ボルデイン・ニッパーの優雅な昼食。

巣居けけ

小説

1,645文字

ボルデイン・ニッパー……。

一般的なファミレスの両開きの硝子扉を開いて入店したボルデイン・ニッパーを、受付のエプロン男が迎え入れた。男は「何名様でしょうか」という形式の声を発した。

ボルデインは店内を見渡してから口を開いた。
「今日はハンバーグを食べに来たんだ」田舎の小さな国の王様のような堂々とした声だった。
「あ、そッスか。では案内いたしますねー」

男はボルデインを連れて店内を歩いた。すでにボルデインのための席が用意されているらしく、男の足取りは一切の迷いが無かった。
「おい」

ボルデインが男の肩に声をかけた。男はすぐに立ち止まり、ボルデインの方を視た。
「なんでしょうか」
「おれは刑事だ」
「そ、そうッスか……」
「おれは刑事だ。自分の席くらい、自分で決められる!」
「えーと……。それだと困る、というか……」男は右手で後頭部を掻いた。その目はさ迷い、あからさまに混乱しているようだった。
「おれの今日の席は……」ボルデインはすぐ近くの席にどかっと座った。「ここだっ!」
「ちょっとなにー?」
「む?」

ボルデインが座った焦げ茶の長椅子の隣に、金の長髪を持った女が座っていた。女は右手にフォークを持ち、テーブルに置かれたハンバーグ・プレートを食べている途中のようだった。
「なんだね、君は。どうしておれの席にいる?」ボルデインは年配の大学教授のような低く響く声で訊ねた。
「いや……。まあいいけど……」

女は苦笑いをしてからフォークに刺さったハンバーグの欠片を口に入れた。そして口を大きく開き、立ち尽くしている男の方を見上げてくちゃらくちゃらと音を立てながらハンバーグを咀嚼した。女の強靭な歯列はハンバーグを粉々にした。どろどろになった肉の破片が唾液と混ざっていた。女は男の目を見つめながらハンバーグを飲み込んだ。ゴクン、という喉越しがボルデインにもよく聞こえた。
「お客様、お済みのお皿をお下げしますね……」

男がすかさず女のハンバーグが無くなった皿を持ち上げた。ボルデインはその皿を見つめた。一見すると完食しているように見えたが、しかしよく見てみると、皿の隅に残された野菜の類があった。
「おい!」ボルデインは男から皿を取り上げて立ち上がった。「これも食えよ!」ボルデインは野菜を指さしながら女に叫んだ。
「はー?」女も立ち上がり、ボルデインの顔面に自分の顔面を近づけた。甘さと酸っぱさが混同した体臭が香った。
「こんなものっ! 食べれるワケないじゃないっ!」
「なんだとっ!」

ボルデインはさらに叫ぶとテーブルの隅に置かれた長方形の入れ物からフォークを奪い、皿の上の野菜の一つを刺して取った。それはよく茹でられた人参だった。ボルデインは人参を睨みつけるとすぐに口に入れた。そして唖然としている男の方を視ると、くちゃらくちゃらと音を立てながら人参を咀嚼した。
「あ、あなたっ!」

ぐちゃぐちゃになった人参をゴクンと飲み込むボルデインを目の当たりにした女は落胆していた。この世にこんなにも豪快に人参を食らう男が居るということが信じられないようだった。
「どうだ! さあ、お前も食ってみろ!」

ボルデインは叫びながら自分の口に入れたフォークを女に突き出した。
「で、でも……」
「どうした! おれの人参が食えないのかっ?」
「そうじゃないわ! あなたの唾液が付いているのが不快でならないのっ! ちょっと、交換してくれる?」

女は男の方を睨んで叫んだ。
「は、はいぃ……」

男はボルデインからフォークを奪い、すたすたと厨房に去って行った。しかしボルデインは、そんな彼が去り際に放った言葉を感知していた。彼は厨房の扉を開く前、小声で「メンドクセ」と呟いていた。

ボルデインは女の頭頂部を殴った。男の手を煩わせたことが許せなかった。
「ちょっとなにするのよっ!」
「大変な男に、今度こそ詫びろ……」

唖然とする女を無視して、ボルデインはすみやかに着席してメニュー表を取った。
「では、ハンバーグ・プレートを一つ。付け合わせの野菜はもちろん破棄で……」
「野菜も食えよっ!」

女がボルデインの後頭部を叩いた。

2023年4月14日公開

© 2023 巣居けけ

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