ノット・インスクライブ

草葉ミノタケ

小説

5,368文字

阿波しらさぎ文学賞応募作品(一次通過ならず)

『--ノット・インスクライブ』

 スピーカーを振動させて漏出したウネスコ審査官の無情な死刑宣告に、大塚国際美術館に特別に設営されていたパブリックビューイング会場は、悲鳴と落胆に包まれた。来賓席の知事と市長らはマスコミの敗戦インタビューから逃げるようにSPに守られて早々に退出し、両手いっぱいに皮算用を抱え込んでいた地元財界人各位はここまでの投資の回収方法に思いを巡らせ、市民は地域の振興と経済の発展と福祉の未来が潰えたことを嘆き悲しんだ。鉄板とされていた登録がなぜ成されなかったのかについては審査官の口からついぞ語られなかったが、残党が裏から手を回して情報収集したところ、某国の研究者が発表した「うずしお生物説」の論文を重要視し、うずしおは海流による自然現象ではなく、この地域に生息する生命体の一種であるという結論に至ったからであると判明した。のちにこの学説は調査のフィールドワークがすべて捏造であるとわかり、論文は取り下げられるに至ったが、そうなってもなおウネスコの決定が覆されることはなかった。

 

「鳴門海峡のうずしお」の世界大自然遺産登録に挑んでいたプロジェクトチームは即日解散され、所属していた職員はみな散り散りになってしまっていた。体面もあってか表立った懲戒処分は受けていないが、どこに異動したとしても失敗チームのメンバーというそしりは避けられず、出世の道はおろか、針の筵での日々が続くばかりだった。嫌気がさして転職する者もいた。転職どころか県外、域外へ転出して人生をリセットする者もいた。だが、これまでプロジェクトを牽引していた元企画室長・飛島あかりだけは、踏みとどまり、閑職に甘んじても、虎視眈々とリベンジを企図していたのである。

 

「--二級うずしお士試験?」

「そう。受けてみない?」

 放課後、進路指導室に呼び出された大毛千鳥は、担任教師に資格試験を薦められて困惑していた。まだ進路希望を出していないのは、自分とあと数名だったから、そろそろ指導が入るかなと思っていたが、それは進学か就職かの方針を決めろということであって、資格取得の話になるとは思っていなかった。そして千鳥の困惑の主たる原因は、その資格の内容にあった。差し出されたパンフレットには確かに「うずしお士」と書かれている。聞き間違いではなさそうだ。しかも二級。ということは、

「一級もあるんですか?」

「そうね。二級に受かったら、二年間の実務経験を経て、一級の試験が受けられるそうよ」

 実務経験とはなんだ。うずしお士の仕事とはなんなのだ。千鳥はそれ以上の興味を持てなかったが、担任はそれを許さなかった。

「大毛さん、あなたこの試験受けんさい」

「は?」

「あなた自分の状況わかっとるの?」

「はあ、なんとなくは」

「この時期になんとなくなのは困るけん、あなたにはまだチャンスがあるわ」

 担任はパンフレットを突き出した。

「この試験を受けたら、単位をあげましょう。結果は問わんわ」

 千鳥は渋々パンフレットを受け取った。受験料は無料と書いてあった。受験は二週間後に、鳴門渦潮南高校で実施された。

 

以下の問いに答えなさい。

第一問 コリオリ力の影響で北半球では渦潮は右向きに回転するが、ある条件下では左向きに見えることがある。理由を述べよ。

「下から見る」

第二問 C社のポテトチップスで、オレンジ色のパッケージのものはなにか答えよ。
「うすしお味」

第三問 なると巻の代表的な原料は、イトヨリダイ、スケトウダラ、シログチだが、シログチの別名は何か述べよ。
「イシモチ」

第四問 世界三大潮流は、イタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡と、あとひとつはどこの海峡か述べよ。
「鳴門海峡」

第五問 道の駅うずしおの名物で全国ご当地バーガーグランプリも獲得しているのは何?
「あわじ島オニオンビーフバーガー! ってなんなんこの問題! ていうかそれ兵庫県側だから!」

「とりあえず全問正解。試験は大丈夫そうじゃの」出題していた幼馴染の瀬戸が回答のページを見ながら微笑む。

「こん問題を出してくる協会が全然大丈夫な感じがしないんよ。なんでこん資格」

「ほんなん知らんわ」

 瀬戸は千鳥に渡されたプリントを逆向きにして返して、AOBBにかじりついた。「美味いなこれは。で、二次試験もあるん?」

「ある。再来週に実技」

「うずしお士の実技ってなんしよん?」

 千鳥はスマホを数回フリックして、瀬戸に動画を見せた。阿波踊りの教則動画のようなものが映し出された。衣装は浴衣でも法被でもなく、ウェットスーツだった。関節の自由度が低く、見るからに動きにくそうだ。

「どういうこと?」

「わからへん。けど踊りはずっとやってきとるし」

 瀬戸と千鳥は小学生頃から同じ連で踊ってきた。千鳥の腕前は連長も一目置いているほどだ。

「ほうか」千鳥が落ちるようなら、受かるやつもおらんだろう、と瀬戸は思った。

 

二級うずしお士の実技試験はウチノ海総合公園で行われた。

 受験生はおよそ二〇〇名。四十名ずつに分かれ、連を編成する。正面の朝礼台には飛島あかりが立ち、防災メガホンを構えて審査開始の号令を送る。スピーカーの向こうで鉦の澄んだ音がビートを刻み始める。グラウンドの空気が熱を帯びる。追いかけるように三味線の艶やかな振動が、弾ける鉦の音の上でステップを踏む。飛び交う二色の音が不安定なゆらめきを生み出す瞬間に、太鼓が根元を支えて一気に空間を格子状に仕切っていく。間髪入れずに羽衣が空に上るように笛の音が中空へと舞い上がっていく。四つの楽器が、入り組んだ一つの生き物となって、膨らみながら頭上をくるりくるりと回りはじめた。

 千鳥は天空から降り注ぐお囃子に心拍が高まった。振りは頭に入っている。呼吸をお囃子に乗せる。ビートとソウルがシンクロする。隣の受験生の呼吸がわかる。心拍も見えてくる。連の心拍もシンクロをはじめる。二〇〇名の全受験生の魂魄は、祭り囃子に当てられてお互いに溶け、混じり合っていく。干渉し合うメトロノームが同期するのと同じに、心拍と脳波が一致する。その刹那、千鳥は遥か昔、この地に人が足を踏み入れたその日から決められていたことのように、すべての世界線、運命の糸、因果の網、天網恢恢森羅万象の磁力線が一同にクロスするその世界の中心、その一点につま先を、ただそっと、そのつま先を踏み出した。

 

 二週間後、二級うずしお士試験の最終合格者は、県観光局のウェブサイトで発表される。千鳥は一人で見るのは怖いと、瀬戸の元を訪れていた。見るもの怖いと自分のスマホを瀬戸に押し付けて、先に見させていた。

「千鳥がおかっこまりでこまくなってかいらしいておもっしょいな」

「じゃらくれんで。いぬよ」

 むくれる千鳥を、瀬戸はまあまあと笑うと、時計を見た。時刻は午前十時になる。

「何番やっけ」

「108」

「んー…ああ、あるでないで」

「あんのんけ!」

「おめでとう千鳥」

「瀬戸ぉ……。……おーきに」

 千鳥はスマホを受け取ると自分でも合格を確認した。目標は達成だ。下にスクロールすると、合格を確認したら連絡するように書かれていた。事務局に電話して名前を告げるとしばらく待たされ、飛島あかりに代わった。

『大毛千鳥さんね。お電話ありがとう。明日事務局に来られるん?』

「はい、いけるんじょお。放課後でも?」

『かんまんよ。待ってんで』

電話を切ると、千鳥は瀬戸に飛びついて喜びを全身で表した。瀬戸は照れながらも千鳥を引き剥がして座らせた。

「ほいで、うずしお士ってなんしよん?」

「いっちょも知らんじょ」

「……ざっとしとんな」

瀬戸が呆れ、千鳥はぺろりと舌を出した。

 

五年後。ウネスコ世界大遺産審査会では、新たに登録が申請された案件のプレゼンテーションが行われていた。かつて、世界大自然遺産としての登録が認められなかった「鳴門海峡のうずしお」だったが、今回はがらりと形を変えての申請が行われていた。世界大遺産ではこういうことはよくある。近隣地域と連携して広域の遺産として申請し直したり、山岳などへの信仰を交えて大文化遺産として申請したりなど、それぞれに知恵を絞って、観光資源の開発を行うのだ。

『それでは、プレゼンテーションを開始してください』

司会のアナウンスで、会場の照明が落とされる。壇上にはスポットライトを浴びる飛島あかりの姿があった。

「本日は阿波徳島が世界に誇る伝統的うずしお文化についてご紹介申し上げます。それではVTRを御覧ください」

飛島が虚空にキューを送ると、スポットライトは消え、正面の大スクリーンに映像が映し出された。

うねる海面。ドローンの映像。水面に不意に現れる白い筋がぐるりと輪を描いて渦巻が生まれ、じわりじわりと育っていく。やがて海に穴が開き、海底へのゲートが開かれていく。ドローンはその渦の中へと、吸い込まれるようにゆるやかに回転しながら、海中へと降りてゆく。水中撮影も可能なドローンなのかと思われたが、これはコンピューター・グラフィックだろう。小さく鉦の音が聞こえてくる。ビートを刻むほどに数デシベルずつ音量は上がり、まもなく三味線の弾ける音色が加わり、強拍と弱拍が交互に鼓膜を刺激しはじめた。聴衆の心拍がシンクロし、魂がシンクロニシティへと導かれていく。刹那、薄絹を重ねるように一層乾燥した低音が強い輪郭を持って、先行する鉦と三味線に追従する。上半身の鼓動と下半身の脈動が血流を加速させる。ドローンはさらに泡をかき分けて海中奥深くへと進んでいく。白い水泡は渦巻き模様を描きながら巨大なスクリーンを青白く染め上げていく。鳴り物が刻むリズムの遥か上方から鋭く細い笛の高音が、天空から垂直に降り脳天を直撃。頭蓋を貫いて大脳と脳梁と脳幹を串刺しにし、そのままうねり、渦となる。思考はすべて笛のメロディに巻き取られ、コリオリの力に導かれるままに、観衆の意識はスクリーンの中心へと集まっていった。

魚? それともクラゲか。泡の奥に舞い踊る白い影が見える。ちらりゆらりと左右に回転する影。ほどなくそれは両の手であることがわかる。舞う手は左右に開かれ、中央を割って編笠が迫ってくる。編笠の縁に煽られたドローンは軽くバックステップをするように下がり、同時に下降し、編笠を煽って潜り込む。白いうなじを掠めて、青黒い腕を避けてさらに海底に向かったところで、反転し、踊り手の全身が一瞬見えた。その美しきダイバーは海底でひとり踊っていた。会場にどよめきが走る。流れるお囃子に合わせて、ダイバーは膝を腿にすり合わせながら女踊り独特のステップを踏み続ける。観衆は1フレームたりともスクリーンから視線を外せない。うずしおの底で、女が踊っていた。大毛千鳥はいまやエース踊り手として、この阿波うずしお踊りプロジェクトを牽引する存在となっていた。先月ついに一級うずしお士試験に史上初めて合格し、名実ともにトップうずしお士として、海底で舞っているのだ。

ふいに千鳥は動きを止めた。鳴り物もピタリと消え去り、耳鳴りがするほどの静寂の中、ゆらりと海底に佇む千鳥だけが映し出されていた。どんと音がしたかの錯覚とともに、目を見開いた千鳥の顔が大写しになった。すっと画面下に消えたかと思ったら、ドローンは再び後方へ下がって全身を映し出す。フォームをぐっと低くしてから地を練るように外から内へと足先を運ぶ。腕は大きくロールさせながら、内から外へと円を描く。双腕交互に描く円はやがて、アクアラングから漏れ出す気泡を巻き込んで、画面上方へと渦巻を作り出していった。ドローンがさらに下がると、千鳥の後方には同じくアクアラングを装着したうずしお士らが、連を組んで踊り狂っていた。各々が踊り込みで渦巻きを作り、海面にうずしおを巻き起こしていく光景はまさしく圧巻であり、観衆は息を飲んだまま、吐き出すのを忘れていた。ドローンが空中に飛び出し、一瞬太陽光を吸い込んで反転し、海上を望むと、見事なうずしおが海面に無数に広がっていた。画面に「阿波名物・伝統芸能・阿波うずしお踊り!」の、巨大な筆文字が映し出されると、会場のデシベルは一気に最大値にまで跳ね上がった。飛島あかりは思わず壇上でガッツポーズになっていた。今回は獲れた。ウネスコ審査官らの驚愕に満ちた表情を見て、プロジェクトの成功を確信した。そうだ。これを踏み台に私は市長に立候補し、二期務めたら知事に出馬するのだ。飛島のライフプランは完璧だ。ひとことウネスコ審査官と会場のオーディエンスに礼を述べてステージを降りると、海底で待機している千鳥らに撤収を指示した。飛島はそのまま会場係に案内され、キスアンドクライのソファに座った。阿波うずしお踊りのために新たに創設された八手羅連の連長も寄ってきた。飛島の震える手を握り、今度は大丈夫だからと耳元で囁く。

スクリーンに、ウネスコ審査官の顔が映し出された。この表情からはまったく結果が読めない。会場のデシベルが一気に下がる。ぶつんとマイクノイズが響き、呼吸音が聞こえた。審査官は無表情のまま吐き捨てた。

『--ノット・インスクライブ』

 会場の悲鳴は一二〇デシベルを記録した。会場を去った飛島の行方は誰も知らない。

 

〈了〉

2022年7月31日公開

© 2022 草葉ミノタケ

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