚を眺めるように市井の人を眺める。軽く三十分はそ うしていた。人々を眺めるのに飽きると、私は文庫本を開く。今読んでいるのはドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟だ。理解のほどは怪しいのだが、大審問官の辺りを私なりに手に汗を握って読んだ。ドストエフスキーはいい。

パン屋で小一時間を過ごしてから店外に出ると、そのままエスカレーターに乗って三階に向かった。あまりお洒落でない服屋に入って買いもしないダサい服を手に取ってみる。最近私はアディダスのジャージが欲しい。アディダスのジャージをジーンズ に合わせてニットキャップなんかを被ってみたいのだ。よく知らないのだが裏原系とかいうファッションを格好いいと思う。だが、今手に取っているジャージはノーブランドであり何かが違う。私は洋服を棚に戻し、今度はジーンズを見てみる。リーバイスのジーンズがいくらか置いてある。これはまだいい。だがあまり聞いたことのない型番のもので、えてしてシルエットがダサい。やっぱり私は501しか穿く気がしな い。余談だが今穿いている501もウエストがきつくなってきた。何を隠そう最近太ってきたのだ。恐らく精神科の薬が影響している。精神科の薬は腸の動きを止め、代謝を鈍らせる副作用があるのだ。私は現在二十三歳だが、みっともないことに最近腹が出っ張ってきた。服で隠してはいるが人知れずそのことで悩んでいるのだ。私は嘆息しながらジャミロクワイの音楽が執拗に流れる服屋を後にした。

その後同じ階の雑貨屋をぐるっと見て回る。私はお洒落な小物類が結構好きなのだ。 最近では部屋に観葉植物を置きたいと考えている。だが、私の部屋はボロアパートの四畳半であるが故にあまり大きなものは置けない。それに世話をしてやるのが何だか大変そうだ。万が一枯らしてしまったら植物が可哀想だ。小さなサボテンなら世話も簡単かと思うのだが、怠惰な私のことだから、埃を払ってやることすら面倒で、そのうちサボテンを部屋の片隅にうち捨て、サボテンのことを疎ましく思うのではなかろうか。これは本末転倒だ。といった理由から観葉植物を買うことに二の足を踏んでいるのだった。私は出会う前から別れのことを考える癖がある。

何も買わずに雑貨店を出ると同じく三階の本屋に立ち寄った。何処にでもあるような普通の本屋だ。この本屋には個人的に恨みを抱いている。何を隠そうバイトの面接で落とされたのだ。三十歳くらいの女性スタッフが面接官だったが、私はできる限り快活に彼女の質問に答えた。手応えはあった。最後の方には雑談も交えて女性スタッ フも笑っていた。然るに数日後には履歴書が返送されてきたのである。何たることかと私は憤った。私は不採用の理由を詳細に考えてみた。まずヘアスタイルが良くなかったかも知れない。当時は今よりさらに髪は長くメッシュを入れたりしていた。あるいはスーツ着用で行くべきだったか。確かその時は夏で私はアロハシャツを着用していたかも知れない。服装が問題ではなく履歴書に不備があったかも知れない。が、私は四年制大学を卒業しているのであって、学歴は申し分ないはずだ。何がいけなかったのか。私の何が駄目なのだろうか。

私は再びぐるっと店内を見て回る。雑誌コーナーでファッション系の雑誌を手に取りパラパラとめくってみる。私は服が多少好きなのであるが、これらの雑誌に載っているブランドの服を買うことはまずない。専らこれらのコーディネートを記憶し、よく似た服を安い服屋や古着屋で探すのが常だ。 続いて文庫本コーナーに行く。単行本はあまり買わない。高いからだ。最近の小説も読むには読むのだが、どちらかというと私は古い小説を好む。カミュやドストエフスキー。日本では初期の大江健三郎が好きだ。大江健三郎で読んでいない作品が置いてあったら買って帰ろうと思ったが、棚には並んでいなかった。

さて、本屋を出てエスカレーターでミューの最上階に登ってみる。この階では大きなガラス窓から桂駅東口の様子を眺めることができて、なかなかの眺望なのだ。私はしばらく風景を眺めていた。地上を歩く人々や車が走る様子、遠くには桂離宮が見える。そんな街の様子を見ていたら口から自然と、俺はこの先どうなっちまうんだろうなと言葉が漏れた。大学はなんとか出たがサラリーマンにはならず、逃げるように大阪の地を離れ京都へ流れてきたのが一年前。目下の悩みはバイトの面接に受からないことだ。日雇いのバイトならすぐにでも働くことはできるのだが、以前働いた物流セ ンターの流れ作業は大変きつく、そこで働いている人たちも下品で好きになれなかった。もう半年も働いていない。では、どうやって生活の資金を得ているかというと、 実家からの送金に頼っている。早い話がフリーターにすらなれないろくでなしと言うわけである。こんな身の上を人々は嘲笑するだろうか。が、本人はいたって真面目で血を吐くような思いで毎日を生きているのだ。

 私は虚しい気持ちで窓ガラスを離れ下りエスカレーターに乗り、来た道を逆に辿っ た。すれ違う人々は一様に幸せそうで洗練されている。彼らは社会の一員であり家族 がいて恋人や配偶者がいて仕事を持っているだろう。私のような病んだ心は持っておらず、人の問いにはハキハキと快活に答え、真っ直ぐに目を見て話すだろう。私のように緊張すると挙動不審になったりはしないだろうし、朝から酒は飲まないだろう。 私はミューを出て再び十二月の寒風に晒される。腕時計を見ると十六時だ。何だかも う一日が終わった気がする。まったく今日も一日を下らなく過ごした。私は曳かれ者のように来た道をとぼとぼと逆に辿る。アパートに帰れば長い長い夜が待っている。 自業自得と言うなかれ。誰か助けが必要だ。私を助けてくれ、私を助けてくれ。そんな私の声にならない声は寒空に舞い上がりかき消されていった。私は革ジャンのポケットに手を突っ込んで俯いた姿勢で歩き、堪らなくなって声を出さずに泣いた。

2024年1月7日公開

© 2024 藤村羅甸

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