長雨あがって晩秋。
さすがにコート着ないと外にでれないよね的な寒さの夜であった。
十畳のハンナの私室はベッドと机があり、エリクとの知的格差を表しているようなスカスカの本棚には大量のアニメキャラやロボットなどのフィギュアが飾ってある。
ハンナはベッドに寝転んで平塚に居る時は高くてなかなか買ってもらえなかった湖池屋カラムーチョを食いながらお気に入り映画データの整理をしていた。湖池屋カラムーチョと端末での作業の相性は、手についた粉でキーボードが汚れるから非常に悪い。だがハンナにとってはいつまでもやっていたいような楽しい事務作業である。
彼女は映画が好きであった。いわゆるイケメン映画俳優も好きであった。お気に入りは60年前の俳優、ブラッド・ピットである。監督の作風をあれこれ分析したりするのも好きだった。監督の名前別にフォルダーを分けるか、俳優ごとに分類するか、それとも自分的採点の高さ順に整理するか悩みどころである。今夜もそれにしてもスピルバーグは傑作もあるけど駄作も多いな、とか生意気なことを考えていた。
すると突然、屋敷の中にプライベートライアンばりの轟音と振動が響いた。部屋の中のものが振動し、様々なタイミングで床に落ちたり倒れたりした。
それは数十秒続いた。
飾っていたフィギュアはことごとく棚から落ちた。
やがて音が止んだ。
ハンナはひとりでめっちゃ驚いていた。
「びっくりしたぁ、なによこれぇ……」
部屋で数秒呆然としていると、ジョルジが部屋に飛び込んできた。
「ハンナさん、お庭に爆弾がおちてきました」
「急になにいってんの」
ハンナは喫緊の事態とわかりつつも、自意識の作用か普通な感じを装って答えた。
「ほんとだからしょうがない。いそいで地下に避難してください、ってかもう連れてきます、この時間無駄なんで、御免」
そういってジョルジは問答無用で身長百七十センチちかくあるハンナをひょいと右肩にかついで地下まで連れて行った。轟音と振動が再度ハンナたちを襲った。さっきより強烈で長かった。ジョルジの肩におとなしく担がれてカラムーチョ袋だけ持ってだらりと脱力しているハンナは、ボクシングのチャンピオンベルトの気持ちがわかるな、などとのんきな事を考えていたが、次第に混乱し始め、爆弾が降ってくる家にはあんまし住みたくねえなあ、とか、あたしの貧おっぱいがジョルジの肩甲骨のあたりにあたっているけどジョルジは興奮しているかな、みたいな取りとめと知性に欠ける思考をぐるぐるしていた。
「マジか、地下なんてあるんだ」とハンナはかつがれながら言った。
蒔岡邸の地下は入り組んだ空洞の連続で、IT企業のオフィスのような無機質な空間。部屋は例にもれず無数にあるようだった。ひょっとしたら地上の洋館以上の面積があるかもしれない。
担がれたままハンナは殺風景な部屋に放り込まれた。担がれている間、ずっと頭上で轟音と振動は続いていた。
「ちょっとジョルジちゃん、なんなんここ」
「緊急用シェルターっす。あとはサーバルームとかいろいろあります」
「マジか……ここ地下なんかあんのね、知らんかった」
「あります。旦那様の執務室も地下にあります。なにかあったらあれなので。いざとなったらここにご家族全員が隠れます」
「いざってなによ。だれかが襲ってくるの」
「わかりません」
「つぅか、いま上はどうなってんの。わたし気になります」
「爆弾がお屋敷に落ちてきました。たくさん。ドローンを使って。庭の一部がふっとびました」
「それさっききいたよバカ、みんなケガとかしてないの」
「少なくとも下男が一人死にました、ご家族は無事です」
「マジか……あたし知ってる人かな、知らないか、でもマジか……やべぇじゃん」
ハンナは非日常に軽く昂奮し、そのあと緊急時に出る言葉が「マジか」の一種類しかない自分の語彙のすくなさに辟易とした。ともあれ、ハンナの周囲で人死にが出たのははじめてだった。
「所詮下人なんであんまやばくはないです。たぶんもう大丈夫ですけど一応この部屋に居といてください」
ジョルジはシェルターの壁に面した部屋の一つを開けると、その中にハンナをほうりこんだ。社畜となるべく上京した若者が住むワンルームマンションみたいな一面真っ白の部屋だった。ベッドと最低限の家具があった。娯楽系は一切ないが、おざなりに菓子が置いてあった。かっぱえびせんやガトーショコラなどなど。
「なにここ……」
「だからシェルターだってば。水爆が落ちてきてもたぶん大丈夫な所です。一人なら一年くらい生きていられます」
「いつまでいればいいの」
「落ち着いたら呼びに来ます。私は地上の様子を見てきます」
「わたしも行く、みたいなめんどくさいことを言いたいけどどうせ許してくれないよね」
「そっすね」
「だよねー」
そんなゆるい会話をしたあとにジョルジは部屋を出ていった。五分と経たず、ハンナの母が下男に連れられてわめきながら同じ部屋に入ってきた。ハンナは母が元気なのでほっとした。むしろすぐに、元気過ぎてむかつくようになった。
母は言った。というかわめいた。
「マジ何なの、爆弾ってなによー。なんで落ちてくんのよー。怖いじゃんよー」
この人は大人らしさが皆無だな、とハンナはおもった。普通は子供の精神をケアする感じになるとおもうんだけどね。
「あたしにもわかんないよ。お義父さんが公務員だからじゃない」
母は不安なのかしゃべりまくった。
「いやーすっごい振動でさぁ、どおおおおん、って。ちがうか。もっとか。どがががががぁあああんみたいな。最初地震かな、ってわたし考えたのよ。でもなんか短いし、揺れっていうよりか、衝撃、みたいな、やばっ、ておもったよね、実際ね。このまえわたしひとりでゴジラの映画観たのよ。キングギドラもでるやつ、正直あれかな、とかおもっちゃったよね。ふふふ。一瞬ね、ほんとにゴジラ来ちゃったみたいな、ふふ、ぜんぜん違ってよかったけども。いや良くないか。爆弾の方がやばいよね。でもさ、実際爆弾ってやばくない? へたすりゃ死ぬじゃん。ってかだれか死んだってホント? やばくない? やばくない?」
「……やばいよ」
あたしの語彙力の寡さはこのアホからの遺伝だ、とハンナは絶望した。
その後母とハンナは混乱しながら喋り続けていたが、なにをしゃべってもやばい、という結論しかでなかった。でもジョルジがあんまやばくないっていってたよ、と伝えても母は全然信用せず、狭い室内で無駄なきりきりまいを続けた。
おそらく蒔岡邸にも直接爆弾は落ちてきているのだろう、地下にも伝わってくるすさまじい轟音と衝撃のせいで不安に駆られた母は完全にパニック状態に陥った。
ハンナと母はベッドの上で毛布をかぶって抱き合いながら身をすくめて耐えた。音と振動が来るたびに、こわい! やめて! なんでぇ? もうやだぁ! 長いわ! などとずっと母は叫んでいた。
ハンナは爆弾も大概こわかったが、恐怖でおかしくなってしまいそうな母の顔もまたおそろしかった。ただでさえ少ない母の頭のネジが、一本、また一本、と飛んで行って、最終的に頭がぱかっと割れるのでは、というイメージが頭に浮かんだ。ハンナは平塚の狭い部屋の中で父の怒号と暴力に耐えている彼女とみているだけの無力な自分をおもいだした。母が壊れてしまう。見ていられなかった。恐怖とも懐かしさともとれる名状しがたい感情があふれ、涙が流れた。あまりにも母が音や振動に対して怖がっているので、これがずっと続くようであれば、もうふたりで庭に出ていって、爆弾に吹っ飛ばされた方がずっと爽やかな人生なのでは、と考えていた。もう我慢するのはうんざりだよ。やめたいよ。
しばらくすると音は止み、部屋にあったお菓子をめそめそしながら食べていた母が泣き疲れて寝たため、ハンナもいっしょに寝てしまった。母にくっついて寝たいなとおもったけども、近寄ったら母が、ん……なに? みたいな顔をしたので恥ずかしくなってやめた。
ハンナがおきると、自室のベッドで寝ていた。
フィギュアは何となく棚に戻されていたが、こだわりの順番じゃないのですこしむかついた。やれやれ、もう爆弾はこりごりでやんす、とつぶやいて、また菓子を食って二度寝をした。が、眠れなかった。震えが止まらなかった。
それから数日が過ぎた。母はずっと体調がすぐれず、寝たり起きたりしていた。
珍しくハンナは学校からまっすぐ帰ってきて、自室でだらだらしていた。ベッドの上に落ちている髪の毛を拾うなどしていると、自室のドア越しにエリクの声がした。
「ハンナ、ちょっと」
エリクがハンナに声をかけるのはめずらしい。何か話があるようで、正直兄のことが気になってしょうがないハンナは色めき立つも、ぜんぜん色めき立ってない声色になるよう気を付けつつ、「なによ、いまいそがしいんですけど」と不愛想に答えた。だが拾うべき髪の毛はもう無いので嘘である。
「一応、言っとかなければいけないとおもって。この前のこともあったし。でもお義母さんにはないしょだよ」とエリク。
ハンナはふーん、みたいな感じでいたが、内心は義兄と秘密を共有するということ自体にどこか気持ちが高揚していた。
ちょっとまって、と言って軽く物を片付け、手ぐしで髪の毛をいい感じに整え、いちど目をぱちぱちさせて自らのかわいさを確認後、ドアを開けて自分の部屋に義兄を招き入れた。
エリクはハンナの自室に入ると図々しくクッションに座って、前置きもせず自分の実母のことを話し始めた。一息で完璧に、感情を最後まで出さずに終えた。
エリクの母は一年前、蒔岡庭園の隅で爆弾に吹き飛ばされて死んだらしい。和館の裏のへっこみは、彼女が亡くなった場所であった。
彼女は石川県に生まれ、元公爵である加賀前田家の血をひいてるかもしんないみたいな噂のある裕福な家庭に生まれ、ハンナの様なまがい物のお嬢ではない、本物のお嬢様として育った。ロマン派好きで、ショパンやリストなどのキャッチーな旋律を持つピアノ曲を好み、蒔岡に嫁いだ後もよくサンルームにあるスタインウェイで弾いていたそうだ。「貴族のいない社会に芸術は生まれない」が信条だった。
ちなみに今そのピアノは気まぐれにハンナがヘタクソな猫ふんじゃったを弾く程度で、基本的には埃をかぶっている。ヘタクソな猫ふんじゃったは、ピアノ曲の中でも最も聞く人間に不快感を与える曲である。特にハンナのピアノは聞いていて不安障害になりそうなくらいテンポが不安定で、一番盛り上がる「猫にゃーご」のサビ部分、やけくそな和音は、聴いた誰もが後ろから頭を殴りつけたくなるようなものであった。事実、エリクはハンナに対して何回もブチ切れてハンナが座るビロードの椅子を蹴とばして遺憾を示している。
母とハンナが現在嬉々として着ている加賀友禅のコレクションはかつて彼女が集めたものであり、父は着付けをする際は畳の部屋がよろしかろう、と彼女の為に蒔岡邸の隣に和館を建てた。エリク曰く、おとなしくて文化的な女性であったそうだ。
そんなエリクの母が殺されたのは、今からほんの数か月前のことである。
エリクの母は和館の近くに小規模な柵を設け、保護犬を5匹放し飼いにしていた。彼女がその犬たちと遊んでいた最中のことである。その時エリクの母は義父に借りた携帯端末を持っていた。あたらしく犬の体調管理用のアプリをダウンロードして使っていた。彼女はそのアプリのポップアップで、自分の位置情報を知らせてもいいですか、と聞かれたので、全然かまいませんことよ、とおもい、はい/いいえの選択肢でためらいなく「はい」を押した。
その十分後、その位置情報を頼りに、レゴブロックで出来たカラフルなドローンが彼女めがけて飛んできた。サングラスを付けてバンザイしているパイロット人形が乗っている。シングルボードコンピュータであるラズベリーパイ、各種センサ、GPS受信機、ジャイロスコープ、プラスチック爆薬二・〇四キログラムと信管付き遠隔起爆装置がくっついていた。あまりに静音性の高いそのドローンの接近に、彼女は最後まで気づかなかった。
だれかさんのお手製爆弾を積んだドローンは彼女が小袖の懐に入れた携帯端末に向かって時速百三十キロで突っ込んだ。そして彼女の周囲二十メートルをオレンジ色の閃光で包んだ。大砲のような音と大量の土煙で蒔岡邸の誰もがその異常に気付いた。それは蒔岡邸に落ちた最初の爆弾であった。
エリクの母が大好きだったオペラで言えば、人が死ぬシーンでは長々と悲しい感じの曲を何分もかけて歌って、音楽のピークに美しくこと切れる。彼女も自分が死ぬときはこうありたいものだわ、と直接的に思考した訳では無いが、深層心理下ではおもっていた。最愛の夫に感謝の意をつたえて、椿の花が落ちるようにこときれる。周りの人間が泣き叫ぶ。盛り上がるオーケストラ。美しい死にざま。だが実際に彼女が死ぬとき、子犬と一緒に肉片になるまで〇・一秒もかからなかった。コンポジション4の中に入っている無数のパチンコ玉に顎から後頭部に欠けて食い破られて情緒もクソも無く彼女の意識は中断させられた。子犬も全匹即死。あたりに肉と血と骨とカラフルなレゴブロックが散乱していたという。
母親の死について淡々と語るエリクの感情は読めなかった。
「爆弾はね、民主主義者が落としてくるんだよ」
ハンナのベッドにもたれながらエリクは言った。視線はハンナのコレクションであるフィギュア群あたりをみつめていた。存外興味があるのかもしれない。
「民主主義者」
「そう」
「なんで落とすの」
「親父を殺すため。そうすれば行政AIをつくるノウハウがなくなると思ってんじゃない」
「最近習ったから知ってるよ、また民主主義? にもどしたいんでしょ? 爆弾落とす人たちは」
「そうだね。よく勉強してるね」そう言ってエリクは微笑んだ。
ハンナはエリクが優しくてうれしかった。
「人殺しじゃん」
「そうだよ」
「民主主義者は人殺しじゃんよ」
「そう。昔のフランスとかもそうだったんだよ。没落して不安になった人間は思想に頼る。今のアメリカも民主主義だけど、アメリカ人はあんまテロとかしないね。金があるからかな」
「民主主義者ってこわいね。お兄ちゃんのおかあさんは民主主義者に殺されちゃったんだ」
「そうだよ。テロリストなんだよ。でもこわがったらいけないよ。暗殺やテロをする連中なんて人として下の下だよ。一流はすべて政治的調整など知的な営みで目的を果たすんだよ。特攻したり自爆したりなんていうテロリストは、基本的に思考停止で無能なカスだよ。ただ残念なことに、知的に劣った人間は一定数存在し続けるのでテロのリスクはなくならない。だからうちにはジョルジが必要なんだよ。彼はJEMAという機関の職員で国家の安全保障を仕事としている。母が死んでから蒔岡に来てもらった。核シェルターも作ってもらった。表向きはうちの下人だけどね」
「そうなんだぁ。ジョルジってすごいひとだったんだね」
「民主主義者はね、親父を殺したくてしょうがないんだ。昔住んでた家はね、たくさんガソリン積んだ無人運転のトラックが突っ込んできたよ。民主主義者はね、そういうのがかっこいいとおもってるんだ。行動で思想を示すしかないと考えているんだ」
「なにそれ。きっつー、良く生きてたね」
「ほんとだよ、ギリ助かった」
ハンナはエリクが口調をハンナに寄せてきてくれていることがうれしかった。この兄は
蒔岡に爆弾が落ちてきてから変わった。混乱した感情が消え、落ち着いている。
「僕は親父の跡を継ぎたいんだよね」
「そうなんだー」
「……」
「……」
ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。ハンナはここは一発テンション上げるためにゴイステでも流すか、と考えた矢先である。
エリクが真剣な顔で言った。
「ハンナ、今まで感じの悪い兄でごめん。これから仲良くしよう。だめか?」
ハンナはたまげた。口をぱくぱくしたあと顔を伏せてにやにやした。恥ずかしくてエリクの顔を見ることができなかった。ハンナはこの提案をにそれこそ即応できなかった。目を伏せて言った。はずい。
「いいよ。なかよくしてあげる」
「よかった」
エリクは健全に笑った。ハンナも笑った。
「なんで捕まえたりしないの? 爆弾落とした人」
「……この屋敷内は完璧に安全だからいいんだ」
ハンナはそれおかしくない? とおもったが訊くのをためらった。命かかってんだから必死に対策を立てろよ。腑に落ちないハンナを横目にエリクはにや、とわらって立ち上がった。
「恨んだりしないの? その、おかあさんのことで」
「……親父が復讐は知的な営みではないって言ってた」
「ふーん」
おとうさんのいいなりなんだ、と皮肉りたいところをハンナは我慢した。
「いいかい、テロの標的というのは分散すれば分散するほどセキュリティにかけるコストがあがるんだ。僕たちが標的になることで他の知識人たちが標的にならないという考え方もある。人間の格差というものはどうしようもなくあるし、それによる嫉妬もどうしようもない。であれば、効率よくまとめて対処するのがベストだ」
「人間の嫉妬をまとめて対処する?」
「そう」
「……へんじゃない?」
「へんだよ」
「お義父さんがそう言ってるんだ」
「非合理だとおもうけどね。俺に理解できない考えがあるんだとおもうよ」
なんともぎこちない会話を切り上げ、エリクは自分の部屋へもどった。それ以来、エリクはハンナに対してちょっと優しくなった。ハンナは義兄がやさしくてうれしかった。次の日も、次の次の日も話しかけてくれたので、ハンナは毎日うれしかった。
ただ、ハンナと母は好き勝手に庭に出ることをジョルジに禁じられた。爆弾で庭にある藤棚と池の一部が吹っ飛んでいた。猫も池の鯉もかなり死んだので、母はすこし泣いた。一週間もすると、吹っ飛んだ苔はしょうがないが、大体を剪定用AIが直して元通りになった。
その後もたびたび蒔岡邸には爆弾が落ちて来た。屋敷が壊れることは無く、見事な庭はそのたびに穴だらけになったが、すぐに直された。
ハンナはすぐに慣れてしまったが、母が振動と爆音に慣れることは無く、いつもシェルターの中で泣いて怯えていた。パニックのあまり過呼吸に陥いり、ハンナがビニール袋を口に当てることもあった。母の精神的健康は少しずつ奪われていった。
犯人が捕まることは無かった。
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